7月を振り返ります。
あの凶行から1年を迎えた8日、奈良へ。
慰霊碑が建立されたのは、
凶行の地から5キロも離れた三笠霊苑。
外野からは、様々な声が聞こえるものの、
清水次郎長親分が生前語った様に、〜死んだら皆 仏…〜の如く、
凶行の地、大和西大寺駅前は厳戒態勢。
ウエルカム トゥ ナラ…
慰霊碑の建立を避けた。
拒否。
市民の意向?
ウエルカム…白々しい文言。
奈良市に対する感情が、あの凶行以来、国政に奔走した元宰相への対応なのかと、すっかり変わりました。
慰霊の後は京都へ移動。
京都市役所へ。
友好の小路
友好の小路
ウクライナ、キーウ市と姉妹都市である京都市
ウクライナの1日も早い戦争終結と勝利を祈りました。