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日本歴史紀行

思い出フォト 28 一周忌


7月を振り返ります。









あの凶行から1年を迎えた8日、奈良へ。










慰霊碑が建立されたのは、
凶行の地から5キロも離れた三笠霊苑。
外野からは、様々な声が聞こえるものの、
清水次郎長親分が生前語った様に、〜死んだら皆 仏…〜の如く、




凶行の地、大和西大寺駅前は厳戒態勢。






ウエルカム トゥ ナラ…

慰霊碑の建立を避けた。

拒否。

市民の意向?

ウエルカム…白々しい文言。

奈良市に対する感情が、あの凶行以来、国政に奔走した元宰相への対応なのかと、すっかり変わりました。




慰霊の後は京都へ移動。
京都市役所へ。


友好の小路



ウクライナ、キーウ市と姉妹都市である京都市

ウクライナの1日も早い戦争終結と勝利を祈りました。

 




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コメント一覧

aoikitakaze4390031
@takechiyo_1949 こんばんは。
首都圏の鉄道交通網の大動脈、東京駅ですら、細やかなものではありますが、原敬、浜口雄幸の両元首相の暗殺、暗殺未遂事件を示すレリーフが設置されております。安倍晋三元首相への凶行に際して、せめて、極々細やかなものでも慰霊、御霊前に哀悼の誠を捧げる場を設置できないものかと、他県に住む平民として思っていましたが、あの様な結果となり、残念などと、簡単な心情ですませられなく、思っています。

歴史を探索している身として、奈良は避けられない街ではありますが、あの様な決断に至った街では、交通費以外支出するものかと、考える きっかけとなりました。
Unknown
@aoikitakazeさん
こんばんは。
安倍元首相の慰霊碑建立を拒否したのは、間違い無く奈良市民です。
――――――――――――――――――
「車両や歩行者の通行の妨げにならない場所に何か残せたらいい」といった慰霊碑などの設置に賛成する声もありましたが、「市民にとっては思い出したくない」とか、「住んでいる人や、子どもたちがやすらぎ、集える場所になるようにしてほしい」など、設置しないほうがいいという意見が多く寄せられたということです。
市はこれらの意見を踏まえて、当初の計画どおり「車道」として整備し、周辺に花壇を設ける一方、慰霊碑など弔意を示すような「構造物」は作らないことを決め、ことし3月末に工事は終了しました。
(NHK NEWS WEBより)
――――――――――――――――――
welcomeなんて、どの口が言う!
奈良市民と奈良市の対応には、私も大いに呆れています。
長文、失礼しました。
竹千代 拝
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