日々雑感  ~ 青亀恵一

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喜寿の祝いに現金ばら撒き

2007-02-03 08:08:05 | 文化
喜寿の祝いに現金ばら撒き


ばら撒く現金は総額 200万円。

老いも若きもばら撒く現金に群がる。
五円玉、十円玉。
五十円玉、百円玉。
千円札、一万円札。
と徐々に大きなお金がばら撒かれる。

子どもと老人が千円札を奪いあう。
共に掴み、離さない。 
そして、お互い、譲らない。
子どもを押しのけて、宙舞う札を追いかける。
親もわが子を放り投げて、お金に群がる。

キャッキャッと楽しそうな情景が放送された。
「潮騒」で有名な神島の伝統行事なのである。

長寿を分かち合う。
長寿にあやかる。

喜寿や米寿を共に喜びたいと小さな島民の
連帯のための伝統ある行事であろう。

その伝統行事のルーツや位置づけを体に染みて知らない私が
その是非を論じることはできないが、
なぜか、淋しい風景に感じた。

私には、餓鬼の騒ぎのように見えた。
助かりたいがために、
天から降りた一本の糸に、我先にと群がる
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の挿絵のように感じられた。


よく考えれば、祝い事に餅を撒く。
その中に、お金を入れることもある。

その時も観衆は、餅に群がる。
しかし、そのときには、群がる人に餓鬼道は感じない。
だが、この現金バラまきにはそれを感じた。

どこが違うのか。

基本的には、内容は変わらない。

しかし、群がる人の姿が違うのだ。
餅を取るために、子どもと本気で奪いあうことはない。

また、わが子をその中には連れて行かない。
危ないと思うから。
わが子を放り投げて、我先にと群がることもない。

しかし、それが金となると違うのだ。
それほど、お金は人を変える力を持っている。


人は、わが身の命を長らえるためには、時には、わが子をも殺す。
親をも殺す。
周りの人を殺すこともある。

それが、不思議でない世界が、今あるのである。
昔もそれは、あった。
泣く泣くいろいろな理不尽を犯した。

お金は大切なもので、無くては生きてはいけない。
しかし、そのために、なんの躊躇無くわが身を餓鬼道に置くか。

人とは、そのようにきわめて微妙な稜線の上を歩いているのかも知れない。
生きることは、生を長らえることである。
しかし、それだけではないはずだ。

何の意味や目的も持たず、生きることでも、
生物学的に生を享受して、生の意味を果たしている。

それは、一つの真摯な生の姿であろう。

しかし、人間が獣と違うところは、
そのほかにも生の重大な意味を見出すことができるところではないだろうか。

ふと、そのようなことを感じたすさまじい光景であった。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
コメント感謝 (家主)
2007-02-16 08:17:59

テル様、コメントありがとうございます。
特に、大人と子どもがお金を奪いあうシーンは、
悲哀の極みでありました。

また、ご意見ください。
返信する
本当に (テル)
2007-02-14 23:43:08
テレビ報道をネットで見て、悲惨な絵だと感じました。
子供とお金を奪い合う大人の姿や、相手を踏み倒すようにしてお金に群がる群衆に、悲しみを覚えました。
あのようなことは決してすべきではないと思いました。
戦争や災害の時に集団リンチをするような群集心理に似たものも感じます。
非常に心の痛む映像でした。
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