『正しい人が馬鹿をみない世の中にします』
(「オーバードライブ」 著者:安田剛士)
今週号の朝日嘉穂の台詞。よくわかんない大金持ちの一人娘の嘉穂ちゃんが、おっかないお母さんに「こんなくだらない自転車レースに関わってないで、早く自分の日常に戻りなさい』といわれ、言い争いの挙句に口にした台詞。
夢とか希望とか強い意思だとかが沢山詰った決意の台詞。
まぁ、普通に考えたら胸にグッとくる台詞なんだろうけど、僕は以前他の台詞に感銘を受けていてね、残念なことに胸に響かなかった。
僕が前に読んだのはこういう台詞だったんだ。
『正しい人が報われるような世の中が来てはいけない』
(「バンパイア―昭和不老不死伝説」 著者:徳弘正也)
『それでは、報われない人間は全て間違った人間ということになってしまうから』と続くこの台詞。どうです、ずいぶん考えさせられる内容ではありませんか?
なにが正しいのかどうか? なにが良いのかどうか?
もちろん、個人で判断することです。
僕が云うべきことはなにもありません。
あなたの心に突き刺さった楔はどちらでしょうか?
(「オーバードライブ」 著者:安田剛士)
今週号の朝日嘉穂の台詞。よくわかんない大金持ちの一人娘の嘉穂ちゃんが、おっかないお母さんに「こんなくだらない自転車レースに関わってないで、早く自分の日常に戻りなさい』といわれ、言い争いの挙句に口にした台詞。
夢とか希望とか強い意思だとかが沢山詰った決意の台詞。
まぁ、普通に考えたら胸にグッとくる台詞なんだろうけど、僕は以前他の台詞に感銘を受けていてね、残念なことに胸に響かなかった。
僕が前に読んだのはこういう台詞だったんだ。
『正しい人が報われるような世の中が来てはいけない』
(「バンパイア―昭和不老不死伝説」 著者:徳弘正也)
『それでは、報われない人間は全て間違った人間ということになってしまうから』と続くこの台詞。どうです、ずいぶん考えさせられる内容ではありませんか?
なにが正しいのかどうか? なにが良いのかどうか?
もちろん、個人で判断することです。
僕が云うべきことはなにもありません。
あなたの心に突き刺さった楔はどちらでしょうか?
なかなか意味深く、難しいところです。
個人的に感じるのは、『正しくない人が報われるような世の中が来てはいけない』っていうのが今のところの落とし所なんじゃないかな、と。
でもまぁ、革新的なことが、他の人の常識から判断されて『正しくない』とされると、上のものもうまく成り立たない可能性もあるし……。
やっぱり難しいですねぇ……。
「正しくない人が報われない」ってことは、『報われる人は正しい』ってことですよ。
それだったら、やっぱり『報われないのは正しくないから』ってことになってしまいます。
なにが正解ってのは先に述べた通り個人で判断することですが、真に清く正しき人ならば、報われるかどうかなんて気にしないと思いますよ。
だって、報われたくてそうあるわけではなく、好きなように生きた結果、たまたま清く正しくなってしまっただけだと思いますから。
だから、正しき人が報われる世の中なんてくる必要はないんです。
というのが僕の考えですが、もちろん蛇足ですよね。
正解はどこにあるんでしょうね。
自分は栗田さんのコメントに賛成ですね。
『正しくない人が報われるような世の中が来てはいけない』という文章の中に、『正しい人は必ず報われる』という条件は含まれないと思うんで。
もっとも、栗田さんも仰っているように正しい正しくないの基準は状況によって変わるものだし、そもそもこういった単純な真理は理想論でしかないんでしょうし。
とは言え、kouさんの意見の後半部分には同意します。
好きなように生きた結果、たまたま清く正しくなってしまった。
そんな生き方をしたいものですね。
でも僕らのような凡人にとって大切なことは、逐一考え、迷いながら、『おっかなびっくり薄闇の中を歩いていく』ことだと思うわけです(笑)
また、『正しくない人は報われない』とすると、報われてない人の中には正しくない人がいるってことですよね? そしてそれを見分ける方法はない。とすると、正しいかどうかなんかに拘らず『報われない=正しくない』と結びつけて報われない人たちを迫害する人たちはきっと沢山出てくると思いますよ。
いや、まぁ、こんな世界は絶対に来ないから、ここで真剣に語ることではないと思いますが。
とりあえず僕は、正しいか良いことかは気にしないようにやってます。『大事なことは自分がどうしたいかだ』と信じているので。
これ、大賛成です。
自分が本当に、何をどうしたいのか、ということをどれだけ誠実に追求できるのか。僕にとっても大きな課題です。
嘘でもないし、オーバーな表現でもないし、比喩でもないです。
僕はホントに謎を解き、真理を悟っているのです。
世界の半分――自分自身のことについては。
だから、自分がどうしたいかってことについては、幸いな事にもう悩みません。
でも、なにを実行するかについては、よく悩んだりします。
なぜなら、残った世界の半分――あなたのことについてはなにひとつわかっていないからです。