だいすき

基本的に自分の好きなものについて綴っていきます。嫌いなものやどうでもいいこと、さらに小説なんかもたまに書きます。

この世の人々が許しあうまであと千億の夜

2008年12月28日 02時28分33秒 | あなたへ
 深見真先生の書く『疾走する思春期のパラベラム』を愛読している。

 この最新刊の中で、あるキャラがこう云っている。

『たとえこれから数万――いや数億数百億という夜が過ぎても、人間が迎える朝なんてのは似たようなものだろう。宗教、民族、イデオロギー、セクシャリティなど、人類が対立する要素は事欠かない。世界が許しあうまで、後千億の夜があっても足りない。那由他の年月が過ぎてもたぶんなにも変わらない』

 僕もそう思う。

 いや、僕だけじゃなく、きっと多くの人が世の中よくならないと思っているんじゃないかな。

 でもね、

 方法がないわけじゃないんだよ。

 世の中が良くなる。

 争いが消え、笑顔に満ち足りた朝を迎える方法が、ないわけじゃないんだ。

 大事なのは、

 愛と想像力だ。

 例えばあなたが誰かを好きになったとする。

 深く深く愛し、その人の幸せを強く望んだとする。

 ここで肝心なのは、自分でなく相手の幸せを望むということだ。

 相手が幸せであることが自分の幸せである、と感じられることだ。

 その感情を愛と呼ぶ。

 そう仮定して先に進む。

 幸せであるということは色々あるだろうけど、笑顔であるってことだよね。

 幸せと笑顔ってイコールで繋がるイメージない?

 好きなひとが笑顔であるために、あなたに出来ることはなんだろう?

 目の前にひとがいる。

 あなたにとっても、あなたの好きなひとにとっても関係ないひとだ。

 あなたはそのひとの気分をコントロールできる立場にいる。

 簡単な例え話にすると、あなたはショップ店員で、目の前に無関係なお客がいるってこと。

 その客に対し、素敵な接客をすれば笑顔で帰っていくし、ぞんざいな接客をすれば不機嫌で帰っていく。

 仮にあなたがぞんざいな接客をしたとしよう。

 客は不機嫌で帰っていき、気を紛らわす為に夜お酒を呑むかもしれない。

 呑んだ帰り道、千鳥足で他の通行人に当り散らし、周りに不快感を与えながら帰ったとする。

 この時、不快感を与えられた通行人のひとりが、あなたの好きなひとだったらどうだろう。

 そうと知っていて、あなたはこの客に対しぞんざいは接客をする?

 丁寧な接客、あるいは普通に接するだけで、あなたの好きな人は嫌な思いをせずにあなたの元に帰ってきてくれるとしたら、あなたはそんなことしないんじゃないかな。

 つまりはそういうこと。

 世界の全ては繋がっているんだと想像すること。

 目の前にいる人に良くすることが、巡り巡ってあなたの好きな人の元に返って来るんだと思い込むこと。

 それが出来れば、世界は一瞬にして良くなるよ。

 こんな話、突飛過ぎると思う?

 でも、そんなことないんだよ。

 前に聞いた話だけど、AさんとBさんという仲の悪い女性がいて、ある時Aさんは自分の妹がBさんと同じ学校なのを知って、妹にBさんをいじめるように命令したんだって。で、妹さんは友達と一緒にBさんをいじめたらしいよ。

 この話、作り話かな?

 僕はごくありふれた話だと思うけど。

 例えばさ、近所に愛想の良い男性がいて、毎朝すれ違う近所の人に気持ちの良い挨拶をしていたとする。

 その男性の家族と知り合う機会があったら、あなたはどういう印象を抱きながらファーストコンタクトを計る?

 きっと良い印象を胸に話しかけるんじゃないかな。

 逆に無愛想な男性だったら、家族に対しても好印象では最初は話しかけないと思うよ。

 ていうか、そもそも声を掛けたりしないんじゃないかな。

 全ては繋がっている。

 無関係なものなんて、この世の中には存在しないんだ。

 大事なのは愛と想像力。

 それさえあれば、

 この世の人々が許しあうまでに千億もの夜なんか必要としないんだ。

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