スピリチュアルアート・不思議話・猫話・神話を紹介します

癒しのスピリチュアルアート・不思議なお話・可笑しい猫話・チョッと面白い為に成るかもしれない自作の神話を記載します。

スピリチュアル~☆~不思議な出来事・・・その日は突然やって来る・・・3

2012-09-01 05:00:16 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~不思議な出来事・・・その日は突然やって来る・・その3

◎ ある日、突然に導かれ・視せられ、その通りのもが有って、受け取った大切な神からの預かり物・・・それは生涯の終わりまで預かる事に成る・・。その意味や重みは後々に思い知らされる事と成るが・・・・その時には、不思議な出来事に・・ただだた驚きと戸惑いが有った・・そして、気掛かりを抱えたままに・・暗い山道を歩いて降りて行った。

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帰り道は、大方に暗く成ってしまい、誰も居ない山道を二人で降りて行った・。あの暗い山道が・・・見えないはずの山道が・・どう言った訳か、自分達には良く見えた・・。

山道を降り切って、駐車場に付いた時には、もう9時頃の時間と成ってしまっていた・・。気掛かりな事をいよいよ持って、友達に告げなくては成らない・・。困ってしまった・・。

しかし、言うしか有るまい・・。「○○さん・・もう、車のガソリンが全く無いんよ・・。来る途中に気が付いたんやけど・・時間、無かったし・・・」と、恐ろる恐ろる話してみた・・。

麓から登って来る時には既に大方、ガソリンは無かった・・・。登り始めて直ぐに赤いランプが付いてしまい・・・「こりゃ・・駄目だ・・」と、思った。なので、もう、一滴のガソリンも無いだろう、、。

今から帰るにも帰れない・・。宿泊設備らしい物がこの場所には1軒くらいは有る様だが、今更、突然には宿泊は無理だろうし、持ち合わせも無い・・。例え、山を降って行ったとしても、山の麓に確か一軒有ったガソリンスタンドは、この時間だし田舎だから既に閉まっているだろう・・。今夜は、ここにでも泊まって、明日の朝、明るく成ってから考えるしか無いだろう・・。

きっと友達は、また、怒り出すだろう・・・。疲れているし・・気が付けばお腹も空いている・・。覚悟を決めて話した・・・その返事は、意外なものだった。

彼女は、意とも簡単に、怒る事も無く「大丈夫よ・・・降りて帰ろう・・・」と、あっさりと答えた・・。「え・・え・・降りて行ってもガソリンスタンドはもう閉まっているし・・」と、言いながらも、こう成ったら仕方が無い・・と思い降りる事とした。

今から考えてみれば、彼女で無くても、あの場面では、普通は誰もが怒るだろう・・。が、あっさりと答えた彼女・・・。あの時点でもまだ、彼女に神は付いていたのだろう・・。だからこそ、あっさりと帰ろう・・・と言った言葉・・それは、確信を持った答えだった・・。

イザ・・覚悟を決めて坂道を降り帰る事とした・・。

勿論、ガソリンは無い・・。その為、エンジンを切ったままに、坂道を下って行った・・。全く持っての急な坂道で・・車は、止まる事無く、ブレーキを踏みスピードを調整しなければならないほどだった・・。帰りながら、これほどの曲がりくねった急な坂道を、来る時には、1時間も掛からず、よくも登り切ったものだと、改めて神懸りの凄さを思い知った・・。

車は、どんどん降って行った・・。そして、とうとう麓までたどり着いた・・。「もう、これ以上は、進め無く成ってしまうだろうな・・。止まった所で、車の中で一晩、過ごすしか無いだろう・・」そう、思った時だった・・。

すっかり寝静まった麓の村・・・進む方向の左側に、煌々と光が灯っている・・。「ガソリンスタンド・・・だ!この時間に・・・まさか!・・」開いていた・・。信じられなかった・・。が、確かに、開いていた。

車は、まるでここまでたどり着く事を目的としていた様に、す~と、ガソリンスタンドに吸い込まれる様に入り、止まった・・。これ以上は、平坦で、進む事など出来ない・・・、そんな処だ・・。それにしても、どうしてこの時間に、ガソリンスタンドが開いていたのだろうか・・・?考えられない事だった・・

しかし、その答えは、直ぐに分った・・ガソリンスタンドの店主が、長電話していた・・。たまたま・・その為に、開いたままに成っていた・・。店主は、意外な時間に、たまたま入って来た客に、慌てて電話を切って、現れた。

その様子は、めったにしない・・いや、ほとんどしない長電話・・・。話が長引き・・電話口から離れられず店を閉められず・・かと言って電話を切るタイミングにも困っていて・・これて電話を切る事が出来、おまけに客も来てくれてラッキー・・・。そんな感情が伝わって来た。

ラッキーだったのはこちらの方で有る・・。しかしながらこれは、ただのラッキーでも偶然でも無い・・。神の成せる業である。神の意図する時間合わせ事合わせにしか他ならない・・。友達の意図も簡単に「帰るよ・・・」の言葉の意味がここに有る・・。

静まり返った麓の村・・明かりが消されたガソリンスタンドを後にして、私達は、帰り道へと急いで車を走らせた・・・。

 

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スピリチュアル~☆~不思議な出来事・・・導き・・その日は突然にや・その日は突然やって来る2

2012-08-26 02:08:32 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~不思議な出来事・・・その日は突然やって来る・・その2

◎ 不思議な出来事・・・そんな事に遭遇すると、考え方も生き方も変わってしまう・・・そして、戸惑い悩み思考する・・神や御仏の存在を思い知るこ事と成る・・悟らなければ成らない・・・決して甘くは無い神仏道を歩む事と成る・・。その始まりの出来事・・・導きだったのだろう・・。

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ロープエイは、静かな山間を登って行く・・・。到着だ・・。

目的の場所は、きっとこの山の頂上だろう・・。この山の頂上には、誰もが知っている神の象徴の○○○の像が有るらしい・・。そこまで暗くなるまでに辿り着くと良いのだけれど・・・。急がなければならない

頂上まで続く山道は、思ったよりもなだらかだった・・。そして、もうこの時間に昇り降りをする者は誰もいない・・・。自分達だけである。どう言う訳か、導かれる時は、何時も誰も居ない時間と成ってしまっている・・・。

なんやかんやと、また友達の話が始まり、その話を聞き流しながら細い山道を登って行った・・。

どのくらい登って来たのだろうか・・?道が二つに分れている箇所に出くわした。恐らく、真っ直ぐ行くと頂上にたどり着くのだろう・・。もう一つの道は、さらに細い道で誰もこちらに進む者はいないだろう道である。

その二股の近くには祠が有った・・。二人は、当然の様に、その祠に手を合わせお参りをした。その直後、「あ~そうか、進むのはこちらの道なんだ・・・」と、導き閃きの様なものを感じた。恐らく、あの祠の神が教えてくれたのだろう・・。すると、既に、友達には神が降りて来たらしい・・。「○○さん・・・こちらよ・・」と、当然の様に、私の閃きの方向の道を進み始めた・・。普通では無いものを感じた。

二人は、確信の道を進んで言った・・。やがで妙な箇所にたどり着いた・・。もう道が無い様だ・・。そこは、大きな岩が寄り添い聳え立っていた。手を合わせ祈る・・。するとその岩は魂を得た様に、姿を変えて行く・・。友達は「凄い・・・」と言いながらも落ち着いて居る・・。

さてさて・・これからどちらに進むのだろうか・・?目的の場所は、ここでは無い様だ・・・。何と無くその事に納得をしている・・。すると聞こえてきた・・。「さ~どちらに進むかの~?」・・・どうも試されて居る様だ・・。そう言われても・・・周りを見渡しても何も何処にも道は無い・・。「ん~困った・・!」すると、既に友達は、道らしい道を見つけたらしく・・「○○さん・・・こっち・・こっち・・・!」と言っているが姿が見えない・・。「水よ・・・水を探さんと・・いかん・・・」と、言いさっさと進んでいる・・。「やっぱり付いているな・・・」と、思った。

声の方向に進んで行く・・・・。先を、さっさと進む友達・・・。せかされる様に追いかけかけて行く・・。たどり付いた場所・・。そこには祠が有った・・。その祠は南向きに有って、見晴らしも良く、遠くの山々が良く見える・・。そして、その祠の後ろには湧き水が有った・・。

良く見てみる・・。恐らく、お告げを頂いた場所はここで間違いが無いのだろう・・。そう思いながら、更に良く見渡し視てみると・「視たまま・・や・・。ここ・・ここで間違いが無い・・」お告げで視せられたそのものの箇所が有った。しかし、そこには肝心の印が無い・・。「無いんよ・・印が・・見つからん・・」・・・「どうしたらええんやろうか・・・」この先、どうするのかが分らない・・。

祠を目の前に手を合わせる・・。しかし、何をどうすれば良いのか・・何も変わらなかった・・。

すると友達が、「こいつが・・これが、邪魔をしとるんよ・・・」と言うと、どこから見つけた来たものか・・杖の様なもので、祠の前に根付いて咲いていたアザミの花を、根元から退けはじめた・・・。そこには、他には何も無いと言うのに、アザミのとげとげしい花が一株・・・意志を持っているかの様に咲いていた・・。その姿は、あのとげとげしい様相で、何かを守っている・・そんな様子にも見えた・・私も一緒に成って、そのアザミを取り除いた・・。

そのとたん・・見えて来た・・。神のお告げで視たあの・・・印・・が、はっきりと岩壁に浮かんできた。「見えた・・・見えた・・はっきりと・・。これ・・これや・・。」と、興奮をし叫んだ・・。

すると、スサノオ尊が私に降りて来た・・。呪文を唱えると、いきなりそこの湧き水をかき混ぜ勢い良くその水を、或る箇所に向って掛けはじめた・・。すると、「ゴオーゴオー・・」と水か唸る音を立て始め・・その音は、しばらく止まなかった。それは、何とも不思議な音色で、表現が出来ない音色だった。

そして、南向きに向うとさらに呪文を唱え、太陽神に向かい大きなポーズを取る・・。私は私で有りながら既に、私では無い・・。一体、何と言う事をしているのだろうか・・?と思いながらも、その意味はちゃんと理解が出来ている・・。その瞬間、太陽神からの光が私達とその神の祠に差し込む・・。何ともす様しい神々しい光である・・。

その瞬間、私は、確かに、この場で、お告げて言われた神からの大切なものを受け取った・・。このものは、私の人生の終息まで預かる事と成る事・・。そして、このものを、この世で大いに人と世の為に役に立たせる事に使う事・・。悪しき使い方は出来ない事を一瞬にして聞かされ悟った・・

その時・・友達はと言うと、「あれ・・・見て!虹色に・・神々が輝いて居る・・・。綺麗・・・凄い・・・○○さんも、早よう見て・・・」と、先ほどのそびえる岩壁を見ていた・・。私は、早くそれを見ようとしたが、頭をどういう訳か持ち上げる事が出来ず・・やっと持ち上げ仰ぎ見た時は、大方に神々の姿は消えようとしていた。それでも、その物凄い神々しい輝きの静まり行く姿をはっきりと見たが・・・ほんの僅かな時間で・・・なんとも残念としか言い様が無かった・・。

その時は、自分はまだまだ至らないから、見させて貰えなかったのだろう・・と思っていたが、今に成ってみれば良く分る・・。私の立場は、ご利益を自分が頂く立場では無く、神仏と一緒に成り働き、人にご利益を与えるべく立場で有るから、あの時、まるで頭を押さえ付けられていた感覚が有ったのだろう事。そして僅かに見せて貰った事は、あの時の不思議な出来事の確信をする為の意味が有った事が分る・・。

あの時に、お預かりした大切な神からの贈り物は、その後、おおいに役に立ち不思議の力を発揮した・・。そして、今も大切にお預かりしているが、肝心な時に使う事しかしない・・。むやみやたらと使うものでは無いからだ・・。

それにしても、私は損な役割であるとつくづく思うが、仕方有るまいと納得をしている。神仏の手足と成り役に立つ事・・・それは、人の状態が良くなり人の幸せと喜びを自分の喜びとする・・それが、神仏の意とするところだから、自分もそう有るべきなのだろうから・・と思っている。

無事、目的を果たし私達は、急いで山を降った・・。帰りはロープエイは無い・・止まっている。自分の足が頼りと成るが、もうすっかり夜の域に差し掛かってしまった。細い山道を月の明かりを頼りに降りて行った・・。

友達は、もの凄い不思議なものを見た為も有って、かなり機嫌が良かった。しかし、私には気掛かりな事が有って、その事が頭から離れず、降りながらも如何したものか・・困ったものだ・・・と思案に暮れていた。

つづく・・・

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スピリチュアル~☆~不思議な出来事・・・導き・・その日は突然にやって来る・・その1

2012-08-20 05:26:57 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~不思議な出来事・・・導き・・その日は突然やって来る・・その1

◎ 最初は、訳も意味も分らず・・・その日は、突然やって来る・・。敢えてその場所の名は控えさせて頂くとして、突然にある日・・行く様に言われた場所が有る・・。大切な或る物を受け取りに来る様にとの神の導きである。

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例の如く、また、友達・・・相棒と導かれるままに、その場所に出向く事と成った・・。

例の如く、またまた、お弁当を作って飲み物とチョットしたおやつを持って・・例の如く出立の時間も予定よりも遅くなってしまい、導かれた場所に出向く事と成った。

途中、何時も通り、途中休憩をしお弁当を頂く・・・。そしてまた出立をする。今回も、やっぱり遠い場所で、はじめて出向く場所である。この頃は、まだ、友達は機嫌が良い・・何時もの事だが・・。

なんやかんやと話をし、自分が運転をする・・。途中、道が分らなく成ってもどういう訳か、行った事もない場所でも、友達が「こっちこっちよ・・」と言いながら確実な道筋に辿り着く。

今回も神が祀られている有名な山の場所である。が・・・。山の麓で足止めを食らってしまった。もう3時を過ぎてしまった・・。麓の道筋の看板に、4時まで通行止め・・の看板が立て掛けられていた・・。

何てこった・・。寄りによって・・この日に・・この時間に・・・困ったものだ・・。折角、遠くからここまで来たと言うのに・・・何と運がついていないんだろうか・・」大きなため息と共に気落ちしてしまった。

と・・・やっぱり今回も友達の機嫌が悪く成ってしまった。「なんでこんな事に成るんよ・・・○○さんと出かけると何時もこ~やから・・。もう少し早く出発していたらこんな事にはならんのに・・・」と、言うと相当に機嫌が悪く成ってしまった・・。「また始まったか・・神の時間合わかもしれん・・・・」と、思う・・・。言われても仕方が無いのは確かだが・・。

友達の文句から逃げる様に車から降りて、これからどうするか・・・を考えてみる・・。すると、後を追う様に、友達も車から降りて来て再び文句が始まった。

4時に、ここから山の入り口まで行くには、この車(軽四)だと1時間半は掛かるやろう・・。登り坂やし・・・山のロープエイの運行時間は5時までやから・・。もうその時間には間に合わんし・・・どうするんよ・・」

全くもって困ってしまった・・。神聖な場所に出向く途中には悪しき領域が有る・・。この場はもしかすると、そうかも知れない・・。そう思い周りを見渡す・・。あまり良い空気感では無い・・。「やはり邪魔が入ったか・・。」と思った。

相当に考えた・・。「導き・・・それには意味が有る・・。必要だからこそ、この日、この時間に導かれたに違い無い・・。あの瞑想で視た場所とそこに有る印・・が、必ずあるはずだ・・。大切な○○○を受け取りに行かなければ成らない・・。信じよう・・・。神を御仏を・・。導かれた事を・・・。ここまで来たのだから・・。何が何でも帰る訳には行かない・・。」

そんな決意をし、友達に「とにかく・・登るから・・。導かれたんやから、何が何でも、先ずは、ロープエイまでは行く事にするから・・・」と、告げた・・。

それからも、随分と友達の文句は続いたけれど、やっと4時がやって来た。

「○○さん・・。危ないから、後ろの席にお乗り・・。飛ばすからな・・。必ず、5時に5分前には、行って見せる・・。ロープエイの時間に間に合う様にするから・・。覚悟して後ろに乗っときや・・・」と、言うと、友達は、慌てて後ろの席に乗り込んだ・・。

さ~出発や・・・行くぞ!」決意をした時に・・誰かが、私に降りて来た。

頼む・・」と私は言うと・・・その言葉と共に、猛スピードで車が走り出した・・。自分では無い・・誰かが、運転をし、もう一人の誰かが道案内をする・・。

曲がりくねった道筋・・離合の出来ない狭い道幅・・・急な上り坂・・・そんな道を、猛スピードで走り抜けて行く・・。ここは、もはや別世界の感覚である。

背中が燃える様に暑く成る・・。これは一体誰なのか・・・?不動明王である・・・。その事が、有り有りと分る・・。先々で、物申し・・案内をするのは役行者で有る・・。「お~来たか・・有り難い・・」と思う・・。先の道が映像に成って見える・・。現状では、進む曲がりくねった道の先は、全く見えない・・。しかし、進む道の先がどう成っているのかが・・自分にははっきりと視えている・・。

役行者・・・そのお方は、山の達人で有り、実在した人物で有る。日本の多くの山々に神仏を祀っり神仏を降ろされた豪いお方である。普段にも良く現れる・・。

霊峰石鎚山に登った際にも現れ遭難しかけた際に導かれた事も有る・・。日常でも良く現れる・・。道を車で走っていても、前の車がどちらに進むか・・・などとクイズの様なやり取りをしてみたりもしている・・。常に名を呼び頼りにしている・・。

いつぞやは、山登りの訓練だと言って近くの山で共に修行らしきものをした事が有って、方向音痴の私はやっぱり道に迷ってしまい・・困っていると、何かしらないが、誰から山中でラッパを吹いていて、その方向に進み道に出たりした事も有った。「何でこんな所で、ラッパ吹いているんやろ・・?でも助かった・・わ・・」と不思議な偶然を感じた事も有った。多分、向こうも「何で、こんな所に、人が急に現れるんだろうか・・?」と思った事だろう・・。

そんなこんな事・・色々含めてお世話に成っている・・。事、山に関しては達人で、もはや神・・と言える存在で有る。山登りに出かける時・・・山に迷った際は・そんな時にはその名を呼ばれると救いに来て下さるでしょう・・。厳しくも優しい・・・まるで山・・そのものの様なお方で有る・・。

さてさて、先の全く見えない急な坂道・・・それは、大方にその状態は続く・・・、背中が暑い燃える様だ・・・荒々しくも豪快でパワー溢れる不動妙王・・・。「そう言えば、不動明王は背中に燃える火を背負っていたな・・」そんな事も思ったりしながら、全く先の見えない道筋を走りながら・・自分自身は・・「恐ろしい・・・!」と、一言の心持だけれども、全くもって動じない・・不動妙王・・。この二方の考えられない不思議の力・・で、私は、目暗同然の走りをし、車の速度メーターを見る事も余裕も無く・・それでも、言った通りに5時に5分前にロープエイの場所に到着をした。

友達はと言うと、車の後ろの席で、まるで芋が左に右にと転がり跳ねる・・そんな様子にそっくりで、すっかり恐怖で文句も言えず、後ろの席の持ち手に縋り付いていた。それでも車酔いする事も無くよろよろと車から降りて来た・・。

「5分前に着いたよ・・・。私は、乗るけど・・○○さんは、どうするの・・?」と、聞くと・・「乗るよ・・」と、勢い込んで言った。

二人は、急いでロープエイに乗った・・・。上に登るほどに友達の機嫌はかなり良くなった・・。「あ~~綺麗・・気持ち良い~」の連発を繰り返していた・・。確かに風景は良かった様にも思うが、彼女の言うほどには無い様にも思った・・。感銘を受けているそんな彼女の姿を見て・・不思議に思った・・。

それにしても、驚いたのは・一時間も経たない内に、ちゃんと言った通りの時間に着いた事だ・・・、これを神業・・と言うのだろう・・。5分前には着く・・と言い、約束を守ったのは、私では無く、不動明王だった・・。

もう、二人以外に昇り降りする者は誰も居ない・・・ロープエイは、二人を乗せて静かな頂上を目指し登って行った・・。

つづく

 

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スピリチュアル~☆~不思議な出来事・・・導かれるその4・・神の船着場へ行く・・

2012-08-18 13:07:00 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアル~★~不思議な出来事・・神の船着場へ行く・・導かれる4

  神の船着場に出向き、2隻の神の船が出港をした・・あの不思議な出来事・・。あれから・・かなりの年数が経過をてしまった。胸を弾ませ降って行った山道・・・。あれって、一体何の意味が有ったのだろうか・・?。

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あの時、これで自分は救われる・・多くの困難の渦中に居た自分は、これからは全てが順風満杯で思う様に事が運び全てが良くなる・・・そう思い込んでいた。

が、現実は、全くもって反対で、益々、状況は悪化し弱り目に祟り目・・・これでもかと言った具合に、悪い事が弾みを付けて押し寄せて来る・・。何のこれしき・・・と頑張ってみても、いや頑張るほどに裏目に出てしまう・・。

それは、頑張れば報われる・・とまでは行かなくても、ある程度の良い結果が齎されるのは当然・・常識・・・そんな粋を遥かに超越した事ばかりが起きる・・。首の皮一枚・・と言った状態がかなりの年数続いた・・。死なない程度の救いの手が差し伸べられる・・・。そう言った状況だった。何故なのだろうか・・?如何すれば良いのだろうか・・?思考の粋を超えてしまった・・。

四方八方塞がり・・・と言う言葉が有るが、私の場合は10方塞がりである。

四方八方は東西南北・・・自分の周辺を表すが、後の2方・・とは、天と地獄を表すものである。

目覚めた当初、色々な神仏や守護霊などが次々と現れ教えてくれた沢山の事柄・・。天の事・・神々の事や死後の事・・そして地獄の意味・・・など、それは懸命に働く中で、「忙しいだろうから・・働きながら聞くが良い・・・分らぬ事は質問せよ・・」そんな感じで次々と教えられ見せられ体感させられて来た。なまじっかそんな事を知ってしまえば、安易に死ぬ事も出来ない・・。

全く持ってえらい世界に首を突っ込んだものだ・・と思い知らされた。生きるに生きれない・・・死ぬに死ねない・・・身の置き場も無い・・心魂の置き場も無い・・。絶望の中をただただ生きて行く・・。人は絶望の中では生きられない・・。それでも生きて行けた理由は・・?その事は何れ話すとしよう。

そんなある日の事、とうとう、質問に答えてくれる日がやって来た・・。なかなかと言うか自分の至らなさ・・欲深さ・・故に教えて貰えなかったのだろう。が、やっと答えてくれた事・・・。

それは、あの2隻の神の船の事である。「あの2隻の神の船・・・私は、乗ったはずなのにどうしてこうも物事が上手く行かないのか?それ所か、こうまでも悲惨な目に合うのか・・?あれは一体、何たっだのだろうか?如何なっているのか・・?」と言う質問だった・・。難儀の渦中にて、日々、問いかけた質問だった・・。

とうとう答えてくれた言葉・・・皿を良く見よ・・・」の言葉だった。皿・・・それは、あの神社でお祓いを受けた際に御札と一緒に頂いた、お供え様のお皿の事である・・。その皿を良く見てみて・・びっくり驚いた・・。「そうだったのか・・」そして、・・悟った。

そのお皿には、そこの神社のしるしが記して有った。そう、あの2隻の船にも有る、しるしで有る。大いなる勘違いをしていたのだ・・。そのしるしは、自分が思い込んでいたものでは無く、祠のしるし・・・神のしるしだった。

そうだったんだ・・。あの船は、神のお助け船なんだ・・自分を救うものでは無く、世と人々を救う為のお助け舟なんだ・・」と、はじめて悟った。

欲を捨て切れない・・・欲深い自分は、大いなる勘違いをしてしまった。自分が救われる・・ものとばかり思い込んでいた。確かに、お人よしで、自分の事を放り出し犠牲にしても、人の事に目が行き手を差し伸べてしまう・・。その為に、酷い目に沢山合って来た事が多々有った・・。

「ここらで少しは救われても良いだろう・・」と・・心の何処かで思っていた。しかし、ほんのチョットでも微塵にも己の欲を持つ事は、この船に乗る以上は許されない・・事で有り、神仏と共に居る・・と言う事は、そう言う事で有るのだ・・と悟った・・。常に、自分以外の人の為を思い自分の事を考える事は許されない・・。己の欲は一切捨て切らないと成らない・・。そう言った場が船上に居られる条件と成る・・。が、人がそれに至るには相当の修行が必要だろう・・。

故に、どんどん落とされて言った・・。悟れ・・とばかりに苦難を背負わされた。働いて働いて・・体を酷使し・・夜には、体の関節の一つ一つが全部痛い・・風邪で高熱が出た時の関節の痛みの様なもので、痛くてい眠れない・・痛みで心も病んでしまう・・・。お箸と茶碗を持ったまま、座ったままに眠る・・食せない・・ままに眠る・・。もう、明日の朝には死んでしまっているかも知れない・・明日なんて来なければいい・・と思った。

が、容赦なく朝は来る・・。酷使して働く・・・。貧乏は底知れない・・。とうとう立ち上がれ無くなった・・。物にすがって立ち上がり・・気力だけで働きはじめる・・・。そんな日々が当分続いた・・。それでも人は死ねないものなんだな~とつくづく思った・・。

そんな有る日の事孟子の言葉に出くわした・・。神仏は、時として人を介したり書物を持って教えたりもする・・。

孟子の言葉は、全く持ってその通りだった。偉い難儀な目に合った事は同様で有る。ただ、大任を荷うほどの人間では無い・・。蟻の様に小さな働きしか出来ないだろう・・し、そんな野望も持ち合わせない。

その言葉は、下記の様なものである。

「天の将(まさ) に大任を是の人に降 (くだ) さんとするや
必ず先ず 其の心志(精神) を苦しめ 
其の筋骨を労(疲労) せしめ
其の体膚を窮餓 (餓え苦しむ)せしめ 
其の身行(行動) を空乏(空しく) せしめ
其の為さんとする所 (意図)を 
ふつ乱(散らかり乱れ) せしむ。
 
心を動かし(発奮させ)  性(性格) を忍ばせ(辛抱強くし)
其の能くせざる所 (できないところ)を 
増益(できるように) せしむ所以なり
人恒(つね) に過(あやま) ちて 然る後に能く改め 
心に困しみ慮 (おもんばか)りにみちて 
然る後に立ち上がる 
苦しみが色(顔色) にあらわれ 声に発して 
然る後にさとる
 
「天がこの人を、世の中の人のためにひと働きさせたいと思ったときは、
まず、その人の精神を苦しめるようなことを起こす。
酷な労働を強いて、疲労困ぱいさせてしまう。
それで投出すような人には、任せられない。
 
とにかく、食べられないような状況や、 収入が絶たれるような状況をつくってみる。
それに耐え、我慢できるなら、やってもやっても、成果が出ない状況に追い込む。
それでも志を失わないかどうかを見る。
 
いろいろと計画しても、全部うまくいかない状態をつくって、 それでも潰れないかどうかをみる。とにかく、 それでも頑張って辛抱強く、その出来ないというところを、出来るようにしていく。
 
そういう困難に打ち克ってこそ、いままで出来ないと思っていたことが、 出来るようになっていく。 人は間違いを起こして初めて、悔い改める。
心が苦しみ悩みに満ちて、初めてこれではいかんと、心を奮い立たせる。
 
苦しみが外からわかるほどになって、初めて悟るのです。
どこまで耐えられる人物であるかを、天が試しているのです。
とにかく試練を与えてみよう。
それでも這い上がってくるような者に、重要な仕事を任せる 
 
 全くもってその通りだった。
 
が、今と成って言える事は、多くの苦難が有ってこそ学ぶ事は多かった。そして、何よりもこの体感は、苦難の渦中に居る人の心が良く理解が出来る・・。
神・・御仏の愛や慈悲の御霊は、その人に先ずは寄り添う事からはじまる。多くの苦難の体感こそが、苦難や苦悩の渦中に居る人の御霊に寄り添う事が出来る・・・大切な条件で有ると知った。
寄り添う事・・・一緒に居る事・・・それは愛で有る。
 
 
故に、多くの苦難や苦悩は、私にとっては必要な事だったのだろう。感謝をするべきなのだろう・・。それらの経験は、世の中の事・・人との関わり・・・生きる意味など、全ての思考と・・見る目をすっかり変えてしまった・・。
 
つづく
 

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スピリチュアル~☆~不思議な出来事・・・導かれるその3・・神の船着場へ行く・・

2012-08-15 06:56:04 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★導かれる・・・神の船着場へ行く・・

 生きていると・・一生のうちには、考えられない不思議に出会い導かれる事が有るかもしれない・・私は、神と共にいて、神と御仏の手足と成り、世と人の為に尽くしたい・・・そう何時も願って来た。故に、導かれ、不思議に遭遇したのだろう・・。

しかし、その道は、想像以上に厳しい・・。卑しい野望を微塵でも抱いていれば、それは全て見抜かれてしまう・・。そして、与えられる苦難の数々の道・・・試される事柄・・厳しい修行・・・言葉に言い尽くせないものがある・・。

それに比べれば、少々、山を登る事などは大した事では無い。

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神懸りと成った友達は、私を案内し、どんどん進んで行く・・・。私よりも、10歳ほど年上で、普段、運動は全くしない労を好まない友達が、スイスイと私の前を歩いている・・。そう言えば、あの時もそうだった・・。(何れ、その時の不思議な出来事もお話しましょう・・)

そんな事を思いながら、確信の道へと更に登って行った。

大方、薄暗く成ってしまった・・。「このままでは帰りは、どうなる事だろうか・・?」そんな事やお腹も空いたし・・喉も渇いたし・・・足ももう引きつってきた・・。

あれほどおしゃべりだった友達も、すっかり口が重くなっていた・・。神懸りのせいだろうか・・・?それとも、疲れている為だろうか・・・?

そんな事を考えていたら・・・行き成り広い高台にたどり着いた・・。どうも、ここが行き止まりらしい・・。

あ~やれやれ・・・。」二人共に、大きな安堵のため息をつく・・。

高台からは、平野が良く見えた・・。そして空も・・・。

登り切った高台の正面には祠が有った・・。「あの祠は一体、何なんだろうか・・?」すっかり疲れてしまった二人は、休めそうな場所に腰を下し休憩をし、飲み物を頂き、やっと生き返えった・・。

落ち着いてから・・周りを見渡す・・。「船着場はここで良いのだろうか・・?」そうは言っても、不安は拭えない・・。

と・・その時、あのお誘い・・・導きで教えてもらっい視たもの・・・そっくりの場所が有った・・。

「○○さん・・・ここよ・・・これ!これを視たんよ・・これこれ・・・視たそのままや・・!」私は、疲れも忘れ興奮と感激で大声を出していた。

が、何の変哲も無い只の岩壁である・・。幾つもの石がまるで誰かの仕業の様に積み重なった・・・・そんな感じの岩壁である。

と、突然・・スサノオ尊が私に降りて来た・・。「しばらくは、ここで休む・・」というと、どっしりと腰を下した・・。

来たな・・・スサノオ尊・・・」と思った・・。人間だったら人格・・神様なら神格・・とでも言うのだろうか・・。スサノオ尊が大きな何かをする時に今までにも何回も現れている・・。正しく、男の神様で・・パワーは半端では無い・・・。豪快・・そのものである。

神又は御仏が降りる時・・は、直ぐ側に居る場合も有れば、我が身我が心魂に入る事が有る・・。我が心魂に入った時は、その神や御仏の神格を一瞬にして感じる・・。我が身に入った時には、不思議の力を興す時がほとんどである・・。以前にも話したが、容易には神仏は人の心魂には入らない・・。白き清き心魂のみに入られる・・。

私は、白き清き心魂を持っているかと言うとその自信は無い。しかしながら、何時も神仏の手足と成り役に立ちたい・・そう願っていた。その思いは今も変わらない・・。故に、多分だか、神仏が降りて下さるのだろう・・。

それにしても、すっかり暗くなってしまった・・。もう、夜・・の領域に完全に入ってしまった・・。なのに・・、スサノオ尊はのんびりと腰を下したままである・・。「どないなっているんやろう・・」と思う・・。こんな時は、心魂の一部には自分の意識も存在している・・。自分で有りながら自分で無い・・・と言った所で、表現は難しい・・。

一時経った頃・・。時間を見計らった様に、「さ~はじめるか・・・」とスサノオ尊が言うと、祠の前に立ち何やら呪文か祝詞か・・・?聞いた事も無い言葉を発しはじめた・・それは、早々に終わった・・。言わずとも分る事・・・。それは、その祠の神に許可を頂いたらしい・・・。この船着場の主・・番神なんだろう・・。

スサノオ尊が許可を得る・・・すると、真っ暗なはずの周辺が、明るく成ってきた・・。「何だ・・・?何かが始まる・・?」と、私は思っている。

やがて、岩壁が明るく成り、はっきりと見えてくる・・。その光・・・明るさ・・は、何処からのものなのだろうか・・・?分らない・・。表現が出来ない・・・。ただただ、幻想的で見た事も無い明るさである。

ただただ・・凄い・・としか言い様が無い。

岩壁がその明るさで浮かび上がり良く見える・・。様子が変わってきた・・。岩壁の下の部分には恐ろしい様相の物が幾つも両脇に現れる・・。あの狛犬の様に恐ろしい様相・・それ以上であろうか・・・。それは、悪しき者を寄せ付け無い守り神達で有る・・。上に行くほど現れる神々が変わり様相も変わってくる・・。一番高い位置には、それはそれは大きな天狗か千人の様な顔が現れる・・。

私達は、ただただ・・・あっけに取られ・・見守っている・・。

すると間も無く、その岩壁から2隻の船が徐々に現れた・・。大きな大きな船で有る・・。一隻の帆頭は、鳳凰の姿で恐ろしい様相・・と胸元の鱗か羽目の模様がはっきりと見え、それは船の下部分まで続く・・。そう、あの万円札に出ている鳳凰そっくりであるもう一隻は、帆頭が龍に成っている。胸元・・・それは、鱗・・に成っていて下まで続いている。

その二隻の船は音も無く・・静かに前へ前へと出てくる・・。尚も、光輝き、はっきりと見えて来る・・。すると、スサノオ尊がその2隻の船を引っ張り出し、海に浮かべた・・。神の海・・・それは、空で有る・・神の船は空に浮かぶ・・。ここから見える広い平野・・・。その上に神の船は浮かぶ・・。私達は、この船に乗っかるらしい・・・。鳳凰の船は神の船・・・龍の船は御仏の船・・である。共に、船出である・・。

説明は、無いがスサノオ尊が居るので言わずとも理解が出来る・・。

神の船は、夜に出立をした。振り返ると・・岩壁は、静かに段々と明るさを失って行き、普段となんら変わり無い様相に戻って行った。

私が、何時も手を合わせ祈り願っていた事・・神仏と共に居て・・神仏と共に・・この世と人の為に役に立ちたい・・・その願いを受け入れてもらう事が出来た訳である。

しかし、その道は、相当の苦難の道で、死を目の前に・・死んだ方がよっぽど楽で有る・・と日々思い知らされる・・が、死ぬ事も出来ない・・・そんな苦難が数年続く事と成る。その数年は・・数十年に値するもので有った。

或る鑑定士が、私に言った事が有る・・。「あなたの魂(心魂)は、80~90歳ほどの年齢と成っている・・何故なのか・・・?」と・・。無理も無い・・・。それほどに成るまでの苦難を受けたのだから・・。身を心魂を削る・・そんな処だろう。当然、容姿も変わってしまった・。まるで浦島太郎・・と言った感じで、数年前の面影は全く無い・・。年寄り・・・そのものと成ってしまった。

至らない自分は修行と言う道を歩まされる事と成っていた・。

その時は、そんな事も分らず知らず、ただただ、あまりの不思議な出来事に、魅了され興奮し、私達は起こった出来事をあ~だこ~だと確認しながら、興奮冷め切らずままに、心弾ませ、山を一気に下って行った。

普通ならば、これほどの不思議な出来事が有れば、前途洋々・・順風万班・・何事も上手く思う様に、いや、それ以上に成る・・そう誰しもが思うだろうだろう・・。が、全くその期待は裏切られる事と成る・・。神の意とする所は全く別のところにある。

それが分るのは、当分経ってからの事と成った。

安易に船を出し乗っかるものでは無い・・。厳しい物事・・人生が待っている・・。

重要なお知らせ

このブログを、お読み頂き、この神社に心当たりがお有りの方もいらっしゃるでしょう。記載に当たっては、この神社の主・・神にお伺いを立て許可を得ました。その際に、申されました事を申しお伝え致します。

この船着場に来られる者は、決して小石一つ、土ひと掬い持ち帰る事は成らない。触る事も相成らぬ・・・。持ち帰る者触れる者には災い(罰)を与える・・しき心魂(野心・欲望)・興味本位で、或いは持ち帰りし者は迎い入れる事無かれ・・。心清く、世と人の為に尽くさんとする者は、この場にて、神を感じ視る事が出来る・・。神のご加護を得る事も出来よう・・。己の心魂の有り様を、確かめ知るも良し・・。

との事です。実際、私達が導かれお伺いをしました際は、お祓いを受け、触る事もせず、何一つ持ち帰ってもおりません。この事は、きつくきつく申し伝えておきます。お心得下さい。

神は、間違いなく意とも簡単に、罰を当てられる・・。その事は、確信を持って言えます。安易な行動を取られないように・・ご自分の為ですから・・。

それと共に、お伝えします事は、自分よりも人を重んじ愛を尽くされる方には深い大きなご加護を頂けます事も確かな事です。日本の神道・・御札・・は、たっだ一枚の小さな紙に書かれました文字に過ぎませんが、そこには大いなる神の御霊が宿り、お力が宿っておられます。清き心にて、真剣に御札を祀られれば、大いなるお導きと力を頂けます。それ程に、日本の神・・神道は有り難いものなのです。もし、出向かれます場合には、お祓いを受け、御札を頂きます事をお勧め致します。大いなるお力を頂けます。

つづく 

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スピリチュアル~☆~不思議な出来事・・・導かれるその2・・神の船着場へ行く・・

2012-08-08 04:14:29 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~不思議な出来事・・・導かれる・・その2・・神の船着場・・へ行く・・

◎ 神に導かれる・・・今までに、何回有っただろうか・・。その度に、考えられない不思議に遭遇し導かれ、与えられたもの・・それは、神の存在の確信と自分の役目を知る事・・。

何時の頃だっただろうか・・。まだ、目覚めて間もない頃に、観音様が現れ言われた言葉・・「疑う事なかれ・・。」と言われた・・。その言葉の意味は、これから出会う色んな不思議な出来事や不思議な力を・・そして、神や御仏の存在を・・・そして、こうして神仏と会話し導かれる事を指していた・・・。

そして、これから多くの苦難・苦悩をさらに迎え・・どん底・・死と直面するに居たるまで導かれて・・それでも尚も神を信じなさい・・と言う意味だった事は・・・等分経って分った事だった。

そんな事も知らず気付かずその当時、私と相棒(友)は、心弾ませ、導かれるままに、出掛けて行った。

~~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~~★~~~~~~

今回、導かれた神様・・神社は県外であり、かなりの距離があり時間が掛かる。

何時もの事だが、早朝に家事を済ませ、仕事の用事も済ませ、手作り弁当を2人分作る・・。そして、お茶やコーヒー、おやつにバナナ・・などなど・・。まるでピクニックの様だが、こうでもしないと経費が掛かってしまう・・なので、仕方が無い・・。

早朝に出かけるつもりでも何時もの事だがやたらと時間が経ってしまい、結局は1時間以上の予定が出だしからはみ出し、狂ってしまう事と成る・・。

友達は、何時も手ぶらでやって来る・・。まめな方では無いから何もしないが、道中の経費などは全て彼女(友)が負担をしてくれる・・。別に、取り決めた訳では無いが、私に余裕が無い為に結果、そう成ってしまう・・。彼女は、何の文句も言わない・・。自分の役目の様に自然体で経費を荷ってくれる・。無理をしている様子も無い・・。

ただ、何時も大抵は、旅の途中で機嫌が悪く成る・・。それは、私の所為で、出だしから予定が何時も遅く成り後々、大変な思いをしてしまうからだ。

その当時は、自分がとろくさい・・ルーズだから・・と思っていたが、今、考えればやっぱり変で、どうも変で、相当に前から準備を始めても、結局、遅い出だしと成ってしまう・・。これは、出だしから神の仕組まれた事に他ならない・・。何故・・?かは、後ほど分るだろう。

そんなこんなで、最初は機嫌よく出かけ、途中、風景の良さそうな場所で、お弁当を頂き・・・なんやかんやと話しながら、私が運転をし目的の神社に着いた・・。

とたんに・・友達の機嫌がやっぱり悪く成る・・。

これから、あの長い階段を登って上に付いて、祈祷が出来る時間は5時やけど、もう、ぎりぎりやない・・間に合わんかもしれん・・。もう少し早く出かけていたらこんな事にはならんのに・・。」

何時も聞く・・・言葉とパターンである・・。こう言った時、私は、反論も出来ず、ただ黙っている・・。

そう言いながらも、二人は、階段を登り始めた・・。階段の左右にはお土産店が軒を連ねている・・。今日は、平日でも有り、もう午後三時を過ぎている時間でも有った為に物静かだった・・。

長い階段は、結構きつかった・・。

この神社に来るのは、これで3回目と成る。1回目は、小学生の1年か2年生の頃の正月で、階段の後ろも前も大人・・人ばかりで、背の低い自分は、足元と人の背中とお尻ばかりを見ていて、やたらとほこりっぽくて、相当に階段がきつかった・・辛かった記憶しかない。

2回目は、大人に成ってからだった・・が、子供の頃の印象と違い、「この階段・・もっと長くてきつかったはずなのに・・・結構、楽だな~」と思った。そんな印象しか残ってなかった。

あれから何十年?今、こうして階段を登ってみると、、今回は、結構きつい・・。老いていっている・・事を実感した。

友達は、良くしゃべる・・。何をしゃべっていたのか?記憶には無いが多分くだらない他愛も無い事だったのだろう。息をきらせながらしゃべるもので、ただでさえ息が切れそうなのに・・「よくしゃべるな~」なんで思った事は覚えているが、、、そんなおしゃべりのお陰で、階段を登る辛さも半減した様に思う。

残り3分の1くらいに差し掛かった処から、私に異変がはじまっ・・。やたらとアクビが出る・・。止まらない・・。連発で出るもので、お陰で、涙が止まらない・・。「やたらとアクビが出て止まらん・・のやけど・・。どしたんやろか?何か変なもん感じるわ・・・」

そう言っても友達は、平然と気にもせず登って行く。

そんな辛い思いをしながら、顔は涙でグジュグジュに成りながら、やっと鳥居へ辿り付いた。両脇に狛犬が居たので、狛犬の手を触り「お願い・・この睡魔・・魔を退けてください・・。とお願いをすると、とたんに睡魔がきえアクビが出なく成った。神社の狛犬は、悪しきものを追い払う番犬の役目を果している。

あの睡魔が始まった場所から鳥居までは、人の悪しきものがうごめいている。様は、人が煩悩を払いながら鳥居を潜っているのだ。払い落とした悪しきもの・・が、私に襲い掛かって来た訳で、これから始まる事の、邪魔をしていたのである・・。

神聖な場所・・そこに行くに当たっては、途中、人々が払い落とした悪しきエネルギーのうごめく溜まった場所がある・・。例えば、山登り・・・などでも同様の事が言える・・。登れば清々しい・・。それは、途中で悪しきものを振り払っているからだ・・。なので、癒しスポットだろうが神社だろうが山登りだろうが、甘く見てはいけない・・。悪しきスポットに嵌らない様にしなくてはならない・・。

さて、ようやく神社に辿り付いた・・。5時に、わずか5分ほど前だった・・。友達と二人、ぎりぎりにお払いを受ける事が出来た。

もう、周りにはほとんど・・いや、誰も居ない・・。さて、どうしたものか?

階段を登りながら、アクビをし涙をながしながら考えていた事・・。お誘いの・・この神社の主・・神様からのお導き・・「あれは本当だったのだろうか?あの視た場所は何処に有るのだろうか?」そんな不安を感じていた。

誰も居ない神社・・大きくて立派・・他にも建物は色々と有った・・が、船着場らしきものは何処にも無い・・。「なにやっているんだろうか・・しんどい目して]、ふと、我に返る・・。そんな事を思いながら、それらしい船着場を探してみても何も無い・・・。あの導きの時に見せられた光景・・の場所が無い・・。

これは怒り出すぞ~」と思った・・。友達の事である・・。

と・・・その時、「○○さん・・」と、私の名を向こうで友達が呼んでいる・・。

どしたん~・・?」と近寄り聞いてみる・・。

「船着場・・・こっちよ!」と言うと友達は、既にそちらに向って歩きだしていた。機嫌が良い・・良過ぎる・・・?その道は、境内から外れた場所にある細めの道で、ひっそりとした場所に有り、一般の人は気付かないだろう場所・・。地元の人しかしらない場所なんだろう・・。さらに上を目指す道だった・・。

当然、誰も居ない・・。曲がりくねった山道をどんどんスイスイ・・友達は登って行く・・。途中、幾つもの立派な祠に出会い、その都度、無事に神の船着場に辿り付けるように祈願をした。

それにしてもかなり歩いて来た・・。誰も居ない初めての場所で有り山道である。只でさえ、随分と階段を急いで登って来た為に、かなり疲れて居る・・。もう既に、子一時間以上この細い山道を登っている・・・。さらに、深い不安に陥る・・。

「この道で、間違いないのだろうか・・・?」と、不安もピークに差し掛かった時に、天より声がした・・。「お前は、大切な物は、何処へ納めるか・・?」と言われ・・閃く・・。「そうだ神棚・・だ清き神のもの・・・ならば、当然、高い位置に有ってしかるべき・・・。この道は、間違いが無い・・。」と確信をした。

前を見れば、友達は、相変わらず機嫌よく登って行く・・。気が付いた・・。

そう・・。友達は、神懸りと成り、私を案内しているのだ・・。私よりも、10歳ほど年上で、普段、運動もしない労を好まない友達が、スイスイと私の前を歩いている・・。そう言えば、あの時もそうだった・・。

そんな事を思いながら、確信の道へと更に登って行った。

つづく・・。

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・不思議な出来事・・神の導き・・・

2012-08-05 06:01:04 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~不思議な出来事・・・導かれる・・その1

◎ この世の中には、常識では考えられない事・・ものに遭遇する事が有る。それは悪しき霊を視たり怪しいものなど、一般に知られているそんな次元のものでは無く、神聖で聡明な・・清らかな世界・・・めったに決して誰もが遭遇をしえない世界である。

その世界は、正しく神の世界・・領域の場である。人間が造りし宗教・・派閥の無い神聖な世界で有り、愛の世界・・と言えるだろう。

~~~ ~~~★~~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~

その世界に導かれる・・それは、地位も名誉も学歴も財もお金も必要とはしない・・心魂の清き者・・神の世界に心魂を向け手を伸ばし・友に神と一緒に居ようとする者である。

それらの者達は、この世では、多くの困難や理不尽にさらされ苦しみもがき、この世の社会では貧しい位置に属する・・何も持たない者である。そして・・・それでも尚も己よりも他に愛を与える事を願い目指す・・・そう言った者にしか入りえない神の領域である・・。

だから・・・めったには遭遇しない世界である。が、この世界に、足を踏み入れた者は、神の存在を大いに確信する事と成る。

私は、そんな世界に足を踏み入れた事がある・・。私の人間性から心魂の有り方、状態から考えれば、滅相も無い入り得ない場違いの世界である・・。

が・・導かれた事は事実である。そんな話の一部を今日からは、ご紹介をしよう。この事は、話して良いものか・・・?どうか・・?随分と迷った。しかし、今の混迷した世の中で、多くの人達が苦しみ、中には時の終わりを自ら決意し迷っている人達が居る・・・だから、あえて記載する事にした。

あなたの生きる価値を生きるに値する・・大切な存在で有る事・・何もかも無くし暗闇に座しても尚も神は存在し、あなたに手を伸ばし・・「こちらを見よ・・救いたい」・・と座してる・・その事に気が付いて貰いたい・・。

その為に、この身におきた神の世界の不思議を神の存在を話し、知り得てほしいと願っての事である。

この社会から脱落し、はみ出てしまった者・・・愚かな自分を責め苦しむ者・・地獄の底から立ち上がれない者・・・或いは、何とか立ち上がりたいがどうして良いかが分らない者・・・貧困に苦しむ者・・誰も居なくたった一人ボッチの者・・渇欲・渇愛に溢れ苦しむ者・・・あらゆる苦しみの中で生きる人達に是非、読んで頂き、あなたの側に神が手を伸ばし救いたいと待って居る事に気付いて欲しいと願っています。

何故、私が神の領域に遭遇をする事が出来たのか・・・?それは、私が先に述べた全ての苦を経験し、あなたと同じ位置に向き合い座する事が出来るからで有り、神と共にあなたと同じ位置に座して、あなたと神の手を結びつけたいと・・救いたいと願っているからです。

何時も願っていた事・・・。それは、神仏と共に居て、神仏の手足と成り蟻んこの様に小さな働きでもいいから・・この世と人達の為に尽くしたい・・そう、何時も願い祈っていた・・。故に、至らない心魂ながら導かれたに過ぎない・・。

では、その不思議な出来事・・をお話します。この話は、少々、長くなります。その為、何回かに分け続けて記載をします。どうか飽きる事無く、最後まで目を通されます事をお願いします。又、その場の名・名称をあえて省かせて頂きます。

~~~~~~◎~~~~~◎~~~~~◎~~~~~~

◎ 神の船・・船出・・・

神棚の前にて瞑想中の・・・或る日の事。

有名な神社の主である神が現れる・・。「何者・ぞ!」と聞いてみる。すると「私は○○○神社の主、神である。あなたを導きにやってきた。こられよ・・。」と申された。

何の為・・?}と聞いてみると「船出をする・・。我が神社には、神の船着場がある・・神の船を出す・・。」そう言うと立ち去って言った。

瞑想し、現れたものに対し、失礼な物言いをするが、これは、本当の神か?正しきものかを見極める・・為である。現れた時には、透視をさらに進め、本当の神であるかを確認する・・。己の悪しき心魂が呼び寄せる・・或いは、事の邪魔をしに来る魔神・・・化けし者もあるからだ・・。故に、用心をし見極める・・。厳しく「何者ぞ!」と伺う・・。

別日・・。瞑想をすると、その神の船着場が見える・・。岩・・・沢山の重なる岩・・・不思議な岩だった・・。これの何処が船着場なのかは・・分らない・・。他には、知らせが無かった。導きの日は、神の意図とされる日程も時間も定められている・・。言われる間々に、友達と二人、出かける・・。

お導き・・の神事・・その時は、大抵が相棒・・の友と行く事に成る・・。

そして何時も、珍道中と成る・・。

つづく 

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・オリンピックに学ぶ

2012-08-02 21:18:07 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・オリンピックに学ぶ

 四年に一度のオリンピックが開催され・・齎される金・銀・銅メダル・・。しのぎを削って得た勝利を観て、誰もが感激を受ける。自国の選手の活躍には特に心が弾み・・勇気と大いなるパワーを貰う。

同じ人間とは思え無いほどの身体的能力を感じ、正に神の領域さえも感じてしまう・・。だから・・とても清々しく美しい。

~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~~★~~~~~~

自分達には到底、出来ない無理な話で、彼らはそれだけの才能が有るのだろうと確信を覚える。

そんな才能豊かな彼らさえ・・毎日の地道な努力が欠かせないそんな事は、あの華やかなオリンピックの舞台の上では全く感じ得ない。

彼らの日々の努力は出来無い事を出来る様にする為の努力と挑戦で有り、日々、失敗の連続である。彼らは、地道に毎日、黙々と己と向き合い戦っている。

どうすれば出来る様に成るのだろうか・・?。知恵と工夫と苦悩とチャレンジ・・スランプ・・怪我によるトラウマ・・身体的能力の限界を感じる事も・・他人の恵まれたものへの嫉妬・・劣等感・・自分は駄目だ・・と自信を無くす事もあるだろう・・。苦悩と努力と諦めない事の、日々の繰り返しで得た晴れやかな舞台である。

自分達は、あの舞台には到底、立てそうも無いがかれらの苦悩や努力は自分達も全くもってその通りで、そうなので有って、そんな似た様な日々、暮らしをしている。

人は誰でも楽がしたい・・楽をして目標を得たい・・欲しいものを得たいと思う。失敗をしたくも無いし、苦労も悩む事も嫌だ・・と思う。

苦労は敵で有り不幸な事で、楽こそが幸せな事で、そこにお金や資産や名誉(利権)なんかが加われば、一層に幸せな事だ・・と思っている。

が、、真実は神の意とする幸せや価値観は、それとは全く裏腹なところにある

人が生まれ人生が始まる時、相当の苦痛が母親にそして赤ちゃんに有り、双方の努力が有って、尊い愛しい命が生まれ、そこに感激・喜びが有る。

人が生まれる時、何の苦痛も無く鶏の様に、卵でポッコリヒョイヒョイ生まれるのならば、命の重みも愛しさも感激・喜びも少ないのかもしれない・・。

人は、生まれた時から苦痛・・苦悩を背負い乗り越え、そして尊い愛しい命の存在と成り、感激と喜びの体感のスタートを切っている・・。そうなのだから、仕方が無い。楽がしたい・・と願ってもそれは、本意ではない

出来ない事への挑戦・・。失敗と苦悩の日々、出来ない・・でも諦めない、地味な努力と己と向き合い戦う日々・・。それを乗り越え得る事の喜びと生きる価値。オリンピックはそんな人間の本質の象徴の様なものである。だから・・・応援もしたくなる・・感動をする・・勇気とパワーを貰う・・。

釈迦は、「この世は苦で有る・・」と言いイエス・キリストの最後の理不尽な様・・を観てみても・人は苦労・難儀・苦悩の向こう(乗り越える)・・に価値有るものを見出し、感激と喜びを覚え、尊い愛しいものを感じ得る・・そして、体感が学びがそこに有る。釈迦は、体感・・こそが最大の学びである・・と言っている・・。

楽・・をし、得るものに、学ぶものは無い・・。それならば、今、自分の抱えいる色んな苦悩や難儀な事・・・それは、価値有るものに違いない。

ならば、苦悩や難儀もポジティブに、失敗をしながらも恐れず、有り難く乗り越えて行く・・そんな覚悟をオリンピック観戦から得る・・のは、どうだろうか・・?

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楽がしたい・・それが幸せ・・そう願い思っていた・・、難儀や苦労にぶち当たる度に、自分を不幸・・・運が悪い・・なんでこんな目に・・と、嘆く・・そんな日々の中、何で神仏は、こうまでも知らん顔をするのだろうか・・?そう思った時期が相当に長かった・・。意味が分らなかった・・。そして、悩んだ。

不思議な体験・・導かれた事が何度も有った・・。これで、救われる・・と思った・・・。それなのに・・それどころか、相当の苦労が難儀が、底なし蟻地獄がその先に待っていた・・。あの不思議な導き・・・あれは一体何の為か・・何の役に立ち、意味が有るのだろうか・不思議な出来事を思出だしては考え込んでしまった日々が、長年続いた・・。

その意味は、当分、先に分る・・悟る事と成った。自分の願いとは裏腹な処に神の仏の本意があった・・。 

導かれた不思議な出来事・・・そんな話を次回は、しよう・・。                                                      

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・分け与える事・・・

2012-08-01 03:41:59 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~釈迦の教え・・・「分け与える事」を武器にして、自分の中に沈む「ケチ」に勝つ・・

◎ ケチ・・と言うと、ついついお金や品物・・をイメージしてしまう・・。自分の物を他人に与えない・・そんな人の事をケチ・・と言う。ケチと節約の違いは・・。

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節約・・それは、無駄を省く事・・・シンプルに成る事を意味する。ケチとは違う。

自分の物を誰かに与える・・それは、時として自分にとって大切なものだったりもする・・。お金・・だけでは無い。お金で買って手に入れた物などもそれに当たる。

気に入って買った洋服・・今年はもう着ない・・。他に目が気が移ってしまった。太ってしまい着れなくなった洋服・・・そんな洋服や物がタンスや引き出しを開けると沢山詰まっていて、行き場を無くしている・・。なのに誰にもあげれない・・・。

思い出が有るからなんて言ったって・・そんな大切な物は数が知れているし、もしかしたら又着るかもしれない・・なんて思っていても、ほとんど着る事は無い・・。或いは、もったいない・・と役に立てずに仕舞って置く方がよっぽどもったいない・・。こうやって・・・いろんな言い訳をし、欲した物を手放さない・・。

保っする・・欲した者を手放さない・・それをケチと言い、物浴の一種・・現れである・・。整理をし、大切な物だけど・・もう自分には役に立たない物・・・誰かに思い切ってあげて、喜ぶ顔を拝見するのも良いかもしれない・・。

釈迦の言う「分け与える・・事」それは、物やお金ばかりを言っているのでは無い。

自分の労力を言う場合も有る・・。人の為にしんどい思いや体力・労力を使うのは嫌だ・・そんな時間と体力が有るなら、明日の仕事の為に寝ていた方がましだ・・。他にする事が自分には有って忙しい・・。

小学校の頃から○○当番なんて有って、みんなで色んな当番を荷ったものだ・・。町内でもそうだし、会社でもお茶くみ当番なんてあったりする・・。仕方が無いからしているが、出来る事なら無理せず、最低限の労力ですまそう・・なんて心の何処かで思ったり・・こんな面倒くさい事を自分だけは避けたい・・。心の何処かで思ってはいないだろうか・・。

でも、そうやって皆が協力をしてくれているから、自分も助かっている・・。どうせするなら明るく積極的にした方が良い・・。ごまかしたつもりでも、人はちゃんと分っている・・。心がこもった行動かどうか・・。そんな処から、人間性を見られたり信用度が計られている・・。

与える愛・・それは、自分の大切な労力とそれに費やした時間(人生)に、思いやり優しさの思いを乗っけた行動を言う・・。物を上げるのもお金を寄付するのも、それらを得る為に、労力と時間を費やして得たお金で有り、お金で手に入れた物である・・。

ケチ・・とは元を探ってみると与える愛の出し惜しみ・・と言えるだろう。故に、「分け与える」・・事とは愛を分け与える事に繋がる。

人が生まれ・・・赤ちゃんの時代・・最初に人に与える事は、笑顔である。そんな赤ちゃんの笑顔に両親も爺婆も周りの誰もが癒される・・。

赤ちゃんは、自分だけでは生きられない・・。親の愛情で世話をしてもらい、やっと伝い歩きが出来る様に成る・・。転んでは手を借り歩く練習をする・・。そうやって少し大きく成り知恵も付くと、今度は、自分を愛してくれる大切な人に声を掛ける・・ママ・・とかパパとか・・。ありがとう・・好きだよと言いたいのかもしれない・・。

そんな頃にする赤ちゃんの行動・・。それは、自分の大切な物を上げようとする行動である・・。食べかけのヨダレだらけのビスケットだったりお気に入りの玩具だったりと・・。周りは迷惑かもしれないが・・当の本人にとっては、何よりも大切な食べ物で有り玩具である・・。赤ちゃんにとって、大切な持ち物はそんな物しかない・・。

そんな大切な物を、「ハイ!どうぞ・・・好きなママ・パパ・・ありがとう・・」そんな思いを込めて気前良く渡している・・。自分以外の人間に・・与える愛を示し学ぼうとしている・・。

絆(与える愛・結び合う愛)・・それは、積み重ねて学び身に付けるもの・・。勉強が有るから・部活が有るから・・試験が有るからと無理だといっていたら・・大人に成ったらと思っていたら・・絆(与える愛の結び合い)の少ない・・めるばかりの渇愛に満ちた大人に育つだろう・・。

子供には、どんなに忙しくても、人の為に自ら労する・・「分け与える事」・・の出来る様に、日頃から積み重ねの体感をさせる必要が有る・・。自分で出来る小さなお手伝いから・・子共に「分け与える事」を教えるもの、親の大切な勤めだと思う・・。そうやって与える愛の結び合い・・絆が出来るのだから。

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・自分の中に沈むそれ・・に勝つその3

2012-07-30 01:40:35 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・自分の中に沈む・・それ・・に勝つ(その3)・・・ブッダの言葉より・・

◎「ポジティプ」な心を武器にして、自分の中に沈む「ネガティブ」な心に勝つ・・。その2

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懸命に相当に働き続け時期があった・・。364日・・早朝から晩まで働き続けた・・。身を酷使し得たものは・・・?。

そうする事で今の現状を少しでも良くしようと思った・・思考する事から神事から逃げようともしてみた・・。何か悟れる事が有るかも・・とも思ったりもした。働き尽くし、無(空)に成ろうとしたのかも知れない・・。が、もはや思考は支離滅裂となってしまっていた。

そんな中でも、一日の一時をボーっと言う感じの瞑想らしきものを気が付けばしていた。そして、そんな時は、何時も天に問いかけてみた。

問うても問うても教えてくれない・・。関係の無い他人の危機や災いなどは知らされる・・。当分経ってから・・「チョト遅すぎる・・今さら・・」ともその時は思ったが、それは、分り易く、神話らしいもので聞かされた。

その神話らしき話を、掻い摘んでお話をしよう。

~~~~~~★~~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~

題名は・・・「つるりん葉(パ)!」と言う。

夏の暑い早朝から、蟻の軍団(行列)が、今日も一路・・食物を確保に歩いて行く。すると、何処からか今までに無い美味しそうな匂いが漂ってきた。今日は、その美味しそうな匂いの正体の食べ物を確保する事とし、その高い高い草木に登る事とした。

リーダーを先頭に、次から次へと蟻達は登って行く・・。最後に、まだ未熟な青年蟻・・も登って行った・・。

高い高い一本筋の茎はどこまでも続いていた。この美味しい匂いの正体は、「つるりん葉・・の実」である。このつるりん葉の実は・・通常の果物の様な生り方をしてい無い。葉っぱの先にくっ付いている。それは、まるで雨上がりの水の雫が葉っぱの先に垂れ下がっている様子にそっくりだった・・

蟻達は、高い高い茎をよじ登りやっと葉っぱの部分に辿り着き、実が見える位置だ。そして、蟻達は、つるりん葉に手足を乗っけた・・・その瞬間に、つるりん・・パ!と次から次へと蟻達は落ちてしまった・・。

このつるりん葉は、よく滑りその葉の上に乗っかったものは落っこちてしまう・・。次から次へと蟻達は落ちて行く・・。そしてとうとう残ったのは、青年蟻1匹と成ってしまった。

青年蟻は、必死でしがみ付きならが、次から次へと他の蟻達が落ちて行く様を見ていた・・。落ちて行く蟻達の叫びは暗い闇の中に消えて行く・・。落こちても何の音もしない・・静かだった。青年蟻は思った・・。「これは相当に高い位置に自分は居て、落ちれば死んでしまうだろう・・。」と・・次から次えと悪しき思考・・ネガティブが襲い掛かってきた。

青年蟻は、必死でしがみ付きながら、神に祈った・・。「どうか神様・・助けて下さい・。私は、真面目に懸命に働いてきたのです・・ですから、どうか私を助けて下さい・・」と必死に祈った・・。しかし、神は現れず、もはや限界の極致と成った・・。

青年蟻は、思った・・。「何で自分はこんな目に合わなくてはならないんだ・・」と。

丁度、そこへ、そよ風がやって来た・・次から次へと風を運び、つるりん葉を揺らす・・。青年蟻は、そよ風に向って「この葉を揺らすのは止めてくれないか・・。見て分るだろう。。私は、今、正に奈落の底に落ち掛けているのだチョットでもお前が揺らすと私は落ちて死んでしまう・」するとそよ風は「それじゃ・・落ちれば良いじゃないか・・」とにこやかに言って立ち去った。

青年蟻は思った・・。神も仏も居ない・・と。

この話の続きは、無い。後は、自分で考えよ・・と言う事である。しかし、どう言った意味かが分らなかった。後に成ってその意味とこの話の結末が分る事と成った。

その後も、私は限界を感じながらも働き続けた・・。それは、まるで,いじめられても尚も死ぬまで学校に通い続ける・・子供の様だった。思考する事など出来なくなってしまっていた。タダタダ、働く事が唯一の希望に繋がる・・救いになる・・或いは、義務であり責任で有り・・楽をする事は許されないと思い込んでいた。

そんな或る日の事、それは岩盤浴で寝そべり瞑想に近い状態に有った時だった。

もう、手を離しなさい・・。」と。「まるで、荒波に必死に逆らって泳いで居る様なものです。泳ぐのを止めても良いんですよ・。荒波に向って必死に泳いでも意味は有りません。身を海の底に沈めるとよいでしょう・・・。海の底は静かです・・。時が経てば、やがて自ずから泳ぎ浮かび上がり、身を波に任せると、今度は、軽く泳ぐだけで、波に大きく乗っかり進む事も可能に成ります・・。覚悟を決める事です」と・・。優しく申された。

相当に、気が楽に成った・・。でも、死ぬかもしれないとも思った。

私は、神仏がそうおっしゃってくれたから・・救われた。しかし、地獄の場へ毎日、通う子供は誰が言ってくれるのでしょうか・・。それは、はき捨てる様に言うものでは無く、優しい救いの言葉と成らなければならない。

では、つるりん葉!の結末の、話をしよう。後に、分った事である。

無論、青年蟻は、おっこちる結果と成った。でも、死ななかった。

先に落ちて行った多くの蟻達は、さっさと次の食物確保に行き、その場には誰も居なかった・・。他の蟻達は、落っこちたのは、さほどに苦には成って無かった。今までに多くの経験・・・落ちる経験をしていたから、この程度高さで落っこちても大した事は無い・・怪我もしない・・。自分達、蟻が身が軽い事を知っていたのである。故に、落ちた音もしなかった・・。

青年蟻は、経験が無かった・・。落っこちる事を考えた事も無かった。おっこちる事を悪い事と思っていた・・。ネガティブが四面楚歌を呼び、落っこちる自分の心魂を重いものにしてしまっていた。

あの時、やって来たその風・・「落ちれば良い・・」とにこやかに言ったそよ風こそが、神であった・・。

ポジティブは、おっこちてから、多くを失った後に、無(空)に成ってこそ、持てる思考である。ポジティブな思考は、多くのよき事を引き寄せる・・。それは、波に乗っかりスイスイトと気が付けば、軽やかな心で泳ぐ様である。 

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・自分の中に沈む・・それに勝つ(その2)

2012-07-28 02:50:36 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・自分の中に沈む・・それ・・に勝つ(その2)・・・ブッダの言葉より・・

◎「ポジティプ」な心を武器にして、自分の中に沈む「ネガティブ」な心に勝つ・・。

自分の人生で、幸せに成る為の重要な一つの思考がポジティブ・・である・・。が、これがなかなか難しい・・。必要とされる時こそなお難しい・・。

~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~~

ポジティブに成りなさい・・と言われても、苦悩に不安に支配されている状態の中では、ポジティブに成る事は難しい・・。言われなくても、そんな事は分っている・・と言いたくも成る。

それは、火事に遭遇し大焼けどを受けた怪我が、相当に爛れ絶えられないほどの痛みに有る状態に、「あ~なんと気持ち良いのだろうか・・。」と、痛みを快感に転換する様なもので、幾らイメージしてみても、そんな事は無理な話である。

では、どうするか・・。先ずは、火事の災難から身を守りその場から逃げる事である。そして、次に怪我の治療をする事・・。その後に、ポジティブな思考をすると言う手順に成る

痛み(苦悩)と共に、大きなネガティブの波は自分に押し寄せ襲ってくる・・。すると、今度は、「大丈夫だ・・心配ない・・。」などと自分に言い聞かせが、ポジティブな思考をしてみる・・。すると、ネガティブの波が去って行く・・。が、直ぐにまた痛み(苦悩)と共にネガティブの大波が押し寄せ襲い掛かる・・そんな繰り返しの揚句に、とうとうネガティブの大波に飲み込まれてしまう・・。

このネガティブの波・・普通の波と違って、自ら引き下がる事が無い・・。ネガティブの波はポジティブの波でしか押し返せない・・。次から次へと襲ってくる。

では、このネガティブの波・・思考は何処から来るのだろうか・・?

それは、欲する・・或いは保っするを失うだろう不安・・或いは無くしてしまった現実を受け入れる事が出来ない不安・・又は、得られない・・と言った人間の欲・・から大方はやってくる。

金銭や財・・を失ったら・・・愛する人と別れる事に成ったら・・又は、幾ら思っても得られない人・・・名誉・・・権威・・を無くしたら・・・などと失う・・・得られない・・欲からおきる悪しき心・・不安や苦悩・・からネガティブの波は始まる。

ネガティブ・・の大波に飲み込まれたら、下手をすると命を落としかねない場合も有る・・。たから、そんな時は、欲から手を離す・そこから逃げる・・諦める・事が先ずは、肝心である。火事の災難から身を守りその場から逃げる・・に当たる。

治療をする・・は、瞑想を意味する・・自分と向き合う・・を言う。そして、自分の欲深さを知る・・。無くした現実を認める・・。そうやって、己の心魂がシンプルに成って、はじめてポジティブ・・は始まる・・。しっかりと大きなポジティブの大波を自ずと造りだせる・・。ネガティブの波を押し返し飲み込んでしまえる。

己の心魂がシンプルに成った時に、本当の価値あるものを悟る・・自分の道が始まる・・そして希望や目標が生まれる・・進む道には光明がある・・。

そうなると、苦しい時も難儀な事も価値が有るものに変わる・・・。故にポジティブの大波・・しか存在しなくなる。

全ての原理・・相対性の原理・・からは、目に見えないあらゆるエネルギーは、同様・・同類のものが引き寄せられ集まり大きなエネルギーと成る仕組みと成っている。

悪は悪のエネルギーを引き寄せ、善(愛)は善のエネルギーが引き寄せられ集まろうとする様に・・エネルギーは、拡張・拡大を図ろうとする・・。それは、まるで意志を持っている様でもある。そうやって集まりしものは、相反するものと反発をする。

科学のプラス・・マイナス・・の関係・・磁石の様な関係・・と同様である。科学とスピリチュアル・・な世界は、切り離せない関係にある。

よって、ポジティブからは、さらなるポジティブを・・良い運気・・やチャンスなど・・よき事が集まってくる・・。

逃げる・・・諦める・・・手から離す・・・美徳の思考から考えると眉をひそめる・・良い事とは感じないかもしれないが・・そうでは無い。

例えば、毎日、通う学校・・・まじめに行かなければ・・ならない・・からと頑張っていたら、何れ、耐えられなく成って死んでしまう。命より尊いものは無い。先生にいくら言っても助けてくれない・・・同級生も見てみない振り・・・そんな学校に何の価値があろうか・・・?だから、手放す・・逃げる・・諦める・ので良いのである・・。

学校に行かないと社会の価値感・・のレールから外れてしまう・・。そのレール(道)は、人間が社会の欲が創り上げたレールである。他人に、箸にも棒にもひかから無い・・ばか者と言われても結構・・。その箸も棒も社会が人間が造った欲で出来上がった価値の無いものだから・・・ひかからないのが幸いである。

子供は、社会のレールに乗っていなければ成らない・・と身に付いて教えられ、必死にしがみ付いている・・。だから・・死ぬまで学校に行く・・。子供にとって親は、プレッシャーにしか他ならない・・。

親は、言わずとも社会のレールに乗る事を社会と一緒に成って子供に求めている・・。故に、子供は親を愛していてもプレッシャーを感じて何も言えない・・。死ぬまで学校に行く・・。

尊い子供・・愛しい子供の命・・に代えられるものは無い。だったら、さっさと言えばいい・・。「そんな先生や同級生の居る学校なんか行かなくて良い・・。手を離しなさい・・と。学校が無くっても勉強はいくらでも出来る・・夢も目標も・あなたの未来はとても明るい・・と。」言ってやりなさい・・。そしてその子の価値あるスタート・・歩むを一緒に成って応援してやりなさい・・。

手を離す・・諦める・・捨てる・・・落ちる・・・。それは、価値有る生き方をする為のスタート地点にしか他ならない・・。すがり付くほどに・・ネガティブの波は襲ってくるのだから・・。

全ては、シンプルに成ることからはじまる・・、

命が有れば、治らない傷は無い・・。残った傷跡は、竹の節の様なもので自分の強さへと変わる・・。

已む無く・・或いは自ら手放したものへの執着は、分ろうとしても失った現実に苦悩する・・事が有る。それは、まるで火傷が急に痛くなったり治まったり・・の繰り返しをしながら治って行く様なもので、時間が必要である・・。

傷を治すのは時間だけでは無理で、薬と成る神や御仏の愛である正しい教えが必要で有る・・・そして、周りの人の愛が傷を早くに治す要因となる。

時には、諦め手放す・・事が必要な時が有る・・・後で、振り返ってみれば、何とくだらないものにしがみ付いて居たかを悟る事となる。無くして空になって始まる希望や目標が有る・・そうしなければ、ポジティブには到底成れない場合があるのだから・・。

今日から始まる・・・オリンピック・・そこからも例題を上げてみよう。

懸命に練習と努力を重ねた結果が、一瞬によって決まる・・。

はじまる瞬間・・・己との戦いが始まる・・。金メタルが欲しい・・・と欲を出す・・みんなの期待(欲)が、プレッシャーと成る・・瞬間・・ネガティブの大波が押し寄せ襲ってくる・。悪いイメージ・・スタートを失敗したら・・金メタル取れなかったら・・みんなの顔が浮かブ・・悪しき結果が思い浮かぶ・・・。

金メタル・・が欲しい・・思いが・・期待されているのに得る事が出来なかったら・・と欲が不安が生まれる・・。ネガティブの大波がどんどん襲ってくる・・。

て・・・ここでもって、欲を捨てる・・。手を離す・・。諦める・・。一瞬の間に思考する。

欲を捨てて、無になって、はじめて良いイメージが浮かぶ・・。練習や大会で一番良かった時の事をイメージする・・。それは・・げんかつぎ・・の仕草・・やルーティンとやらの形に表れる・・。それはポジティブに変わった瞬間でもある。ポジティブは良い結果・・良い運気・・良い事を招く・・。結果が、金メタルと成る・・。

欲を捨て・・瞬時にシンプル・・無に成った時に、ポジティブに成れる・・。

ポジティブ・・・良いイメージ・・げんかつぎ・・仕草・・ルーティンとやらに注目をしオリンピックを観るのもいいかもしれない・・。

つづく

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・自分の中に沈む・・・それ・・に勝つ

2012-07-26 07:24:17 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・自分の中に沈む・・それ・・に勝つ(その1)・・・ブッダの言葉より・・

 怒らない事を武器にして自分お中に沈む「怒り」に勝つ・・。「ポジティプ」な心を武器にして、自分の中に沈む「ネガティブな心」に勝つ・・。「分け与える事」を武器にして、自分の中に沈む「ケチ」に勝つ・・。「事実のみを言う事」を武器にして、自分の中に沈む「嘯つき」に勝つ・・。

~~~~~~★~~~~~★~~~~~~★~~~~~~

生きて行くには、人との関わりが欠かせない・・。好きな人もいれば、嫌いな人だっている・・。学校で職場で近所で・・と生まれた時から関わりは、はじまり人間関係は続く。大人に成れば成るほどに、それは重く圧し掛かってくる。故に、人とは出来るだけ厄介な関わりを持ちたく無い。見て見ぬ振りをする事も有れば、相手に合わせて心無い嘘(同調)を言う事もある・・。

学校で、とことんじめられ・・それでも学校に行く。とうとう学校に行けれなくなってしまう・・。職場に行く・・・人間関係が上手く行かない・・。とうとう職場に行けなく成る・・。そのな時、周りの目は批判の目に変わる・・。益々、人が嫌になる・・そして怖くなってしまう。

いじめられる方にも問題がある・・。親の育て方悪い・・。社会の落ち毀れだ・・人間失格・・のレッテルを貼られてしまう・・。

心配しなくて良い・・。社会の決めた価値感・・レール(道)からは、そんなくだらないものからは、さっさと降りるに限る・・。悪いのは子供でも親でもない。社会人と成ったあなたでもない。そして、それは己の人生の本当の価値感を見直し得る為の始まりでもある。良いチャンスなのであるのだから・・・

何処が悪い・・と聞いてみれば、あそこだここだと言われても、みんなそんなところを持っている。完璧な子供も大人も一人もいない・・。親の育て方が悪い・・・ではどこが?と聞いてみれば、あ~だこうだと言われても、親とはそんなもので、完璧な親など一人もいない・・。

だから、自分を決して責めてはいけない・・。かと言って、他人の所為にしてしまっても恨んでもいけない・・。

そう成ってしまったのは、たまたまである・・。何時、誰がそういった立場に成るか分らないのが今の世の中である。

誰かが、投げた石が、たまたま通り掛かったが為に、たまたま当たってしまった。昔だったら、当たった人を周りの人が気遣い駆け寄り心配し、当たった箇所をさすってくれただろう・・。しかし、今は、違う。当たった事が面白い・・。だからまた寄ってたかって皆が石を投げる・・。人の苦しみを快感としてしまう人がいる・・・。それを観て、知らん顔をする人達がいる。

昔は、見て見ぬ振りもしなければ、人の苦しみを快感とするやからがいたら、その人間をたたきのめし二度とするなと周りの者が戒めた・・。が、今の社会はそれが無い・・。

人間の心魂を視る事は出来いないが、あえて言うならば、それは光輝くエネルギーである。悪しき者は心魂の輝きが淀んでいる。光輝くエネルギーからは、光の光線・・絆と言われるものが放射線の様に放たれているそれは言い換えれば、愛の光線・・である。それが今の時代とても少ない人が多い。故に、何か有っても知らん顔・・視て見ぬふりをする。

社会と関わっている以上、悪しき場面に何時、自分が遭遇するかも知れない。知らん顔をするから悪化をしてしまう。絆・・・愛の少ない時代が故に、そうなってしまったのである。

だから、自分を責めてはいけない。だからと言って、社会を憎んでも人を憎んでもいけない。

その理由は、人間は人と関わって生きて行く・・そして、喜びも幸せもそこに存在をするからである。

例えば、美味しいお料理を作った・・。一人で食べても美味しくは無い。誰かと一緒に食べて、美味しい・・ねと言われて嬉しくなる。誰かがいるから美味しいお料理を作りたくも成る。一人だとコンビ二物か冷凍物に成ってしまうかも知れない。自分の誕生日・・・自分に自分がおめでとう・・と言っても空しい。誰かがおめでとう・・と言ってくれるから喜びがある。

自分では気が付かないかもしれないが、誰かの為に役に立ちたい・・言い換えれば誰かに愛を与えたい・・と無意識のうちに自分の中にそんな思いが存在をしている。それは、元々、人間がそう言う存在だからだ。

宇宙を地球を動物を植物を自然をそして人間を造りし神(創造主)は、愛そのものであり愛と言うエネルギーで全てを創造された。故に、人間も愛によって造りだされた存在である。故に、私達人間は、神の子である・・とも言われている。神の子は、人間だけでは無い。自然だって猫だって目にする全てのもの、はそうである。尊い愛の形であり命である。

 しかし、人間は愛(善)たる心魂に悪を生みだしてしまった。何時も己の心魂の中で善と悪が戦う羽目と成ってしまった。

一人一人の心魂の中の悪しき部分が寄り集まり、悪しきエネルギーと成れば、集団いじめだって戦争だっておきてしまう。悪しき心魂が集まると恐ろしい大きなエネルギー魔と成り・・エスカレートしてしまう。

それを食い止めるのは人の善である愛の心魂の部分で有り・・絆である。愛(善)のエネルギーが集まれば大いなる救いと成り、いじめも無くなり戦争も無い平和な幸せな世の中がやってくる。

求めるばかりの我がまま・・愛もどき・・が多い世の中、愛・・絆の少なくなった今の世の中が生み出した、悲劇が沢山ある。

今の世では、人との関わり(関係)・・それはとても難しい・・。しかし、上手く関わって行く必要が有る。それは、そこに幸せが存在するからだ。

人との関わりでは、相手との戦いの様に思うかもしれないが、相手と向き合う時、本当は、自分と向き合っている事になる。自分の中の愛(善)と悪との戦い・・と成る。

 「怒らない」事を武器にして、自分の中に沈む「怒り」に勝つ・・。 

怒りがおきるのは、自分の事を理解してくれないから、思う様に相手が成らない・・故に腹が立つ・・。

人の心魂には入れないし、取り入れる事も出来ない。その行為は、相手の心魂の上に位置しようとする従わせようとする権威欲にしか他ならない。その事を肝に銘じておけばよい

そうすれば、人間だから腹も立つ事も有るが、一時的には腹を立てても、怒っても直ぐに治まる。冷静に成れる。言うべき事は言っても、冷静だからちゃんとした意思表示が出来る。かと言って、それが思う様に成らないからと怒る事は無くなる。腹立ちを流し消す事も出来る。ストレスが少なく成る。

人との関わりでは、付かず離れず・・の距離が丁度良い・・。それは心魂の有り方を言い、良く相手も自分の事も冷静に見える。

何時だったか、有る事が有って、「どうしてあの人は、分ってくれないのか・・」と嘆き天に聞いてみた事がある。すると、「思う様にしようとする・・は、我が思うまま・・我がままである。付かず離れず・・が丁度良い・・」と言われた・・。「こんなに為に成って・・頑張って来たと言うのに、何で私が我がままなのか・・・?」と期待はずれの天からの言葉に又、腹を立ててしまった事があった。

今、考えてみれば天への腹立ちも、自分の我がままに他ならない権威欲・・だった事に気付かされる・・。  

つづく・・・次回は、「ポジティブ」な心を武器にして、自分の中に沈む「ネガティブな心」に勝つ・・。について記載をします。     

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・神は時として、どん底に落とし込める

2012-07-23 23:09:29 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・神は時として、人をどん底・・・暗闇に落としこめる・・

◎ あまりに苦しくて・・天に聞いてみたら・・「昼間も星は出ているが誰も気づかない・・。夜に成ると星は良く見えるが、さらに月夜の夜よりも暗闇の中でこそ星は良く見える・・。故に、良く目を見開き観よ・・」と。

~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~★~~~~~~

苦労・難儀の多き人生は、この暗闇に星を観る様なものだと・・。星を幸せと例えるならば、あんな些細な事もこんな当たり前の様な事も本当は幸せだった事に気付かされる。

人生において、どん底・・暗闇・・死んだ方が楽だ・・死にたい・・などと思い、自分の不運と愚かさを責め続け、生きる価値が無いと思い、夢も目標も消え人も財も無くし・・命のみの存在と成った時に・・もしかすると神さえも恨みたく成るかもしれない・・そんな時は、「大きく目を見開き天を観よ・・」と言われる・・。天とは己と向き合い神と向き合い正しい教えに目を向け悟りなさいと言う事であろう。

どんなに頑張っても運から見放され頑張るほどに落ちていく・・。何が悪いのかも変わらない・・。どうにかこうにかそれでも生きて来た。

そんな時は、神は死なない程度にしか手を貸さない・・。手を貸しながらもどん底に落ちて行くのを見守っている・・。

なので神さえ恨みたく成ってしまう。私は、腹いせに聖書を焼き捨てた事が有る・・。今、考えれば何と罰当たりな事だろうか・・。

遥か昔に、聖書を続けて読んていた時期が有った・・。電灯を消灯し床につき眠ろうとした時、頭上を光がゆっくりと自分の上を廻っていた事が有った・・。意味が分らなかった・・。

幼い頃にバイクに跳ねられ宙を舞い死ぬところが、怪我一つしなかった事や、池に落ちて藻が手足にからみ危うく死に掛け、助けられた事もあった・・他に2回ほど確実に死にかけた時が今までに有った。

が、さっぱり楽はさせてはもらえない・・。聞こえても見えても人の役に立っても自分は厳しい立場に何時も追いやられてしまう・・。それどころか、人を助ける度に、感謝もされず図に乗られ利用され揚句に裏切られる・・・そんな事ばかりの繰り返しだった。あまりのお人よしの自分に腹が立ち嫌に成ってしまった。

聖書の教えの様に、イエス・キリストの様に自分を犠牲とし人に尽くしたり、また、受ける難儀をただ我慢をしても何にもならない。

右の頬を打たれ左の頬を出し耐え忍んだら、今の世の中は、なぶり殺されてしまう・・。重い荷物を背負い100歩進めと言われさらに自分から100歩多く進め・・なんてしていたら、死ぬまで思い荷物を背負い歩く事に成ってしまう。

イエス・キリストの教えに従っていたら幾ら命が有っても足らない・・そんな世の中なのだから・・そう思った事もあった。考えてみれば何とイエス・キリストはお人よしなんだろうか・・。そんな立派な人間では無いけれど、おひとよしの自分と合い重なってしまう処があった。

どん底に陥った時に、腹が立って仕方が無かった・・そんな訳で聖書を燃やしてしまった。「罰を当てれるものなら当ててみよ・・。好きにしてくれ・・・。」と思った事もあった。

人に愛を与える・・人の為に尽くす・・その代償が報われるならばそれでもまだ救われるが、今の世の中は、絆を持たない者が多すぎるしてもらう・・求める者ばかりが多すぎる・・。この人はしてくれる・・と思ったら求めるばかりで時が経てば当たり前となりそれを過ぎると不平不満が始まる・・。感謝の念は無い。故に、生き辛い世の中に成ってしまっている

与える愛を意識し生きて行くには、多くを犠牲としてしまう事も有る。イエスの教えは、まるで戦場に武器も何も持たず裸で進み挑む様なものだ時間の問題で潰れてしまう。決して、教えが間違って居るわけではないが・・。

戦いに挑み安全にわが身を守り進んで行く為には、身を守る鎧も兜も盾も剣(矛)も必要だ。身を守りながら襲ってくる災難(悪)を打ち払い進んで行かなければならない。尊い自分の命を守らなければ成らない

その鎧・兜・盾と矛(剣)に当たる教えが釈迦の教えにはある欲しない・・悪を生み出さない・・執着をしない・・それらの煩悩と言われるものを己の中なら消滅をする・・・。何も無い(空)に成る事が、何事にも動じない強い心魂を造り上げる・・。それこそが、己を最強に守る鎧・兜・盾と矛(剣)となる。空こそが最強なり・・と言えるだろう。

これに日本の神道・・神様が加われば大いなる加勢と成る。日本の神様は、大変ありがたい・・。清く懸命に頑張る者の後押しをして下さる。

何処かの国では、宗教によるトラブルが今も有る。遠い昔から今も続いていて、多くの人々が亡くなっている。何の為の信仰か・・が問われる。

それに引き換え、日本人は上手く宗教を取り入れ上手く融合させてきた・・良い所取りをし自分の為に役立ている。

何回も死に損ね生きている・・・生かされている・・。それはまだ生きて行く必要が有るからだろう。暗闇に落っこちてしまった・・・それも、又、必要が有ったからだろう。

確かに、自分の思うままの人生を歩んで来たならば、多くの星(幸せ)を知り多くを学ぶ事は出来なかった・・。もし、体感がこの世での目的で有るならば、暗闇の底も難儀も価値が有る・・必要とされるものだろう・・。全てには意味が有り・・神の意図とするものだろう・・。 

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・諦めずに生きる時(小石真子)

2012-07-21 21:30:18 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・諦めずに生きる時・・・・

 年間3万人以上の人達が、自らに大切な命を断っている・・。自殺をした人は10%らしい・・と言う事は、30万人以上の人達が年間に自殺を試みている事に成る。自殺者は、10年で30万人以上にのぼる・・事と成る。残された家族の悲しみ・・・身近な両親2人としても、年間6万人以上の関係者が悲しみと苦悩を背負う事と成る。それは一生続く・・。

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死にたい・・・と思って亡くなった方も、本当は生きて行きたかった・・。誰もが、幸せに成りたいと願っていた・・。

それでも苦しみに耐えられず、この世に身の置き場も心の置き場も無く、行く先に希望や目標を失ってしまう・・。真っ暗闇の世界に陥ってしまう。

誰もがとは言えないが、死にたい・・死んだ方が楽だ・・と思った人はいるだろう。突然の災害や事故で自分の意志とは別に命を落とす場合も有れば、病に犯され余命が宣告される場合も有る・・。已む無く失われる命・・行きたくても生きれない命も、自ら死を選ぶ者も又、本当は生きたい・・のである。

生きとし生ける者の定め・・・生命欲がそこにはある。

先のブログで、理不尽の極み(限り・限界)が有っても、落胆してはいけない。肉体と心魂を合わせ持つのが人間であるから、結果は黄泉の国に有る・・と。イエス・キリストの処刑は、それを示していると記載をした。般若心経は、さ~さ~何もかも捨てて無(空)に成り黄泉の国へ行こう・・と超訳すればそう言っている。

共に、死の世界への推進(勧め)をしている様に思うかもしれないが、そうでは無い。

例え、どんなに苦しい辛い出来事や思いをしても、幸せが無いと感じても、理不尽の極みが有ったとしても、生きなさい・・。その結果が、黄泉の国に有る・・。報われる場が幸せの場が在る・・待っている事を説いていますだから、安心をしなさい。心配は何も要らない悩む事も無い。

故に、諦める事無く怠る事無く、夢と目標を持って胸を張って堂々と明るく生きて行きなさい・・と言う事に尽きる。

釈迦は、その為に、瞑想を進めている。どんな苦も悩みも瞑想をし、その根源で有る過ぎたる人の心魂の欲を滅し悪を消す事で、苦悩を離れ再び生きる事が出来ることを示している。

死に至るは苦悩するが為・・その苦悩は己の中に有る過ぎたる欲であり、それによって生まれる悪・・・苦悩を指し示す・・。誰が悪いとか誰の所為・・とかの問題では無く、そう言った余計な事も瞑想では、滅してしまう事と成る。

そうする事で、己の心魂をシンプルにする事が出来る・・余計な思考・悩み憎しみ・・を滅し本当の自分の目標や夢や生きる意味・・・を知る(悟る)事が出来る。

神・御仏・神道の神々・・・色々と名前を変え姿をどの様に変えようとも神は、黄泉の国や神の国でただ、指を咥えて待っているのでは無い。すぐ側に、あなたと共に居てくださる。手を差し伸べて下さっている。

神が幾ら手を差し伸べても、あなたが救って欲しい・・・と手を伸ばさなければ手は繋げない。また、その手が欲と悪に塗れた手であれば、神とは決して手を結ぶ事は出来ない。故に、瞑想の必要が有る。

神の業・・・意図する処は、この世に溢れる人が造りし悪を滅する事に有る。悪を滅するは、この世と人の幸せ幸福を願っての事であり目指すものである。そして、そこには神・・神の愛が存在する・・・故に、神は愛そのものと言える。

しかし、人の肉体の中に宿る欲・・・から生まれる悪しき心・・これは、神でもどうにもならない。己・・自分自身が消滅しなくてはならない・・。その為に、釈迦は瞑想を勧めている。

多くを欲しない・・執着をしない・・それらは、清き心を生む・・そして正しく生きる道を見出し、己を強くする。

そして、与える愛・・の悟りに至った時に、さらに強く成れる・・。

人が自らの死を留める時、誰かが悲しむ・・迷惑を掛ける・・まだ、するべき事が残されている・・責任がまだ有る・・など、それらは人に向けられる愛が有るから留める事が出来る。

人から、この世から自分が必要とされている・・・役に立つ・・だから生きて居る価値が有る。必要とされていない・・自分には生きる価値が無い・・だから死ぬ・・。

そうでは無い。必要とされる様に、自分から愛を与える・・与えてゆく行動が生きるに結びついて行く・・。それは、誰からも褒められるものでも、労ってもらうものでも無くまして認められるを求めるものでもない。誰かが助かり誰かの状態が良くなる事・・誰かが喜ぶ・・それを肌で感覚し体感をするものである。

懸命に生きる・・・そんな人達に神の愛は多く向けられる・・。上手く行かない理不尽が有る・・・そんな所に何時もいらっしゃる。どん底・・・その暗闇に、神は静かに手を伸ばしている。故に、そこから這い上がり諦めず懸命に生きなさい・・とおっしゃっている。

例えば、御仏である観音様・・は、観音経を読んでみれば分る。観音様は何時でもどこでも参上し、助けてくれる・・と説いてあるが、それは、懸命に頑張って生きてる時におきるどうにも成らない理不尽・・・、その時、救って下さる・・と説いてある。

怠慢をし楽をし悪しき行いをし、欲を出し都合よく観音様の名を読んでも何の効果も無い。

多くの神々は、暗闇の底で静かに物言わず待っている・・。あなたが諦めず再び立ち上がり生きる事を・・そしてあなたが動きだすと共に、また神も動かれる・・。諦めない事・・・そして生きる事・・。

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スピリチュアルな出来事~☆~地震を鎮める・九州の地にて・・・

2012-07-20 15:31:42 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアルな出来事~★~地震を鎮(しず)める・九州の地にて・・・

◎ 数日前のブログで「次に大きな震災が起き時、2回目の原発事故が発生した時、日本は信用を無くす・」・その結果に齎らされる事を記載したけれど、大飯原発の再起動がはじまる。大飯原発ともう一つどこかを聞き逃してしまったが、2つの原発の下には活断層が有るかもしれない・・との事。

電力サイトによる調査はいい加減なものだろう・・。自分達の都合の良い見解しか示さない・・。数日前に、天より聞いた言葉・・が重く・・脳裏を過ぎって離れない。悪しき事に成らない様に願いたい・・。

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以前に、ブログで九州に地震を鎮めに言った話を少し記載した事が有る。今回、もう少し詳しくお話をしよう。

それは、以前に福岡沖合いで何回かの地震が発生した後の事・・。或る日、突然、「九州に地震を鎮めに行く・・」と天から聞かされた。

卵焼きなどちょっとしたおかずとおにぎりとサンドイッチを作り、コーヒーとお茶を作り保冷器に入れ、マップと旅費を用意し車に乗り出かける事とした。

九州に行く・・・ことしか他には何も分らない。

訳の分らないままに旅立をした・・・。走っている最中に不思議な光景に出会った・・。山道の途中の岩崖・・が、緑?青?金?銀?・・・言葉で表現の出来ない色に岩崖全体が光輝いていた・・。ものすごく綺麗・・・「あ~なんと綺麗んだろう・・」と思った。そして、「こんなに宝石の様に輝き綺麗な岩崖・・・誰も採取しないのか・・観光名所に成らないのか・・・はたまた誰も気が付かないのか・・・?」と思った。

が、違っていた。それは私にしか見えない光景で有り、ここからが、神・御仏の領域であり、これから神仏と共に行うべき事の旅の始まり・・入り口で有った自分の中で何かが変わった・・。

フェリー乗り場で往復の切符を購入し臼杵に渡った・・。そして、到着・・・さてどうしたものか?

すると、「臼杵の石仏に行く・・」と言われ、マップを広げチェックをした。地図地理・・は大の苦手・・・。おまけに方向音痴・・である。途中、迷ったが何とか無事に到着・・。

もう5時を過ぎている。観光客も誰もいなかった・・。臼杵の石仏は平安・鎌倉時代に築かれたらしい・・60体ほどの大日如来をはじめとする御仏が有る。とても物静か・・・だ。

が、ここから少し離れた場所に不動明王と御荒神の石仏が有る・観光客は誰も気が付かないだろう場所。地元の人達しか知らないひっそりとした場所にそれは有った。勿論、私も知らなかった・・。

先ずは、言われるままに導かれ、行く途中に蜘蛛の巣に行く手を阻まれたりもしながら、退けて細い道を行くと不動明王と御荒神の場所に辿り付いた。

体に鳥肌が立って来る・・・止まらない・・・物凄い強い御霊を感じた。その後、60体ほどの石仏にお会いした。誰も居ない中、御仏様達と向き合う・・。

[これからの道中を共に参る・・共に鎮めよう・・]との事を申された。勿論、不動明王と御荒神様も一緒である・・。

もう直ぐ、日は暮れる・・。何時も、神事をする時は、人の居ない時間と成る。途中に迷ったのも時間あわせに過ぎない・・。

それから随分と走らせ、湯布院に到着・・・温泉に入り再び出発をした。夜通し走る訳だ・・。夜中の2時も過ぎた頃・・・もはや誰も通る車も無い時間・・私は、山中、道に迷った・・。嫌な感覚を覚えた・・が、御仏様達と同行している・・。途中、引き返し、事無きと成り再び走った・・。

その後、私は大宰府天満宮や生目神社などの用事をを済ませる事と成ったが、肝心の地震を鎮める・・・為に、阿蘇山登った・・。

阿蘇山の頂上には神社が有る・・。そして、その近くには、御荒神様が祭られていた。あの臼杵の石仏・・・で、同行をする事と成った御荒神様と同じで有った。ビックリした。

言われる様に、地震を鎮める・・行事・・神事を済ませ・・一路帰る事とした。

帰り道、相当の疲れも有って、帰り道が分らなく成ってしまった。マップを見ながら確認をしながら走ったはずなのに・・迷ってしまった。

と・・・!突然、見覚えの有る場所に辿着いた・・臼杵の石仏の前で有る。え~!何で・・ここに・・?。」と思ったら、共に同行をして来た御仏様達から、「私達はここで降ります・・。ご苦労様で有った・・」と言われ・・そうか・・その為に迷いここまで導かれた事を悟った。

ご挨拶をし私は帰る事とした。フェリー乗り場に近い処に温泉が有り、時間も頃合に有ったので、温泉に浸かり・・その後、フェリーで帰った・・。温泉も神仏のご苦労様・・と言う労いの証・・お導きである・・事を知った。

全てはタイミング良く・・神仏の意のままに仕組まれた道中だった。

途中、私は何と馬鹿げた訳の分らない事をしているのだろうか・・時間もお金だって余裕など無いと言うのに・・とも思った。おまけに相当に疲れた・・。

まして、何のご褒美が有る訳でも無い・・。

しかし、不思議な経験・体感は言葉には表せない確信を持つ事と成る。神仏に導かれる・・・図り事・・全てのタイミングの良さ・・を思い知る。

相当の疲れと出費で何の利にも成らない様に思うかもしれない馬鹿げた事をと思うだろうが、私は、神仏の手足と成って役に立ちたいと何時も願っている。故に、何も要らない。

現に、九州では、あれから大きな地震が一度も無い・・。それが普通と言えば普通なのかもしれないが、その何も無い地震が起きて無い事が私の喜びで有るのだから・・他には何も無い。

地震を・・・鎮める・・そんな事が出来るのだろうか・・?

と、不思議に思うかもしれないが、あの東日本大震災で視た空一面の黒い悪魔の姿・・原発のメルトダウンした場所に居た悪魔・・・私は、震災・原発事故・・そこに魔を確かに視た。

故に、魔たる存在と戦い消滅する事が神や御仏の一つの大きな役目で有り目的とするのであるから・・・出来て然るべきである・・・のかもしれない。

もう一つの役目・・・それは、愛を与える事である。 

 

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