スピリチュアルアート・不思議話・猫話・神話を紹介します

癒しのスピリチュアルアート・不思議なお話・可笑しい猫話・チョッと面白い為に成るかもしれない自作の神話を記載します。

スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・欲を捨てる(物欲)

2012-07-18 19:37:03 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアル~★~幸せに成る為の学び・欲を捨てる(物欲)・・

 自分の身の回りに沢山有る・・物・・・。台所から始まりタンスの中まで物で溢れている・・。その中でどれだけの物が今、実際、必要で使う事と成るのだろうか・・。

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無かったと思って、また買ってしまっだおとふ・・そんな無駄買いの物が冷蔵庫には無いだろうか・・。もう・・数年、冷蔵庫で眠ったままに成ってしまっている物は無いだろうか?使うでも無く捨てるでもない・・。

そうやって食品が冷蔵の中でぎゅうぎゅう詰めに成っている。結果、イザ、お料理を作ろうとすると扉を開けたままに、何を作ろうか・・と悩んでしまう・・。冷気が悩んでいる間に抜けてしまう・・。多くの食品を詰め込んだ冷蔵庫は冷えない・・電気代も掛かる・・。

流行を追いかけ次から次へと買われた洋服がタンスで眠っている・・行き場の無い沢山の洋服・・・捨てるに捨てれない・・片付けに困る・・。把握が出来ないからまた、似たような物を無かったと思い買ってしまう・・。何を着ようか・・と悩む毎日・・。

勉強部屋・・・「片付けなさい・・」と言われても物が沢山あり過ぎて、片付けるのも大変だ・・。鉛筆・・多くて5本も有れば良いだろう・・。ボールペンだって数本有ればいい・・。使いかけて終わったノートの数々・・。可愛いグッズだの拘りのフィギアなどや、おもちゃにゲーム類にぬいぐるみに漫画本・・その他・もろもろ・・。勉強には関係の無い程遠い不必要な物で室内は溢れている・・。

だから片付かない・・。片付けるには時間と労力が掛かる・・。

物が沢山有りすぎる・・とは、無駄な時間を使い買う・・をし、無駄なお金を使い・・無駄な片付けとストレスを生む・・。

必要不可欠な物・・それだけに留めて置くと、物が無い・・空間は、スッキリとし、片付けの労力も少なくストレスもおきない。無駄なお金を使わなくてすむ。どれにしようか・・何処に有ったかな~と探す手間も少ない。

物・・・全ては、自分が又は親が懸命に働いた代償で稼いだお金で買っている・・。物欲に執着し溢れかえる物・・・懸命に働いた労力の代償・・・お金を無駄にした事と成る。無駄にしたのは他にも有る。働くとは、自分の時間を提供する事でもある。極端に言えば自分の人生を提供している事でもある。

あ~わさびが無い・・仕方無いと買い物に行く・・。ついでにと他の物を買ってしまう。ショッピングに行く・・何も買わないと時間の無駄をした気分に成ってしまう・・。街に出かける・・何かを買ったり食事をしたり・・お金を使わないと気が済まない満足しない。

物欲は、一時の満足を得られるが、満足は直ぐに消えてしまう。だから又、買う・・次から次へと買い続ける。やがて買わないと満たされない・・買えなく成るとストレスと惨めに陥る。

価値(財産)あるものは、お金だけでは無い。物を得る為にお金を稼ぐ・・・その為に多くのエネルギーと時間を対やする。それは何かを得れば何かを失う事でもある。失うのは、自分の時間・・・その時間は単なる時間では無い。価値ある財産である時間だ。

多くの物を欲しない者は、時間を大切に使う。そして、お金を物欲に返還しない。自分の思考の為の時間や家族や友達やボランティアなど人との愛の絆を築く為に使ったり、自分の希望や目標に懸命に取り組んだり、勉強したりと人生の体感に勤しんでいる。物欲の時間を保っしない・・そんな暇も意識もない・・故に満たされている。

物欲の為に必要なお金を得ようとエネルギーを使い(働く)者は、価値ある働き方が出来ない。不平不満が多い・・。故に満たされない。

スッキリとした空間・・・部屋は、整理整頓が出来ていて風通しが良い・・よって、風水的にも良運を齎す・・・。

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・地震が来る時・・・・

2012-07-17 13:21:40 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・地震が来る時・・・

◎ 近年、再び大きな地震が来たならば・日本の信用は無くなる・・・その意味はどう言った事なのだろうか・・・?天よりの言葉・・は、一瞬にして入ってくる・・。

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それは、他国から観た日本経済の信用性の事を指している。大きく経済が麻痺をし経済の立ち直りは難しいだろう・・と他国が推測をした時に、先ずは株が急落をし急激な円安となる。

多くの物・特に必要不可欠の食料と原油を輸入に頼っているから大変で有る。当然、ガソリンも食料品などあらゆる物が高くなる。災害で生産は出来ず例え出来たとしても滞る・・流通が上手く行かなく成る。かと言って、必要な物は輸入をする事に成る。と成るとどんどん懐からお金が出て行く。今まで100円で買っていた物が150円・・もしかすると200円となるかもしれない・・。

災害が起きた時に、便利で快適な生活をしているほどに機能は麻痺をしてしまう。電気・ガス・ガソリン・水・通信・・など文化的生活は先ず、止まってしまう。

快適で便利な生活をするにはお金が必要で有る。お金で便利で快適な生活を手に入れて来た・・・。都会での生活はそう言った事で成り立っているから、地震災害が起きると生活が機能しなくなるからパニックになる。

田舎で有る処に住む60才以降の年代の人達が、地震災害に合ったとしても生きる力は兼ね備えている。サバイバルな事柄に強い。

どんな物を使ってでも火を熾し炊き出しが出来る・・。ちゃんと蓄えのお米も有れば野菜も植えてある。漬物だって自分で漬けているだろう・・。チームワークも村の祭典や行事や集会・普段の付き合いが有るから、イザと成ったら何でも出来る。そしてリーダーがちゃんと居る。そして言わずとも、それぞれの役割分担が出来る・・。そうやって助け合える・・。年は取っていても知恵が有り経験が有り絆がまだある。

田舎を不便・・と言って、祭典や行事や集会や近所の付き合いを嫌がり面倒がり、楽を好みお金を出して何でも出来合いの物を買って済ます・・。便利をお金で買って済ます都会での生活に明け暮れている者は、隣の人の事も良く知らない・・集会なんど行った事も無い関係ない生活・・絆の無い生活をしている・・。

そんな人達は、イザとなった時、お金が役に立たない・・事を思い知る。そして絆の無さ・・何も出来ない事を思い知らされる・・。特に、若い人はそうだろう・・。勉強ばかりをし他の経験が無い・・。

赤ちゃんにミルクが無い・・。さて、若いお母さん・・・あなたならどうしますか?只々、支援物資が届くのを待つか・・誰かが助けてくれるのを待つのか・・?都会での震災は、3日~1週間・・ミルクが手に入らないかもしれない・・。

分らなければお年寄りに聞くとちゃんと教えてくれます。昔は、ミルクなど無い時代も有ったし、母乳の出ない場合も有り、それでもちゃんと赤ちゃんを昔のお母さんは育てたのだから・・。

親との同居を嫌い、親を疎んじ、地域や近所との付き合いを軽んじ、都合の良い事や言葉しか受け入れず楽を好み絆も薄く幼い頃から勉強と部活しか知らず家の手伝いもせず、只、便利で快適な生活をお金だけで買って居る・・・そんな生活をしていたならば、大きな災害が来た時・・・生き抜いていけないかもしれない。

イザとなった時、そんな人ほど国が機関が助けてくれる・・のが当然と思い誰かが助けてくれる・・と思ってしまう。助けて貰う事ばかりを考える・・。本当は、助け合いが大切である・・事を知らない。そんな時こそ、国は直ぐには、当てには成らない。

原発の再起動が始まろうとしている・・。電気が不足する・・高額に成る・・そんな理由が挙げられているが、今度、震災で同じ様な原発事故が起きたならば、被害は無論の事だけれども、狭い日本で2箇所の原発事故が起きたなら、それこそ、もう日本は御仕舞いだ・・と他国から見切りを付けられる。信用が無くなる・・株が暴落・・・急激な円安・・に確実に成る輸出製品も売れない・・。故に、安心・・の為の預金の価値も急落・・・ふところから預金が消える・・。

お金に価値を置きお金の為に働き、便利も何もかもお金で済ませる・・・そんな人間は、お金が無くなると絶望をする・・。動けない・立ち直れない・・・何も出来ない・・。そんな人間ほど絆も持ってないからイザと成ったら助けてくれる人も居ない。

お金に価値を置く人間は、惨め・・である。愛の絆では無く、お金の絆で人間関係が成り立っている・・。だから、お金の無い人間を馬鹿にし如何にも自分は偉い・・と勘違いをしている・・。そんな人間が、お金を失うとお金で出来上がっている人間関係・・の絆が簡単に、あっと言う間に切れてしまう。全ての物を失う震災に置いては・・・特に惨めに成る。

2回目の震災・・・お金の価値が激減する時・・・お金に頼らなくても生きて行ける・・サバイバルに強い生き方と愛の絆・・が、今から重要視される。

原発の再起動・・のニュースを見、懸念したが故に天より頂いた言葉である。誰もが考える以上の事態が待っている・・。過酷で長く続くサバイバルな時・・・もしかすると時代・・・が待っている・・。

目先の事よりも、今を辛抱し原発の再起動はするべきでは無い。東日本の原発事故・・その地域は、住民の希望は叶わない・・。現実を知らなければ成らない。半世紀は完全に住めない。命より大切なものは無い。同じ不幸と過ちを繰り返しては成らない。

必ず、今後起きる・・大きな地震・・・それに対しての意識と対処と価値観の変換とライフスタイルの見直しをしなければならない。

震災では、多くの物を失う・・。家と中に有る全ての物・・便利な生活・・そして何より大切な命・・である。 命・・・守らなければ成らない・・そして生きて行かなければ成らない・・。

いきなり失う事の現実・・・がある。受け入れなければ成らない・・現実がある欲・・物欲を捨てなければ・・欲が有るほどにショックが大きい・・。愛しい命を失う事・・・の現実がある残った者は、生きて行かなくては成らない現実が・・有る。

人は辛く難儀な事・・・どん底に至った時に、何よりも人の愛・・絆が救いと成り再び立ち上がり進む事が出来る・・事を知っておかなければ成らない。

価値感について・・多くの欲を保っしない事・・何よりも愛が絆が大切である事を今までに説いています。更に、今後、必要な事柄を記載して行きます。

今後に起きる震災・・苦難や難儀・・迎えたくは無いけれど・・そう言った現実がこの先待っているかもしれない・・。

それを頭の隅に置いて頂き、このブログを読んで頂ければと願っています。

価値感・心魂のあり方・ライフスタイルの変換・・が出来ます事を願って今後も書き進めて参ります。

何が有ってもおきても不動の精神とたくましいさと幸せを手に入れる事が出来る為に・・。

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・もしも、地震が来たならば・・

2012-07-15 18:39:14 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・もしも地震が来たならば・・・

◎ もしかするとここ5年先に、そして大方には、ここ半世紀の間に大きな地震が来る事と成るかもしれない・・。「箍が外れる時・・・海が火の海で火の竜巻がおきる・・・富士山の形が変わる」・・と12年も前に瞑想をした再に浮かんだ光景と言葉・・・である。

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この頃は、まだまだ未熟なもので、当てには成らないし、全く持って自信が無い・・。それほどに自然に関する予知は難しい・・。ただ、念の為に忘れない様に・・と書いたメモがこの春に引き出しの奥から出てきた。

その時の瞑想シーンを思い出すと、湾・・東京だと思う・・海が火の海だった。その火が大きな竜巻と成っていた。時期はずれるのかもしれないが、富士山が噴火し形が変わる・・灰・・が降る・・と聞かされた。

箍(たが)が外れる・・とは、おけなどを止めている金具の事を言うが、もしかするとその意味は、重なった二枚の板が外れる事を意味しているのかもしれないし、気が緩む頃を指しているのかもしれない・・。

南海地震も予想はされるが、私のイメージでは、南海地震よりも関東方面の方が順番から言うと早い。

再度・・・言うがこの予知には責任も持てないし自信が無い。しかし、ここの所、地震の専門家・研究者達の情報をテレビなどで見ていると満更嘘でなも無い様にも思える。

一つには、地震の後には山で噴火がおきる・・富士山がそうなるかも知れない・・と言っていた。12年も前には全くそんな情報は聞いた事も無かった。12年前の瞑想で、富士山の形が変わる・・なんて視たり聞いたりした際は、自分自身で「そんな馬鹿な・・」と思ったくらいだった。東京で三つのプレートが重なっている事も全く知らなかった事だし、「海が火の海に成る・・なんて海が燃える・・なんて可笑しい・・海で火の竜巻が・・?」なんで意味が分らなかった。しかし、今は、理解が出来る。あの東日本大震災での気仙沼の海の様子を見れば、石油コンビナートが海岸沿いに沢山有る東京湾なら、瞑想で視たあの恐ろしい光景は納得が行く。

多分だが、海の火の竜巻は、陸に向って進み広がるだろう。海の温度が上がれば温度の低い方に向って進む・・と思うのだが、研究者の話では、川を伝って行くらしい・・。

問題は、箍が外れる時・・との言葉であるが、重なったプレートが外れる事を意味しているのか、それとも東日本大震災から後、気が緩む・・頃を指しているのかが今一つ分らない・・。

まだ他にも理由が有る。

新潟で地震が起きてから、良く地震の予知が入って来た。が、何時も、自信が無かったが、一週間から2日前に入ってくる予知は、必ず当たっていた。

新潟地震は寒い季節たった。度々、地震後も軽い地震が有ったもので、クリスマスも近い頃、「この寒い時に、クリスマスも近いと言うのにもし、新潟でまた地震が起きたなら気の毒で成らない・・・・大丈夫か・・」と尋ねると日本では無い・・と言われ、インド洋・・スリランカ・スマトラ沖付近の地図が目に飛びこんで来た・・その2日後、大きな地震がおきた。中国での地震の時もまさが中国で地震なんで聞いた事が無い・・と思ったその2日後、南米チリ付近・北欧の噴火・・大きな地震は1週間から2日前には、地図が飛び込んで来る・・。が、地理には疎い・・。

あの東日本の震災の時も、そうだった。タスマニア沖地震で日本人の方達が犠牲と成った時に何と・・可愛そう・・お気の毒・・もう、地震は近い内には無いよね・・と尋ねると、東北沖の海の地図が飛び込んで来た。あ~東北の海か・・・あそこは良く地震が有るから・・と、勝手に軽く解釈をしてしまった。

あの地震の1週間前の事だった。

地震2日前に、私は他の用件では有ったが、東北の新聞社の電話番号を調べていた。東京の本社確か読売だったと思うが、仙台でなければ支社が無いと言われ聞いた支社の電話番号を握ったままに、地震の前日の午後2時頃、今までに経験のした事の無い異様なしんどさに、そのまま翌朝まで寝てしまった。早朝、(地震の当日)あ~神棚の前で瞑想をしなくては・・と相当に強く思った・・。仕事・・・何時だって有給も無しに働き日曜出勤も惜しまない364日正月以外は働く・・・そういった私が、この日ばかりは仕事を休みたい・・・休まないと・・瞑想しなくては・・と思った。はじめての感情だった・・。

お昼・・・異様な疲れ・・空一面、真っ黒な空(透視)・・・なんだろう・・?怖かった。午後2時過ぎ帰宅・・テレビを付けて見て驚いた・・。異様なこの2日間・・と、1週間前の知らせを無視・・今朝、後ろ髪を引かれる様な思いをしながらも神棚にて瞑想をしなかった後悔・・。東北の新聞社の電話番号を調べ握り締めたまま・・。

自分の事で明け暮れていた為に・・無視をし見逃してしまった後悔・・。

当日、何で子供が・・・東京に・・いるのか?仕事のはずなのに・・?大きな柱の影に居る・・。電話が出来ない・・環境に居たので、テレパシーを送り他の者に電話をしてもらった・・相当に疲れていた・・動けなかった・・。

原子炉のメルトダウン・・・3日目に瞑想をした・・。魔は何処に居るか?空かと思えば、原子炉の底で黒く渦を巻いて居た。一つの原子炉の魔はえらい年を取っている・・。後から分った事だが、既に、あの時メルトダウンをしていたから、底に魔が居た・・一つの年取った魔は、使った後の燃料棒を収めて居たとの事・・。

この際、亡くなられた多くの方達のご冥福を祈った(儀式)。亡くなられた多くの方は、どの方も自分の事よりも家族や皆の心配をされていた・・。心が痛んだ・・。

悪しきものは、私には黒く見える・・。病・事故・悪しき心魂を多く持つ人・・そして、地震当日のあの黒い空・・自然災害さえも魔の影響は及んでいる事を知った。

これらは全て本当の事である。故に、私が生きている間に能力が持続又は更に極める事が出来たなら、大きな地震の2日前には、遅くても知らせを受ける事が出来るかもしれない・・。その際は、ちゃんと知らせたいと思っている。

人の明日は無常・・である。明日は分らない・・。だから、そのままを記載する事とした。当てには全くならないが、気を留め置くともしかすると役に立つかもしれない。役に立たない事を願っているが・・。

それと、もう一つ、最近、聞いた事が有る。大きな地震が今度起きると、勿論、被害に合わない・・事も大切ではあるが・・・。

日本が信用されなく成る・・と聞いた。その意味は、経済性の信用の事で、大きな震災により、株の値下がりと急激な円安に成る事を言っているのだろう。多くの物を輸入に頼っている・・。主要な原油も食料も・・である。

円安に成ると言う事は、物を買うに当たって、多くのお金が必要と成る訳だ。地震の災害に見舞われなくても日本全体に影響する。

安心の為にとこの不景気に必死で貯めた預金もあっと言う間に消えて無くなる・・かもしれない。

そう成った時に慌てず対処するには、今からの心・・心魂のあり方、価値感・ライフスタイルの変換が必要になる。

予知の情報・・・それは、全くもって自信が無い。しかし、地震を思った時に聞いた言葉・・・日本が信用されなく成る・・・その事には、大きな意味がある。今回は、どうしてもその事を言いたかった・・。

何時もと違い、今回のブログは一気に書き上げ見直しも無しである。地震の予知に付いては以前に少々、記載をしているが、それよりも今回、聞いた事の重要性を紐解いてみたい・・。そして、今後、どうするべきかを考えてみたいと思う・・。

今日は、一揆書きをした為に疲れた。肝心な事は次回・・・書ければとおもう・・。つづく・・

 

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・予言者達とブログ・・・

2012-07-14 08:39:43 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・・預言者達とブログ・・・・

◎ 預言者とは、霊能者でも霊媒師でも巫女でも無い。神の御名をもって語り、神からの使命を受けた人の事である。神の使者と言っても差し支えない。

霊能者・霊媒師・巫女は、黄泉の国との繋がり(交信)を持つ者を言う。黄泉の国にも神や御仏の意とする御霊(心魂)は、向けられ存在をしている。、無論、この世でも神・御仏の意とする御霊(心魂)は向けられ存在をしている。故に、彼らは黄泉の国から神仏と交信(繋がり)を持つ者もいる。

それに属さない者も心を清め瞑想し己と向き合う事により神仏との交信繋がり)は可能と成る。悪しき欲を抱え、己の希望や望みばかりを願う時、悪魔・・特に、神に化けし魔神を崇める事と成る・・故に、気をつけなければ成らない。

預言者の場合は黄泉の国の遥か上に有る神・御仏と神の創造主で有る神の領域との繋がり(交信)を持つ者である。イエス・キリストは創造主を我が神・我が父よ・・と言っていた。

聖書の三分の一は、大預言者と十二人の小預言者の言葉・予言によって綴られている。

その当時の預言者と称する者は偽預言者も多々居たが、正真証明の本物の預言者達は、相当に貧しい生活をし社会に置いては、地位も財も職業も無く、階級には属さず、また、宗教関係者でもなかった。どんな社会権威も持たず民衆に語るばかりでは無く、王に対しても何ら代わりの無い態度で望んだ故に、迫害をされ悲惨な死を遂げている・・。

大抵が、彼らは、この世では報われない事が大方であった。死後は、神の元に帰る身で有るからだ。この世では、決して恵まれないし報われる事も無い。彼らは、その事を自身で分っていて、覚悟はちゃんと出来ていた。それだけの覚悟無くしては、預言者には成れない。

生活は、相当に貧しく身なりも貧しい。財も家らしいまともな住まいも持たず、財も地位も利権も持たず、大抵が家族とも縁が薄い。様は、何にも無いほとんどが孤独に身を置き、神と大方の時を向き合って過ごしていた。

この預言者達は・・・世の中の危機・・と成る時代に良く現れるそれが今の時代で有る。今の時代に・・沢山の神の使者達が送り出されている。その者達は、それぞれの役目を荷っている。

それらの者達は、勿論、有名な地位の有る者でも無ければ、多くの財を持ち、或いは成功者と呼ばれ賛美される位置にも無く、政治家でもスターと呼ばれる人達でも無い。

或る者は、病を背負い或る者は障害者だったり・或る者は全てを無くして何も持たない者だったり、職を持たなかったり、孤独の身で有ったりと決して恵まれた環境には身を置いていない・・。

それらの者は、恵まれない環境や身で有っても、落胆したり絶望したりはしていない。そう言った時期を乗り越え、尚も清く白く有ろうと懸命に神を愛し信じ愛を人に与えるべく努力をし生きている。伝えよう・・としている。そして覚悟を何時も持っている

が・・・しかし、残念ながら、この世の中に置いての価値感の中で生きている人々達は、地位や名誉・利権・財産・或いは学歴・成功者などにしか耳を目を傾けない・・。

では、どの様にして、彼らは今を過ごし、神の教えを説いているのか・・。時代のニーズにちゃんと神は沿う様にしている。昔の様に路上で語るわけでは無い。この情報社会では、インターネットを使い発信をしている。インターネットに置いても神と魔とが相対性の原理で存在している訳である。

神に聞いてみた。「その様に、貧しい恵まれない何も持たない者ならば、もしかして路上生活者の中にも居るのではないか・・・」と聞くと「居る・・」と言われた。この世からは疎まれ、邪魔者で人として扱われず心無い人間になぶり者にされ死んで行く・・・人として扱って貰えない価値の無い扱いをされている・・。そんな中に紛れて居たのか・・・と思った。

それから数日後、パソコンでブログを見ていた時に、そう言った者に出くわした。神は、こうして確認・・・の様な事を言葉を下さった後に示される事が多々ある。

ブログの中のその人は、多分、まだ若い者だろう・・。今は、していないが、数年前で路上生活を数年していたらしい・・。神に聞いた時に思い浮かんだ光景・・「こいつか」・・その人物である。路上生活に身を置き、永遠と神と向き合っていたのだろう・・・。往々にして有りうる修行であろう。

ブログを読んで・・内容で直ぐに分った。私が天より以前に聞きし事と重なる・・・。なるごど・・と確信をした。

インターネット社会に置いては、数え切れないほどのブログの中に神の使者・・・予言者と言える人達が色んな形と役目を持って書いて記載をしている。それは、華やかな記載では無く、埋もれる様にひっそりと無骨に記載をしている。

一見、訳が分らない・・・如何にも無骨な飾り気の無い、商売下手な利益に結び付かないだろう・・なと言ったブログに他ならない・・。

そんなブログに遭遇すると感激をする・・。「お~頑張っているな・・」と。

そんなブログは、一見、理解し辛いものも有るが、これから、相当に厳しい世の中が来るに当たって、真の価値感・・真の幸せ感など、生きて行く目標や指針を見出すヒントが有る。それは心の有り方に留まらず、今後実際に起きる厳しい事柄に対し、今からどう自分の生活ライフを変えて行くべきかのヒントが隠されている。

そう言った意味で、色々とブログを検索しみてみるのも良いかと思う。

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・理不尽の極み・イエスキリストの場合・・

2012-07-12 15:25:37 | 猫話

 スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・・理不尽の限りの時(極み・限界)の時・・・イエス・キリストから学ぶ(本日・後篇文)

★・・・本日、2話を記載しています・・・先ずは前編からお読み下さい。

◎ 自分の人生を生きて行く時・・もう、御仕舞いだ・・なんでこんな目に・・自分が・・と、どうにも納得の行かない出来事がおきてしまい、のこ世には神も仏も無い・・と心底思う時が有るかもしれない・大いなる理不尽と言える時である・・・そんな大いなる理不尽を経験したのがイエス・キリストである・・。

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イエス・キリストは神で有る・・。故に、彼の生き方や十字架に掛けられた悲惨な出来事も、神が故に成せる事・・と遠くに置いてみてしまう。

が、イエスキリストが肉体を持ち人として、極一般の貧しい家に生まれたのには意味が有る。必要性が有ったからだ。

これ以降は、あえてイエス・キリストを彼と呼び一人の人として観てみよう。

彼は、大工の子として生まれ、父の仕事を助けていた。早くにして父親を亡くしたその後は、母親と兄弟達の面倒を見ていた。兄弟達が一人前に成った頃に洗礼を受け、神の教えを説いて廻った。彼は、幼い頃から、常に聖書を学んていた。

洗礼後は、愛に重きを置き説いて廻り、弟子にも教えを説いていた。

しかし、彼が処刑に科せられる時に、裏切った弟子や、「イエスを知らないか・・」と聞かれ。「自分は関係ない。何の事か分らない。嘘を付いたら神の罰を受けてもいい・・・」とまで言ってイエスを知らないと嘘を付いた弟子もいた。弟子は、「知っている・・」と言ったならば自分も処刑に成るから嘘を付いたのだ。

彼(イエス)は、愛を説く事を目標とし人々に愛の大切さと神の教えを伝えようとした。しかし、それどころか、一番近くの信じるべきに値する弟子達に裏切られてしまった・・。誰も彼の愛を説く・・を結局は理解をせず、実行には至らなかった・・と言った事に成る。彼は、報われる事無く、人々にあざけられた揚句に死刑になってしまった。

処刑は、相当に苦痛を伴うものだった・・。

手足と両手の上から釘で十字架に打ちつけ、腰の骨は打ち砕いておく。腰の骨が有ると受刑者が身体を支え易くなるからである。腕の力だけで体重を支えなければならない。横隔膜を動かし呼吸をする為に腕だけで胴体持ち上げる必要が有る。そうするほどに激痛が増す・・。やがて力尽きて窒息死してしまう・・。彼は、昼過ぎに十字架につけられ午後三時に死亡した。

その間、空は闇に包まれたとも言われてる。

一人の人間の人生として彼(イエス)の事を考えた時に、真面目に生き、父親の仕事を助け父の死後の後は、懸命に家計を支え働き、その間も聖書を学び洗礼後は、全てを捨て只ひたすらに神の教えを説いた・・。揚句に、人々から罵倒され、弟子達に裏切られ・・肉体の激痛と報われる事の無い理不尽の極みを受け亡くなった・・。

これほどに報われない・・理不尽の極みは無いだろう・・。

彼は、十字架で息耐える前に、最後の言葉を発している。

我が神・・・我が神・・・どうして私をお見捨てに成ったのですか・・。」と言われた・・。人間的な悲痛の叫び・・とも言われているが、これは、詩篇第22編から始まり第31編「私は御手に身を委ねる・・。」まで言ったとの事で続きが有ったのだ。

彼の心魂(御霊)の言葉を私なりに超訳してみよう。

「例え、どんなに理不尽の限り(極み)があろうとも、直ぐ目の前に死が有ろうとも、・・私は、我が神を愛し信じる・・。(例え、神に見放されようともの意味)

私は、神と共に共存光栄し世と人の為に尽くしたい・・。

例え、誰からも愛されず誰からも必要とされずとも私は、神に愛され神に必要とされている事を既に確信しているのだから・・。

私は、神と共に共存共栄し、愛を持ってこの世と人々に尽そう・・。この世と人々の幸せが私の喜びで在り私の存在で有るのだから・・。

神に祝福あれ・・・。」

最後の心魂の叫びである・・。

彼は、死後、黄泉の国では無く、さらなる上・・神の国に入られ神として今もこれからも彼の心魂は・・愛は、私達に向けられている。

彼は、この世では報われる事無い理不尽の極みを受けた・・が、死後、報われる事と成った。相対性の原理・・である。

結果は、この世では無く死後に有る事・・。美徳の思想を持って何が有っても生き抜く・・必要性を説いている。さすれば、人が神の国に入る事が可能で有る・・・事を人間である身を持って示している。

故に、イエス・キリストは、人として生まれる必要が有った。

私達は、神の国には行けないかも知れない・・。何回も輪廻転生を繰り返し、心魂を清く白く輝かせる為に磨く努力が必要とされる。しかし、黄泉の国にも、段階は存在する・・。より高い位置に属する為に、この世での修行・体感・経験がある。

どんな境遇に置かれていても、美徳の思想を持って懸命に命を全うしなくてはならない・・。報われない・・どんな理不尽の極めが有っても自分を責めたり、落胆などしなくてよいと言う事である。

イエス・キリストの最後の叫び・・「我が神・・・我が神よ・・どうして私をお見捨てに成ったのですか・」・・は、超訳の文面の理不尽の極め・死が目の前・・・に有る時・・・神に見放された・・を指し例えそうだとしても、私は、神を愛し信じる・・・に続く。

生きて行く上で、この世に神も仏も無い・・と心底、思う時が有るかもしれない・・、しかし、そんな時にこそ、暗い闇の底にこそ神は、深い愛を持って静かに存在している。

故に、神を愛し信じなさい・・と言うことに尽きる。

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・理不尽の限り(極み・限界)の時・・

2012-07-12 06:50:51 | 確実に幸せに成る為の学び舎

スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・理不尽の限り(極み・限界)がある時・・

☆。。本日は、前編・後編に分けて記載をしています。どうぞ、両方をご覧下さいませ・・

 この世の中を生きて行く上で、美徳の思想が有る・・その思想を知らぬ間(無意識)に自分達は身に付け指針として生きている・・。その美徳の思想は、時にして大いに自分を苦しめる・・。

美徳とは、美しい徳の有る行い生き方・・道徳に叶った立派な行いを指す。思想とは・・・人生・社会・政治(世の中)などに対する一定の考え或いは、哲学・道徳で思考作用の結果に得られた意識内容・・と言った事である。

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が、この美徳の思想・・・を重んじる人ほど・真面目な人ほどこの世は生き難く自分を責め苦しめる結果と成ってしまう事が有る。それは、結果が美徳の思想に伴わない時であり、報われない時に得てして起こる。それを理不尽と言う。

美徳の思想には、諦めずに頑張れば報われる・・。正しい事は必ず勝利し良い結果が齎される・・。良い行いは報われる・・。懸命に尽くせば何れ分ってもらえる・・。などなど、世の中で良し・・とされる言葉で、考えれば直ぐ側に多々転がっている・・。

例えは、オリンピックに出場を夢見て目標と努力を重ね取り組んだ結果、敗退しオリンピックの夢が消えてしまった・・・。何回も挑戦しても及ばなかった・・。結果が報われない・・・そんな時、努力が足りない・・何か自分に足りないものが有ったからだ・・と自分を責め苦しむ・・。人生の敗北者としての影を背負い、生きるに自信が持てなく成ってしまう事も有る・・。

例えば、この不景気の中、懸命に働き会社と社員とその家族の為に必死で頑張った結果、倒産し多額の借金を背負う羽目と成ってしまった。諦めずに頑張った結果に齎された・・地獄がある。

早くに見切りを付けておいた方が楽だった・・・。頑張っても、どうにも成らなかった・・。結果、自分のやり方が悪い・・自分が至らなかった・・・と多くの負債と苦悩に喘ぎ・・また何処かで美徳の思想が頭をかすめる・・人に迷惑を掛けてはいけない・・と。こんな時こそ、家族は助け合う・・そんな美徳の言葉も空しく、家族からも責められ罵倒され気が付けば離散・・。

例えば、母子家庭で必死に子供の為にだけ生きて育て上げやっと一人前に成った子供達・・。迷惑に成っては成らないからとその後一人頑張ってみたもののついに病に倒れ働けなく成る・・仕方なく子供を頼りにするが、誰も見てくれない・・。頑張れば報われる・・。親の背中を見て子は育つ・・。そんな美徳の思想が空しくよぎる・・。何が悪かったのだろうか・・何処で子供の教育を間違えたのだろう・・と自分を責め続ける・・。生きる希望を無くす。

例えば、学校に通うのも勉強をする事もサボる事無くまじめにしなくてはいけない・・。そんな美徳の思想・・が有る故に、学校でいじめられ続けても懸命に学校に通う・・・結果、行き場を無くす・・心身共に疲れ果て自分に価値を見出せず・・・苦悩の末に人生に幕を引く・・。あわ良く命を繋いでもトラウマと成ったり人間不信社会不信に親子で陥る・・。親子で自分達を責めつづめる・・。自分達の何が悪いのか・・と。

例えば、懸命に生きてきたのに、災害に事故に突然遭遇し、尊い命を奪われたり住む土地も家も耕す土地も失ったり・・・と、人生のどん底を経験する・・。何の自分に責任が無い出来事の時にさえ、何でこんなめに自分が・・。どうして・・・?と自分を責める理由を探し求める・・。自分の今まで生きて来た事の中に何か悪い事をし罰が当たったのだろうか?それとも前世に何か悪い事をした為なのか・・?と頭を過ぎる・・。

例えは、懸命に生きてやっとここまで来たのに、もう先が無い・・。また、数年しか生きてないと言うのにもう終わりが来る・・。人生の途中半ばで・・自分の意志とは別に、命の終わりを迎える・・。幼い子供を残し旅立たなければ成らない・・。命の終わりに、もう愛しい子供に会えない、子供の先行きを心配し続ける・・が、どうにも成らない・・。

美徳の思想・・知らぬ間に生きる指針と成っているもの・・・。結果が伴わない・・それを理不尽と言い己を苦しめて止まない・・。信じて真面目に頑張って生きて来た人ほど苦悩する・・。生きる指針を見失う・・。頑張って・・・と言う言葉・・美徳の思想の言葉・・が重くのしかかる。

美徳の思想・・に叶った(理に適った)生き方をする者も確かにいる。それらの人々は、世の中の手本とされる・・。本人も美徳の思想を生きる自信・・指針とし続ける・・・。それ故に本なんかを出したりもする・・。

美徳の思想に行き着かない者は、そんな人の本を読んで、あ~やっぱり自分は駄目だ・・まだ至らないとまた、頑張ってみたりもする・・。

生きる上で、知らず知らず身についている美徳の思想・・生きる為の指針としているのは、幸せに成る為である。誰もが、幸せを目指しているからだ・・。

叶う者・叶わぬ者・・言い換えれば、勝利者と敗北者・・幸せ人と不幸せ人・・と言ったところだろう・・。そんな人生が合い重なって或いは、綱の様に捩れ絡み合い一本の綱の様な人生・社会でこの世は成り立っている。

美徳の思想・・に、そぐわないと自分に価値観を無くしたり、或いは心が歪んでしまったり落胆したり希望や目標を失ったり反発したりで、興してしまう犯罪や人生に幕を引く者もいる。

美徳の思想を持つが故に、己を苦しめる・・・故に、持たない方が楽だろう。頑張る事も、諦めない事も正しく生きる事からも逃げる・・・見てみない振りをする・・。避け通せれば楽かもしれない・・。

がしかし、たとえ敗北者で有ろうとも不幸人で有っても、美徳の思想を捨ててはならない。何が有っても、胸を張って生きて行こう。どんなに報われず理不尽の極みが有ったとしても、人生の最後まで生きて行こう・・。至福の時が場が待っているのだから・・。

 

結果は、この世では無く、死して尚も存在する愛して止まない心魂の行く先、黄泉の国に有るのだから・・。

 

何故なら、万物創造の神は、神をも造りし神(創造主)は、全ては相対性の原理に基づき成り立つ様に仕組んでいるからだ。

この世で報われない人・理不尽の極み・不幸な人・・それらの全の人はこの世では無く、黄泉の国で反転(相い反)する事と成るのだからだ。

相体性の原理は、物理や化学の上でも宇宙の生業でも全く持ってそうなのだから・・。

また、そうで有る事を、イエス・キリストが証明している。(本日・・後編に記載しています)・・・つづく

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スピリチュアル~☆~不思議な出来事・梅雨明けを知る時・・三島神社にて神様と会話・・

2012-07-09 21:38:00 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~不思議な出来事・・梅雨明けのを知る・・教えてくれる・・。

◎ 何時に成ったら梅雨は明けるのだろうか・・・?今日は、比較的に天気が安定をしている。洗濯物も何とか乾くだろう・・・・うっとおしい梅雨の時期には、梅雨明けの晴れ晴れとした空が待ちどうしい・・。

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近所の三島神社に買い物や散歩の際に、よく寄っている。今日も三島様にお参りをしてきた。

参拝が終わり、腰を下すのに丁度良い岩が有り、何時も参拝が終わるとそこへ腰を下す・・。

静かなはずの神社・・・が、やたらとうるさい事に気がついた。神社の直ぐ側の建物から何やら機械の動く音・・・。チョット不快に成ったもので、三島様に、「普通・・神社はもの静かなもの・・・。これでは、神様もうるさくて不快でしょう・・・お気の毒に・・・」と言うと・・・。

何の事は無い・・。あの建物からあの音がしなく成る時は、あそこで働く人達・その家族が仕事を失い路頭に迷う事である・・。道を走る車の音も子供達の声も活気が有って良ろしい・・。5時を過ぎれば、あの建物からも音はしなく成る・・。夜はもっと静かに成る・・静けさが宜しければ、夕刻か夜にでも来られるが良かろう・・」と申された。

つづいて・・・「耳を清まされよ・・。」と申された。

耳を清ましてみると、「ジージージー・・」と蝉の声らしい。もうそろそろ鳴いても良いだろうかな~と言った感じの遠慮がちで様子伺いのような、2匹ほどの蝉の泣き声だった・・。

あ~そうだった・・。」以前に神様から教わった事があった。

晴れたかと思ったら又雨・・と言った具合で梅雨明けを見極めるのは難しい・・。最近は、天気予報で知らされ分る事だけれども、自然の生業からも確実にそれは分る・・。

蝉が揃って泣き始めたら・・・梅雨明け・・」だと教えて貰った事が有った。

遠慮がちに鳴いていた2匹ほどの蝉・・・。あの建物の機械の音に負けないほどの蝉達の鳴き声が聞こえ始めたら・・・きっと梅雨明けになるんだろう。

これからは、暑くも成る事だし・・・三島様(神様)のおっしゃる通りに参拝は夕刻以降にしようと思う・・・。

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・・イエス・キリストを感じる・・

2012-07-08 13:56:04 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学びイエス・キリスト・・を感じて思う事・・

◎ 或る日の事、誰かのブログを拝見していたら、鳥肌が立って止まらなかく成った。ブログ・・・メール・・・・携帯・・インターネットなどの通信それとも電波と言うべきなのか、そう言った所からもちゃんと神・或いは仏の世界からの霊波的なものは届けられる・・。

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詳しい説明は省略をするとして、創造の神・・が造りし宇宙は、圧力・摩擦・熱・光・陰陽・プラス・マイナス・磁場・電波・・・などなど科学の世界と密着し存在している・・なので、霊波的なものが、電波に絡み及んでも然るべきであると感じる

宇宙・創造の神の話は難しいと言うよりも人間の知識能力を超越している為に説明し辛く思考の域を超えてしまい・・・書く側も多分、読む側も思考するのが嫌になるだろう・・・。幾ら天より教えてもらっても・・そうなのだから、思考するのがしんどくなる・・途中で止めてしまう。次の機会にと小出しの教えと成ってしまう。

なので・・・単に創造の神=愛である・・。宇宙=愛と超訳した方が分り易いし、そうなので在るから・・。

インターネット・携帯などで、神仏、或いは守護霊や先祖霊などスピリチュアル・・と言うろこの域・心魂に触れた時に、鳥肌が立つ場合が有る・・。

そんな関係で、知らない誰かのブログを見た時に鳥肌が立ってしまった。

これは一体何なのだろうか・・。聡明で真っ白く輝く今までに視た事も感じた事も無い、清く美しく繊細で愛おしくも有り・・余りにも清らかな言葉の表現に困ってしまうほどである。

こうも白く汚れの無い心魂・・・悪しきものに狙われる・・かもしれない・・。守って上げたい・・そんな衝動にかられた・・。世の中に、こんな心魂の持ち主が居たのか・・・とその時は思った・・。

それから暫くした或る日の事・・・あ!、あれは人では無い・・。と気付いた。ブログを書いた人に寄り添うイエス・キリストである事に気付いた・・。

道理で、心魂が真っ白・・・黒い部分(魔)が無い・・。人ならば、少なからず心魂に悪しき部分を持っている・・。真っ白な心魂のみを持ち合わせるのは神・・御仏の心魂に他ならない・・。

己の心魂が、もし真っ白に成れたならば、もはや人に生まれ変わる(輪廻)必要は無い・・。神の領域に入る事と成る。キリスト教で言う所のエデンの園・・永遠の命の領域である。仏教で言えば曼荼羅の世界なんだろう。そう言った神や御仏の領域を創造したのもまた神(創造主)である

遥か昔、原始時代に遡てみれば、人間が生きる、命を繋ぎ子孫の継続をするのみに生きていた時代・・食料の確保が何よりも大切だった時代・・生きる為の食料確保が覚束無い人間・・体力的にも弱く何時、狙われ襲われるか分らない人間・・そんな子孫の継続も危ぶまれる弱い人間の最大の知恵が蓄える・確保・保管で有った。

保するは欲するであり、人類が滅ぶ事無く継続が出来た要因でもある。がしかし、欲する・・が、過度の渇欲と成った時に、悪と苦悩が始まった。

生まれた悪・・・悪のエネルギーの集合体である悪魔或いは魔神・・・人の生み出した悪しきものである。それに対し、神(創造主)が造りし神とその領域が在る。

神(創造主)は、神をも造る・・。

悪しきものにより苦悩する人間に対し創造主が造りし神々は、救いを求め指し出された手(心魂)に、その手を添えてそっと繋いで下さる・・。しかし、その為には、己の心魂を清く白きものにしなければならない

悪しき心魂を持ったままに手を伸ばせば・・悪しき者・・悪魔・魔神が喜んで手を差出しニコリとそ手をすばやくサッと握り締める・。

悪魔・魔神の意とする所・目的は、破滅・滅亡・・破壊である。

悟りを求めし者は、欲・悪を財を捨て苦業の道に入り、白き心魂に成るべく努力をし神に手を伸ばす・・。その一人に釈迦が居た。彼は全てを捨て瞑想し白き心魂を得、悟りを開いた・・。

イエスは、恵まれた環境では無かったけれど、洗礼後は、少ないかもしれない全てを捨て神の教えを説いて廻った。

人は生まれた時は、白き心魂であるが生きるほどに悪しき心魂を宿してしまう。イエスは、まるで生まれた時の白き心魂そのままに大人に成長をしている・・。少年期から旧約聖書を学び・・疑問を持った時も有っただろう・・その度に真っ白き心魂が故に神の教えを直接に頂き学んでいった。

悟りを求めし者全てが、真っ白き心魂を宿しては居ない場合もある・・。悪しき心魂を持ち合わせていたならは、神の折角の正しき教えも歪めて受け取り解釈をする事もある・・。

また、神と思えば神に化けた魔神を己の悪しき心魂を持ち合わせるが故に崇め信じる場合も有る。悟りし者が説いた教えを誤って解釈し受け取り伝承をしている・・場合もある。

故に、自分と向き合い悪しき心魂を追い払い神に対し、救いの手をさし出す(向き合う)そうすれば、求める処に神の手は差し伸べられる。

継続は難しいが、一瞬一時的に白き心魂を宿す事は可能である。正しき神の教えを聞き正しい理解が可能になる。迷える時に選ぶべき道は難儀な方で有り楽な道を選ぶ事は往々にして無いものである。

本来の神の姿は無と言って良いだろう・・。それは神は愛であるからだ。愛は見えないものである・・。しかし、姿無きものに人は不安を感じる・・。故に、神は求める者により形・姿を変え現れる。呼び名も変わる・・姿は仮でしか他ならない。

宗教・・その集団に魔神も寄り添い鎮座する。人の集まる所には、お金と権威が付き物で、欲の渦巻く処と成りかねない。宗教が招く争い戦争や悲惨・理不尽も有る。神の居る処に対座して魔神が存在している。しかし、この魔神は神の領域には存在しない・・。人の居る低い位置に視え隠れして在る。

或る男の右手と左手が言い争う・・。

右手が・・「俺の方が優れている故に左手は不要である・・。」すると今度は左手が「俺の方が正しく役に立ち必要とされているのだから・・右手は必要ない・・・」と言う。

また、尻の右側が・・左の尻に向って「お前は汚い・・」と言うと今度は、左の尻が右側の尻に向って・・「お前の尻は醜い・・」と罵りあう・・。同じ一つの体で生じる・・そんな馬鹿げた出来事の様な事が宗教の世界に今も存在している。

或る悟りを求めし者の前に、神が手を差し伸べ申された・・。「私のみを信じなさい・・」と。それを受け取った悟りを求めし者は、大いなる勘違いをしてしまった・・。「そうか・・私の聞いた事のみが正しい神の教えなのだ」・・・と

しかし、真実は違う。く輝く心魂と黒い悪しき心魂を持ち合わせたその者(悟りを求めし者)に対し、両方の心魂を持ち合わせたが故に神と魔神の両方が手を指し述べた・・故に、「惑わされず私のみを信じなさい」・・と申されたに過ぎない・・。

つづく・・・・。

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・愛しさ故に心魂を一体化したがる・・

2012-07-06 01:13:59 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~確実に幸せに成る為の学び・愛しさ故に人は心魂を一体化したがる。。

 愛して止まない・・・人・・それが、彼氏・彼女だったり夫・妻だったり子供だったり・・・と愛する対象者が自分の周りには居る・・。けれど、その人達との関わりでは、愛しさ故に腹を立てたり悩んだり不安に成ったりと・・・苦悩は尽きず心は休まらない・・。

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どうしてもっとちゃんとしてくれないのか・・・こんなにあなたの為に尽くしているのに分ってくれないのか、協力してくれないのか・・と、不平不満が増幅してくる。

あれほどまでに幸せを感じ先には夢や希望や目標・・・・幸せは続く・・いやもっと幸せに成る・・・と疑う事なんてなかったのに・・・それなのに気が付けば、すれ違いばかりで、話をすれば喧嘩に成りおさまらない・・。気が付けば・・相手の嫌な所ばかりが目に付く様に成る・・。恋人同士なら別れるだろうし、結婚していれば我慢をするか諦めるか・・・思い切って別れるか・・。

仲良く末永く一緒に暮らして行くのはなかなか難しい。

大きなお腹を抱え、生まれる日を楽しみに赤ちゃん用品を買い揃え、可愛い名前も考えたりする・・。生まれる子供に色々と思いを巡らしたりもするが結局のところ、元気で生まれてくれる事を願う結論と成る。

痛い思い・・辛い思いをし、やっと生まれた赤ちゃん・・・、両親は、元気で生まれてくれて良かった・と只々感謝をし喜ぶ。そして、只々愛しく思う。

それがいつの頃からか、気が付けば、あなたの将来の為だからと言っても言わずとも・・・勉強を或いは習い事を色んな事を強要している。

そうやって、子供は、大人から両親から、社会の世の中の価値観の道・・・レールに乗せたられる・。そんな親の期待に答える事が理屈抜きで良い事だと・・子供は期待に答えようと頑張る・・。

しかし、この道・・・このレールは、やたらと狭い・・よって皆が通れない、振り落とされてしまう・・。何も考えず期待をされるがままに歩んで来た道・・・が、自分がその道から落ちてしまうと、もはや自分の道は消えて無くなってしまう。どの段階で、どの年齢で振り落とされる事に成るのだろうか・・。

振り落とされると自分の存在や価値は無くなってしまう。悩む。。。どう生きて良いのか分らない・・まだ若いと言うのに先行きに希望が持てなくなる・・。

運よく社会や世の中の価値観の道・レールを歩き続け親の期待に答えたとして・・・親は気が付けば取り残され、一人ぼっちに成っている事に気が付く。あんなに頑張って子供に尽くしたのに・・・と落胆する。

途中、道・レールから落っこちた子供の苦悩・・・親は泣かされ苦悩する事と成る。親子共に不幸に成る・・。

愛しい・・・はずの人・・・幸せに一緒に成るはずが、苦悩と不幸を招き心通わず絆が途切れてしまう・・。どうしてこう成ったのかも分らない・・。

愛しさ故に、人は心魂を一体化したがる成りたがる。相手の心魂に入りたがる・・・或いは、取り込みたく成る・・。何れも入り込み対等には居られない・・上に成ろうとする従わせようとする・言い換えれば思う様にしたがる・。しかし、人間として生まれた限りは、決して誰とも心魂は一体にはなれない・・。

思うように成らないから、腹が立つ・・苦悩する・・。

愛しさ故におこる人間の欲望・・・渇欲(権威欲)で有る。理屈では分っているのだろうが、実際の行動は、そう言った欲が渦巻いている。

故に、あ~して欲しい・・こ~して欲しい・・・もっと頑張って欲しい・・・欲しい欲しいの渇欲が溢れ生まれてくる・・。

渇欲からは悪が生まれる・・・そして、苦悩し心は休まらない・・。

彼氏を彼女を結婚相手を選ぶ時・・・誰もが優しい人がいい・・と言う。けれど、それ事態が求める・・・欲する・・事に成る。最初の出だしからそうならば、自分の夢描く結婚生活・家庭は渇欲に溢れた夢や目標希望に成ってしまう・・故に、幸せは直ぐに消えてしまう。

愛しさ故に人は心魂を一体化させたがる・・。が、心魂は、決して一体には成れない・・。そう肝に銘じ、愛かそれとも渇欲か・・?を日々、己に問いかけ確かめ、愛しい人達と関わって行かなくては成らない。

出発点で、分度器が、わずが0・01度ずれてしまっていたら、まっすく引いたつもりでも、線のその先は進むほどに大きくずれてしまう・・。一緒に関わり愛しい人と歩む道も、ちょっとずれればその先は、大きく違ってしまう。故に、日々、己に問いかけ確認する必要が有る・・。愛か・・・それとも渇欲か・・・?

間違っていたら軌道修正すればいい・・。しないまま歩んで行くと・・あれ!こんなはずじゃなかった・のに・・と成ってしまう。

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・瞑想の意味

2012-07-04 06:13:22 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアル~★~釈迦の教え・・・渇愛(渇欲)根っこを掘り崩す

◎ 渇愛(さみしさ)の荒れ狂った川の流れは、癌があっちこっちに転移するのにも似て、あっちこっちに流れては転移する。

満たしたと思えば直ぐに足りなく成る。その渇愛(たりなさ)をごまかしたくて「あれが欲しい・・」「もっとかっこいい仕事がしたい・・・」「みんなにもっと尊敬してほしい・・・」と、我侭と言う名の植物がどんどん茂っては君を苦しめる。それらの植物が生えた事に君がハッと気付けるならば、智慧のスコップでその植物の根っこを掘り崩す様に・・・。

超訳・・・ブッダの言葉より・・・法句経340

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渇愛を・・・さみしさ・・・たりなさ・・欠乏感・・など、言葉の表現は色々と変わっては居るが、全ては欲・・を意味するもので、渇欲の事である

釈迦の説法を一言で超訳するならば五欲(食欲・色欲・物欲・権威欲・生命欲)の事を示し、それらにより悪が生まれる・・。その悪が己を苦しめる。故に本当の幸せは、心魂の安らぎに有るのだから、欲を捨て空(から)になりなさい・・。そうすれば、苦の基、悪が無くなるのだから、苦しみは無くなる。そして、その為には、しっかりと己と向き合う事が大切である故に、その方法として瞑想をしなさい・・。そう説かれている。

瞑想は・・・一般には、何も考えずぼ~とする事の様に思われているが、そうでは無い。正しい御仏の教えを知った上で、己と向き合い思考し苦しみも伴うが悟ったその先に空と成れる・・・と言う意味である。

空に成る瞑想に至るまでには結構な努力を要する・・。空に成る為の教え・・・それが、経典で有り釈迦の説法である。

正しい教えを学んでこその瞑想である。

修行層達の瞑想は確実に効果が有る・・それは、ちゃんと学んでいるからである。

瞑想をし空と成る事・・・それは、創造主(神)が造った本来の人間の姿である。

釈迦の教えが「辛い・・・苦しい・・・暗い・・愛を語った方が綺麗で楽で有る・・。」と釈迦に文句を言うと「器の中の水の底に泥(悪心・悪魂)が静かに沈んでいる。そこに清き水(愛・慈悲・善)を幾ら注ぎ込んでも泥は舞い上がり水を濁すばかりである。泥を除いてこそ清き水を注ぐ意味がある・・」とおっしゃった・・。

人の心・魂には善(愛)と悪が存在する。人によってその割合は異なるのだろうが、本来は、創造主の造りたもう心魂は、愛そのもである・・。ひとの心魂は本来は真っ白く輝くものである。

釈迦は、本来の人間に立ち返る事に重きを置き、清き水(愛)を注ぐ必要を説いている。釈迦の言う・・空とは何も無くなる・・を意味するものでは無く、悪(黒)を除き真っ白な愛(善)のみの心魂を目指すものである。

欲は、人間が生み出したものである。欲から悪が生まれる。悪の集合体が悪魔・・魔神で有り、それは人間の悪しき心魂が生み出したものである

欲と悪によって人は苦を背負っている。欲・悪・苦を背負う心魂がどうして幸せになれようか・・。

5欲によって生み出された悪・・・を五悪と言いい、五悪は、嫉妬(妬み)・恨み・怒り・嘆き悲しみ・殺意・・・を指す・・。これによって人は苦しみ不幸は生み出されていく。

瞑想し、心魂を善(愛)に導きた時に、神や御仏の姿や声を心魂で聞き見る事が可能に成る。己の進むべき正しい道を知る事が出来る。

生きるに当たっては、不意の理不尽な出来事に遭遇する事も有る・・。嫌な事や腹の立つ事も有るだろうが、瞑想はそう言った場合でも、冷静で動じない言い換えれば不動の強い自分を造り出してくれる。対処も出来る・・故に、前に正しく己のみの価値有る道を歩む事が出来る。

正しい教えを知らず、野望を増幅させ渇欲に落ち瞑想をする者は、神・御仏と思いきや悪魔(魔神)を呼び寄せる。思う様に一時的には栄えても何れは滅ぶ事と必ず成る。

間違った瞑想・・己と向き合う・・・そうならない様に、正しい教えを学ぶ必要が有る。

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もう、生まれ変わらない・・・(ブッダの言葉より)

人生の黒幕よ・・。

お前の正体は「欲しい欲しい、足りない足りない・・・」と騒ぐ生存本能なのだと私は見破った。お前が生まれ変わりの建築材料に使う煩悩も無知も全て破壊し尽くした。私は次に死んだら、二度と生まれ変わらないだろう。

私の心は、生まれ変わりを続けさせる衝動(エネルギー)を離れて静まりかえり、生存本能を滅してブッダと成ったのだから・・。

黒幕・お前・・は、悪しき心、悪魔を指す。無知とは、人間の本質を知らない事を指す。生まれ変わりを続けるとは・・・輪廻転生を指す。衝動・エネルギーとは、欲望と悪を持つ心魂を指す。ブッダとは・・・悟りし者を指す。

釈迦は、心魂から悪しき部分の全てを消滅し、真っ白く輝く心魂のみと成った故に神の領域に入り、生まれ変わる(輪廻)事は無くなった。

白く輝く心魂は、愛そのものである・・。創造主の造りたもう本来のもの(姿)・・。故に神の領域に釈迦は鎮座している。その心魂(愛)は人に注がれている。

イエス・キリストも同様で有る・・。彼は、愛を器(心魂)に注ぎ続ける事に重きを置き、心魂を白く輝かせる事を目指した。彼の心魂は、確かに清く真っ白だった。故に、死後、神の領域に入った。

人が遥か昔の頃に、欲を持つ事と成り、渇欲を持ち悪を生み出す事と成り、心魂に悪を宿す事と成った時から神の領域には入れない事と成った。

アダムとイブの話の、エデンの園から追い出された・・とは、神の領域には入れなく成った事をいい、永遠の命が無くなった・・とは、神の領域には居られない・・悪しき心魂を宿した為に輪廻転生を繰り返す・・事を意味する。

生まれ変わる事を良しとし、長く生きる事を幸とする・・・そんな人間の思考とは裏腹な所に神の真実は有る。

また輪廻転生をし、多くを体感し己の心魂を磨き欲と悪と苦悩を抱え生きる・・・さ~この後、何回生まれ変われば、私達は真っ白に輝く心魂と成り、神の領域に入れるのだろうか・・?

あいつは要領が悪い・・正直者は馬鹿を見る・・・頑張っても報われない・・誰も認めてくれない・・苦しくて難儀ばかりだ・・・理不尽な出来事が・・・けれども・・そんな人ほど、神の領域は近く成る。

故に、悲観する事は無い・・。明るく生きれば良い・・。誰からも非難される事も結果も要とはしない・・。 

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スピリチュアル~☆~釈迦の教え・・・欠乏感の根っこを焼き払う・・

2012-07-03 00:15:01 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアル~★~釈迦の教え・欠乏感の根っこを焼き払う

 私は君にこの事を告げる。君が幸福で有る事が出来る様に・・。

「欲しいよ・・。足りないよ・・・。もっともっと・・・」と、君の中でうごめいてる欠乏感と言う植物の根っこを焼き払う事。ビーナラ草と言う植物の根っこから香料を抽出したい人が、ビーナラ草 の根っこを掘ろうとするが如く欠乏感(足りなさ)と言う名の呪われた根っこを掘り崩すといい。

苦しみの悪魔が、またもや君を捕らえて君の心を乱す事の無い様に・・。

超訳・・・ブッダの言葉より・・・法句経337

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足りなさと言う名の呪われた根っこ・・・を掘り崩すといい・・。と、言われても、では、どうすれば良いのだろうか・・・?戸惑ってしまう。そうは簡単には出来ないだろう・・。

それが出来るので有れば、人は輪廻転生する事は無くなる・・。釈迦が説法を説いた相手は弟子に対してであるから故に、君・・・弟子ならば可能だろうが、私達は凡人で有るから故に、また次に生まれ変わり色んな事を経験し、心魂を磨かなくては成らなくなるだろう。

自分の人生に置いて、幸や楽が多く存在する者は、心魂を磨く機会が少ない。多くの難儀・・困難・・・理不尽・苦悩・・と、誰もが有り難くも無い所にこそ、心魂を磨くチャンスが多くある。

そう言った中では、失敗も多々有るだろうし、死にたく成ってしまう事も、生きる生きている意味も分らなく成る時も有るかもしれない。

己を責めて責めて・・・苦悩し身も心魂の置き場もこの世に無い・・と感じる時も有ろう・・。多くの難儀・・苦難・・理不尽・・苦悩・・に満ち溢れた己の人生を人と比較し、世の中の皆が或いは周りの人達が幸せに見え憎く成る場合だってあるだろう・・。誰かの所為にしたくなってしまう事もあるだろう。

この世に生まれる事は、多くの経験をし己の心魂を磨く事に有る。心魂を磨く事は、苦悩をする事で甘くはない。しかし、もし、心魂を磨き切ったとするならば、もう、生まれ変わる事は無い・・。輪廻転生をしない。イエス・キリストや釈迦・・・などなど、神の領域に入ってしまう・・。

私達は、生まれ変わる事を良し・・とする。「もう、生まれ変わらないよ。」なんて言われたら・・・「え!、そんな~・・」と不満を抱くかもしれない・・。己の肉体ばかりか心魂さえも消えて無く成ってしまう・・と思うと不安になり納得が出来ないかもしれない。それだけ己の心魂は、例え肉体が滅んでも存在を要とする大切なものであり、愛して止まないものなのである。

心配は要らない・・。どんな場合も、己の愛して止まない心魂は、存在する。では、生まれ変わらない心魂はどう言うものなのか・・?それは、愛・・そのもの愛=心魂と言って良いほどのレベルで光り輝く存在と成り、その心魂は、人に対し向けられる愛・・・と成る。神の領域・・・である。もしかすると天使・・・に成れるのかもしれない。

もし、自分が目指す夢が叶わなくても、思う様に成らずとも、懸命に生きているのに楽な生活に恵まれなかったとしても、突発的におきた理不尽な災害や事故や病が有ったとしても、どんな苦しみの闇の中に居たとしても、何ら心配は要らない。

愚かな事を重ね苦悩のどん底にいたとしても何ら心配は無い。

己の愛して止まない心魂を磨く経験で有り、悟りを開く為のものだから。その為には、己から決して逃げない事、しっかりと己と向き合う事が大切で、そこには、必ず自分が必要とする神が御仏が鎮座している神仏の意とする価値がそこには有るのだから。

己と向き合う・・・それは、苦しさを伴う思考である。懺悔をする羽目とも成るかもしれない。が、その先には、心魂の安らぎと幸せが待っている

肉体の安らぎなら寝るに限る・・心魂の安らぎこそが何よりの幸せなのであるから・・。

その方法は、瞑想・・に尽きる。釈迦は、瞑想を勧めている。

 

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スピリチュアル~☆~釈迦の教え・求め無い(欲しない)欠乏間は転移する

2012-07-01 17:31:57 | スピリチュアルな出来事

スピリチュアル~★~ブッダ(釈迦)の教え・・欲しない(求めない

 欲する(求める)・・・欠乏感は転移する・・。

木をノコギリで切り倒しても、その根っこが強力ならば、再び、ニョキニョキと芽は生えてくる。

欠乏感はそれによく似ていて、君の心に巣食った欠乏感(飲んでも飲んでものどが渇く)があまりにも強力な呪いであるが故、一時的に落ち着いても根は生きているから、すぐにまたニョキニョキと芽を出し伸びてきて苦しく成り、足りなくなる。

例えば、「どうして今日は会えないの・・・」欠乏感(さみしさ)を、ぶつけたら、相手が会ってくれて落ち着いても、直ぐに「どうして私の話をちゃんと聞いてくれないの・・・」と言う具合に欠乏感の癌はひょいっと別のところにへ転移する・・。

ブッダの言葉より・・・

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尽きない欲望(渇欲)は、砂漠の砂に水を注ぐ様なもので、一時的に満たされても直ぐにまた欲望が湧き上がる。それは不満だったり怒りだったり不安だったりと己を苦しめ心が休まる事は無い

そうならない為には、自分の心魂をそう言ったところに置かないのが一番では有るが、足りるを知る事・・・感謝をする事・・・欲する(求める)・・・のでは無く与える事で欠乏感を和らげる事が出来る・・。

渇欲の行く末は・・・己の破滅・・である。

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・権威欲と生命欲・・

2012-06-30 21:28:32 | 確実に幸せに成る為の学び舎

 スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・・権威欲(権力欲)と生命欲

 五欲・・・それは、食欲・色欲(愛欲・性欲)・物欲(金銭欲)・権威・権力欲・生命欲に分かれるが、それら5つの欲は、大いに絡み合う紐の様なもので、絡んだ紐は寄り合わさり大きな一本の渇欲の綱と成っている。

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権威・権力欲は呼んで字の如くである。人の上に立ち、私はあなた達よりも賢い偉い優れた者で有るから崇め敬い従いなさい・・・と言う事で、心身を縛ると目されるが、それに留まらず心魂(心・魂)をも従えそうとする横暴きわまりない行為である。

以前に、書き記したけれど、神や御仏は、人と共に有り、共に繁栄し共に幸せを目指すもので、決して心魂を従わせる・・・などと言った事は無い。人(他人・・ここでは自分以外を指す)の心身や心・魂を占領し従わせる・・・そう言ったものは、悪・悪魔・魔神・おろち・・・言い方はそれぞれ違うが、悪しきものの仕業で有り意とする所である。

小さく言えば分って欲しい認めて欲しい・・・それらも、相手に認めさせようとする・・それすら権威欲に属する・・。

誰もが持っている・・・ささやかな欲とも言える。例えば、恋人に私の思いを分って欲しい・・友達に分って欲しい・・・親に分って欲しい・・私の仕事ぶりを分って認めて欲しい・・・。それらの事を指す。

分ってもらえない・・認めてもらえない・・・から、苦悩し腹が立つ・・トラブルが起きる・・。自己主張・・は、相手の心魂に入り込み相手の心魂を従わせようとする事で、決して叶わない事である。

生きる上では、双方の理解が必要では有るが、それが例え血が繋がろうが何だろうが、心魂はそれぞれ固有のもので、決して入り込めない領域で有る事を肝に銘じておかなければならない・・。入り込めなくとも当方の愛が有れば必要な理解は出来る・・互いに幸せを維持し合える。付かず離れずが丁度良い感覚だろう。

それを念頭に置いていれば、冷静に安穏としていられる。仕事を頑張っていて、認められようが認められまいが関係なしに人の喜ぶ姿や状態が良くなる(助けになる)事に喜びと幸せを感じる事が出来る。

大いなる権威・権力欲を持つものは、五欲の太い綱を持っている。欲深い所には、悪が生まれそして魔が存在する。様は悪魔・・魔神・・と言った存在で有る。そこには、心の平安は無い・・。

歴史は、人間が社会が歩んで来た過去で有る。過去を振り返る・・・それは、同じ過ちを繰り返さない為とこの先、より良い社会を築き上げる為の経験である。

歴史上の人物で誰が好きかと聞かれたら、上杉謙信・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康・・などの戦国時代の武将の名が良く上げられる。権力者達で有る。

が・・・。どうだろうか?誰もが、天下を自分のものとし思う様に采配を振るいたかった・・。その為に、どれだけの人々の血が流され、悲しみと生活苦で難儀をした家族の数を入れると相当の数の不幸を招いた事だろう。

彼らは言うだろう・・。そう言う世の中だから仕方が無い・・。自分が天下を取った暁には、世の中を平和に人々を幸せにする・・・その為ならば多くを犠牲とし自分は毒を食らってでものし上がる・・と。

毒の栄養で育ち立派な実を実らしても、そんな林檎は毒林檎にしか他ならず食べられない・・・。時間の問題で腐ってしまう。

権力欲者は、美味しい物を食し、多くの異性を侍らかせ人を思うように押さえ付け、溢れる物と立派な城を構え、己の永遠の繁栄と最終の願いは永遠の命を欲したがる・・。

時の最後を栄えた状態で終わっても、死後、天に上り色々と有って(省略)やがて、自分の子孫を見守る事と成る。得たものは失って行くのも相対性の法則であるから、必ず失ってしまう。失って行く滅び行く様子を、もの言えず不安と苦悩の中、心魂の安らぐ事無く死後も見守って行く。何と辛いことか・・・。

何も無いものは、幸いである。

遠くエジプトが栄えた時代、は死後も尚、蘇る永遠の命を願い財と一緒に葬られた・・・が、今は、みんなのさらし者で展示されている。権力者・・最終の欲は、生命欲・・それは叶わない欲である。

織田信長は、時の終わりに夢・幻と言い残し、歩んだ人生を失った。豊臣秀吉は、子供の行く末を暗示しながら亡くなりその後、子供の代に全てを焼かれ失った。徳川家康は、日光で今も江戸城に向って子孫繁栄を願って立ち続けているが、見つめる方向には皇居しか今は無い・。立ったままでは、心も休まる事は無かろう・・。権威欲・・・それは、必ず滅ぶものである。そして心安らかでは居られない・・・。

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スピリチュアルなお話~☆~霊視・・霊能力者Aの所に行く・・・

2012-06-29 23:45:36 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアルな出来事~★~霊能力者Aの所に出かける・・・

 今日、半年振りくらいになるだろうか・・・霊能者Aの所に出掛けた・・。彼女の家に出かける時は、電話連絡は必要が無い。

行かなくては・・・と言う時は、彼女が合いたがっている時か、そこに神仏の用事が有る時である。

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今日は、用事が有ったからでもあるが、元気でいるだろうか・・との様子伺いでも有った。

彼女は病弱である・・。が、今日は、顔色は相変わらずだったけれど調子はよさそうだった。

以前の話だけれど、様子を見に行った際に悪しき者が付いてた事が有り、悪しき者を追い払った事があった。その際、彼女は2日後に入院をする・・・と天より聞かされ、その様に成ったが、無事に帰る事は分っていた・・。

或る時は、寝場所を変えベットの上で動けなく成っているのを透視し、行ってみると、その通りに成っていた。何で?と思ったら、また事を起こし大損をしてしまう・・・・なので、大人しくしてもらう為に、両足に神の足かせが付けられていた。歩けなく成っていた。

天にお願いをし、足かせを取った・・。1週間後、彼女は歩ける様に成っていた。

そんなこんなで彼女の家に行く際は、神事をする羽目と成ってしまう。その度に、こうだから・・・と説明をしても・・・飄々としている。

さてさて、今日は何が有ったのかと言いますと・・・。

久ぶりに近況報告をし合い・・大方落ち着いた頃、彼女の話を聞きながら顔を見ると何やら老人が視えた。かなりの年齢である。しっかりと確かめてみたが間違いない・・。

それから、一時経って話も落ち着いたので、彼女に聞いてみた。「爺さんが重なって見えたんやけど・・・あれ、だれ?心当たり無い?」と、言ったとたん、その爺さんが私に憑依した。「○○○(彼女の名前)申し訳ない・・。許してくれ・・。」といい始めやたらとワビを入れ泣いている。

以後、私なりの説明をすると、かなり後悔をその爺さんはしていて、悪い事を彼女にしたらしい・・。その為、天に叱られ今後は、彼女を見守り役に立つ様に言われた・・。罪滅ぼし・・・と言った所だろう。彼女の健康を見守っているらしい。

それで、彼女が元気そうな意味が分った。

彼女に後で聞くと、その爺さんは、親戚の亡くなった爺さんで、亡くなったのは4年ほど前で、生きていたら、この春に100才を迎えるらしい。100歳を迎え天よりやっと許るされ天に上り、今は、天の指示で彼女を見守っているとの事。生前、彼女の継ぐべきお父さんの相続を全てその爺さんが自分の物とし、親の面倒はこちらで見たとの事。他にも色々と有ったらしい・・。

で、その事は、天の文(彼女は天より言葉を頂き、それを書降ろししている)に、その爺さんの事が書かれていたらしい・・。よって、今日の出来事も有ってしかるべき・・・ことだったらしい。

相変わらず飄々としていた。

彼女の元に行くと、魔神の退治をさせられたり、悪しき者を払ったり、足かせを外したり、ヒーリングをしたりと何かと神事をさせられる羽目となる。今日は、霊を降ろすイタコ・・・である。

色々な事をさせられる・・が、それだけ彼女は天に見守られているのだろう。私も、彼女には色々とお世話に成っているのだから・・・良しとしよう。

彼女の家に行くと何時も不思議な事に、何らかの食べ物が届けられる、行っている時に必ずである。

今日は、桃・柑橘類・水羊羹が届けられた。美味しく一緒に頂き、手土産も頂いた。

イタコ・・霊視

色々と神事・御仏事をするが、その中にイタコがある。

ある霊媒師が、イタコをしていた。その霊媒師は、本人(お客様)に霊を降ろす・・すると、その人は、ものを言い出すが、終わった頃には、涙と鼻水でグジュグジュに成っている・・・。上品な奥様も・・台無しである。

それを見た時に、私は、「あんな気の毒な事はしたくない・・。それならば自分に降りた方がましだが、鼻水はごめんだ・・」と言ってから、自分に降りる事と成った。鼻水は流さないが、今日は、ペコペコとその爺さんに成り代わって泣いて謝った・・。「何で私が・・」とも思ったが仕方あるまい・・。

霊が降りると、その心魂が良く読み取れる・・。が、何時もは霊と向き合って話を聞いている。

死を迎えた時には、大抵は天に先ずは上る・・が、登れなかったのはよっぽどだ。

死後、財を子孫に残しても、減って行く財を先祖として見守るしかない・・。渇欲の深い者ほど、ただ見守る・・・しかないのは、さぞ辛かろう。

生きている時に残す事は、正しい生き方、愛、有る生き方を残した方がよっぽど死後は安らげるだろう・・。

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スピリチュアル~☆~確実に幸せに成る為の学び・物欲・金銭欲・その空しさの・・例5

2012-06-27 19:36:17 | 確実に幸せに成る為の学び舎

 スピリチュアル・確実に幸せに成る為の学び~☆~物欲・金銭欲の・・その空しさ・・例5

◎ 90歳を過ぎて失意の揚句に、自殺をし亡くなってしまったお婆さん・・・の連れ合い・・・お爺さんは、その後どう成ったのだろうか?・・娘(長女)との関係は・・・・?

■輪廻・・・

90歳を過ぎ自殺をし亡くなってしまったお婆さんの連れ合い・・お爺さんは、半年を過ぎた頃には、老人向け病院の天国に一番近い最上階の個室に入院をしていた。確か、年齢は95歳を越えていたが、頭はしっかりとしていた。そこは、病院で一番、料金の高い広い個室部屋である。それでも充分に、お爺さんの年金で間に合う金額だった。

入院をするほんのちょっと前まで、お爺さんは呼び名は分らないが、三輪バイク・・と言うのだろうか、老人用バイクとでも言うのだろうか?そんな物に乗り出かける事も有ったらしい。粗相は良くしたもののトイレにも自分で行けたらしい。

お婆さんが無くなってからも、お爺さんが家事をする事は一切無く、毎日、お通いで長女がお爺さんの身の回りの世話をしていた。デイサービスも介護サービスも嫌いガンとして受け付けない為、長女は世話が大変だった様だ・・。あまりまめな方では無いから余計に負担を感じたのだろう。

少しは、お婆さんの苦労と心情を知る事と成ったのだろうか?

90才を過ぎても変わり無く家事とお爺さんの身の回りの世話をし、体力・心労の極限に至っていた事。自分の預金・株・土地など多くの資産を娘に託した意味を・・グループホームに入れられ自殺をした理由・・・を

娘に助けてほしかった・・・何とかして欲しかった・・・一緒に暮らしたかった・・・優しくして欲しかった・・。でも、空しく望みを絶たれてしまった・・。その為に預けた預金・資産だったのに・・グループホームに入れられてしっまた絶望と悲しみ・・空しさ・・。

全てをお爺さんの所為としていたが、娘には娘の役割が・・・自分にも責任が有った事に気が付いていただろうか?

おそらく・・それは無かっただろう。

お爺さんを病院へ入院させた後、彼女は、ほとんど毎日、お爺さんの所へ通っていた。頼まれた食べ物を買い届ける・・・それだけの事である。世話・・では無く見に行く・・と言ったところだろう。

その後、お爺さんの所有する預金・株・土地などの資産も彼女が預かる事と成ったらしい。

お爺さんの天国に一番近い病室は、とても見晴らしが良い。しかし、窓からは一番遠い場所にベットが置かれている為、窓の外の風景は歩かない限り、見えない。入院後、間も無くお爺さんは歩けなく成ってしまった。

病院は、患者が歩く事を好まなかった。頭がボケ・・歩かれると困るらしい。歩けるお年よりもその内、足が弱り歩けなくなる・・。歩いていると叱られる・・嫌われては困る・・・故に、歩かない・・・やがて歩けなく成る。

病院にとっては静かにベットで寝てもらい定期的にオムツの交換をする方が楽らしい・。汚れようがどうだろうが・・時間が来ないとオムツの交換はしてもらえない・・。

毎日、お通いでその病院へ行っていた彼女の話では、入院をしているお年寄りの見舞いに来る家族はほとんど無い・・あまり見かけない・・と言っていた。そこは爺婆捨て山・・である。そんな爺婆捨て山は、至る所に有る。

同様の病院の経営者を私は知っている・・。同様の病院で介護の仕事をしていた人も知っている・・。その2人から似たような話を聞いた事がある。

一度も見舞い来ない家族・・亡くなった事を知らせても来ない・・。仕方が無いので病院側が遺骨に成るまでの面倒を見る。葬儀らしいものが終り1週間以降から1ヶ月頃に家族がやってくる・・。

お世話に成ったお礼も底々に、預金通帳は如何なっているのか・・有るだろうか・・と聞かれるらしい。そんな話は珍しい事では無いらしい。入院患者(老人)の中には、そんな薄情な家族に失望し、残された預金を全額、寄付してしまう人も居るらしい。

自分は、そんな事には成らない・・・と思いたいだろうが、遅いか早いか・・・何れそうなる確立が高い・・。人生なんて・・あっと言う間に、幻の如く通り過ぎてしまう。

ほとんど毎日、お爺さんの病院へお通いの彼女・・1年も過ぎた頃の彼女の口癖は・・・・「何時に成ったら死ぬんやろう・・。」お爺さんの死を心待ちにしていた。私は、そんな彼女の言葉を嫌・・と言うほど聴かされた。

これでは、亡くなったお婆さんの心情も自殺の理由も理解は出来ないだろう。

輪廻・・、同じ事が何れ自分の身に降り掛かってくる・・。彼女も又、子がおり孫もいる立場で有る。

お婆さんから預かった資産の一部は、息子の立派な家となり豪華な新車へと姿を変えた。その家の一室は、自分達夫婦の部屋とされているらしいが、未だ一度も泊まった事が無く、この先もそれは変わらないだろう。

母子家庭の娘には、孫達の教育費を援助してやっているらしい。

そして、彼女の念願だった事は現実と成り・・数年後にお爺さんは、亡くなった。

そして、その後、彼女は病気に成り自宅で養生をしているらしいが状態は芳しく無いらしい。

その後の彼女は、知り得ない・・・。

今の世は、子供にとって、親は渇愛(求めても求めても満足しない)の対象でしかない現状社会と成ってしまった。渇愛の対象で有る限り、どれほどに無理を重ねて答えても尽くしても親の苦労の真意は分ってもらえない・・。渇愛を求められそれに答えられる間は、こちらを向いてもらえる・・が出来なく成ってしまった・・負担に成る・・・そう成れば相手にはされなく成る。

渇愛で繋がる・・ものを、絆・・・と勘違いをしては成らない。絆とは、与え与えられる愛の繋がりで有る。渇愛・・・そこには、絆の糸は無い・・。故に、結ぶ事は出来ない・・。親に対し絆の糸を持たない者は、親と同じ立場に自分が置かれても尚、親の真意を理解する事は無い・・。

理解をしてもらう事も、報われる事も無い・・。

彼女が特別、薄情な訳では無い・・。これが今の現状で有り社会である。

 赤信号・・・皆で渡れば、怖くない・・悪い事とは知りながら、皆がそうだから・・やっているから・・・と世の中の流れについつい乗ってしまう・・。同じだから何処かで安心をしてしまう・・・そしてやがて、それが世の中の常識に成り正義・・だったり正しい事に変わってしまう。そうやって、人・世の中・社会は狂い幸せが失われて行ってまう。

どの立場に自分が置かれているか・・・果して、自分は・・・自分の周りの絆は・・・と、考えてみる事は、この先の自分の幸せを考える・・・本当の大切なものを見極めるヒントと成るだろう。

戦後、高度成長期を向えその後、衰退の一途を辿っている現在。今後、更に衰退を辿る事と成る。良き時代は事が足りるが、これからの時代は多くの絆が結ばれて行かなくては生きる事も厳しく成って行くだろう。絆の衰退は、渇欲に溢れ間違った価値観の辿ってきた結果である。

知り合いの霊能者の所に、90歳を越えるお爺さんがある日、相談にやってきた。70歳を過ぎる息子が・・・年金を当てにし、未だにお金を毟んに来ると・・・。  

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