あんなのかぼちゃ

あんなぁ  なんえぇ  あんなのかぼちゃ

福岡の事件

2008年09月22日 | アーニーとモウトの絵日記
母親が逮捕された。
理由がなんであれ、あってはいけないことだ。
しかし、ニュースを見て、なぜか、私は、母親を理解できなくはない気持ちでいる自分に、気付いた。


子供が小さい時、夜泣きとか、反抗期とか、毎日毎日、どうしたらいいのかわからなくて、出口のないトンネルを歩いているような気分だった。
「虐待」とかって言葉が、使われ始めた頃。
「虐待」する人の気持ちが、解ると思った。
もしかして、私のやっていることも、「虐待」?と思った。
泣き止ませようと、背中をトントンする手に力がこもって、ビシバシたたいていた。
あたらないように気は付けていたが、お皿や、靴や、椅子まで投げた。
大きくなって、思春期の反抗期になったら、今度は、私のほうが暴力ふるわれるだろうと思っていた。


今になって、あのころ、なんとかやり過ごして、ここまで来られてよかったと思う。
今になって、子供を産んで育てて、という体験をさせてもらえて、ありがたいと思う。
今になって、子供とどっぷりの時間って、結構短い期間だったんだと分る。
でも、その時は分らない。
分らなくて、あたりまえ。


今も、あの頃の私のように、出口の見えないトンネルの中を、自分ひとりで、永遠に、歩かねばならないと感じている母親達が、きっと、たくさんいるのだろう。
私には、何かできないのだろうか。

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5 コメント

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私もそう思います (cattleya36)
2008-09-22 14:24:05
殺人という行為に行くまでに、誰かに相談できなかったのでしょうか?
なんとか気持ちをやり過ごすことはできなかったのでしょうか?
マスコミ等では母親が悪く言われる度に、止める事の出来なかった社会を残念に思います。
私もこれって虐待?って自問自答したことが何度もあります。でも周りの力を借りてなんとか育ててきました。
先に生きてきた人間として、先に子どもを育てた母として、私にもできることはないのかしら…

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私もほんまにそう思います (ふき・らう)
2008-09-23 18:26:59
 乳幼児期はほんまに出口のないトンネルやった、と出口を脱出して陽の当たるところに今いるからこそわかるもの。
 トンネルにいるときは、終わりが見えなくて光すら射さない。4月に生まれた我が子を6月に見に来てくれた友達が半そでのブラウスを着ているのをウールのセーターを着た私は呆然と見ていた。
 外になんて出られなかったもの。首も座らない、泣いたばかりいる我が子を連れて行けるところなんて知らなかった。
 夜中、寝なくて泣き叫ぶ我が子を放って、トイレにこもり「今、あの子で死んでも私、悲しくないかも」とボーっとした頭で思っていたことを今でも覚えている。
 今は、一緒に居たくても友達優先の中2の長女、お買い物大嫌いでスーパーすら一緒に行きたがらない小3の次女。
 子どもべったりの期間って短いんだァ・・・。

 辛くてたまらんかった時期、「私も辛い」と言ってくれる。言うことのできる仲間がいたことが救いだったような気がする。
 しんどい子育てを勇気付けてくれるのでなく、一緒にしんどさを共有できる友達ができたこと、その友達と「一緒に外に出よう! 大人の話をしよう!」と外に出るきっかけを持てたこと。
 私が子殺しをしなくてすんだ大きな理由かも。
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cattleya36さま ふき・らうさま (*つ*)
2008-09-24 10:35:31
事件について、詳しい事情はわかりません。
でも、トンネルの出口が見つからなくて苦しんでいる母親は、たくさん存在すると思います。
cattleya36さんにも、ふき・らうさんにも、私にも、心当たりがある感情は、きっと、ほとんどの母親が感じることなんだと思います。
個人の問題ではないと思います。

「よなき」とか、「はんこうき」とかの自作絵本を、ちまちま描きながら、もんもんとしています。
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Unknown (ももん)
2008-09-25 02:05:10
某所で見つけた*つ*さんの絵本、張り詰めていた気持ちを緩めてくれましたよ。
つらいときほど人から遠ざかりがちな私にとって、心の深いところへの関わりは、誰かに相談したりするよりも、そのような媒介があってこそのものです。

私も、しんどかった思いがあって、同じような誰かの役に立てば、という気持ちが今の活動の原動力です。

これからも、自分ができることを探し自分なりの形で続けていこうと思います。
そのように考えて、行動する人が増えていけば・・・
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ももんさん (*つ*)
2008-09-25 15:14:11
ありがとうございます。
ももんさんの言葉で、私も、自分なりの形で、いいのかなと、気付きました。
ちいさな、ちいさな、ちからだけれど。
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