こうま座通信

終わりのない文章

つばめ Mecanique

2023-04-04 | Weblog
いろんなニュースなど、はしごして見ていて、全然、思ったより平気、平気、などと思っていたら、予想外のところでスイッチが入った。

夜、キッチンで、「ナイツ」のラジオショーをradikoでかけながら、鯖の味噌煮を作っていた。
いつも通りの塙さんのオープニングのトーク。宮古島旅行に行った塙さんファミリー。そんなに集中して聴いていたわけではないけど、たぶん、宮古島の元・学校の先生か何かが、宮古語の保存にも関心を持っている方で、たまたま退屈していた塙さんの子供たちに向かって「桃太郎」を話してくれるんだけど、英語なのか宮古語なのかがわからない、そして下ネタなのか宮古語なのかがわからない、というマジメなのかふざけているのかわからないお話。そんな調子で、すっかり油断していたところに、全く変わらぬいつもと寸分違わぬトーンで、
「それではここで一曲、
 坂本龍一さんのね、お亡くなりになりましたけれども、
 大ファンだったんですけどね、大好きな曲を聞いてください、
 Ballet Mecanique」

その場で膝からくずれおちた。

塙さん
Ballet Mecanique
選びますか。

鯖の味噌煮の存在を忘れ、そのまましばし・・・。

余計なことを一切言わない、曲紹介。
おかげで味噌煮はいつにも増してこってりと美味しく仕上がった。

***
ここからは、余計なこと。
神宮が心配である。このままだと木が斬られてしまうという。坂本さんが最後に、かつて環境大臣を務めた女性に手紙を書いていたという。
神宮は、ほかならぬつば九郎さんのホームである。

「わあ、新しい高いビルが立つんだ!うれしい!」
と、つば九郎さんがいうとでも?
つば九郎さんがどんなにはらぐろうで知られる奔放な鳥であっても、さすがに大家の意向には逆らえないと思う。どんな時事ネタにも果敢に斬り込むけど、このことだけは・・・。かくして鳥の声は、誰に聞かれることなく・・・。

***
この女性のtwitterを初めて見てみた。たら、なんかもう、どれだけグリーンウォッシングなんだと・・・。まあ、グリーンウォッシングは自由だけど、それを見抜く力を持ちたいものです・・。

次の神宮の試合は、4月11日か・・・。試合前の練習で、つば九郎さんは教授にちなんだ選曲をしてくれそうな気がするけど、どうかな。まあ、練習前におごそかすぎるのはなんだから、君に、胸キュン。とか、コンピューターおばあちゃん、とか、Wonder trip loverとかなら・・・。そんな妄想確かめるためだけに、球場いきたくなってしまう・・・。ていうかいろんな配信サービスは、試合前から中継してほしい。これだけ野球が盛り上がってる千載一遇のとき。球場近くのイチョウ並木の美しさを中継してくれてもいい。


画像はJERAのホームページより https://jera.co.jp/cleague/

「感謝、感謝、感謝」

2021-11-28 | Weblog
久々に日本シリーズを最初から最後まで全部見ました・・・!
ノムさんいたらなんていうだろう、毎試合そんなことを考えながら・・・

オリックスとヤクルトといえば、1995年の日本シリーズ。
縁あって訪れたモンゴルはシャルガルジョートで、ガチ野球ファンの同行者が
短波ラジオか何かごつい特別な道具を持参していて、
試合を奇跡的に聞かせていただいたという思い出があります。
今はスマホひとつあればそんなこといとも簡単にできることなのでしょうが、
当時はまさに奇跡でした。
こんなに世の中がデジタル化されるまでに、
日本とシャルガルジョートが生中継で繋がったのは、
あの95年の日本シリーズの夜と、
いつかの朝青龍のサッカー騒動(シャルガルジョートは朝青龍が雲隠れしたと言われる首都からだいぶ離れた田舎・・・)だけでしょうから。

あれから幾星霜。
ヤクルトーオリックスというカードがあまりに感慨深く、思わず、
伝説の日本シリーズを描いた長谷川晶一『詰むや、詰まざるや』までも購入してしまいました。
私は1992年の第六戦、第七戦を神宮球場で、
1993年の第七戦を、西武球場で見ておりました。
青空に響き渡るドリマトーンの音を、今でもありありと思い浮かべることができます。
そして、本当にあまりに凄まじいシリーズで、自分は歴史の証人になった、と思えてしまうくらいの熱量でした。
あの歴史に残る試合を体感してしまったら・・・、
自分の中ではあれを超える日本シリーズにお目にかかることはないだろうと今でも思います。
でも今回のシリーズは、それに勝るとは言いませんが、それでも、あのシリーズを彷彿とさせるものがあり、最高に見応えがありました!

ヤクルト優勝のおかげで、またメディアで野村監督のいろいろな思い出が伺えたら嬉しいな・・・。
お別れ会は来月でしたね・・・本当だったら神宮に行きたいくらいです・・・。

そして来季は新庄ビッグボスも楽しみで、ノムさん教え子対決時代が続きます。
死せる野村監督、生ける日本の野球界を動かす。
野村監督の偉大さを改めて感じながらの日本シリーズでした。

『大豆田とわ子』最終回。

2021-06-15 | Weblog
あれこれドラマをみた今期でしたが、結局
「大豆田とわ子」が、ものの見事に全てを綺麗にかっさらっていったのでした。
「俺の家」ロスから、一気に「元夫」ロスへ・・・。

最終回、とわ子がお尻で踏んづけたシナモンロールを取り出して食べるとき、
これ、「かもめ食堂」の対偶世界なのでは・・・とも思った。
「かもめ食堂」は自分たちで粉からこねて焼いて、それも大好きだけど、
自分のお尻で潰した買ってきたシナモンロールを食べる大豆田とわ子の人生も本当に本当に素晴らしくて。どちらかというとこの先、自分でシナモンロールを焼く可能性はほぼゼロだが、お尻で潰したシナモンロールを食べる可能性は人生100年と考えたらわずかながらある気がする。

とわ子が転んでも何度でも起こしてくれた人たち。レジリエンスってそういうこと。
遠いフィンランドまで行かなくても、とわ子はそんな人たちに囲まれて、とっても豊かに暮らしている。
かもめ食堂の3人には、元夫はいなさそうだったけど(描かれていなかっただけ?)、その分、とわ子がまとめて引き受けた世界。
たくさんのろうそくの火に灯されて。
なんて素晴らしい最終回なんだ。

今、『100分で名著』で、華氏451度をやっている。
火炎放射器の火と、ろうそくの火は、火は火でも、全然違うという話。
そんなろうそくがたくさんともっている中、「パーティーの片付け」について語るシンシン。。。

うたちゃん、医者の妻になることを目指すのではなく、医者を目指すことになった。
つき子さんの人生も、なんと味わい深いのか・・・。
みんなそれぞれ大変だけど・・・

だいたい、田中さんは、「大豆田」って苗字になりたいとまで言っていた。世の男性は自分の苗字が変わることなんて考えたこともないという、(そして多くは苗字が変わらないことが当たり前で、男女問わず話し合うことすら思いつかないことも多い)この社会で。すごいドラマですよ・・・。

「一匹オオカミ」という書初めも良い。
タッチの主題歌も良い。
何もかもが良い。良すぎだ。

我ながら野暮だなと思いつつ「女社長、ドラマ」で検索すると、
連ドラで女性社長で主人公ってものはほとんど見当たらない。
タコ社長然り。(←社長のイメージが貧困)
やっぱり社長=男性・・・。
森発言から何から、このジェンダーギャップあり過ぎ社会で、
とわ子みたいな人が決して順風満帆ではないにしても、人生を思う存分謳歌する主人公として描かれる。
うたちゃんも紆余曲折ありながらもまっすぐ育っている。
「かもめ食堂」のようにフィンランドに行かずして、
代々木八幡あたりで好きな服を着て美味しいものを食べて素敵に楽しく暮らしている。

「社長が寿退社」というフレーズも笑った。なぜそこで私は笑うのだ。
「寿退社」というフレーズ、これどう翻訳しますかと思って
DeepL先生に聞いたら、resignation from a company on marriage
って「寿」感を出すつもりはさらさらなさそうだ。
このことばが隠蔽してきた構造的な問題を、笑いのなかで。

音、音楽がまたつくづくよかった。
とわ子がカレーの皿を指さすときの音とか芸が細かい・・・。
作曲家の方が、武満徹の名前を出しながら朝日新聞のインタビューに答えていて、
もうそれだけで、何か、こみ上げてくるものがあった。
このドラマに、武満徹もいるのだと・・・。

全てのものが贅沢で、料理も家具も洋服も、あまりにも素敵で、
國分巧一郎さんの
「デモクラティック・ラグジュアリー」の世界に迷い込んだようだ。
「われわれは常に、贅沢をさせろと要求しなければいけない」世界。
この程度で我慢しろ、ありがたくおもえ、感謝しろ、という恩着せがましいところは一切ない。1ミリも妥協しない。

そして前触れのなかったオダギリジョーにトドメを刺されるという贅沢の極み。
なんなら最終回、ワインのコルク4つになっていて欲しかったけど・・・。
「夢が叶いますね」、そこまでジョーに言われても靡かないとわ子の強靭な一匹オオカミぶりは驚嘆すべき。
そして、たった数回の登場で、視聴者を「小鳥遊ロス」に陥れる仕掛け、これもまた贅沢。

脚本、松さん、音楽・・・本当に何もかもが素敵すぎた。
豆・・・カラット・・・永遠・・・とわ子・・・
しばらく何度か見返したくなる気がします。

ドラマばかり見ています。

2021-05-13 | Weblog
『珈琲いかがでしょう』
だんだん面白くなってきています。
主人公の珈琲のお師匠は高架下の「ホームレス」の「ジジイ」でした。
なさそうでありそうでなさそうで・・・なお話です。

最近、爆笑問題の太田さんが、SDGsって環境だけじゃない、ジェンダーとか
色々あるんでしょ、というようなことをいいつつ、
あんなの無批判にやっちゃっていいのかね、
とポロっと言ってたのが印象的でしたが、

私にとってはこのドラマはなかなかにSDGs的なのではないかと思ってます。
マインドフルネスヤクザ?

そして、SDGsなんてやってること浅いんじゃないか・・・と思わせるのが
『今、ここにある危機と僕の好感度について』

第2回は教授が70年代風場末のスナックで歌う「TOKIO」とか、
情けない主人公の上に調子に乗って書いた自分のサイン色紙が降ってくるとか、
笑えながらも最後、みのりちゃんのお別れのシーンは切なかった。

声をあげても聞いてもらえない・・・そんな社会の縮図がぎゅっと
あの長距離バスのバス停のベンチに込められておりました。
主人公も相変わらず情けないし(←演技が素晴らしいということですね)
SNSとかがあっても、世の中変わらないのか、ちっとはマシなのか・・・

何より、日大文理学部のキャンパス。
どういうご縁で、このドラマに撮影協力することになったのか・・・。
例のアメフト「危機管理」問題があった頃、
文理学部の先生たちが、どんな思いだったのか・・・
撮影場所の協力だけでなく、何かストーリーに協力してるのではないかと、
思いたくなるほど。
ただの場所貸し、という撮影協力ではない。
このドラマの舞台にふさわしい磁場。

そして、第3回もすごかった。
みのりちゃんに対する、別れ際、
主人公の「女の人なのにこんなにすごい人いるなんて」的な褒め方!
(本人は褒めているつもり、めっちゃ善意、励ましてるつもり)
それに対するみのりちゃんの微妙な表情、という回想から始まり、

外国人特派員協会での記者会見で、しれーっと中身のない
会見を終わらそうとしていた総長の目覚めを引き出した質問者の質問に、
そして引用された
マーティン・ルーサー・キング牧師のことばに泣かされました。

外国人、女性、と言ったところから、ごく小さな変化を求める兆しが、
繰り返し、現れる。
本当に変わらねばいけないのは誰なのかという問いが。

女性をあげているつもりで落としている、
ジェンダーにまつわるあるあるな差別意識、
沈黙、権力の濫用、
このドラマには、重たい問いがこれでもかというほど全部詰まってる。
差別の問題なくして、あるいは権力の問題なくして、
サステナビリティなんてないはずで、
エコエコ連呼してガス抜きされたらたまらない。

多様性を寿ぐ?ためのイベントで独裁に手を貸すという皮肉に
室田教授が気づくという構図もまたパンチが効いていました。
何度も書きますが、室田教授も若かりし頃自分たちの解散をスポーツ新聞で知ったという
悲劇に遭っています。権力の持つ恐ろしさを体感していらっしゃる。

多様性礼賛とガス抜き、あるいは権力の結びつき、注意深く考えないといけない問題。

一方、まさかの『恋はDeepに』。
ストーリーの半分、恋愛パートは、
もう流石に、全く自分が視聴者として想定されていないのですが、それでも、
サステナビリティが気になってみています。
サステナビリティというマジックワードが大衆のアヘンというところも
ひょっとしたらスパイスとしては効いてくるのかもしれません。

が、しかし、どんなSDGs的高い志を持っていても、
(不正を告発した木嶋みのりは大学を去り、)
こちらは経歴詐称・・・?ファンタジーだとしてもいろいろ共感しづらいです・・・。

と、ここへきて今度は主人公の後見役の研究者がデータ改竄してた展開。
奇しくも、「今ここにある危機」ともシンクロ。
科学者の知見を無視し、人々の声を無視し、何度同じ過ちを繰り返そうとする、
この2021年に、一方でまた、研究者が権力に加担し、権力に都合よく使われるデータの改竄などしてきた・・・ああ、ラブコメじゃなかったら、NHKだったら、
などと思いながら見ています。

ドラマが始まる

2021-04-25 | Weblog
まだまだ引き続き「俺の家の話ロス」なのですが、それを埋めるべくあれこれドラマを見ています。
大豆田とわ子、コントがはじまる、珈琲いかがでしょう、恋はDeepに。
あと大河ドラマも・・・。

恋はDeepに。は徳尾さんの脚本ということで一番期待していたのですが、
今のところハマれてはいません。ただ、海の問題を扱うということ、
主人公が海の生き物と話ができるという構図は、モンゴル民話「石になったかりゅうど」
ですので、(そんなことを思いながら見るのは世界中に自分だけかなと孤独を感じながら)半分義務感で・・・。
ドラマの「リゾート開発」とか「御曹司」とかは手垢がついた感じですが、「リゾート開発」を「汚染水海洋放出」、に置き換えたら、コメディにはならない・・・
こういう構図を、「人新世」斎藤幸平さんだったらどんなふうに切ってくれるのでしょう。
以前、「この恋あたためますか。」でもSDGsが紹介されていたのですが、
テレビドラマにおけるSDGsの扱いもまた、斎藤さんのいう「大衆のアヘン」の片棒を
担いでいるのだったら・・・。そのうち戦隊モノにも出てくるかな。(もう出ているかもしれない。17色とかで)
私はドラマにはいろいろな可能性があると思うので、徳尾さんを信じてもう少し見続けたいと思います。。。

で、それを言ったら「珈琲いかがでしょう」の方が、実は環境とかSDGsなんて一切うたってはいないけど、裏SDGsのような気も。
まだ全部は見れていないのですが。

でもどちらにしても今期はそんなにどハマりできるドラマがないわ、
と思っていたら、なんと「今ここにある危機とぼくの好感度について」
がすごかった。。。もう身につまされまくりの痒いところに手が届きまくり。
松坂桃李さんが主演した映画『新聞記者』とこのドラマも、権力を描くところ、またそこに誰からともなく追従していく「空気」の問題を描くところで、深いところでつながっていると思います。
渡辺あやさんの脚本に、『あまちゃん』の訓覇圭さんがプロデューサーというところも期待大です。
『新聞記者』ほどには暗くないけれど切実で、明るいのに切なくて、ちゃんと
社会を描いてて、一番好きな感じ。
第一回はひとまず総長が良い人(「浮世離れ」)なのが救いでした。
本来は総長が「あの人は浮世離れしているから」っていう価値観がおかしいのにね。
空気を読まず、「浮世を離れる力」もやはり今の時代、大事なのかなと。
総長のリサーチマップ見たくなったよ・・・。
マイスター・エックハルトとか、アレントとか、研究してて欲しい!

ハライチ准教授のモデルは今をときめくあの人かな?とか想像したり。
岩井さんをキャスティングした人がグッジョブ。
男闘呼組も出てるし。ちなみ『新聞記者』でも高橋和也さんはキーパーソンでした。
(↑いつか来たるべき再結成の日まで生温かく見守ります・・)
古舘寛治さんのキャスティングも素敵です。

というわけで足元を見ずドラマばかり見て現実逃避しているブログがこちらでした。

『俺の家の話』最終回

2021-03-27 | Weblog
クドカンさんに畏敬の念すら覚える最終回。

前回を見たあと、ネット上で12月31日のホセとの試合に向かうという描き方が、寿一の死の前触れだと書き込まれているのを見た。ん?まさかね・・・と頭を掠めたりもした。ホセのくだりが二度あって、妙に印象付けられた。でも、主人公だよ、流石にそれはないでしょ、と。で、案の定ジュジュの介護と寿命に気を取られ、最終回の悲しみに気を取られ、長瀬くんの見納めというやるせなさに気を取られ、それでもホセとの試合でまた長瀬くんのプロレスシーン見れるなー、なんて呑気な期待もどこかで抱きつつ臨んだ最終回。。。

ジュジュ同様、寿一の死を受け入れられず、嘘、嘘、どこかでひっくり返って!!と思いながら見ていました。

しかし驚きながらも、どこかで、能という、死者が現れて生きていた頃のことを語るという芸能を扱う最終回としては、当然の、最高の展開、なんだよな・・・とも思いながら・・・。

そんな中でも、弔辞のパワーホール合唱など、笑わせつつも感慨深いシーンが盛りだくさん。
異能の人がこれだけ集い、虚と実がない混ぜになる、プロレス、能、芸能の世界、エンターテイメントの世界・・・

これまでだってクドカンさんにはちょくちょく脱帽させられてはきたけど、今回ばかりは脱帽の域を超え過ぎた。

そして、介護ができるって、改めてありがたいことなんだ、とも。
今回は、伝統芸能やショービジネスの世界が舞台で、あまりに特殊な世界なはずなのに、そこには普遍性があるから、見ている人はみんな自分ごとになってしまう。誰もがそれぞれの「俺の家の話」を生きていることに気づかされてしまう。

人間の命は本当に短い。
宇宙の時間から眺めたら、生きている状態こそ異常事態。
私たちは死が異常事態で、生が通常だと思い込みがちだけれど。
46億年の地球の時間に対してだけでも、人の一生の時間なんて塵芥みたいなものだ。でもその塵芥みたいな時間の中に、笑ったり泣いたり怒ったり悩んだりということがぎゅーっと詰まっている。塵芥みたいな時間の中で、必死に、もがいたりあがいたり、有頂天になったり凹んだり・・・ある意味滑稽な姿で右往左往してあくせく動き回っている。
そしてひとたび、その塵芥に強いエネルギーが加わり、ビッグバンが起こり、能のような芸能に昇華されれば、その塵芥みたいな、本来一瞬で消えるはずだった時間は、たびたび舞台に戻り、通常の人間の生にはなしえない形で引き伸ばされる。塵芥すらも、何百年という長寿を生きることになる。結果、これだけ多くの人を揺さぶることすらできる普遍性を纏う。芸能そのものがもつ命のビッグバンを仕掛け、奇跡みたいなドラマを作ったクドカンさん。なんだかプロセスワークみたいだ。長瀬くんと西田さんという二人の絡み合い(entanglment)よ。死後すらも続く、生も死も超える関係性。リングと舞台を、現世とあの世を重ね、終わることのない量子の絡み合いを描いた。たとえ目に見える地上から二人が去ったとしても、その絡み合いは永劫、続いていく。

共在、共苦、俺の家の話。 

2021-03-21 | Weblog
これは共在・共苦のドラマなんでしょうね、何か見ていて、本当に肩の荷が少し軽くなるようなありがたい心地ぞする・・・このドラマ見たって、別に誰の家の何の問題も何一つ解決しやしないのにね。
長州さんもO.S.Dもまだまだ足りない、できることなら大河ドラマくらい、いついつまでも見ていたい、0655みたいに、毎日でも見たい、なのに、もう最終回・・・。

9話では、「革命居士」の戒名に笑い、「離見の見」に唸らされ。
こんな強烈なことばたちがわずか1時間のドラマに奇跡的に同居する、どこにもないけどどこにもある、普遍的な俺の家。戒名で笑うとかずるいし。長州さんに何言わせてんだ・・・さすがハッシュドタグ。でも人間国宝であってもなくても、革命戦士であってもなくても、死が誰にでも平等に訪れるのは事実。

長州さんもO.S.D.も、もちろん西田敏行さんも、長瀬くんも、あの薄い方の旦那さえも、みんながみんな人生を全うしていて、なんて素敵なんだ・・・。長瀬くんが、能とプロレスに引き裂かれてる姿とか・・・
とにかくみんな素敵だけど、わけても一番かっこいいのはクドカンさんか。

ちょうど9話の放送の裏では草彅さんがスピーチを。
一人ひとりの人生がまっとうできるように、そのために映画があるんだ、というようなことをおっしゃられていて、表現はウェルビーイングに欠かせないのだといっているような気がしました。

表現とウェルビーイング、パフォーマンス、共在・共苦。
少し前に、クドカンさんがNHKで『わたしたちはガイジンじゃない』という愛知県の団地でのパフォーマンスも書いていた。イッセー尾形さんの一人芝居。日系ブラジル人の集住する団地で、日本人とブラジル人の共生?を問う一人芝居。
こちらもまた、根っこに共苦がある。

30年前。入管法の改正後。団地にブラジル人が一気に増える。
ゴミの分別をブラジル人に声を張り上げ説明する自治会の日本人男性。
「いい?日本人はね・・・!ゴミを、分別する、民族、なの・・・!!
ゲルマン 民族、モンゴル 民族、ブンベツ 民族!!」

リーマンショックの後。失業し、政府からの手切金とともに、使い捨てられ、帰国を余儀なくされる人、路頭に迷う人・・・。日本にもブラジルにも、居場所がないブラジル人・・・。自分たちは中途半端な存在なんだと・・・どこに行っても弱い立場なんだと実感する。
「ブラジル人でもない・・・
ニッポン人でもない、
・・・ブラポン人・・・?」

自分が工場で造っている電動自転車の電池。それが実際に、自転車に載せられて使われているのを初めてみたと感激するブラジル人の老人。
部品だけを作らされ、全体を知ることはかなわない。
彼らもまた、社会に部品みたいに扱われ、全体を受け入れてもらえない哀しみ。

「わたしもまた、ブラポン人とそう変わらない」
いつの間にかそんな風に見ている自分がいる。
これが、俺の国の話だ、と。

SFマガジン 4月号

2021-03-12 | Weblog
『SFマガジン』4月号に、佐治嘉隆さんの追悼記事が出ています。



世界の片隅に、そっと灯りをともすような、そしてその灯りは、ちょっと普通ではない灯りで・・・。
佐治さんのお仕事の一端を垣間見ることができます。

SFにはついぞ縁のない私ですが、藤子F先生の、「少し不思議」に、ピタリと測ったようにはまる、佐治さんの不思議な佇まい。

生意気なようですが、改めて佐治さんの作品、もう少し世間様に見ていただく機会があれば・・・と思います。



「潤沢」

2021-02-24 | Weblog
「俺の家の話」の第6話ゲストのムード歌謡グループの名前が「潤沢」という予告を見て、
すでに「潤沢」のファンになりかけると同時に、ますます斎藤幸平さんの「人新世の『資本論』」が売れてしまうのではと勝手に心配しています。

「人新世の『資本論』」の表紙には、こうあります。

「気候変動、コロナ禍・・・。文明崩壊の危機。
唯一の解決策は潤沢な脱成長経済だ。」

「潤沢」は崩壊しつつある「みんなの共有できる豊かさ」の象徴であり、
この本のキーワードの一つだと思います。

1月の「100分で名著」のテキストによれば
きれいな空気や水が潤沢にあること。
公園、図書館、公民館。
知識、文化、芸術、コミュニケーション能力や職人技。

「貨幣では必ずしも計測できないけれども、一人ひとりが豊かに生きるために
必要なものがリッチな状態、それが社会の「富」なのです。」

ところが
それが、資本主義社会では、次々と商品に姿を変えていく。
そして、人間は資本主義経済という自動装置の歯車となっていく。

とあります。

ひょっとして、そんな自動装置の歯車にスリーパーホールドをかけるべく登場したのが、
スーパー世阿弥マシン、なのでしょうか。
(スーパー世阿弥マシンの試合、普通に見に行きたい。
プロレスのシーン、もっと増やして欲しい。)

資本主義経済以前から連綿と続く、
色々なものが「潤沢」にあった、「コモン」であった時代の象徴としての、能。

きれいな水や空気、、、ちょっとした集まりやイベント、、、
ほんの少し前まで当たり前だったことが、
当たり前でなくなること。
パンデミックも気候変動も、犯人は資本主義・・・の自動装置となっている
歯車たちならば、

「俺の家」の話は、ひょっとして、地球という、ヒトの、ゆいいつの家の話にも、
つながっているのかも・・・。

『俺の家の話』

2021-01-31 | Weblog
真面目な話、ロバート秋山さんが出るというので気になって見始めたのですが、名作の予感。

介護と子育てと仕事と・・・どれも濃淡はあれど、板挟みになってる人たちがたくさんいる中で、身につまされる人は多いはず・・・。

主人公は能の人間国宝の後継に生まれてプロレスラーとか、あまりに特殊でありえない設定でそこだけ聞いたら全く感情移入できないはずなのに、全然「俺の家の話」ではなくて、全てがジブンゴトになるというこのギャップ。

長州さんが出てくるのも初回だけかと思ったら2回目も・・・?
頼むから毎回出てきて欲しいです。
長州さん大好きです。(幼い頃、パワーホールが毎週楽しみで楽しみで・・・)

2話目ではフリースクールも出てきました。月謝5万円か・・・。フリースクール、近くにないんですよね・・・。つまりは自分で作るしかない。そんな気力も能力も時間もなく。

そして、書字障害と多動を持っている少年が、お能の練習では真剣というのが、クドカンの目線ですね。
学校教育の目的がもしも能の後継の育成であれば、この少年は誰にも負けない優秀な児童ですよ。
能の力=「能力」は高いわけだから・・・。

でも、学校の制度がそうなってない。そういう特殊な「能」力を図る尺度も発想も場もない。ないないづくしで、自分たちが使いやすい尺度だけで評価して、○いこどもを、□い学校に当てはめようとする・・・。
□に当てはまらないこどもを見つけて排除してスクリーニングして落ちこぼれを作るデザインになっちゃってる。それが学校教育の仕組みに埋め込まれちゃってる。
閉塞した学校を変えよう、平均的な人間、規格化されただけの工業製品を生み出すような学校教育は変革が必要だと、これだけSTEAMとかいわれているのに。

ひとりひとり、クセがあって当たり前で、そういうクセのある子が活躍できる場をデザインしたほうが、みんながハッピーなんじゃないかなあ、てなことを考えます。
能の力によって、この少年は学校ではなくて、社会に包摂されるのかな。学校が全てじゃないけど、学校にも包摂されてほしいような。

ロバート秋山さんとか長州さんとか、ふざけたドラマのフリして、めちゃめちゃあったかいドラマになりそうです。
お二人とも異能の人ですが、クドカンのドラマに出ることはご本人たちも想像はしていなかったのでは・・・
そう思うと、秋山さんと長州さんが出てるということ自体が、包摂とは何か、というメタメッセージなのかもしれません。

第二章 追憶の挽歌、を待ちながら

2021-01-30 | Weblog
ブログのテーマが支離滅裂で恐縮なのですが、
ひょっとして、男闘呼組の復活あるんじゃない、と思わずにいられない今日この頃について。
もしも、もしも、復活してくれたら、ここまで生きてきた苦労が報われる、そう思ってしまうくらい、嬉しいです。
もう、機は熟している・・・、ような気がします。

もし男闘呼組がたった1日でも奇跡的に復活してくれたら、それって凋落しつつあるジャニーズのイメージ回復にも一役買うことになりますわね。岡本くんがジャニーズに所属しつつ、事務所を去った人たちとの共演になるわけで。
ファンにとってもジャニーズにとってもwin-winというやつです。

男闘呼組の復活を後押ししたものがあるとすれば、一つはコロナですね。
巣ごもり生活で、ついつい往年の動画を見たり、『ロックよ静かに流れよ』とか見返したりして(飯島マネージャーさんのお名前を発見したりして)、というファンは少なくなかったでしょう。

そしてもう一つは、なんといっても2016年のSMAPの解散ではないでしょうか。あの理不尽な解散劇には、先輩がいた。男闘呼組は、自分たちの解散をスポーツ新聞で知ったそうだから。二十代でそんな理不尽な目に遭ったら・・・。何が何だかわからなかったと思います。そういう意味では、SMAPの人たちは40代で、それでも想像を絶するしんどさだったでしょうけど、でも、不幸中の幸いというか、20代よりはましだったのではと思います。そして、国民的な事件となったSMAPの解散騒動を見て、自分たちの解散と重なるところ、思うところは当然あったでしょう。それが皮肉にも、男闘呼組のメンバーをまた呼び寄せたのかもしれないとも、勝手に思ったり。4人なら、もうそんなことはいちいち、話すまでもないだろうと思ったり。中居くんが成田くんのライブに花を贈ったということが話題になっていましたが、もちろん単純に、お世話になった先輩ということもあるかもしれないけど、いろいろな意味が込められているのかなとか。

当時、ファンクラブに入っておりまして、武道館、東京ドーム、行きました。歌も演技もとにかくかっこよかったのですが、なんといってもラジオが最高に面白くて、カセットテープ(!)に深夜ラジオを録音して繰り返し聞いておりました。4人が本当に毎晩苦しくなるくらい笑わせてくれて。替え歌とかまだ耳に残ってる。学校行ったらまずは昨夜のラジオの話して。当時の私にとって、それまで三宅裕司さん以上にラジオで笑わせてくれる人はいなかったんだけど、私の中で初めて、三宅さんを超えた人たちでした笑。でも世の中的には、シャイで愛想のない人たちという印象だったかもしれません。歌番組とかでもあまり喋るイメージじゃなかったかも・・・。ラジオだけが素に近かったのかなとも。声は、嘘をつけないから。

ジャニーズのはぐれもの、自分たちは正統派じゃないから、っていうところがまた良くて。そういう売り方も、もはやジャニーズの売り方としては定番化しているかもしれないけど、80年代の終わりですから、もっとジャニーズは正統派だらけだったので、はすにかまえたような売り方は、実は新鮮だったんですね。そういう意味では、ドラマもやって歌もやって笑いも(ラジオで)とってたんだから、今のジャニーズに連綿と受け継がれているバトンを、確かに渡したわけですよね。

こうして書いているだけで、私の中ではもうほとんど復活したかのような扱いになっていますが・・・ファンの気持ちはもう、相当熟して、発酵してますからね・・・
ここまで待ったのですから、とことん待つだけです。

“The Great Game”

2021-01-13 | Weblog
Henning Haslund Christensenのお孫さん、映画プロデューサーのMichael Haslund Christensenの作品“The Great Game”(2018 Denmark)を見ました。

https://danishdox.com/en/thegreatgame

探検家として、モンゴル研究者として、何よりモンゴル音楽を記録した人として知られるHenning Haslund Christensen。彼の素晴らしく面白い旅行記がいくつか残されていますが、その実像はよくわからない。お孫さんも子供の頃に、一度も会ったことのない祖父が、二重スパイだったとか、スマグラーだったなどという噂を聞いていたそうなのですが、映画は、前半はその真相を探ろうとする物語。後半は認知症の傾向が出ているお父様と二人で、内モンゴルを旅するというドキュメンタリーです。お孫さん、といっても、もう50代くらいの方ですが。

Henning Haslund Christensenに魅せられて、デンマークまで旅したのがかれこれ20年以上前です。その頃は、そもそもHenning Haslund Christensenに、配偶者や子供がいたのかも、なんの情報もなかったので、この映画のおかげで、20年越しに情報が溢れてきて、感無量です。Haslundは、アフガニスタンで孤独に死んで、それだけ・・・?と思っていたので、せめて、お子さんたちがいたのは、よかった。

当時、国立博物館を訪ね、Haslundがモンゴルから持ち帰ったコレクションの一部を見ることができました。西欧列強が力任せに価値あるものを取り上げたのではなく、Haslundの場合はちょっと違った。しかも、ある面では、巨大な列強の争い=The Great Gameの中を翻弄された人たちから、託された面が強い。このままでは自分たちの民族は滅びる・・・だからHaslundに、デンマークに持ち帰って欲しいという切なる願い。どうもこの人は、他の人たちと違うのだとモンゴル人たちは判断したのです。そして今も、多くのモンゴルの人たちがHaslundに感謝している。とてもレアなケース。おかげでお孫さんはどうやらモンゴルの名誉領事のよう。
どうして他の列強の人々のように、強欲の方にいかずに、土地の人たちと慈愛の関係が築けたのか・・・。他の列強は武力では強かったでしょうが、本当の意味での「強さ」は、Haslundの方が優っていた。

その背景には音楽への愛、旅への憧れ、更にはデンマークに根付くグルントヴィの思想やフォルケホイスコーレの文化、アンデルセンを産んだ「物語り」を愛する土壌など、いろいろな要素があるのではと思っています。

この映画を見る前でしたが、デンマークに詳しい方にこんな質問をされたことがあります。
「オリンピックで活躍したデンマーク人って思い浮かびます?」
そういえば、同じ北欧でもスキーなんかでノルウェーやフィンランドの選手が思い浮かびますが、デンマーク人・・・いないこともないでしょうが、取り立ててオリンピックで活躍した人・・・ピンときません。
「思いつかないですよね。いないんですよ」

メダルを取るためにスポーツをするとか、ましてや国威発揚、国のために、国を背負って、メダルを取り、その数を競い合うとかいう思想自体が、「ない」みたいです。体育専門のフォルケホイスコーレにも、スポーツエリートではなくて、ごくごく普通の人が通うらしい。身体を動かすことが楽しいんであって、人と競い合うことが目的ではないということ。

オリンピックでメダルを取れなくて命を絶ってしまう選手とかもあり得ないし、
ふざけた話になりますけど、ロバートのコント「アスリートのためのCM教室」とかも成立しなくなるわけですね、きっと。(ちなみに近所のスーパーで、年がら年中、スポーツ選手のアナウンスがかかっているのだけど、絶対、ロバートの講義を受けたに違いないと思うと不思議に心が安らぎます)

デンマークの内閣には女性がたくさんいるけど、その中にオリンピック7大会出場、なんて人(現・我が国のオリパラ担当大臣・・・女性・・・)はいないのではないかと予想します・・。

話が逸れましたが、
それにしても、映画では、お父様より、お孫さんが、Haslundに本当にそっくり。
(やーーーぐアディルハン!!)
と思いながら映画を見ていると、
トルゴートのおばあさんが、お孫さんをつかまえて、
あんたはおじいさんそっくりだね。なんて言ってる。

トルゴートの末裔の方々が、いかにHaslundに感謝しているか。文化大革命で全てを焼き尽くされた人は、Haslundが撮った写真だけが家族を知る手がかり。この写真を撮った人は誰なんだろうと子どもの頃から思っていたと・・・。本人には会えなかったけど、お孫さんに会えたといって、涙ぐむ。

改めて、スウェン・ヘディンより、Haslundでしょ、と。ヘディンがいたからこそ、Haslundの旅も成立したので、もちろんヘディンは大事な人だし、すごい人でしょうけど、この映画を見ると、疑問符も浮かびます。
そして、なぜか日本の国語教科書がヘディンを偉人のように取り上げた過去もある。(私が中学生の頃、「さまよえる湖」という単元が、教科書にあり、すごく面白くて、ヘディンってすごい!!と無我夢中になって読みました。西アジアものが大好きでした・・・「法隆寺の謎」とかも最高にワクワクして読みました。ふと我に帰ると、はて、国語力とは。とは思いますが)
ヘディンはマンガ化までされとるというのにこの知名度の差。こういう人が有名になったら、世界中の博物館や美術館の立場がなくなるから、あえて無名の存在にされているんじゃ?!なんて勘繰ってしまいます。本当に、マンガ化したら面白いと思うわ、Haslundの旅は。。。。

お孫さんのMichael Haslund Christensenは、日本デンマーク合作映画Miss Osakaにもプロデューサーとして関わっていらっしゃいます。森山未來さん・南果穂さんご出演。こちらも、コロナで公開延期になっているようですが、国境の狭間のアイデンティティをめぐる映画のようで、Michaelの祖父の生き様がどこか投影されている気も。

というか、曽祖父は音楽家で、祖父は見えないもの・・・音楽を記録し、孫は映像を記録する、というのがまた、感慨深い。

Haslundの本を読み、1920年代、30年代のモンゴルを旅してから、この映画を見ると、また格別ではないかなと思います。先にこの映画を見る人は、、、、いるのかしら。
モンゴルを心から愛し、モンゴルに心から愛された人。
あんなふうにはとてもとても生きられないからこそ、憧れます。

(この記事では、デンマーク語の母音が16種類あるときいて、彼らの名前をカタカナにするのはちょっと慎重にならねばと、ローマ字で表記しました。)

追悼 佐治嘉隆さん

2021-01-11 | Weblog
佐治嘉隆さんが亡くなられました。

2005年頃だったか、野口体操の教室に通うことを決めたとき、河井英里さんから、「佐治さんって方がいらしてね〜」とその存在を耳にしたのが全ての始まりでした。
そのときの英里さんの話し方。
佐治さんの素晴らしさを伝えようとするんだけれども、それはどうしてもことばでは伝えられない、なんとも言えない、いい方なの・・・どうしたら伝わるかな、でも説明できないのよ〜・・・というもどかしさもひっくるめて、英里さん、何を伝えたいのかな〜とぼんやりと、話を聞いてたのですが、それが妙に今も印象に残っています。

教室の曜日が違ったので、佐治さんご本人にはなかなかお会いできず、でした。
とはいえ、私も特に、気に留めていたわけではありません。
ですが実際に、何かの折に佐治さんにお会いして、なんだか英里さんが言ってたとおりの、というか、言おうとして言えなかったとおりの、
不思議にあたたかな、その存在感に、「その通りだった〜」・・・と英里さんに報告したら「でしょ〜〜!!」と英里さんがすごい笑顔で、喜んでくださっていたのを覚えています。

その後も、佐治さんとお会いするのは数年に一度という感じで、ひょっとしたら通算で10回も、お会いしていないかもしれません。
それでも、こんな素晴らしい写真を撮っていただきました。



  photo by Saji Yoshitaka, 池袋明日館にて

そして、『樹想ー芭璃夢幻譚』という、素晴らしい本を、作ってくださいました。

佐治さんが写真家の大辻清司さんの別荘の留守番中に、武満徹が訪ねてきたというエピソードから書いた小さな物語です。

佐治さんが気に入ってくれて、本にしましょうと言ってくださり。
最初の打ち合わせをしたのは、2008年だったのに、第2回打ち合わせがなんと2018年。ブランク10年。おい、、、!私よ・・・!!!

佐治さんの完璧かつ素早いお仕事で、完成は2019年。
それでも私のせいで、できあがるまで11年かかってしまいました。
ただの一度も催促もせず、辛抱強く待って、待って、待ち続けて下さいました。

野口三千三のことばをそのまま、生きられた。
任せて、待って。信じてくださった。

10年ぶり二度目の打ち合わせは、2018年9月。下高井戸の、日大近くのカフェでした。
私が行こうと思っていたお店がやっていなくて、ふらっと通りかかって入ったお店です。
たまたまそこにいろいろな画集が置いてあって、美術の話になり、娘さんが高校で美術を教えていらっしゃると伺いました。
その高校がうちの父のかつての勤務先だったので、まあそんなこともあるかもしれないけど、不思議な偶然、と驚きました。

最後にお会いしたのは、2019年。完成本を挟んでのお祝い?でした。
せっかくだから、野口体操に参加したいと、私が土曜の午後、新宿駅の喫茶店ニナスを指定しました。
しばらくお話ししていると、佐治さんがここの店って、昔、コロンバンでしたよね、とちょっと不思議そうにおっしゃる。
確かそうだったと思います、と答えると、聞けば、佐治さんが、生まれて初めてバリに行くきっかけを最初に作った男性と、30年位前に(?)最初に出会った場所が、ほかならぬこの喫茶店(同じ場所にあった、元コロンバン)だということを、話しながら思い出してきた、とおっしゃる。

佐治さん、お会いするたびに不思議な話をたくさんしてくださいました。

昨年いただいたメールが、本当に最後のメールになってしまいました。
このブログも見守って、読んでくださっていたようです。

***
1/15の「Night Fishing Radio」を読ませて頂きました。
そのなかに宮川彬良さんのことが書かれてました。
私も二回ほどですが彼の主催するコンサートに出かけたことがあります。
お父さん譲りの軽妙なMCで楽しませてもらいました。
この宮川彬良さん、妻が最初に赴任した都内の小学校での教え子です。
そして何と言うことでしょう、彼は藝大で野口先生の授業を受けられていました!
かってご自身のブログの中や、コンサートの合間のお話しで、
「『自分』とは自然の分身なのです」と語っています。
(一つ見つけました:https://ameblo.jp/sakomakoharu/entry-11770230998.html )
それを聞いて、私が撮影した野口体操の本を何冊かお送りし喜ばれました。

***
それに対する私の返信。

私、なぜかこの方(宮川氏)が好きで、マツケンサンバが大ヒットした頃、河井英里さんと、この方の話で盛り上がった記憶があります。
マツケンサンバは、その衣装から、まるで色物のように扱われがちだけど、
何度聞いても飽きない、それは、どこか悲しげな、哀愁が
ちゃんと曲に仕込まれているからで、、、。というようなことを、
音楽のプロの英里さんに向かって、熱弁していた気がします。

***
英里さんから佐治さんのことを初めて知り、自分の佐治さんへの最後のメールに、英里さんのこと書いてる。

佐治さんと英里さん、こんなに早く、お二人が再会されるとは、夢にも思わなかった。
英里さんも音楽のシャーマン・・・自然の分身、という感じ、あったけど、
佐治さんも写真のシャーマン、自然の分身、という感じだったように、私には思えます。
不思議なお話を、だからなんだというわけでもなくて、ただただ、偶然ですね、という話を、
お二人はいつも私に聞かせてくれました。

佐治嘉隆さんのご冥福を心より祈ります。

芭璃庵

『ミッドナイトスワン』

2020-10-10 | Weblog
映画『ミッドナイトスワン』を見てきました。草彅さんの演技が見たくて、久しぶりの映画館でした。
自分は涙もろいほうだと思いますが、特に涙がこぼれるということはなかったです。でもいい映画でした。

泣くかどうかでいえば、子供の頃に映画館で見た『E.T.』は単にハラハラドキドキしたような記憶しかなかったのに、金ローで数十年ぶりに見たら完全に移民難民の話に見えてしまって、最後の自転車のシーンでボロボロ泣いてしまいました。少数派も多数派も、みんなで一緒に空を翔べたらいいのに・・・ジョン・ウィリアムズ先生の音楽からもそんな想いを勝手に重ねてしまい・・・。数十年ぶりに伏線が回収された想いです。

でも、『ミッドナイトスワン』も『E.T.』も少数派の生きづらさ、という点では一緒かもしれません。ことばだけではない、ことばを超えた共鳴、共在感。周囲の見当違いな対応、差別的な反応・・・、そして、たとえお互い、遠いところにいたとしても、というところ。

ところで『ミッドナイトスワン』では主人公・凪沙が広島出身ということで、広島弁が結構重要な役割を果たしています。家族との電話では広島弁だったりします。ある日授業で、比嘉光龍さんの『ピリンパランかたやびら』の動画を見せたりしていたところ、学生の一人が、「広島弁を話さない男性を女々しく感じてしまうのだけど、これも差別になるのかな」というコメントをくれて、「ああ、そうか、凪沙も、広島弁が苦しかったのかな」と、腑に落ちるものがありました。土着のものを脱ぎ捨てたくなる、そういう葛藤の一つの現れかと。で、また次の授業でこのことを話したら、別の学生から、「初めて広島弁を聞いたときは、男女関係なく、『おじいさん』みたいだな、と感じた、と。これも差別になるのか、心配です」と。
このコメントを聞いたとき、自分が初めて聞いた広島弁は、多分カープの達川さんだろうなと思い至りました。で、実際の達川さんの年齢よりも、かなり年齢層を勝手に決めつけていたような気がするんです、その話し方の印象で・・・。
一方で「方言女子はかわいい」みたいなコメントもあり。「方言女子はかわいい」みたいなところで、主人公は折り合うわけにもいかず。ジェンダー、年齢層、アイデンティティと方言・・・その辺りも考えることのできそうな映画でした。

ナギサさん

2020-08-26 | Weblog
最高に盛り上がったところで非情過ぎる最終回のアナウンス。
ここからが第二部でしょうが・・・!
新章でしょうが・・・!
生活の始まりでしょうが・・・!!
帰ってきたナギサさん、どうかUSO800を飲んでください・・・。

田所さんも本当に応援したくなるし、
なんなら肥後先生も応援してもいい、、、(←存在感をあえて消し去る演技、すごくないですか?!)
それになにより、
ナギサさんにケアされるメイちゃんをいついつまでも
見ていたいのだ。

ナギサさんのいない生活を想像して混乱するメイ。
それはメイだけの問題じゃない。
多くの視聴者は、もはやナギサさんのいない生活が想像できなくなっている。
ナギサさんはインフラ・・・社会資本・・・

お前求め彷徨う心今〜
歌ったって、ナギサロスは癒せない・・・
いつかケンシロウの破けたシャツの向こうから
番組タイトルが出てくることを期待しているというのに。

8話も素晴らしかった。
ナギサさんの背中、一喜一憂する表情、全て一片の曇りなくパーフェクト!

あいみょんの歌は毎回目頭に来るし、
一週間のわずか1時間、逃避、いや浄化の時間だったのに・・・。

一話完結型だったらよかったのに。
シーズン2・・・。
ナギサさんがスーパー家政夫として、テレビに出演することになり、それを見た意外な人物から連絡が・・・とかさ(←昭和)。
ダメか。田所さんのセリフ「あなたは誰ですか」みたいな、視聴者が共犯者になれる最大のネタが・・・ないからな。
同じ、徳尾さんの脚本『恋と就活のダンパ』も事情があって20回くらい見ているのですが、レオンの正体がバレるまで/バレるところが楽しくてしょうがないのよね・・・。
レオンだけじゃなく人物全員が何か隠してたり煮詰まってることがさらけだされる、そこが良かった・・・しかも悪人の登場皆無!
そう考えるとシーズン2はやらないほうがいいってことに・・・?
いや待て、一話完結型で、ナギサさんがいろいろなご家庭に派遣されて、その家庭の問題と背後の社会問題をあぶり出しつつ、なぜかMRメイのアドバイスによって問題解決・・・(←守秘義務)
いや、だったら思い切ってメイがMRから家政婦に転職・・・(←シーズン1が台無し・・・)
悩ましい・・・。