こうま座通信

終わりのない文章

『俺の家の話』

2021-01-31 | Weblog
真面目な話、ロバート秋山さんが出るというので気になって見始めたのですが、名作の予感。

介護と子育てと仕事と・・・どれも濃淡はあれど、板挟みになってる人たちがたくさんいる中で、身につまされる人は多いはず・・・。

主人公は能の人間国宝の後継に生まれてプロレスラーとか、あまりに特殊でありえない設定でそこだけ聞いたら全く感情移入できないはずなのに、全然「俺の家の話」ではなくて、全てがジブンゴトになるというこのギャップ。

長州さんが出てくるのも初回だけかと思ったら2回目も・・・?
頼むから毎回出てきて欲しいです。
長州さん大好きです。(幼い頃、パワーホールが毎週楽しみで楽しみで・・・)

2話目ではフリースクールも出てきました。月謝5万円か・・・。フリースクール、近くにないんですよね・・・。つまりは自分で作るしかない。そんな気力も能力も時間もなく。

そして、書字障害と多動を持っている少年が、お能の練習では真剣というのが、クドカンの目線ですね。
学校教育の目的がもしも能の後継の育成であれば、この少年は誰にも負けない優秀な児童ですよ。
能の力=「能力」は高いわけだから・・・。

でも、学校の制度がそうなってない。そういう特殊な「能」力を図る尺度も発想も場もない。ないないづくしで、自分たちが使いやすい尺度だけで評価して、○いこどもを、□い学校に当てはめようとする・・・。
□に当てはまらないこどもを見つけて排除してスクリーニングして落ちこぼれを作るデザインになっちゃってる。それが学校教育の仕組みに埋め込まれちゃってる。
閉塞した学校を変えよう、平均的な人間、規格化されただけの工業製品を生み出すような学校教育は変革が必要だと、これだけSTEAMとかいわれているのに。

ひとりひとり、クセがあって当たり前で、そういうクセのある子が活躍できる場をデザインしたほうが、みんながハッピーなんじゃないかなあ、てなことを考えます。
能の力によって、この少年は学校ではなくて、社会に包摂されるのかな。学校が全てじゃないけど、学校にも包摂されてほしいような。

ロバート秋山さんとか長州さんとか、ふざけたドラマのフリして、めちゃめちゃあったかいドラマになりそうです。
お二人とも異能の人ですが、クドカンのドラマに出ることはご本人たちも想像はしていなかったのでは・・・
そう思うと、秋山さんと長州さんが出てるということ自体が、包摂とは何か、というメタメッセージなのかもしれません。

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