『私の家政夫ナギサさん』の第6話を見ました。
ナギサさんが、メイのタブレットを病院まで届けに走ってくるとき、
病院の外、窓越しにその姿が見えただけで、
あいみょんの歌のせいだと思うんですけど
なぜかその姿だけでグッときてしまいました。
たぶん疲れてるんだと思います・・・。
またその走りっぷりがなんとも不恰好で・・・。
6話の脚本は徳尾さん。
おかげで、なんとか次の一週間、生き延びることができます。
そして早くも迫り来るナギサロスの予感。
思えばドラマにハマったのは『凪のお暇』以来でしたが、
ナギサさんを見てしまうと、
あれも相当、音楽に助けられていたのだと気付かされます。
(原作も読んでみたのですが、当然ですが原作にはパスカルズの音楽は流れていなくて、
ゴンさんも中村倫也さんじゃなかった・・・)
ナギサさんに出会ってみると、ほのぼのとしたドラマのタッチ、
涼しげな風鈴やゴーヤのカーテンとは裏腹に、凪の環境は相当苛酷だったと今更ながらに思います。
過呼吸で無職、酷暑にエアコンなしのアパート、せっかく友達になったと思ったのに
石か何か売りつけてくる人、モラハラ男にメンヘラ製造機、
意地の悪い同僚に真綿で首を絞める毒親、吉田羊の周りのママ友モドキetc・・・、
これでもかってヒドイ環境なのに、渦中にいると、それがフツーになってしまうのか。
それを癒し系のドラマに見せてしまう演出がすごかったのか。
ママと市川実日子さんは確かに癒しでしたが、
凪、冷静に考えて強すぎるし、お暇なのに、苛酷すぎる。
凪のお暇は、、、大変な傑作だとは思いますが、
ナギサさんではもう、そういう苛酷さはなくて、
ひたすら、ありがたい極楽みたいなドラマで、みんながみんなをケアしあっている、
ケアの編みの目ドラマ、です。(このまま行けば、、、ですが)
そこでは『北斗の拳』すらもケアの編み目の一つを織りなしている。
あんな世紀末なのに、だ。
ありがたすぎて、自分もいつの間にか誰かにケアされてるみたいな錯覚に陥ってしまう。
コロナでみんなが疲れ切って先が見えないってときに、
このタイミングでナギサさんが世に遣わされた感すらある。
そうだよ、ナギサさんこそが、胸に七つの傷を持つ男、世紀末救世主伝説だったのだ。
コロナの前からみんな本当は疲れ切っていたんだ。
けど、ナギサさんの登場を堰き止める何かがあった。
その堰が今、おだやかに決壊したのだ。
ナギサさんが、メイのタブレットを病院まで届けに走ってくるとき、
病院の外、窓越しにその姿が見えただけで、
あいみょんの歌のせいだと思うんですけど
なぜかその姿だけでグッときてしまいました。
たぶん疲れてるんだと思います・・・。
またその走りっぷりがなんとも不恰好で・・・。
6話の脚本は徳尾さん。
おかげで、なんとか次の一週間、生き延びることができます。
そして早くも迫り来るナギサロスの予感。
思えばドラマにハマったのは『凪のお暇』以来でしたが、
ナギサさんを見てしまうと、
あれも相当、音楽に助けられていたのだと気付かされます。
(原作も読んでみたのですが、当然ですが原作にはパスカルズの音楽は流れていなくて、
ゴンさんも中村倫也さんじゃなかった・・・)
ナギサさんに出会ってみると、ほのぼのとしたドラマのタッチ、
涼しげな風鈴やゴーヤのカーテンとは裏腹に、凪の環境は相当苛酷だったと今更ながらに思います。
過呼吸で無職、酷暑にエアコンなしのアパート、せっかく友達になったと思ったのに
石か何か売りつけてくる人、モラハラ男にメンヘラ製造機、
意地の悪い同僚に真綿で首を絞める毒親、吉田羊の周りのママ友モドキetc・・・、
これでもかってヒドイ環境なのに、渦中にいると、それがフツーになってしまうのか。
それを癒し系のドラマに見せてしまう演出がすごかったのか。
ママと市川実日子さんは確かに癒しでしたが、
凪、冷静に考えて強すぎるし、お暇なのに、苛酷すぎる。
凪のお暇は、、、大変な傑作だとは思いますが、
ナギサさんではもう、そういう苛酷さはなくて、
ひたすら、ありがたい極楽みたいなドラマで、みんながみんなをケアしあっている、
ケアの編みの目ドラマ、です。(このまま行けば、、、ですが)
そこでは『北斗の拳』すらもケアの編み目の一つを織りなしている。
あんな世紀末なのに、だ。
ありがたすぎて、自分もいつの間にか誰かにケアされてるみたいな錯覚に陥ってしまう。
コロナでみんなが疲れ切って先が見えないってときに、
このタイミングでナギサさんが世に遣わされた感すらある。
そうだよ、ナギサさんこそが、胸に七つの傷を持つ男、世紀末救世主伝説だったのだ。
コロナの前からみんな本当は疲れ切っていたんだ。
けど、ナギサさんの登場を堰き止める何かがあった。
その堰が今、おだやかに決壊したのだ。