こうま座通信

終わりのない文章

追悼 佐治嘉隆さん

2021-01-11 | Weblog
佐治嘉隆さんが亡くなられました。

2005年頃だったか、野口体操の教室に通うことを決めたとき、河井英里さんから、「佐治さんって方がいらしてね〜」とその存在を耳にしたのが全ての始まりでした。
そのときの英里さんの話し方。
佐治さんの素晴らしさを伝えようとするんだけれども、それはどうしてもことばでは伝えられない、なんとも言えない、いい方なの・・・どうしたら伝わるかな、でも説明できないのよ〜・・・というもどかしさもひっくるめて、英里さん、何を伝えたいのかな〜とぼんやりと、話を聞いてたのですが、それが妙に今も印象に残っています。

教室の曜日が違ったので、佐治さんご本人にはなかなかお会いできず、でした。
とはいえ、私も特に、気に留めていたわけではありません。
ですが実際に、何かの折に佐治さんにお会いして、なんだか英里さんが言ってたとおりの、というか、言おうとして言えなかったとおりの、
不思議にあたたかな、その存在感に、「その通りだった〜」・・・と英里さんに報告したら「でしょ〜〜!!」と英里さんがすごい笑顔で、喜んでくださっていたのを覚えています。

その後も、佐治さんとお会いするのは数年に一度という感じで、ひょっとしたら通算で10回も、お会いしていないかもしれません。
それでも、こんな素晴らしい写真を撮っていただきました。



  photo by Saji Yoshitaka, 池袋明日館にて

そして、『樹想ー芭璃夢幻譚』という、素晴らしい本を、作ってくださいました。

佐治さんが写真家の大辻清司さんの別荘の留守番中に、武満徹が訪ねてきたというエピソードから書いた小さな物語です。

佐治さんが気に入ってくれて、本にしましょうと言ってくださり。
最初の打ち合わせをしたのは、2008年だったのに、第2回打ち合わせがなんと2018年。ブランク10年。おい、、、!私よ・・・!!!

佐治さんの完璧かつ素早いお仕事で、完成は2019年。
それでも私のせいで、できあがるまで11年かかってしまいました。
ただの一度も催促もせず、辛抱強く待って、待って、待ち続けて下さいました。

野口三千三のことばをそのまま、生きられた。
任せて、待って。信じてくださった。

10年ぶり二度目の打ち合わせは、2018年9月。下高井戸の、日大近くのカフェでした。
私が行こうと思っていたお店がやっていなくて、ふらっと通りかかって入ったお店です。
たまたまそこにいろいろな画集が置いてあって、美術の話になり、娘さんが高校で美術を教えていらっしゃると伺いました。
その高校がうちの父のかつての勤務先だったので、まあそんなこともあるかもしれないけど、不思議な偶然、と驚きました。

最後にお会いしたのは、2019年。完成本を挟んでのお祝い?でした。
せっかくだから、野口体操に参加したいと、私が土曜の午後、新宿駅の喫茶店ニナスを指定しました。
しばらくお話ししていると、佐治さんがここの店って、昔、コロンバンでしたよね、とちょっと不思議そうにおっしゃる。
確かそうだったと思います、と答えると、聞けば、佐治さんが、生まれて初めてバリに行くきっかけを最初に作った男性と、30年位前に(?)最初に出会った場所が、ほかならぬこの喫茶店(同じ場所にあった、元コロンバン)だということを、話しながら思い出してきた、とおっしゃる。

佐治さん、お会いするたびに不思議な話をたくさんしてくださいました。

昨年いただいたメールが、本当に最後のメールになってしまいました。
このブログも見守って、読んでくださっていたようです。

***
1/15の「Night Fishing Radio」を読ませて頂きました。
そのなかに宮川彬良さんのことが書かれてました。
私も二回ほどですが彼の主催するコンサートに出かけたことがあります。
お父さん譲りの軽妙なMCで楽しませてもらいました。
この宮川彬良さん、妻が最初に赴任した都内の小学校での教え子です。
そして何と言うことでしょう、彼は藝大で野口先生の授業を受けられていました!
かってご自身のブログの中や、コンサートの合間のお話しで、
「『自分』とは自然の分身なのです」と語っています。
(一つ見つけました:https://ameblo.jp/sakomakoharu/entry-11770230998.html )
それを聞いて、私が撮影した野口体操の本を何冊かお送りし喜ばれました。

***
それに対する私の返信。

私、なぜかこの方(宮川氏)が好きで、マツケンサンバが大ヒットした頃、河井英里さんと、この方の話で盛り上がった記憶があります。
マツケンサンバは、その衣装から、まるで色物のように扱われがちだけど、
何度聞いても飽きない、それは、どこか悲しげな、哀愁が
ちゃんと曲に仕込まれているからで、、、。というようなことを、
音楽のプロの英里さんに向かって、熱弁していた気がします。

***
英里さんから佐治さんのことを初めて知り、自分の佐治さんへの最後のメールに、英里さんのこと書いてる。

佐治さんと英里さん、こんなに早く、お二人が再会されるとは、夢にも思わなかった。
英里さんも音楽のシャーマン・・・自然の分身、という感じ、あったけど、
佐治さんも写真のシャーマン、自然の分身、という感じだったように、私には思えます。
不思議なお話を、だからなんだというわけでもなくて、ただただ、偶然ですね、という話を、
お二人はいつも私に聞かせてくれました。

佐治嘉隆さんのご冥福を心より祈ります。

芭璃庵

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