これは共在・共苦のドラマなんでしょうね、何か見ていて、本当に肩の荷が少し軽くなるようなありがたい心地ぞする・・・このドラマ見たって、別に誰の家の何の問題も何一つ解決しやしないのにね。
長州さんもO.S.Dもまだまだ足りない、できることなら大河ドラマくらい、いついつまでも見ていたい、0655みたいに、毎日でも見たい、なのに、もう最終回・・・。
9話では、「革命居士」の戒名に笑い、「離見の見」に唸らされ。
こんな強烈なことばたちがわずか1時間のドラマに奇跡的に同居する、どこにもないけどどこにもある、普遍的な俺の家。戒名で笑うとかずるいし。長州さんに何言わせてんだ・・・さすがハッシュドタグ。でも人間国宝であってもなくても、革命戦士であってもなくても、死が誰にでも平等に訪れるのは事実。
長州さんもO.S.D.も、もちろん西田敏行さんも、長瀬くんも、あの薄い方の旦那さえも、みんながみんな人生を全うしていて、なんて素敵なんだ・・・。長瀬くんが、能とプロレスに引き裂かれてる姿とか・・・
とにかくみんな素敵だけど、わけても一番かっこいいのはクドカンさんか。
ちょうど9話の放送の裏では草彅さんがスピーチを。
一人ひとりの人生がまっとうできるように、そのために映画があるんだ、というようなことをおっしゃられていて、表現はウェルビーイングに欠かせないのだといっているような気がしました。
表現とウェルビーイング、パフォーマンス、共在・共苦。
少し前に、クドカンさんがNHKで『わたしたちはガイジンじゃない』という愛知県の団地でのパフォーマンスも書いていた。イッセー尾形さんの一人芝居。日系ブラジル人の集住する団地で、日本人とブラジル人の共生?を問う一人芝居。
こちらもまた、根っこに共苦がある。
30年前。入管法の改正後。団地にブラジル人が一気に増える。
ゴミの分別をブラジル人に声を張り上げ説明する自治会の日本人男性。
「いい?日本人はね・・・!ゴミを、分別する、民族、なの・・・!!
ゲルマン 民族、モンゴル 民族、ブンベツ 民族!!」
リーマンショックの後。失業し、政府からの手切金とともに、使い捨てられ、帰国を余儀なくされる人、路頭に迷う人・・・。日本にもブラジルにも、居場所がないブラジル人・・・。自分たちは中途半端な存在なんだと・・・どこに行っても弱い立場なんだと実感する。
「ブラジル人でもない・・・
ニッポン人でもない、
・・・ブラポン人・・・?」
自分が工場で造っている電動自転車の電池。それが実際に、自転車に載せられて使われているのを初めてみたと感激するブラジル人の老人。
部品だけを作らされ、全体を知ることはかなわない。
彼らもまた、社会に部品みたいに扱われ、全体を受け入れてもらえない哀しみ。
「わたしもまた、ブラポン人とそう変わらない」
いつの間にかそんな風に見ている自分がいる。
これが、俺の国の話だ、と。
長州さんもO.S.Dもまだまだ足りない、できることなら大河ドラマくらい、いついつまでも見ていたい、0655みたいに、毎日でも見たい、なのに、もう最終回・・・。
9話では、「革命居士」の戒名に笑い、「離見の見」に唸らされ。
こんな強烈なことばたちがわずか1時間のドラマに奇跡的に同居する、どこにもないけどどこにもある、普遍的な俺の家。戒名で笑うとかずるいし。長州さんに何言わせてんだ・・・さすがハッシュドタグ。でも人間国宝であってもなくても、革命戦士であってもなくても、死が誰にでも平等に訪れるのは事実。
長州さんもO.S.D.も、もちろん西田敏行さんも、長瀬くんも、あの薄い方の旦那さえも、みんながみんな人生を全うしていて、なんて素敵なんだ・・・。長瀬くんが、能とプロレスに引き裂かれてる姿とか・・・
とにかくみんな素敵だけど、わけても一番かっこいいのはクドカンさんか。
ちょうど9話の放送の裏では草彅さんがスピーチを。
一人ひとりの人生がまっとうできるように、そのために映画があるんだ、というようなことをおっしゃられていて、表現はウェルビーイングに欠かせないのだといっているような気がしました。
表現とウェルビーイング、パフォーマンス、共在・共苦。
少し前に、クドカンさんがNHKで『わたしたちはガイジンじゃない』という愛知県の団地でのパフォーマンスも書いていた。イッセー尾形さんの一人芝居。日系ブラジル人の集住する団地で、日本人とブラジル人の共生?を問う一人芝居。
こちらもまた、根っこに共苦がある。
30年前。入管法の改正後。団地にブラジル人が一気に増える。
ゴミの分別をブラジル人に声を張り上げ説明する自治会の日本人男性。
「いい?日本人はね・・・!ゴミを、分別する、民族、なの・・・!!
ゲルマン 民族、モンゴル 民族、ブンベツ 民族!!」
リーマンショックの後。失業し、政府からの手切金とともに、使い捨てられ、帰国を余儀なくされる人、路頭に迷う人・・・。日本にもブラジルにも、居場所がないブラジル人・・・。自分たちは中途半端な存在なんだと・・・どこに行っても弱い立場なんだと実感する。
「ブラジル人でもない・・・
ニッポン人でもない、
・・・ブラポン人・・・?」
自分が工場で造っている電動自転車の電池。それが実際に、自転車に載せられて使われているのを初めてみたと感激するブラジル人の老人。
部品だけを作らされ、全体を知ることはかなわない。
彼らもまた、社会に部品みたいに扱われ、全体を受け入れてもらえない哀しみ。
「わたしもまた、ブラポン人とそう変わらない」
いつの間にかそんな風に見ている自分がいる。
これが、俺の国の話だ、と。