映画『ミッドナイトスワン』を見てきました。草彅さんの演技が見たくて、久しぶりの映画館でした。
自分は涙もろいほうだと思いますが、特に涙がこぼれるということはなかったです。でもいい映画でした。
泣くかどうかでいえば、子供の頃に映画館で見た『E.T.』は単にハラハラドキドキしたような記憶しかなかったのに、金ローで数十年ぶりに見たら完全に移民難民の話に見えてしまって、最後の自転車のシーンでボロボロ泣いてしまいました。少数派も多数派も、みんなで一緒に空を翔べたらいいのに・・・ジョン・ウィリアムズ先生の音楽からもそんな想いを勝手に重ねてしまい・・・。数十年ぶりに伏線が回収された想いです。
でも、『ミッドナイトスワン』も『E.T.』も少数派の生きづらさ、という点では一緒かもしれません。ことばだけではない、ことばを超えた共鳴、共在感。周囲の見当違いな対応、差別的な反応・・・、そして、たとえお互い、遠いところにいたとしても、というところ。
ところで『ミッドナイトスワン』では主人公・凪沙が広島出身ということで、広島弁が結構重要な役割を果たしています。家族との電話では広島弁だったりします。ある日授業で、比嘉光龍さんの『ピリンパランかたやびら』の動画を見せたりしていたところ、学生の一人が、「広島弁を話さない男性を女々しく感じてしまうのだけど、これも差別になるのかな」というコメントをくれて、「ああ、そうか、凪沙も、広島弁が苦しかったのかな」と、腑に落ちるものがありました。土着のものを脱ぎ捨てたくなる、そういう葛藤の一つの現れかと。で、また次の授業でこのことを話したら、別の学生から、「初めて広島弁を聞いたときは、男女関係なく、『おじいさん』みたいだな、と感じた、と。これも差別になるのか、心配です」と。
このコメントを聞いたとき、自分が初めて聞いた広島弁は、多分カープの達川さんだろうなと思い至りました。で、実際の達川さんの年齢よりも、かなり年齢層を勝手に決めつけていたような気がするんです、その話し方の印象で・・・。
一方で「方言女子はかわいい」みたいなコメントもあり。「方言女子はかわいい」みたいなところで、主人公は折り合うわけにもいかず。ジェンダー、年齢層、アイデンティティと方言・・・その辺りも考えることのできそうな映画でした。
自分は涙もろいほうだと思いますが、特に涙がこぼれるということはなかったです。でもいい映画でした。
泣くかどうかでいえば、子供の頃に映画館で見た『E.T.』は単にハラハラドキドキしたような記憶しかなかったのに、金ローで数十年ぶりに見たら完全に移民難民の話に見えてしまって、最後の自転車のシーンでボロボロ泣いてしまいました。少数派も多数派も、みんなで一緒に空を翔べたらいいのに・・・ジョン・ウィリアムズ先生の音楽からもそんな想いを勝手に重ねてしまい・・・。数十年ぶりに伏線が回収された想いです。
でも、『ミッドナイトスワン』も『E.T.』も少数派の生きづらさ、という点では一緒かもしれません。ことばだけではない、ことばを超えた共鳴、共在感。周囲の見当違いな対応、差別的な反応・・・、そして、たとえお互い、遠いところにいたとしても、というところ。
ところで『ミッドナイトスワン』では主人公・凪沙が広島出身ということで、広島弁が結構重要な役割を果たしています。家族との電話では広島弁だったりします。ある日授業で、比嘉光龍さんの『ピリンパランかたやびら』の動画を見せたりしていたところ、学生の一人が、「広島弁を話さない男性を女々しく感じてしまうのだけど、これも差別になるのかな」というコメントをくれて、「ああ、そうか、凪沙も、広島弁が苦しかったのかな」と、腑に落ちるものがありました。土着のものを脱ぎ捨てたくなる、そういう葛藤の一つの現れかと。で、また次の授業でこのことを話したら、別の学生から、「初めて広島弁を聞いたときは、男女関係なく、『おじいさん』みたいだな、と感じた、と。これも差別になるのか、心配です」と。
このコメントを聞いたとき、自分が初めて聞いた広島弁は、多分カープの達川さんだろうなと思い至りました。で、実際の達川さんの年齢よりも、かなり年齢層を勝手に決めつけていたような気がするんです、その話し方の印象で・・・。
一方で「方言女子はかわいい」みたいなコメントもあり。「方言女子はかわいい」みたいなところで、主人公は折り合うわけにもいかず。ジェンダー、年齢層、アイデンティティと方言・・・その辺りも考えることのできそうな映画でした。