KANON廃園

スタジオカノン21年間の記録

スタジオカノンの始まり

2019年08月07日 | カノンの記録
1995年(平成7年)の10月、当時住居として借りていた中野区弥生町のマンションの一室を利用して「スタジオカノン」がスタートしました。
先駆けて「フロムA」という求人募集誌にスタッフ募集の記事を出すと、早速数件の問い合わせがありました。
まだ法人化しておりませんでしたので正規の社員雇用ではなく、アルバイトという形での募集でした。
初心者歓迎、年齢は一応30ぐらいまでとしましたが、かなり年配の問い合わせもあったと記憶しています。

この当時実技試験はなく、作品持参と面談のみでしたが、順次面接の結果、まず男子1名の採用が決まりました。
彼は将来漫画家を目指しているということでしたが、アニメの背景をぜひ描いてみたいということで、その筋を見込んでの採用です。

背景画を描くにあたって必要なことは、当然ながら基本的な画力です。物を正確に捉えるデッサン力がまず必要とされますが、作品審査である程度の画力が見込めたら、まずはポスターカラーと筆で描いていく技術の習得を目指すこととなります。
研修では基本形となる立方体や円柱をポスターカラーで塗ることから始めますが、全くポスターカラーを使ったことがない場合は、絵の具の溶き方、ベタ塗りやグラデーションのつくり方など初歩からの指導となります。(当時はまだデジタル作業ではありません。)

見習い1号の彼は何十枚とグラデーションの練習を重ねていました。特に紙の枚数制限などなく、好きなだけ練習してもらった結果、短期間で基本の塗りはマスターし、かなり早くに本番の仕事にもトライできるようになりました。

初心者の場合、早々本番仕事に就けないものでしょうが、そこは始めたばかりの小さなスタジオ、学校ではないのでそうそう悠長に構えていられないこともあり、どんどん実践で技術を磨いていく方向で鍛えるしかありません。

当時の仕事はCMや地方企画の短編PRものの他、背景会社の下請けでTVシリーズの背景をこなしていたわけですが、新人向けに描きやすいシーンも発注いただいて、育成に協力していただきました。

年内にはスタッフが3人になり、求人雑誌を見たアニメーション専門学校からも、来春卒業予定の生徒の面接をして欲しいという申し出がありました。
面接の結果2名の採用が決まり少しづつスタジオらしくなっていったわけですが、同時にそれはアニメ界ならではの過酷な状況を迎える序章だったのです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿