KANON廃園

スタジオカノン21年間の記録

2度目のスタジオ移転

2020年05月10日 | カノンの記録

 2006年4月、スタジオは2度目の移転をすることになりました。

1997 年(平成9年)から9年間住み慣れた本天沼の一軒家を去るのは大変心残りではありましたが、当時は仕事の依頼が立て込み始め、成長期のスタジオとしては大変ありがたいことだったので、スタッフ共々拡充して心機一転を図ることにしたわけです。

隣のアパートの1室も借りて分散して作業していたのですが、コミュニケーション不足で意思疎通がうまくはかれなかったなどの問題もあり、より広い事務所で一つに統一する方が良いということもありました。

 

ここで初めて法人向けの事務所探しが始まったのですが、何が困ったかといえば、それは水場の問題です。

事務所についている水場はほとんど給湯室として、小さなシンクと電気コンロ一つぐらいのもので、当然絵の具皿や筆を洗うには適しません。

絵の具も泥になって溜まるので、配管を詰まらせてしまう危険があります。

また現在はどうかわかりませんが、当時荻窪周辺の中程度の事務所といえば比較的古い物件が多く、入り口も狭いのでまず引っ越し作業が大変な上、見た目の良さといいましょうか、

要するに人が集まる要素としてマイナスな感じがしました。

かといって駅に近く新しいおしゃれな事務所はどれも大きめで家賃もお高く手が出ないといったところで、結構事務所探しは難儀でした。

事務所というより、テラスハウスや一軒家で「工房」の雰囲気を目指したかった気持ちも有りましたが、探す時間や予算の関係もあり、何かイメージが固まらないまま漠然と、とりあえす広い事務所を探そうというスタンスだったのかもしれません。

 

結局、少し古めでしたが、水場の増設ができるという条件で、それまでのスタジオから歩いて10分ぐらいのところにある商業ビルの3階を借りることになりました。

広さはかなりあり、スタッフ20人ぐらいいでも大丈夫な感じでしたが

大きく3つの部屋があり、玄関わきの一部屋は丸々資料や背景置き場とスタッフの休憩室となり、小さめの部屋は事務室兼社長室、そしてメインの広い空間はデジタル班と手描き班に分けました。

それでも真ん中で体操ができるぐらいのゆったりスペースで、相互のコミュニケーションもスムーズにとれて作業効率は良かったと思います。

しかし、周囲の環境という点では、どうだったかというと・・・

周辺に食堂やお弁当屋など若者向けのお店が少なく、一番近いコンビニでも10分ぐらい歩かなければならなかったので、不便といえば不便でしたし、古い商店街なのですがなぜがクリーニング屋ばかり数件おきに有り、こんなに需要があるのだろうかと疑問に思えるほどでした。

近くに大きな会社でもあるならサラリーマン御用達?とも思えますがそんな感じでもなかったように記憶しています。

人通りも少なく静かではありましたが、もう少し活気あるオシャレな商店街だったら休憩時間の気持ちも違っていたかもしれません。

しかし皮肉にも背景を描く仕事をしているにかかわらずあまり周りの景色をみる余裕もなく、ひたすら仕事に追われてしまった毎日で、コンビニとスタジオの往復が唯一の運動?という相変わらずの生活だったわけです。

 

このスタジオは意外に短く2011年(平成23年)5月までの5年間の使用となりました。 

 

残念ながら当時の写真がまるでないので、

ハチクロに登場した藤原設計事務所で代用?

外観は当然こんなオシャレなビルではありませんでしたが、内観はまあ、全然違うといえば違うのですが、まあ気持ちだけ事務所としてはそう違わない雰囲気!としておきましょう。(こうしてみると3度目に越したスタジオの方が近いかも)