陽水 / 桜三月散歩道 2017-03-04 23:08:05 | Weblog 毎年、三月になると 彼にしては珍しくセリフ入りだったこの曲が たまらなく聴きたくなるのでした « 槇原敬之/MILK | トップ | いのちの歌 / 玉置浩二×小野リサ »
6 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 陽水さん♪ (pico) 2017-04-06 20:53:31 たくさん聴いてるわけじゃ〜ないけれど、陽水さんは好きです昔のフォークソングは好き♪私、ブラタモリが好きで観てるんですが、陽水さんの曲 とてもいいんデスゥ〜〜〜(∩.∩) 返信する まんがNo.1ヴァージョン聞きました (つかさ) 2017-03-14 22:12:41 泣きました。号泣、です。まだ、しゃくり上げてます。ライヴ映像では涙の欠片も出なかったのに。こういう事、よくあります。私は長谷の詞(ことば)と陽水の歌で、今の私の原風景をトリップしたのです。70年代の風と光と人と恋と、私、を。70年代とは私の10代の80%、即ち私の80%なのだと、改めて思います。私は青春という言葉を好みません。人からその言葉を投げかけられるのも、懐かしげに同意を求められるのも、……ましてや誇らしげに語る、ことなど。その前の10年と併せて、地獄の季節だったから。その上で長谷と陽水と、この歌に(詩!に)、今出逢えて良かった、と思っています。70年代の漱石工房。それが赤塚だったのでしょうか。赤塚の引力は漱石のそれに匹敵、と云うより凌駕していたのかもしれないですね。最後に。歌と歌の合間の台詞、朗読の声は、陽水ではなく長谷の声では?と思ったのてすが(^o^) 返信する >つかささま (のん) 2017-03-07 22:23:43 アルバム「氷の世界」に初めて針をおとしてからすでに40何年経ちました「桜三月散歩道」は陽水の作品の中でも数少ない、ひとの詞に曲をつけた作品です作詞は 赤塚不二夫の漫画にもたびたび登場したパロディ漫画家、長谷邦夫でしたその辺のいきさつはウィキに詳しくあります赤塚、長谷、タモリ、陽水、(もちろんここに山下洋輔も加わりますが)とんでもない旧知の仲だったのがよくわかります凄いことに、まんがNo1ソノシートバージョンも、YouTUBEで聴くことができました(長生きはするもんです)「氷の世界」バージョンのセリフは ソノシートバージョンをかなり縮めてあることも 初めて知りましたアンドレ・カンドレについては ずっと以前触れたことがあるので 割愛 (笑)陽水の詞は、(小学生がまんまオトナになったような拓郎と違って)常に 情景をまざまざと見せてくれるところが好きですどっぷり浸かっていたのは、10代の終わり頃でしたので、そうですね…高二病を多感に引きずって、なお且つオトナになりたくない病、みたいな (笑)…で、そのまんま来てます…(*o☆)\バキッ!! 返信する お手数かけました (つかさ@中二・高二病感染者) 2017-03-06 00:33:16 佳き哉!この方は瑞々しい。拓郎に、老骨に鞭打って的悲壮感を見てしまうのに、陽水の瑞々しさは「艷福家」故でしょうか。…(゜o゜C=(_ _;バキッ!(笑)美しいですね。タイトルからして、「さくら」「さんがつ亅「さんぽみち」、と頭韻を踏んいるあたり、憎いね陽水♡と杏に囁いてもらいたい気分です(笑)。先に拓郎の奔放な歌詞に惹かれたせいか、陽水が形式主義者に見えた時期があって、避けてリアルタイムで味わうことがなかったのです。アンドレ・カンドレの「カンドレ・マンドレ」と陽水が結び付いたのも、遥か後のこと、常に後追いでしたね。再発見は「少年時代」と「ブラタモリ」のエンディングでした。詩に対する発想、構想に、親しさを感じたのです。自分の表現に合う言葉が辞書に見つからないなら言葉を作るしかない?と思い上がった時期があり、そんな折「少年時代」が大ヒットしたりして、言語感覚の異端ぶりに呆気に取られるばかりでした(^^ゞ追伸姐さんが好きだった詩人の先生、生き方が詩人ですね。詩を書く人ではないのに、詩人を感じた先生、つかさにはいます。高校の頃の世界史の先生。政治経済の先生。倫理社会の先生。古典の先生。高校二年三年の時。中二病って言いますけど、高二ぐらいの感性も非常に有益だと振り返ります。 返信する >つかささま (のん) 2017-03-05 20:29:27 誠にすみませんでしたPCでは ようつべに飛んでいけるんですがスマホだとダメですね仕方がないので わりかし最近のライブ動画をあげておきますオリジナルのアナログレコードより キーが少し低いですやはりお歳のせいでしょうかセリフは、今の方が味があるかなぁ… 返信する こんにちは(^o^) (つかさ) 2017-03-05 13:00:40 姐さん。閲覧禁止ですだ(T_T) 返信する 規約違反等の連絡
昔のフォークソングは好き♪
私、ブラタモリが好きで観てるんですが、陽水さんの曲 とてもいいんデスゥ〜〜〜(∩.∩)
号泣、です。
まだ、しゃくり上げてます。
ライヴ映像では涙の欠片も出なかったのに。
こういう事、よくあります。
私は長谷の詞(ことば)と陽水の歌で、今の私の原風景をトリップしたのです。70年代の風と光と人と恋と、私、を。
70年代とは私の10代の80%、即ち私の80%なのだと、改めて思います。
私は青春という言葉を好みません。人からその言葉を投げかけられるのも、懐かしげに同意を求められるのも、……ましてや誇らしげに語る、ことなど。
その前の10年と併せて、
地獄の季節だったから。
その上で長谷と陽水と、この歌に(詩!に)、今出逢えて良かった、と思っています。
70年代の漱石工房。それが赤塚だったのでしょうか。赤塚の引力は漱石のそれに匹敵、と云うより凌駕していたのかもしれないですね。
最後に。
歌と歌の合間の台詞、朗読の声は、陽水ではなく長谷の声では?と思ったのてすが(^o^)
「桜三月散歩道」は陽水の作品の中でも数少ない、ひとの詞に曲をつけた作品です
作詞は 赤塚不二夫の漫画にもたびたび登場したパロディ漫画家、長谷邦夫でした
その辺のいきさつはウィキに詳しくあります
赤塚、長谷、タモリ、陽水、(もちろんここに山下洋輔も加わりますが)とんでもない旧知の仲だったのがよくわかります
凄いことに、まんがNo1ソノシートバージョンも、YouTUBEで聴くことができました(長生きはするもんです)
「氷の世界」バージョンのセリフは ソノシートバージョンをかなり縮めてあることも 初めて知りました
アンドレ・カンドレについては ずっと以前触れたことがあるので 割愛 (笑)
陽水の詞は、(小学生がまんまオトナになったような拓郎と違って)常に 情景をまざまざと見せてくれるところが好きです
どっぷり浸かっていたのは、10代の終わり頃でしたので、そうですね…高二病を多感に引きずって、なお且つオトナになりたくない病、みたいな (笑)
…で、そのまんま来てます…(*o☆)\バキッ!!
…(゜o゜C=(_ _;バキッ!(笑)
美しいですね。タイトルからして、「さくら」「さんがつ亅「さんぽみち」、と頭韻を踏んいるあたり、憎いね陽水♡と杏に囁いてもらいたい気分です(笑)。
先に拓郎の奔放な歌詞に惹かれたせいか、陽水が形式主義者に見えた時期があって、避けてリアルタイムで味わうことがなかったのです。アンドレ・カンドレの「カンドレ・マンドレ」と陽水が結び付いたのも、遥か後のこと、常に後追いでしたね。再発見は「少年時代」と「ブラタモリ」のエンディングでした。詩に対する発想、構想に、親しさを感じたのです。自分の表現に合う言葉が辞書に見つからないなら言葉を作るしかない?と思い上がった時期があり、そんな折「少年時代」が大ヒットしたりして、言語感覚の異端ぶりに呆気に取られるばかりでした(^^ゞ
追伸
姐さんが好きだった詩人の先生、生き方が詩人ですね。
詩を書く人ではないのに、詩人を感じた先生、つかさにはいます。高校の頃の世界史の先生。政治経済の先生。倫理社会の先生。古典の先生。高校二年三年の時。中二病って言いますけど、高二ぐらいの感性も非常に有益だと振り返ります。
PCでは ようつべに飛んでいけるんですが
スマホだとダメですね
仕方がないので わりかし最近のライブ動画をあげておきます
オリジナルのアナログレコードより キーが少し低いです
やはりお歳のせいでしょうか
セリフは、今の方が味があるかなぁ…
閲覧禁止ですだ(T_T)