男と女年子のバタバタ子育て日記

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第二子妊娠2

2024-02-29 14:25:29 | 日記
2回目の移植は息子の1歳の誕生日の後に決まりました。移植をすると妊娠する確率が高いのでどうしてもお腹をかばう生活になります。(普段通りの生活で何の問題はないのは分かってはいるのですが…)移植までに思いっきり息子を抱っこするぞ❗と息子との時間を満喫しました。そして、丁度その頃保育園も決まり健康診断、面談と準備に忙しい毎日でした。保育園に内定が出たので4月から仕事に復帰する旨を会社にも連絡をしました。妊娠はするかは分からないのでとりあえず伏せておくことにしました。
2回目の移植日になりました。残る卵は2つ先生はグレードが高いABの胚盤胞にしようか。と言っていたのですが、なんの根拠もないですが私はBBの方が良い気がして…先生に言うと何となくの勘って上手くいくんだよね。じゃあそっちにしようと、そちらを移植しました。判定は10日後です。

第二子妊娠1

2024-02-28 11:20:41 | 日記
第二子妊娠に向けて治療中、子宮の炎症もおさまり移植の準備に入りました。今回息子の時と違うのは治療が保険適用になったという点です。移植までホルモン剤を使用して妊娠する周期を調整するのですが保険適用なので使用できる薬が前回と違うとのことでした。先生いわく使用できる薬に限りがあるため人によっては保険を使わず従来どおり全額自己負担で治療する人もいるみたいです。不妊治療は保険適用になってから助成金は出ないのとましてや育休のみとしてはなるべく出費はおさえたいところということで今回は保険適用のほうで移植を進めることにしました。
残る胚盤胞は3個。1回目はABのグレードの卵を移植しました。残念ながらこの卵は着床はしたものの妊娠にはつながりませんでした。今回は家に帰れば後追いのかわいい息子がいる。そう思うとくよくよしていられないなぁと前向きになれました。そして、一度リセットし、再び移植の準備を開始しました。

後追いと通院

2024-02-26 10:37:30 | 日記
息子が生後半年になった頃、2人目の移植に向けて治療をはじめました。子宮鏡の検査をしてもらうと炎症があり治療してから移植しましょう。ということになりました。今回も息子を移植した時と同じ先生にお願いしました。先生に息子の写真をみせるととても喜んでくれました。息子は産まれたときからよくパパ似だね。と言わてますが、先生もパパによく似てるね~と(笑)
まだ、息子も保育園に入っていなかったので時間や曜日を先生が調整して予約を入れてくれたのでとても助かりました。
生後半年の息子は寝返りとハイハイをもう少しでしそうなくらいに成長しました。通院自体は月に一度の生理を基準でするので月に一度くらいでしたが子供の1ヶ月は本当に成長が著しくてあっという間にハイハイも習得。後追いが始まりました。私が通院のため旦那に預けて出かけると私を探しハイハイ。家中を泣きながらハイハイしていたそうです。
通院と後追いの戦いはクリニックの卒業まで続くのでした。

第一子出産から約4ヶ月

2024-02-22 12:21:59 | 日記
私は1人目を不妊治療で授かりました。妊娠、出産を経てしばらく2人目はと思っていましたが、痛みや辛さは忘れてしまうもので2人目を考えるようになりました。年齢やおそらく自然妊娠はしにくいだろう(不妊の明確な原因は分からないのでなんともいえませんが…)ということで生理が復活したタイミングで再びクリニックへ。仕事もまだ育休中、旦那も基本リモートだったので年子になる可能性は高いけれど今がベストかなと保存している受精卵を迎えに行くことにしました。
そして、一番悩んだのが保育園問題。息子は早生れだったので1歳4月で保育園に入れようと考えていました。しかし、ここで妊娠すると仕事復帰は?復帰しないと保育園は基本入れません。入れたとしても第二子産休後育休なしで復帰しないとせっかく保育園に入れても退園になってしまいます。そこで、役所にきいてみると保育園入園が決まったらとりあえず1日でも良いので復帰してもらえれば下の子が1歳になる年の年度末までは上の子は通えますよ。とのことでした。体外受精とはいえ必ずしも妊娠につながる保証はありません。これは自然妊娠も同じです。もし、妊娠できなければ育休も終わるので仕事復帰、保育園に入れないと困ります。どちらになっても良いように息子は予定通り(そのときは保育園に入れたらでしたが)保育園に申し込むことにしました。
まだまだコロナ禍で制限はありましたが、保活、通院、息子との時間を過ごしていました。

あっという間!

2024-02-22 00:16:13 | 日記
息子は早産とは思えないほどよく寝、よく泣き、よく飲みと順調に成長してくれています。1歳になるまで大学病院で定期的にフォローしてもらっていたので通院は大変でしたが安心ではありました。ただ、心残りがあるとすればほぼ完ミ育児になってしまったことです💧私の母乳の出も良くなかったのもあるのですが、NICUで哺乳瓶だったからか息子がおっぱいを上手く吸えなかったのです。今思えば完ミもメリットがたくさんでミルク育児に悩んでいるママ達に伝えてあげたいくらいですが、当時は母乳育児でなければ母親失格くらい悩んでいました。その悩みを解消してくれたのが赤ちゃん訪問で来てくれた助産師さんでした。その助産師さんも母乳の出が悪かったみたいですが助産師という職業柄まわりにはもちろん母乳だよね。と言われなくなく母乳をあげていたそうです。「お母さんが抱っこして赤ちゃんの目をみてミルクをあげれば母乳だろうが粉ミルクだろうが愛情は十分赤ちゃんに伝わるよ!今の粉ミルクは母乳に近い成分で本当に良くできているのよだからって負い目を感じることなんかないのよ」と励ましてくれました。ちなみに、息子の経験から第二子も3ヶ月からは完ミになりました。もちろん、母乳育児が軌道にのれば母乳育児でいきたかったのですが…息子の赤ちゃんがえりで粉ミルク頼みになってしまいました。