<あなたへの手紙…!>

加齢と比例し記憶は薄れ身体能力は欠ける日々
模索しながら、頑張って登る八十路坂その生活を備忘録を
ここに綴ります!

60数年の歳月で一番哀しんだ日・・・!①

2007年06月28日 | 日記
         
               知床の水芭蕉  F10号

( 60数年の歳月で一番哀しんだ日・・・!①)

私が、勤めて数年後、丁度今日のような蒸し暑い梅雨の時期だった・・・

B所長は、食欲が段々なくなり、昼食も奥様の手作り弁当に変わったものの、
それでも食が進まない・・・・・
私は見かねて、お弁当のごはんを“おかゆ”にして進めた!
そんな日が続き・・・・・

私が数鉢のアロエを育て、健胃にアロエの葉のジェリー状をジューサー
にかけ「はちみつ」と一緒に混ぜて飲み、健康維持に活用している事を
聞いていた所長は・・・・・!
 
「アロエが欲しいという!」寄り縋る様な声で言う?今まで人様に依存したり
する人ではないと思っていただけに驚いた!本当に驚いた!
次の日、私は一番勢いのあるアロエの鉢を渡した・・・・・!

【弱き身を助けんと欲す亡き君のそのアロエ葉が今も茂るなり】

皆の前では見せない、B所長の形相を、私は、その頃もう気づいていた。
「背中が痛い」と顔を歪めることも日に日に多くなり、
早く病院に行く事を進めた。

ある日課長が「明日、所長はお休みです。忙しいから貴方は休まないで、
下さいね」と念を押された。
その日の退社時、裏の駐車場から車で出てくると、そこにB所長が
小雨に濡れて立っていた。
ただ普通に「気をつけてね、お疲れ様」と手を振る。こんな事は今までで始めてだ。
バックミラーを見ると、小雨の中見えなくなるまで立っていた。

その日以来・・・B所長が会社へ出てくる事は一度もなかった <つづく>

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60数年の歳月で一番笑った日・・・!

2007年06月20日 | 日記
 60数年の歳月で一番充実していた日々!
       そして一番笑った日・・・・・!
         そして一番泣いた日・・・・・!

昼食はA常務いつも外食 ・・・・・
この頃には昼休みにはそれぞれの悩み家庭の事情など食事しながら
三人で話していた。B所長の庭に小鳥が来るので巣箱を作ったとか、

 B所長とC課長は 配達の弁当
私は手弁当でいつものように机で三人で食べていると。


その日、まずC課長が話し始めた。
「昨日の日曜日女房が友達が遊びに来るから、10時から5時まで帰って
来な い で」と・・・小遣¥5000渡された。 

C課長の日曜の休日の過ごし方である。

仕方なく船橋へ出た・・すると、閉館になりそうだと噂のある ストリップ劇場<ハリウッド>の
おじさんが呼び止めたお兄さん早朝割引で半額にしておくよ」
ねぇねぇねぇ 「これからいい見せ場だよ~」と
もたもたしていた私の手を引く、恥ずかしかったが、中へはいたぁ!

中は暗くて手探りで椅子へ付いた。目が慣れてくると、周りの状況が見えてきた
12,3人の観客が背を低くして足を前席にのばしている。自分もその姿勢をとり
椅子に深くかけ人目を避けるようにかけた。
キンピカの着物に薄いショールを泳がせて、脱ぎはしないで舞うことばかり
チーンタララ!チーンタララ!やっと脱いだかと思うと真っ赤な襦袢
 前の客から野次が飛ぶ「。。。。。」   
ようするに「早く脱いでくれ」という野次らしい

私   「ねぇ・・・何枚くらい重ね着しているの?」
       私には、今まで未知の世界で、あれこれ聞くものだから
C課長 「貴方もこんな話に乗りますね!どれ位かな何せ長いんですよ!」 

そのうち観客が増えてきた。小さくなっていたら見えないので姿勢をただした。
 4.5人の踊り子が順番に出てきているようで、馴染みの子には
おひねりが飛ぶ、 終盤間近になるとチンタッタチンタッタと曲が変わり
 抽選に当たったのか何なのか     
客が赤い番傘の中に。。。。順番よく消えてゆく。
そして終わりのコール電気がつく前に顔を見られないよう急いで外へ出た。

昼には早かったが、
ラーメンを食べ、一時間位 ¥1000を入れパチンコをしたが
すぐに玉がなくなり・・・・・ぶらぶらと街を歩き本屋さんに入り
立ち読みの後 文庫本 (山本周五郎)を買う。そして駅のベンチでその一冊「五瓣の椿」読み終えた。バスの時間まで周辺で時間を潰し帰りました。
私     「¥5000全部つかったのですか?」
C課長   「¥700残りました。が家内に返しました。」
私     「えぇー返したの?本を読む時やバス待ちの時間
          喫茶店でコーヒーでも飲んだら良かったのに・・・」
C課長   「頭に浮かびませんでした。」


すると B所長 「じゃ、ゆうべはお楽しみだったね・・・!」  
     C課長 「はいそのつもりでしたが、肘鉄に足蹴りされてしまいました。」  
    
それで今朝みたら「鼻血を出していて・・・・」 
聞いた途端      

A所長が、今口にした、味噌汁を机いっぱいにプウーと笑いまっくて噴出した、
 同時に私もごはんを我慢できずに噴出した。

3人の机がめちゃめちゃだぁ  後の始末もそっちのけ お腹がよじれて
横腹がつる・・・・涙が止まらない 何分間も笑い転げた。
当人はドングリ目を見開いて、「そんなにおかしいですかぁ」
肘鉄に足蹴りまでは、いいとして、鼻血までとは・・・・
また 笑い転げた。。。。
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60数年の歳月で一番充実していた日々・・・!

2007年06月12日 | 日記
60数年の歳月で一番充実していた日々!
       そして一番笑った日・・・・・!
         そして一番哀しかった日・・・・・!
         
一度も、私は勤め経験のないまま、その時40歳代に突入していた・・・!
仕事一途な夫の傍で、子育てを卒業 ~?
office lady ・ワーキングマザーに憧れる。。。。。!

        

夫の同意を得て・・・
初めて履歴書を書き、出版会社のパートに応募した。
東京の本社から新営業所移転の為引越し、当地採用人員は多い!、
3人の係りに面接を受け後日、採用の返事・・・・・!

総務兼経理に回された。まったく始めての勤めで、事務経験無しだが
それで結構というから、出来ることをしっかり
やっていこうと、こころした。

〇〇出版〇〇営業所には、総務部以外に
入荷 出荷の際の現場事務所が作業現場に二つある。

配属された私の部屋には・・・!
本社からの天下りA常務に、実質的な責任者B所長 在籍は本社のC課長
それに人材派遣会社から不定期に、男性アルバイトの給料を、時々持ってくる
人一名、そして私である。

わたしの仕事はB所長、C課長のアシスタント 来客者へのお茶出し
現場パート女性<30名>の給料計算 アルバイト男性<50名>の
勤労時間計算であった。

算盤は出来なくても、電卓があり 仕事は難なくこなせた。

半年もたった頃には、銀行関係も任され 一番夫が気に掛けていた
人間関係も上々、楽しく表裏なく元気に働いた。  

A常務は小太りで、おまけに おつむは薄ら禿げである。
サイドに小引き出し付きの,大きい机 貫禄充分な椅子に、
埋まるように掛け、回りに衝立をほどこし、手鏡を覗き
御髪の手入れか、新聞を広げコックリコックリ眠っている時が多い。
ここに「社長太平記」東宝の映画のモデルがあった!
 (このA常務とは一線をきちんと引いて置かなければと当初から思ったものだ)

   【甘い手のあれこれなれど心髄の堅き守りが吾にあらざり】


 A常務は B所長と同じ歳の当時60歳・・・・・

B所長は必要以外あまり話さない。私が休みを取った日の仕事は
いつも綺麗に片付いている。お礼をいうと、小さく手をあげるだけだ。

それに変わってC課長(私同年代)「あなたが休むと大変だぁ」
「あなたが休むと大変だぁ」を繰り返す。
腹において置けないタイプで、小さいことでも、ドングリ目を向きだして口にする。
悪気はない。商業高校出身で算盤は天下一。後日、私のお願いに
昼休みを利用して、算盤の加減乗除を教えてくれた算盤の恩師である。

そして私の始めてのパート務めも一年経ち・・・・すっかり処理等
職場にも慣れた・・・・・!

昼食はA常務いつも外食 ・・・・・

この頃、昼休みに食事を取りながら、それぞれの悩み、家庭の出来事等の、日常茶飯事を話し・・・!
B所長が、以前庭に作った巣箱に、始めて小鳥が、入っていた!とか・・・・・!
     土曜の夜久しぶり娘夫婦が来たので家庭マージャンしたよ。とか!
昼休み三人で語らう日が多くなり、この頃は充実の毎日だった。 -つづく-

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アンスリュームの花

2007年06月07日 | 絵画
      
                アンスリュームの花 F6号

                   
マッサージに行った時「あれこれ帯状疱疹かも知れませんよ。と言われ、
マッサージは、そこそこにその足で、掛かりつけの内科へ・・・

まさに「帯状疱疹でした」先生は「この病は、皇后様、皇太子妃雅子様が
お掛かかりになった病気です。・・・・・高貴な人が掛かる病気なんですよ。
なぁんて・・・ひやかされたので、すみません私がそのジンクスをや破りました。

と冗談もそれまで・・・

その夜から・・・・針で突くような激痛  に激痛    
帯状の湿疹が、左側半分の背中から胸腹部に流れているので、
肋間の神経が痛み寝返りもままならず   フーフーです。 

そんな激痛の日々のど真ん中 お見舞いの娘がアンスリュームの花を一本
良く見える場所に生けて帰りました。

【一本の赤いアンスリュームそれだけに癒されている病の床に】

アンスリウム   の 花言葉は 情熱・心は燃えている・恋にもだえる心・
炎のような輝き・  です。

真っ赤なハート型で光沢があり、ビロードのような雰囲気のとても美しい花です。

【疱疹に寝返りさへもままなぬ部屋の隅にはアンスリウムの花】

一本でも重厚感があり和でも洋でもマッチして涼しげな、存在感のある花です。

帯状疱疹は一週間で痛みは治まるでしょう。と言われましたが、なんのなんの
旅の計画もキャンセルし半月程かかりました。

【ひどく痛む帯状疱疹に身を傾げ旅のキャンセルつひに告げたり】

飼い犬は言葉こそ話せませんが、こちらの喜怒哀楽みんな解かるようです。
休んでいる時は静かに傍で見守っています。床上げをして何時ものように
朝仕度するその喜びようはありませんでした。

【愛犬は尻尾ふりふり容赦なく口付け迫る床を上げれば】

帯状疱疹以来ハート型の独特な花アンスリュームの花が大好きになりました、

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病院のスタッフ勢揃い

2007年06月02日 | 日記
病院のスタッフ勢揃い

頭痛が始まると、それに伴って起きる首肩凝りが少しは軽くなったとはいえ、
4月末からまだ続き一と月も経ってしまった。

この頭痛は、頭の脳神経からくるものではなかろうか?
ただちに救急処置を要するタイプの頭痛ではないだろうか?

ふと、思いつく脳の病い..........!
認知症 脳梗塞、脳出血、クモ膜下出血、脳腫瘍、の病名が頭を過る!
不安になって来た。娘夫婦<医師>に相談・・・!
電話口で症状を聞くよりも早く娘は「ただの肩こりでしょう!」
「担当医に相談して意にかなわなければ、出ておいでという!」

5月半ば整形の先生に相談、知人だという脳外科へ紹介状を頂いた。
同病院をインターネット検索、CT MRI等の設備も万端整っている。
良し・・・・・!
 
次の日の早朝30分車を走らせた。ローカル線の踏み切りを
越し200メートル位先の所に、広い駐車場を備え病院はあった。

【脳外科へ不安げに走る踏み切りの点滅に占ふ良か悪かや】

開院の20分前に着いたが、まだ扉はひらいて居ず患者と思わしき人が
一列に並んでいた。私は16番目に並ぶ、あっという間に列は長くなる。

8時50分に扉が開いたのか行列が進みはじめた。
すると玄関で一人の白衣の女性が一人一人に丁寧に「お待たせ致しました。」
と迎え入れてくれた。待合所の25席ほどの椅子は見る見る満席となる。
立っている人の分だけ先ほどの白衣の女性が補助椅子を追加した。

9時になろうかと言うとき、診察室から院長を先頭に、 次々と
病院のスタッフ勢揃い、総勢14名院長を中央に三角形に並ばれた。

そして、待合室の我々患者に・・・・・
 『おはようございます!お待たせ致しました。
  これより診療を始めます。よろしくお願いします』と院長が挨拶、
  全員揃って礼。。。。。!

  【ほのぼのとこころ充たせし待合室開始を告ぐる医師を尊む】

 驚いたと同時に初めての訪問院に来て緊張していた気持ちがふっとんだ。
 こんなに挨拶がこころを豊かにしてくれるものとは思わなかった。

 CT 検査の結果脳に異常はなく、ひと安心!
   筋肉の緊張緩和の薬リンラキサー錠 炎症の痛みが和らぐロキソニン錠
   胃粘膜の保護剤セルベックスの投薬を受けた。
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