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阿見AC日記

阿見アスリートクラブで起こった出来事、試合速報、お知らせ、などなど

群馬ヤクルト 星野哲也社長 お別れの会

2014年11月25日 | 楠康夫 理事長
ヤクルト業界を辞めて8年

人として、この会は行かないときっと人生の悔いを残してしまうと思い。

朝、愛車に乗って群馬に向かいました。

群馬は、ニューイヤー駅伝で1988年から26年皆勤賞で応援に行っている地です。

ネットで会場を調べて、

誰に連絡をする事もなく・・・・

ただただ、

何故か?竹内まりあ『インプレッションズ』中島みゆき『短編集』

車に乗る前にCDを待ちだして、何故なんだろう?どうしてなんだろうと?思いながら・・・

車の中で、久しぶりに全部聴きながら

ヤクルト時代、通勤時にもよく聞いていましたから・・・

仕事とクラブ、両立か辞めるか?悩んだ6年、その頃によく聞いていたCD・・・


星野社長には、人生のポイントでタイミング良く
楠君ならやるね!と 歯切れの良い、温かい言葉にどれだけ励まされたか・・・

星野さんが、本社を辞め群馬ヤクルトに行かれるときに

私が、本社を辞め販売会社行く前に、群馬ヤクルトに行ったときに

龍ヶ崎センターに来られた時に

ヤクルトを辞めるときに

阿見アスリートクラブで群馬リレーカーニバルに行った時にも

ヤクルトでは社長には慣れませんでしたから

自分でトップになりました。と、言ったときも

・・・・・・

嬉しかったです。

最後にお会いしたのは、2012年6月 群馬県敷島競技場で開催された北関東高校、新潟インターハイブロック予選

お忙しそうなので、無理をされないようにとお伝えしていましたが、

偶然にも私が公園の駐車場を歩いていたときに、楠くんと、温かい歯切れの良い星野さんの声が、ちょっと時間が空いたから、会えるどうかわからないけど、そんなつもりで、差し入れもって来たと・・・

握手をして、ほんの数分で戻られました。

今、考えると奇跡のような感じです。

その時、病魔に襲われていたことなど私には、知る余地もない、パワフルさでした。

星野さんとのそんな事を思い出すと、ウルウルしながら・・・・

前橋市のベルシア文化ホール(群馬県民会館)へ

大きな会場は、溢れんばかりの参列者でした。

代表者の『お別れの言葉』まさに、私の知っている、その通りのお人柄の出ていた59才の人生を振り替えられていました。

私の携帯電話には、星野社長の携帯の電話番号があります。

資料は送っていたのに、何故、この1年電話しなかったのかな~~~

病気のこと知っていればな~

悔やまれます。

NPO法人阿見アスリートクラブとして、群馬リレーカーニバルに現役時代のマリエコーチを連れて行ったときにも、楠君、群馬でアスリートクラブやらないか?と、言われていました。

そうしたら、協賛できるんだけどな・・・

私は、茨城の阿見町が好きだからと・・・・

いつか、全国区になって阿見アスリートクラブのスポンサーになってもらいたかったのに・・・

さすが、楠君だね! 言ってもらって・・・

握手、したかった・・・・

もう、それは叶いませんが

私の心の中には、しっかりと刻まれています。

もう一回、会いたかったな・・・

今度、お会いするときは天国で、私が人生を全うしたときですね。

それまで、さようなら







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