ヤクルト業界を辞めて8年
人として、この会は行かないときっと人生の悔いを残してしまうと思い。
朝、愛車に乗って群馬に向かいました。
群馬は、ニューイヤー駅伝で1988年から26年皆勤賞で応援に行っている地です。
ネットで会場を調べて、
誰に連絡をする事もなく・・・・
ただただ、
何故か?竹内まりあ『インプレッションズ』中島みゆき『短編集』
車に乗る前にCDを待ちだして、何故なんだろう?どうしてなんだろうと?思いながら・・・
車の中で、久しぶりに全部聴きながら
ヤクルト時代、通勤時にもよく聞いていましたから・・・
仕事とクラブ、両立か辞めるか?悩んだ6年、その頃によく聞いていたCD・・・
星野社長には、人生のポイントでタイミング良く
楠君ならやるね!と 歯切れの良い、温かい言葉にどれだけ励まされたか・・・
星野さんが、本社を辞め群馬ヤクルトに行かれるときに
私が、本社を辞め販売会社行く前に、群馬ヤクルトに行ったときに
龍ヶ崎センターに来られた時に
ヤクルトを辞めるときに
阿見アスリートクラブで群馬リレーカーニバルに行った時にも
ヤクルトでは社長には慣れませんでしたから
自分でトップになりました。と、言ったときも
・・・・・・
嬉しかったです。
最後にお会いしたのは、2012年6月 群馬県敷島競技場で開催された北関東高校、新潟インターハイブロック予選
お忙しそうなので、無理をされないようにとお伝えしていましたが、
偶然にも私が公園の駐車場を歩いていたときに、楠くんと、温かい歯切れの良い星野さんの声が、ちょっと時間が空いたから、会えるどうかわからないけど、そんなつもりで、差し入れもって来たと・・・
握手をして、ほんの数分で戻られました。
今、考えると奇跡のような感じです。
その時、病魔に襲われていたことなど私には、知る余地もない、パワフルさでした。
星野さんとのそんな事を思い出すと、ウルウルしながら・・・・
前橋市のベルシア文化ホール(群馬県民会館)へ
大きな会場は、溢れんばかりの参列者でした。
代表者の『お別れの言葉』まさに、私の知っている、その通りのお人柄の出ていた59才の人生を振り替えられていました。
私の携帯電話には、星野社長の携帯の電話番号があります。
資料は送っていたのに、何故、この1年電話しなかったのかな~~~
病気のこと知っていればな~
悔やまれます。
NPO法人阿見アスリートクラブとして、群馬リレーカーニバルに現役時代のマリエコーチを連れて行ったときにも、楠君、群馬でアスリートクラブやらないか?と、言われていました。
そうしたら、協賛できるんだけどな・・・
私は、茨城の阿見町が好きだからと・・・・
いつか、全国区になって阿見アスリートクラブのスポンサーになってもらいたかったのに・・・
さすが、楠君だね! 言ってもらって・・・
握手、したかった・・・・
もう、それは叶いませんが
私の心の中には、しっかりと刻まれています。
もう一回、会いたかったな・・・
今度、お会いするときは天国で、私が人生を全うしたときですね。
それまで、さようなら
人として、この会は行かないときっと人生の悔いを残してしまうと思い。
朝、愛車に乗って群馬に向かいました。
群馬は、ニューイヤー駅伝で1988年から26年皆勤賞で応援に行っている地です。
ネットで会場を調べて、
誰に連絡をする事もなく・・・・
ただただ、
何故か?竹内まりあ『インプレッションズ』中島みゆき『短編集』
車に乗る前にCDを待ちだして、何故なんだろう?どうしてなんだろうと?思いながら・・・
車の中で、久しぶりに全部聴きながら
ヤクルト時代、通勤時にもよく聞いていましたから・・・
仕事とクラブ、両立か辞めるか?悩んだ6年、その頃によく聞いていたCD・・・
星野社長には、人生のポイントでタイミング良く
楠君ならやるね!と 歯切れの良い、温かい言葉にどれだけ励まされたか・・・
星野さんが、本社を辞め群馬ヤクルトに行かれるときに
私が、本社を辞め販売会社行く前に、群馬ヤクルトに行ったときに
龍ヶ崎センターに来られた時に
ヤクルトを辞めるときに
阿見アスリートクラブで群馬リレーカーニバルに行った時にも
ヤクルトでは社長には慣れませんでしたから
自分でトップになりました。と、言ったときも
・・・・・・
嬉しかったです。
最後にお会いしたのは、2012年6月 群馬県敷島競技場で開催された北関東高校、新潟インターハイブロック予選
お忙しそうなので、無理をされないようにとお伝えしていましたが、
偶然にも私が公園の駐車場を歩いていたときに、楠くんと、温かい歯切れの良い星野さんの声が、ちょっと時間が空いたから、会えるどうかわからないけど、そんなつもりで、差し入れもって来たと・・・
握手をして、ほんの数分で戻られました。
今、考えると奇跡のような感じです。
その時、病魔に襲われていたことなど私には、知る余地もない、パワフルさでした。
星野さんとのそんな事を思い出すと、ウルウルしながら・・・・
前橋市のベルシア文化ホール(群馬県民会館)へ
大きな会場は、溢れんばかりの参列者でした。
代表者の『お別れの言葉』まさに、私の知っている、その通りのお人柄の出ていた59才の人生を振り替えられていました。
私の携帯電話には、星野社長の携帯の電話番号があります。
資料は送っていたのに、何故、この1年電話しなかったのかな~~~
病気のこと知っていればな~
悔やまれます。
NPO法人阿見アスリートクラブとして、群馬リレーカーニバルに現役時代のマリエコーチを連れて行ったときにも、楠君、群馬でアスリートクラブやらないか?と、言われていました。
そうしたら、協賛できるんだけどな・・・
私は、茨城の阿見町が好きだからと・・・・
いつか、全国区になって阿見アスリートクラブのスポンサーになってもらいたかったのに・・・
さすが、楠君だね! 言ってもらって・・・
握手、したかった・・・・
もう、それは叶いませんが
私の心の中には、しっかりと刻まれています。
もう一回、会いたかったな・・・
今度、お会いするときは天国で、私が人生を全うしたときですね。
それまで、さようなら