マイントピア別子のある場所は昔、端出場(はでば)地区と呼ばれていたそうな。
端出場を後にして、別子ラインを28.5kmもワインディングして到着したのが
別子観光センター筏津山荘 ここで昼食です
この山荘の、すぐ裏に筏津(いかだづ)坑道跡があった
この坑道は、私が23歳まで現役だった。
坑道の奥には、江戸時代と近代の採掘様子を表したマネキンがあった。
以上のことが、CM後に発表するパターンの新発見じゃったら怒るやろ
本当の新発見は、この坑道図ですわ!
なんと!海抜1,294mの山中から、海抜マイナス1,000m以上も掘り下げている。
右上方にある東平(とうなる)が、最近売り出し中の東洋のマチュピチュで
右端に端出場って書いてあるのが、マイントピア別子。ということは?
バイクで28.5kmも走った所を、トロッコは10km程で繋いでいたってこと
石見銀山のように、別子銅山も世界遺産に登録されたらいいのに~
余談じゃけど、皇居前広場にある楠正成像は別子銅山の銅で献納されたって知ってた?
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