東京猫暮らし

東京在住の40代自由業男と2匹の猫とののどかな日常

『インランド・エンパイア』デイヴィッド・リンチ

2007-12-08 14:52:49 | 映画
先日某紙に書いた映画評です。

『インランド・エンパイア』デイヴィッド・リンチ

思わず鳥肌が立つ映像世界、とでも言えばいいのだろうか。試写室の効きすぎた冷房のせいではない。次々と押し寄せる濃密なシーンの数々が、どこか神経を直接刺激してくるのだ。前回の傑作『マルホランド・ドライブ』(2001年)で世界を震撼させた巨匠デイヴィッド・リンチが、更にスケールアップして、強烈な問題作を送り出してきた。
 ニッキー(ローラ・ダーン)は、いわくつきの未完のポーランド映画『47』のリメイク『暗い明日の空の下で』で再起をかけるハリウッド女優。やがて、映画の撮影とリンクするように、私生活でも相手役のデヴォン(ジャスティン・セロー)と不倫をしてしまう。やがて、ニッキーの中で役柄と自分、映画と現実の世界の区別が付かなくなっていく、という一応の物語らしき設定はある。しかし、そこはデイヴィッド・リンチ。到底、一筋縄ではいかないのだ。
 この女優・ニッキーの世界に、映画内映画『暗い明日の空の下で』のシーン、もうひとつの映画内映画『47』のシーン、更に3人の謎のウサギ人間たちの部屋の会話、テレビモニターに映る映像を泣きながら観ている少女、という「5つの世界」が複雑に交錯し、やがてその境界さえも曖昧となっていく。登場人物や時制がどんどん入れ替わり、目まぐるしく展開していく。
 リンチは、今回の作品のテーマを「woman in trouble」(トラブルに遭った女)の話だと言う。夢と現実が溶解していく中で、アイデンティティーを見失うハリウッド女優の悲哀?
 しかし彼は、自身の映画を解説することも、単一に解釈されることも嫌う。「作品には、多様な解釈がある。観客は自分が感じたこと、直観力をもっと信用すべきだ」が、彼の持論だ。彼の映画ではたくさんのアイコン(映像記号)が飛び交い、観客にその解釈を委ねる。私たちは「見ることの自由」を強いられるのである。
 それにしても、この監督は本当に闇が好きだ。「何か」が始まる時、いつも闇の入り口が用意され、我々は登場人物と共に、次の幻想へと迷い込むことになる。何気ない日常的な世界から突如、幻想の領域に踏み込んでいくこの展開は、いつみても見事だ。
 また、彼は観客の深層に、映像と音を通じて直接、触れてこようとする。そして、恐怖は自分自身の内にあるのだ、ということを気づかせてくれる。
 今年は、監督デビュー30年。カルティエ財団現代美術館で回顧展「the air is on fire」が開催(3月~5月)され、日本でも本作品公開を記念して様々(さまざま)な展覧会、イベントが開催される(詳細は『インランド・エンパイア』の公式サイトへ)。
 また、2001年より自らの会員制サイト(英語、www.davidlynch.com)でより自由な制作活動も進行させている。成熟を拒む巨匠の面目躍如、である。
 ともあれ、彼の映画において、さもわかったかのように語ることほど無粋なものはない。ただ黙って映画館の暗闇に座り、不穏で淫靡なリンチの世界に浸ること。映画冒頭のがりがりとSP盤の溝を刻む鉄針のアップと、不気味なノイズから、私たちは一気にあのリンチ・ワールドに引き込まれていくことだろう

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