東京猫暮らし

東京在住の40代自由業男と2匹の猫とののどかな日常

留学生たちのつぶやき

2007-11-08 03:14:50 | エッセイ
 大学で学生と向き合うようになって、もう6年が過ぎた。仕事の延長として引き受けたことが、その後こんなに自分の人生に影響を及ぼすとは、思っても見なかった。
 多くの留学生、特にアジアからの留学生を受け入れている学部なので、近年のアジアの隆盛が訪れる彼らの変化に刻々と現れる。最初の頃は、見るからにみんなまだ貧乏で、一家の希望を背負ってやってきました、という学生たちが、食い入るように真剣なまなざしで、授業を受けていた。私は、教室の中に生まれる日本の大学生とアジアの大学生のはっきりとした空間的な分裂の中、粛々と講義をするほかなかった。
 経済的な背景が違いすぎるのだ。ぎりぎりの生活費の中、日中はすべての授業に出て、終わると深夜までアルバイト。遊ぶこと、話すことでつながっていく日本の大学生とは、まったく交流する時間がない。彼らにとっては東京での大学生活は、日々が闘いなのだ。
 やがて彼らは、各国ごとにグループ化され、大学側の意図に反してディスコミュニケーション化していく。「国際的で豊かな交流」ではなく、「静かに分断」されたムードが醸成されていた。
 しかし、ここ5年ほどの中で、更に続々と入学してくるアジアからの新入生に徐々に変化が現れてくる。少しずつ経済的に豊かになってきているのだ。そして、これはあくまでも主観かもしれないが、彼らの中に「個人」が芽生えてきているように思う。極めて大衆的なこの大学にやってくる留学生は、おそらく向こうでも生まれつつある「大衆層」の師弟たちなのだろう。
最近相談に乗った留学生たちは、こう言った。
「日本に来て、学生たちが自分のやりたいことを探しているのに驚いた。中国では、何ができてどこに就職できるかが大事で、自分の好きなことを仕事にしたいと言うのは、一部の人だけだ。彼らを見ていて、私は自分のことをもう一度振り返ろうと思った」
「僕は、向こうではずっと変わっていると言われ、辛かった。こちらへこれば新しい世界が見つかると思った。日本は格差社会だと言うが、こんなに恵まれた格差社会はない。がんばれば、評価してもらえるんだから。個人の嗜好を大事にできるんだから」
彼らは現在、大学院に進み、「自分探し」をしている。

 アジアの高度経済成長の中、留学生たちは世界中に増殖し、先進国の懐で「自分探し」を始める。かたや格差社会の真っ只中、日本の底辺をさまようフリーターたちは、「自由でゆとりある教育」の結果生まれた、「何をしていいかわからなくなった」人たちの群れである。いかなる「壁」も越えず、いやいかなる「壁」の存在も知らないまま、人生を歩いてきてしまった一群がいる。

大学は、いつまでその「生産工場」であり続けるのだろうか。





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