トムラウシ(2,141m) ((3)のつづき)
それにしても寒いです。山頂で急いでお弁当を食べました。足もとには小さな雪のかたまりがあります。残雪ではなく、まぎれもなく最近降ったものです。8月中旬、トムラウシの今年の新雪かもしれません。
昨日、新得駅から乗ったタクシーの運転手さんが「今日は寒かったなぁ、ストーブを点けた」と話していたその日に、トムラウシでは雪が舞っていたのだと思います。
北沼へまわり道をして帰ることもできましたが、体力も時間もなく、登った道をそのまま帰りました。
トムラウシ公園を見下ろし、遠く雲の切れ間から十勝の山々が顔をのぞかせている風景も印象に残ります。
前トム平は相変わらず風が強かったですが、朝よりは昼の方が弱くなっていました。この付近がトムラウシの風の通り道になっているようです。
トムラウシは壮大で緻密な芸術作品のような山です。立ち止まった場所、起こった出来事ごとに、必ずそれぞれの感動があります。山頂では、どこにあるかも分からないくらい神秘感に包まれていたものが、わずかな時間にどんどん現実のものに変わっていく、味わったことのない感覚がありました。
「~ これは明治維新に際して、秋田佐竹藩士が金の延べ棒(時価三十億円)を隠したという説に基づく。 ~」
「~ そこは、天を突く絶壁に囲まれた谷間で、アイヌの人たちも恐れるトムラウシの函であった。青黒くよどんだ水は無気味さをたたえ、人の近づくのをこばんでいた。
いくたびかこの絶壁の登はんに失敗した。ようやく絶壁の岩石にあった洞穴に財宝をしまい終わらせた。そして休息をとろうとした瞬間、ごうごうという鳴動とともに鼻をつく悪臭が、全員を見る見るうちに包んでしまった。折り重なるように一行は金塊のうえに打ち伏していった。辛うじて入口付近に逃れでた者も、力尽き断崖から落ちて命を絶った。
こうして、その隠し場所は明らかにされぬまま、悠久の眠りについたのであった。秋田佐竹藩士の末路こそ憐れというほかはない。 ~」
(『新得町百年史』新得町百年史編さん委員会編 新得町役場)
下山した日とその翌日、麓の国民宿舎東大雪荘に2泊しました。大浴場横の休憩スペースで読んだ『新得町百年史』に、『トムラウシに眠る埋蔵金』という興味深い話が載っていました。
「~ 明治三年(一八七〇)八月十五日、秋田藩を調べにきた監督使岩男権正に対し密告する者があり、これまでの貨幣鋳造の事実が明るみに出た。藩では少しでも地金の没収を防ぐために、鋳造用の金の延べ棒をひそかに隠した。 ~」のがはじまりとのことでした。
北アルプスの鍬崎山にも埋蔵金伝説があるといいます。秘境だからこそ伝説が生まれるのかもしれません。
面白かったですが、トムラウシの頂上に立ってきたばかりです。山の存在を実感できるようになると、夏でも寒いあの場所に埋蔵金のある気はとてもしませんでした。
2年連続で入った東大雪荘の温泉はゆっくりできました。冬でもここまで除雪されています。外に出られないくらい寒いかもしれませんが、温泉に入る以外何もしない時間を過ごしてみたいと思いました。
【短縮登山口からトムラウシ往復】
登山口4:00→コマドリ沢出合7:19→前トム平8:27→トムラウシ公園9:28→トムラウシ頂上11:26~11:46→トムラウシ公園13:25→前トム平14:05→コマドリ沢出合14:52→登山口17:52
※「短縮登山口」は、車で登山道をショートカットできることからこの名前があります。短縮されたとはいえ、とても長い道のりです。
トムラウシの前月に、やはり距離の長い尾瀬の平ヶ岳に登ったばかりでした。比べると、トムラウシの登山道は起承転結がよりはっきりして、ペースがつかみやすい道のりでした。平ヶ岳には出てくる、ロープをつかんで登る急坂はありませんでした。アップダウンの回数もトムラウシの方が少なかったと思います。
風が強かったのは前トム平あたりと頂上だけでした。強風も寒さも、本州の夏山では遭遇したことのないものでした。
(体力●●●●● 技術●●●○○) (登頂:2018年8月中旬)