心が満ちる山歩き

美しい自然と、健康な身体に感謝。2019年に日本百名山を完登しました。登山と、時にはクラシック音楽や旅行のことも。

奥久慈男体山

2022年01月03日 | その他関東の山


奥久慈男体山(654m)


 1985年に出版された『関東百山』(実業之日本社)の山々を高さ順に並べ替えると、最高峰の奥白根山に続いて2番目に高いのが日光の男体山(2,486m)です。すぐ近くには女峰山も聳え、標高は男体山よりわずかに低い2,483mです。
 北海道の阿寒岳では、雌阿寒岳(1,499m)の方が雄阿寒岳(1,371m)より高いです。茨城県の筑波山は、男体山と女体山二つのピークが並ぶ双耳峰で、こちらも女体山(877m)が男体山より6m高くなっています。
 奥久慈男体山は茨城県の北部・大子町の山です。地図を見るとここには男体山だけがあり、女体山がありません。ただし、すぐ西側に「長福山」という496mのなだらかな山があり、別名が女体山であるといいます。


 水戸から水郡線のディーゼルカーに乗り、およそ1時間で上小川駅に着きます。途中には山方宿という、宿場町そのままといった感じの駅もあります。
 上小川は無人駅ですが、待合室で鳥の鳴き声がしています。音自体が、橋本次郎氏の『奥久慈ハーモニー』という芸術作品でした。
 「~ 「奥久慈ハーモニー」は、まず音のリサーチ(フィールドレコーディング)を行い、大子の象徴的な音を探すことから始まりました。人々の暮らしや、豊かな自然から聴こえてくる様々な音。それらをモチーフとしてつくられた大子の音世界を、この上小川駅で響かせています。 ~」とのことです。レコーディングされた音は、鳥以外にも列車・滝・梵鐘など多種多様でした。
 線路と並行する国道118号線を南下していきます。久慈川が大きく蛇行しているところを、道路も線路も2回鉄橋を渡ってショートカットしています。地図を見ると、川を丹念になぞって迂回している道もありました。
 「滝倉入口」の交差点を左折しました。沢沿いの細い道は山に近づいても明るいです。道沿いのどの家にも陽光が降り注いでいます。対岸の廃屋は屋根の色が紅葉と同化していました。橋は架かっていませんがなんとか歩いて渡れそうに見えました。
 歩いているのは自分一人なのに走っている車の数は多いです。時々、手打ちそば「大円地山荘」の看板が目に入ります。どの車もこちらを目標にしているようです。
 男体山の堂々とした姿が見えてきました。岩壁が縦にも横にも大きくて存在感があります。みるからに堅そうな岩盤は、もとは海底火山だったといいます。海底だった場所が、隆起して浸食されて、堅い部分だけが残って男体山になりました。
 山を眼前にして自分も手打ちそばが気になり、「大円地山荘」まで寄り道してみました。コンクリートの「滝倉トンネル」をくぐり、下り坂の先に入り口がありました。やはり車がたくさん停まっています。
 到着したのは午後2時過ぎ、蕎麦は残念ながら売り切れでした。蕎麦屋の裏に続く登山道は急坂から始まり、杉林は標高が上がると自然の広葉樹林に変わりました。ところどころ紅葉を楽しめ、葉を落とした巨木もなかなかのものでした。
 「大円地越」からさらに登って稜線に乗ると頂上が見えます。すぐそこの頂上に立つまでには、急な下り坂と登り返しがあり、道幅の狭い場所もありました。低山ながら稜線歩きの雰囲気たっぷりでした。
 頂上にはテレビの中継アンテナがあり、「頃藤」という山とは違う名前の一等三角点があります。山の名前はほとんど分かりませんが、南の方角に、高さのほとんど変わらない稜線がずっと横に続いているのがユニークでした。霞んだ空の向こうに何とか見えているのは筑波山のようです。そこに至るまでには小さなピークがいくつも控えています。見える景色は山、山、また山でした。
 茨城にこんなに山深い場所があるとは思ってもみませんでした。帰りは稜線をさらに北へ進み、「至上小川駅・滝倉」と書かれた標識を左に曲がりました。何とか暗くなる前に、麓の男体神社まで下ることができました。






 (登頂:2021年11月上旬) 



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