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モーツァルト:交響曲第40番の名演 ワルター世紀のライヴ録音を聴く

2022年08月07日 | 名演奏を聴いて思ったこと


 「~ チェット・ベイカーの音楽には、紛れもない青春の匂いがする。ジャズ・シーンに名を残したミュージシャンは数多いけれど、「青春」というものの息吹をこれほどまで鮮やかに感じさせる人が、ほかにいるだろうか? ~」
 (『ポートレイト・イン・ジャズ』和田誠・村上春樹(新潮社))

 自分にとって「紛れもない青春の匂いがする」音楽があるとすれば、それはモーツァルトの交響曲40番をおいて他にありません。モーツァルトの音楽を進んで聴こうと思うようになったのは大人になってからです。
 今も、日本中のピアノ教室でモーツァルトのソナタが教えられていると思いますが、モーツァルトを心から好きだと思って弾いている子供が一体どれくらいいるでしょうか?
 しかし交響曲40番だけは別で、一度聴いただけで旋律が心の中に入ってきました。大人になるまで分からなかった、モーツァルトの魅力へ通じる廊下の扉を開いたのがこの曲なのです。


 ◆(1) ワルター~ウィーン・フィル(ソニー・クラシカル SRCR2692)

  モーツァルトの交響曲40番の決定盤は、1952年5月18日にウィーン・フィルを指揮したこのライヴだと思います。
 演奏前におよそ45秒も続く拍手が会場の臨場感を伝えます。
 第一楽章は、何回も出てくる、ポルタメント(音程を滑らかに変化させる)をつけて演奏されるあのメロディーが何といっても素晴らしいです。自分はその場で聴いていたわけではないのに懐かしい感じがしてきます。
 まるで、小さなホールの室内楽で、一挺のヴァイオリンが眼前から語りかけてくるような気がするシーンですが、実際にはこれは室内楽ではありません。大きなホールの大きな合奏でこの雰囲気が出せるのは驚きですらあります。
 (1:12)では低弦が熱く歌い、(1:26)~のような最高の自信が漲った合奏が何回も聴かれます。(3:52)~では弦楽器のはかなさが印象に残ります。その後に懐かしいメロディーが戻ってきます。

 「~ この楽章全体を通して<美への激しい祈り><より美しいものへの魂の羽ばたき>を実感させ、みなぎるような憧れの情が極まって哀しさを呼んでいる。聴いていて、どこまでがワルターで、どこまでがウィーン・フィルで、どこまでがモーツァルトなのか判然としない。 ~」(『名指揮者ワルターの名盤駄盤』宇野功芳(講談社))

 モーツァルトが晩年(亡くなる3年前)に交響曲40番を書き、ワルターが曲の隅々まですべてを自らのものとし、ウィーン・フィルという唯一無二のオーケストラが存在しなければ、現代のわれわれはこの感動に浴することはできなかったのです。
 第二楽章ははかなく運ばれます。(1:50)~で聴かれる木管楽器の掛け合いのような素晴らしい音色があちこちに散りばめられ、(3:23)では一瞬の「間」が虚無感を醸し出します。速めのテンポで、弦楽器の細かい動きが生み出す静けさも、1つ1つがすべてなんとも言えません。録音は古いとはいえ、これらの雰囲気はすべて当時のまま伝わってきていると思います。
 第三楽章から第四楽章にかけても速く、第四楽章冒頭の激しいリズムからは、聴衆の固唾をのむ様子まで見えてくるようです。(2:35)のヴァイオリンのクレッシェンド(音を次第に強くする)は、わずか数秒の出来事なのにまるで天まで駆けのぼるような感じがします。空前絶後のライヴ録音には懐かしさと焦燥感の両方があります。


 ◆(2) ワルター~コロンビア交響楽団(ソニー・クラシカル SRCR8775)
 ◆(3) ワルター~ニューヨーク・フィル(ソニー・クラシカル SRCR8674)
 ◆(4) ワルター~ベルリン・フィル(キング「ブルーノ・ワルターの遺産 ~ ターラ編」KKC-4137/42)
 ◆(5) ワルター~ローマ・イタリア放送交響楽団((4)と同じ) 

 ◆(2)コロンビア交響楽団を指揮したCDは、ワルターが亡くなる3年前の録音です。唯一のステレオで、1959年の録音でありながら十分に鮮明、5枚の中ではもっとも聴きやすいものだと思います。
 ウィーン・フィルとのライヴに比べると、晩年のワルターが指揮する音楽はもっと落ち着いたものになっています。あのポルタメントもありませんが、縦の線がきっちりした40番のメロディーもまた素晴らしいものです。
 第二楽章は、ウィーン・フィル盤では、宇宙を一周する様子を8分間の静けさに封じ込めたくらいの超越的な雰囲気を感じるのに対し、孤独な足取りを表現したような人間味のある演奏に変わっています。
 第三楽章・フィナーレともテンポは遅くなっています。何か意志をもって立派さを表現しようとしたものではなく、立派さが自然に立ち昇ってくるような演奏です。
 
 ◆(3)ニューヨーク・フィルのCDは1953年のスタジオ録音で、第一楽章の表現は(1)よりも(2)に似ていますが、オーケストラの響きはずっと豊かさを増し、残響は長く、強弱の振幅が大きいです。ト短調の暗さや寂しさからは最も遠い演奏がここにあります。(2)よりも大きな編成のオーケストラから引き出されているのは、迫力や焦燥ではなく陶酔感です。音色はビロードのような感触を持ち、音の角はすべて取れ、言うなれば、なみなみと注がれたワインの紅色を霧の向こうから眺めるような雰囲気なのです。
 ◆(4)ベルリン・フィル盤では、(1)から(3)ほどの際立った特徴はないように思いますが、オーケストラの迫力を自然に生かしているところが魅力です。
 ◆(5)ローマ・イタリア放送交響楽団との演奏は、はるか遠くから聴こえてくるような第一楽章の冒頭が印象的です。普段それほど共演していない楽団を、手探りで解き明かしていくように指揮する様子が伝わってくるのが独特に感じられました。第四楽章の迫力はウィーン・フィル盤にも匹敵し、ワルターはイタリアのオーケストラに確かな足跡を残しています。
 こうして5枚のCDを聴き比べていくと、40番の奥義を極めた指揮者はワルターただ一人であり、モーツァルトと最も近い場所に立っていた芸術家もやはりワルターではないかと思いました。



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