本と映画の感想文

本と映画の感想文。ネタバレあり。

『九百人のお祖母さん』

2005年04月21日 | SF
作者:R・A・ラファティ
出版:ハヤカワ文庫(1988/2/10)
初出:1970
ジャンル:SF
評価:8/10

 アメリカの法螺吹きおじさん、R・A・ラファティの短編集。どうも、法螺の度合い、というか、法螺に対する作者の自信の強さ順に並んでるような感じで、後半へと読み進めていくにしたがい強烈なドライブがかかった法螺話にどっぷりハマることになる。
 多くのSFが物語の背景を語るためにいろいろな理論を持ち出し、説明を重ねるのだが、ラファティの物語には説明も言い訳もない。当たり前の事実のようにウソが書かれている。まじめに考えれば矛盾だらけだが、そんなことは百も承知で、糊塗するそぶりも見せない。自信満々にウソをつく、それがおもしろいのだ。

九百人のお祖母さん
 ラファティならではの答を期待するのに、結局、答を明かさないので、消化不良。ご先祖が次々登場するところは面目躍如。強そうな調査員の名前は面白い切り口。

巨馬の国
 ロサンゼルスの住民は、27世紀になっても20世紀の自動車を乗っているだろう、という話。最後の『あいつらがきて、われわれのディズを取り上げた』に重要な意味が隠されているんだろうか?

日の当たるジニー
 ザウエン人が、ウエザン猿(ローデシアの暴れ猿)と同じってのがポイントか。4歳の子供がちょーうるさくて、しかも、親がそのわがままをなんでも聞いてやる様を描いたものだろう。

時の六本指
 あまり驚きがないかな。『穴の向こうの種族』はラファティが好きなテーマかもしれない。ホントなのか、ウソなのかわからない挿話がちりばめられていて読者を煙に巻く。

山上の蛙
 種族絶滅と友人殺害の謎解きであり、冒険譚。展開が早く、チャヴォやアランの幽霊はキャラクタがはっきりしている。主人公が怪我をしてボロボロになるさまはブラックユーモアでもある。かなり、この短編集も、この物語あたりからラファティ味がかなり濃厚に出てくる。

一切衆生
 残虐な子供の仕打ち、そして、その子供への無慈悲な仕打ち。それはそれでいいんだろう。機械が人間の中に混じっていても、登場人物たちは当然のことと思っている。ここら辺もラファティ風。

カミロイ人の初等教育
 カミロイ人の教育も奇想天外だが(つまり、それを考え出したラファティが奇想天外ということ)、結論の3番目がすべてを象徴している。

スロー・チューズデー・ナイト
 まず、『アベバイオス障害』と出てくる時点でヤラレテしまう。そして、行動が早くなった人類をサポートする機械もアヤシさ満点。

スナッフルズ
 ラファティ法螺話絶好調である。迷いなく、法螺を突き進んでいる。1960年という早い年代に書かれたとは思えない。

われらかくシャルルマーニュを悩ませり
 ラファティの小説では、単純にコンピュータなどとは言わない。ここでは、エピクティック・マシン。由来は不明。そして、ふざけた性格を持つ。アヤシイ。
 一方、シャルルマーニュの話は、きっと本物の歴史なんだろう。
 胡散臭さと正確さが見事。

蛇の名
 宣教師の何パーセントかはこのような末路を辿るのだろう。送り出す側は、宣教に出発する前にそこら辺の確率をきちんと教えておくべきである、という話(ウソ)。
 アナロス星人も、標準に会わない子供を<賢明な選択>といって殺している。ラファティはこういう<選択>が好きなんだろうか?

せまい谷
 ここでは、魔法を再びかけるために、この谷を調査にきた大科学者ウィリー・マッギリーが協力するのだが、この人、『われらかくシャルルマーニュを悩ませり』の<研究所>のメンバーだった。なるほど、魔法に詳しいのも当たり前か。すがすがしい法螺話。

カミロイ人の行政組織と慣習
 こんなのがホントにあったら、社会全体が「シャカリキ!」になりそうだが、カミロイ人たちは常に自身満々、態度に余裕があって、地球人をゾッとさせるユーモア精神を持っている。げに恐ろしき人たち。

うちの町内
 まさに法螺話。様子をのぞきにきた二人もある程度驚いて、あとは受け入れてしまう。たぶん、世の中なんて、そんなもんなんだろう。

ブタっ腹のかあちゃん
 半分酔っ払ったような主人公の一人称で語られる。所々のユーモアもすごいが、オチにも驚かされる。ラファティが法螺話だけではなく、小説技巧も見せつける。でも、技巧がダメじゃ、こんなに有名にならないはずだな。

七日間の恐怖
 作中の巡査の言葉、「可能性は七つしかない。ウィロビーのとこの七人の子供、あの中のだれかがやったんだ」。が最高。ラファティのほかの物語にも出てきそうな恐ろしい子供たち。
 ちなみに、ここにも『せまい谷』の3人の大科学者たちが出てた。おもしろい事件が起こるところ、必ず現れるらしい。

町かどの穴
 ディオゲネス(<研究所>の準メンバー)の説明がまた胡散臭い説明をしてくれる。ポイントはホーマーの妻レジナが夫に買ってくるよう頼んだコリアンダー。女王毒蜘蛛レジナにいわせると、夫ホーマーを食うときはコリアンダーがいい薬味になるんだそうだ。

その町の名は?
 法螺話も絶好調である。
 エピクトが提示する記憶の消しカスが、はじめはまだなんとなくわかるような気がしていたが、途中からはまったく意味不明、というか、こんなものに意味があるのかと思ったら、最後の種明かしですべてしっくりくる。ラファティの趣味が外国語とあとがきに書いてあったが、言葉好きなところが良くわかる。

他人の目
 そういえば、『われらかくシャルルマーニュを悩ませり』で、ヴァレリーとコグズワースは夫婦と紹介されていた。その馴れ初めの話。ラファティの話ではまともな内容か。

一期一宴
 人生の「愉しみ(!)」を24時間で体験する男の物語。あらすじに列挙したような事項が人生の愉しみと言い切ってしまうところがすごい。『スロー・チューズデー・ナイト』も1日で人生を楽しむ話だったが、まだしも科学的。こちらでは、読者の納得がいくような説明をする、といった努力も放棄、欲望と直感だけで突っ走る本格法螺話。法螺以外何もない傑作。どことなく、『悪魔は死んだ』を思わせる。

千客万来
 ハリイ・ハリスンの『人間がいっぱい』とくらべ、なんとのどかな人口過密。人と人は密着すると、より密接な関係を築くことができるようだ。