本と映画の感想文

本と映画の感想文。ネタバレあり。

『心をあやつる男たち』

2005年05月15日 | ノンフィクション
作者:福本博文
出版:文春文庫(1999/6/10)
初出:1993
ジャンル:ノンフィクション
評価:6/10

 社員教育の胡散臭さが良くわかった。結局、教えるほうは教育そのものではなく金儲けが目的である。受けさせるほうをみれば、どんな教育をしたって社員が劇的に変わることはないのだが(ここにあるSTのように一時的には変わっても)、変わらないからといって手をこまねいていては上司にしかられるので、次々新しい商品に飛びついてしまう。さらに悪いことに、この効果がない教育法が「大企業で採用された」という実績のみで中小企業に伝播していく。・・・ということで、営業職につくことがあったら、これを参考に、まずは大企業に、次に中小企業に売り込もう。まぁ、はじめに大企業に売れないとだめなんだけど。

 さらに、この本では自己開発セミナーやカルトの姿を暴いている。こんなものがはやるのも、人間関係が希薄になり、人のぬくもりに飢えた人々が増えたためらしい。
 ところで、とある部署の課長が自分の部下を集めて、ヘンなミーティングをやったらしい。ふたり一組で向き合って、おたがいの目を見て相手のことをほめあったりとか。きっと、自分が受けたセミナーに感動して、「善意で」部下たちにも同じことを試したんだろう。身近にも自己開発セミナーが忍び寄っているのだ。気をつけよう。

 さて、この本の中で気になったところ;
  • アルビン・トフラー『第三の波』にも、能力開発セミナーに関する記述があるらしい。(P.179)
  • 「シャクティパット」「定説」「ミイラ」のライフスペースも自己啓発セミナーから派生したものだった。(P.216)
  • サイエントロジー教団はL・ロン・ハバートが提唱する「ダイアネティックス」という心理療法から出発した。A・E・ヴァン・ヴォークトもこれにハマッてたのか。あ~あ、もったいない。(P.223)

『この世の王国』

2005年05月12日 | 文学
作者:アレホ・カルペンティエル
出版:水声社(1992/7/30)
初出:1949
ジャンル:ラテン・アメリカ文学
評価:6/10

 さて、白人農場主の支配が終り、黒人による政治が始まれば、それまで奴隷として搾取された人々の生活がよくなると単純に考えてしまいがちだが、実際はさらにひどくなってしまうらしい。なぜなら、白人は黒人たちを労働力=財産と考えるから、ある程度、黒人たちを大事にするが、黒人支配者は黒人たちをとにかく働かせ、搾取するだけだからだ。彼らが死のうが生きようが気にもかけない。死ねば次の黒人を連れてくればいいとしか考えていない。作者は「子供が親を、孫が祖母を、嫁が料理を作ってくれる姑を殴りつけるようなものだ」と表現している。お見事。

 なぜ、こんなことになってしまったのか、どうすればこの袋小路から抜け出せるのかわからないが、主人公のひとり黒人奴隷のティ・ノエルは、こんな環境にあっても、しあわせは天国ではなく、この世にあると考える。「一度も顔を合わせたこともない」が「ほかの恵まれない人びとのために苦しみ、希望をつなぎ、せっせと働く」ことに「この世の王国においてこのうえなく偉大なもの」「至高のもの」があるという。そして、最後は圧制者と戦うことを宣言し、自らハリケーンとなってムラートたち新しい支配者の工事現場を襲う。これは、白人的秩序ではなく、その土地のアミニズムなどのルールによる秩序を求める姿ではないだろうか? まぁ、そんな鎖国みたいなことはいまの地球では無理っぽいが、白人のルールだけが唯一でもないだろう。なんか、あたらしい秩序はないもんかね。

『黙示録3174年』

2005年05月08日 | SF
作者:ウォルター・M・ミラー・ジュニア
出版:創元推理文庫(1971/9/25)
初出:1959
ジャンル:SF
評価:8/10

 核戦争による破壊と混迷、科学の復活、そして、再度の戦争と新しい人類への希望を、1つの修道院を通して描いた力作である。飽くことなく過ちを繰り返す人類が冷徹に描かれている。人類の未来に対し、SFが描けることは何か?という命題に真摯に取り組んだ結果ともいえる。

 キリスト教をふくめ宗教には縁が薄く、その活動や教えなどほとんど知らないのだが、この小説でその一端を垣間見た気がする。たとえば第3部で、もはや治療も無理という母娘に対し、科学者(といっても政府のお先棒だが)は「死になさい」といい、修道院長は「祈りなさい」という。祈ることが、怪我・病気の解決になるわけではない。それでも祈るのは「からだがつらいおもいをしているにもかかわらず、魂が信仰と希望と愛を保っていることが神を満足させる」のだそうだ。そして、修道院長は自殺ではなく尊厳ある死を迎えることを説く。ちょこっとだけ宗教の真髄に触れたような気がした。