アルベールのフリースタイル日記

気の向くままにモノローグってみます。気の向いた時にいろいろと書いてみようと思います。

人に優しく

2003年09月01日 | Weblog
びっくりした。
ラジオを聴いていると、突然ミスチルの新曲(どうやら現在のところは発売の予定なんかはないみたいだけど)が流れた。
思わず、コンポに手をのばして録音した。

『タガタメ』という曲だ。
今までのミスチルの曲と大きく違っている。
今の社会に対しての強い桜井和寿からのメッセージに感じた。
公式HPにこの曲に対する思いが載せてあった。

僕のいつも見ているファンサイトでは、この曲がちょっとした問題となっている。
「好き」という人。「嫌い」という人。
賛否両論だ。
まぁ、そんなのはどうでもいい。

僕は『タガタメ』の歌詞を見ていて、ある掲示板の書き込みを思い出した。

「明日があるって思いながら毎日を生きるより、明日の朝もし目が覚めなくても後悔しない毎日を送りたい」と。

僕は考えました。
「果たしてそうだろうか?」と。
一見使い古されたセリフだけど、答えは出てないし、出るはずもない。

ゲーム理論の一トピックで、「囚人のジレンマ」ってのがあります。
簡単に説明すると、
「2人の人がいて、協力すると双方とも大きな利益が得られるのに、裏切った時により大きな利益があるために、『一回限りの行動では』裏切り合いによって結局2人とも小さな利益しか得られない」
という現実を理論的に表したものです。

これに従えば、「明日死ぬとわかっていれば、今日は人の迷惑など考えずに自分の利益だけを考えて好き勝手生きる」ということになる。

ところが、この理論には続きがあって、実は、
『終わりを決めずに何度もこのゲームを繰り返すならば』、人は相手の報復を恐れてお互い協力するため、双方とも大きな利益を得ることがあります。

つまり、死ぬ時期が不確実ならば、人は互いに共存し得る、つまり、今日の利益を減らすリスクを負うことが明日以降を幸せに生きることにつながるといえます。

じゃあ、本当に明日死ぬとわかっていれば、自分勝手に生きるだろうか?

僕はそうは思わないし、きっと僕自身はそういう生き方はしないだろうと思う。
それは死期を悟ったガン患者が多くの場合人に優しくふるまうのと一緒だ。

僕が死んでも、かなり高い確率で(つまり地球滅亡とかがない限り)世界は何事もなかったように動き続けるでしょう。
だとすると、僕は僕が死んだ後も僕の大好きな人々が幸せに生きて欲しいと思う。

つまり、僕の死が「囚人のジレンマ」ゲームの終わりを意味するわけではなく、

したがって、明日死ぬとしても『人に優しくいたい』と思うわけです。

もちろん、彼女(その掲示板に書き込んだ人)が「『今日を後悔せずに生きる』=『自分勝手に生きる』」と言っているわけではないことはわかっている。

だけど、僕なりに得られた結論は僕にとっても彼女にとっても必要であると思う。

「自分が死んだって世界には明日がある。大好きな人たちは明日も存在する。その明日があると思うから、今日を後悔せずに生きられるのではないかい?
その明日があると思ってるから、人に優しくできるのではないかい?」

「人に優しくする」こと。
心に余裕がないと、人には優しくできないですね。

「左の人 右の人
 ふとした場所できっと繋がってるから
 片一方を裁けないよな
 僕らは連鎖する生き物だよ」(タガタメ)