最近、インターネットを使っていると、あっという間に時間が過ぎてしまう。
え、もうこんな時間?ということもしばしばである。
大学で空き時間にやっている時など、
用が済んでも時間いっぱいまで「別に今やらなくてもいいこと」をやってしまうことが多い。
何だか、インターネットをやっていないと落ち着かないといった「インターネット依存症」の前触れではないか、とも思える。
携帯電話も同じではないかと思う。
どちらも「これがないと生活そのものが成り立たない」という人は少ないはずだ。
不便になるが生活はしていける、という人が大多数だと思う。
しかし、一度使い始めるとその便利さに慣れてしまい、
なかなか手放せない人が多いのだろう。
そして徐々にそれに依存していき、
前にテレビで見た「1日5時間も携帯でメールを打っている若者」のような現象が生じるのではないだろうか。
僕から見れば理解に苦しむ現象であるが、
「携帯」を「インターネット」に置き換えてみると、
わが身も程度の差だけのような気がしてくる。
インターネットも携帯電話も、そもそもは何らかの目的のために利用する道具にすぎないはずだが、いつしかそれ自身が目的となってしまっていることがある。
最近、用が済めば極力早くインターネットをやめるように注意していて、思うことである。
え、もうこんな時間?ということもしばしばである。
大学で空き時間にやっている時など、
用が済んでも時間いっぱいまで「別に今やらなくてもいいこと」をやってしまうことが多い。
何だか、インターネットをやっていないと落ち着かないといった「インターネット依存症」の前触れではないか、とも思える。
携帯電話も同じではないかと思う。
どちらも「これがないと生活そのものが成り立たない」という人は少ないはずだ。
不便になるが生活はしていける、という人が大多数だと思う。
しかし、一度使い始めるとその便利さに慣れてしまい、
なかなか手放せない人が多いのだろう。
そして徐々にそれに依存していき、
前にテレビで見た「1日5時間も携帯でメールを打っている若者」のような現象が生じるのではないだろうか。
僕から見れば理解に苦しむ現象であるが、
「携帯」を「インターネット」に置き換えてみると、
わが身も程度の差だけのような気がしてくる。
インターネットも携帯電話も、そもそもは何らかの目的のために利用する道具にすぎないはずだが、いつしかそれ自身が目的となってしまっていることがある。
最近、用が済めば極力早くインターネットをやめるように注意していて、思うことである。