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大善人へ身魂磨き

紫雲 3 密教法具

密教を唐で学んだ空海さんは、唐の地を後にする時、日本で密教を広めるためにふさわしい地を示したまえと願いを込め、密教法具の一つである「三鈷杵」(さんこしょ)を港から東の空に向けて投げました。


三鈷杵は金色の光を放ちながら、紫雲の中に消えていきました。 


この法具は、金剛杵のひとつとされていて、もとはインドの雷の神様の持っていたもののようです。爪状の所を鈷とよび、悟りを妨げるものを祓う武器のような力があるそうです。




日本に帰った空海は、修禅道場にふさわしい地を探す旅に出ました。 


そして、ある日のこと、白と黒の二匹の犬を連れた猟師に出会います。この猟師は狩場明神であり、高野山の地主神です。その猟師が、二匹の犬に先導させて、空海を高野山へと導いたのです。




高野山にたどり着いた空海は、山の途中にある神社で泊しました。そこで、山の主の丹生都比売(にうつひめ)様が山をそっくりあなたに差し上げましょうと空海に告げました。


世界遺産である紀伊山地霊場と参詣道にある丹生都比売神社は緑の山と朱のコントラストが美しい神社です。参道すぐにある輪橋がとても素敵でした。




今でも御神犬として、黒と白の犬がいるようです。見ることはできませんでしたが、白い犬は昔飼っていた愛犬にそっくりで画像を見た時懐かしい気持ちがしました。



写真は丹生都比売神社画像より

愛犬太郎

空海は、高野山に鎮座する二柱の神様から修禅道場を開く許しを得ることになります。さらに「高野山に伽藍や大塔を作る手助けをしましょう」という申し出まで受けたのです!!


京の都に戻った空海は、嵯峨天皇から高野山の下賜の許しを受け、開創に取りかかりました。 その後まもなく、空海は、高野山の松の枝に唐の港から投げた「三鈷杵」がひっかかっているのを発見します。


紫雲が唐から三鈷杵を運んできたのでしょうか。凄いですね!!空海さんは、よく仏教法具を持った姿で描かれています。とても大切なものだったんだなと思いました。


つづく


【画像は空海検索画像より】

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