その南国市に気になる神社があり、帰省したら訪れてみたいと思っています。
三輪の地名を調べていましたら、三和琴平の地名を見つけました。私は、響きをまず感じるので、三和⇆三輪。
すると、そこは高知県南国市の地名でした。しかも、琴平は、高知県津野山の神様、金刀比羅様のことを知って以来、非常に強く縁を感じるのです。
津野山 金刀比羅様
調べてみますと、大変興味深い話がでてくるのです。
高知では有名な、ひまわり乳業のブログから、一部抜粋いたしますね。随分昔のブログです。
地震と言えば、高知新聞で、「人の記憶 海の痕跡」という特集を連載しよります。土佐湾各所に残る、地震で海没した集落伝説の痕跡や言い伝えを紹介しちょります。これは良い事。高知大学の岡村先生もおっしゃておられるように、過去を調べ、認識し、それに基づいて備えることは、地震対策として非常に大事なのであります。今次の東日本大震災でよく解りました。
南国市の琴平神社の由緒。昔、今は海になっちゅう所に「トッコウの峰」という山があり、そこに、黒崎宮というお宮さんがあって、周囲には村もあったそうです。
で、白鳳地震の際に一夜にして山もろとも海没。その際、海から琴平山に、金色の御幣がヒラヒラ飛んできたので、不思議に思うた里人が、その御幣を祀って金比羅さまと呼ぶようになった、という言い伝え。
(※白鳳時代は645年から701年とされる。白鳳地震は684年)
その黒崎宮は、日本の神奈備山の原型、奈良、三輪山の大神神社から分祠されてきたものやったそうです。なるほど。すると、そのトッコウの峰は、間違いなく三輪山のような姿やったでしょう。
現在の琴平神社のご祭神は大物主神と崇徳天皇。三輪山の大神神社も、もちろん大物主神を祀ります。讃岐こんぴらさんの金比羅宮も、大物主神と崇徳天皇。
ここの琴平神社さんも、讃岐と同じで、海上安全の神様。海上安全は、津波からの安全のことも含むのでありましょうか。そして、この向こうの海に、その黒崎宮が鎮座ましましちょったがでしょうか。
以前にもご紹介しましたが、琴平神社の玉垣には、安政南海地震津波のことが詳しく刻まれちょります。
(※安政南海地震は江戸末期の地震)
海上安全の神様で、南海地震津波を刻む玉垣に取り囲まれる琴平神社さん。その由緒が、これも南海地震に関係しちゅうとは、知りませんでした。
三輪山の大神神社から分祠となると、沈んだ山は、間違いなく神奈備山型。朝倉神社ご神体の赤鬼山みたいな姿。
海底には、まだまだ、過去が残されちゅうかも知れません。
ここまで。
津野山のコトヒラ様も、霊なる世界では赤鬼山や、赤富士のような神奈備山が御神体なのではと思っています。
津野山、金刀比羅様の地
妹と母が道を作り始めた時に、蝶々がヒラヒラ飛んで母の手に止まり応援してくれました。この方のブログにあります御幣とは、紙垂、紙ではありますが、昆虫に姿を変えると、鱗粉(リンプン→金粉みたいと勝手に変換)を身に纏う蝶の様に想像しています。
津野山の神様につきましては、詳しくは妹のブログをご覧くださいね!
海底に沈んだ都市が高知県にもあるのか!と思いました。京都府舞鶴市の冠島近くの海底遺跡かもと以前話題になった写真がこちら。
偶然の産物との見方が強いものの、冠島一帯は1300年前に水没したとされる幻の大地「凡海郷(おおしまあまごう)」かとも言われています。
奈良時代「丹後風土記」に、凡海郷という村が701年3日続きの大地震で海に沈み、山頂だけが海上に残って冠島と沓島になったとの記述があるといいます。
高知県の白鳳地震は、白鳳時代に起きたとすると時代では少し前でしょうか。この時代は、天武天皇から持統天皇治世あたりです。
つづく
【琴平神社(南国市)、赤鬼山、冠島海底遺跡の写真はお借りしました】