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大善人へ身魂磨き

鯰について

今日は鯰について書いてみます。地震といえば、鯰(ナマズ)。地震や火山噴火はいつの時代も怖いです。


この鯰なんですが、九州の熊本や、佐賀あたりでは、眷属神にしてお祭りする神社が結構あるようです。昔の呼び名で、肥後、肥前の「肥」は、肥沃な地だけでなく、火をイメージさせます。大国主神のお子様、建御名方神は、鯰をトーテムとしていたようです。



佐賀 嬉野 豊玉姫神社
白い美肌のご利益。スベスベ美白は嬉しいのぉ〜



諏訪大社の御祭神タケミナカタ神は九州の阿蘇神社のご祭神と兄弟とされており、両者共、鯰を眷属としているようです。


入れ墨のはいった、鋭い目つきの人の話が日本記紀にはでてきます。

古代中国の春秋戦国時代の「句呉」(三国志時代の呉とは違う)の末裔も「鯰」をトーテムにするそうなんです。


後漢書倭伝に「会稽の海外に東魚是人あり。分かれて二十余国を為す。」とある。「魚是」は鯰の意のようで、倭国の方が入れ墨してるのがわかります。


呉越同舟(危機の中で仇どうしが協力し合うことで、また、仲の悪い者が同席する意味です)の言葉にもなっている春秋戦国時代の呉です。



春秋戦国時代の呉人の中には、日本列島へ渡ってきたものもいるとされており、大陸の史書に倭人は呉(句呉)の後裔であると書かれたものもあるようで、すごく昔の縄文時代の渡来人かな。

卑弥呼の時代の、卑弥弓呼のご先祖の一族かな?と勝手に空想を膨らませます。


阿蘇の古い民の中には、鯰をトーテムとするものも確かにいたようです。阿蘇神社の御祭神、健磐龍命は、神武天皇以降の御方で、大鯰を退治して阿蘇を開拓したとされる話が残っていたりします。


この退治された方の大鯰を祀る阿蘇の「国造神社」の方が、阿蘇神社の元宮ともされているみたいです。しかし、国造神社の御祭神は健磐龍命のお子様となっていました。あれ?元宮の方が古いはずなので、おかしいなと調べていると、トリップアドバイザーからこんなお話しをされている方がいました。(真偽はわかりませんが、気になるお名前が勢ぞろい。






細かいことはわかりませんが、霊と和する令和の時代には何かありそうです😳






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