お釈迦様が生まれる際、お母様は白象がお腹の中に入っていった夢を見て妊娠を知ったと言われています。
また、象からは普賢菩薩 (ふげんぼさつ)をイメージします。
普賢菩薩は、仏の悟り、瞑想,修行を象徴する菩薩様で、仏の教化や衆生済度(しゅじょうさいど)をたすける菩薩様とされます。
文殊菩薩とともに諸菩薩の上位にあって釈迦如来の右脇侍(きょうじ)にいらっしゃり、白象にのった姿であらわされる菩薩様です。
普遍的に賢い普賢菩薩様は、瞑想や修行を象徴する菩薩様です。
中国、四川省の峨眉山が普賢菩薩の霊場とされています。世界遺産になっています、坐をする楽山大仏は奈良の大仏の5倍もあるようです。
目に見える最大のもの(山)に仏様の偉大さを出来る限り大きく象ったのかもしれません。自然を御神体とするのは神道の考えですが、実際に生きた仏様ではありますが、その偉大さを形に象るには無限で自然や宇宙のような、そんな感じもします。
この山の名前、山と我、眉、まるで目を瞑って眉と眉の間に叡智の山がそびえ立つイメージがしています。
お釈迦様の額の白毫は、ほくろでなく、智慧の渦。白毫と白象の漢字が似ている気もしています。
象形文字
坐と瞑想を通して到達する境地は山のように高いんだと思います。
私は、昨年スタート全く瞑想や坐をした事がありませんでした。
The 初心者
しかし、瞑想や坐を昨年はじめ、普通の凡人である自分はそういう時間を持つことが大切だと思うようになりました。
今の時代、目が覚めたら、無意識から意識へ引き戻され、昨日までの悩みを引きずったり、目にする不穏な情報で心を掻き乱されたり、外界の世界で意識的に静かになることが難しいです。
悟りたいとか、そういう欲はなく、悟りもキリが無いような世界だと思いますし、それは西遊記の孫悟空が天竺に行ったと思っても実はお釈迦様の指先で偉そうに踏ん反り返っているようなもんだとも思います。
今の先も読めない、鉛筆転がしのような不安な時代を生きている中で、静かな時間を少しの間でも、1日に意識してとる。これは、とても大切に思います。
座禅で知られる永平寺に以前、娘達と行きました。お寺に塵ひとつ無いほど修行僧の方は掃除を徹底されていました。掃除道の大切さを感じました。
永平寺
また別のお寺だったかもですが、今はコロナで黙食を推奨していますが、そのお寺では食事は以前から黙って食べ、食事の器は食を頂ける事に感謝して、口より上に掲げて食べていました。
食事を作り食べ片付ける全ての作業の中に、食を口から頂ける感謝を忘れない作務をされていました。
私は緩い人間ですから、そんな厳しいことは全く出来ていません。しかし、このままじゃ良くないなとも感じていました。
坐をすることを知り、まずは継続すること、その時間は無心にと言われます。それも出来ない自分を思い知ります。
白象に乗った普賢菩薩様。お釈迦様の右にいらっしゃる菩薩さま。修行の菩薩さま。
生きていると、修行だなぁと思うような時もありますが、そんな時にも無心になれない自分をも受け入れながら、自然に無理のない姿勢で坐する時間を大事にしようと思います。
【写真は峨眉山、普賢菩薩、楽山大仏、孫悟空で画像検索したものです】