病や飢饉など、昔は病院もなく神仏に頼る人が多かったのだと思います。
薬師如来の薬は、くすり、ですから、薬師如来像は薬の瓶をお持ちです。薬は、人を楽にするためのものですね!
くさかんむりが薬の漢字にはありますから、人を楽にするものを、古代から薬草として神々は、病を治す草を地上に与えておられるとも思っています。
しかし、薬草の生える山や、土壌にいる驚くべき万能薬の善菌さえも、土地開発、自然破壊により壊してしまっているのが私たちかもしれません。
自然から離れたものや、ケミカルな物を口にしたり、必要以上の量を摂取したり、また、悩み多き時代に精神が肉体までも脅かす、などなど、人体も自然から離れ、自然からのものではない様々なものを取り入れることにより、ケミカルな作用が身体に起こり、病も複雑になっていったように思います。
生命としての輝きは、自然から離れていけばいくほど少なくなる気もしています。
自然は全てを受け入れ癒す薬なんだと思います。
修験道の修行をされた方の本を読みました。私には修験道の経験はありませんが、心の病の方が自然セラピーで癒される話がありました。
心が満たされない、生きづらい世の中、心の病は急増しています。心を物で埋めようとしても、埋まらない事は、今の日本をみてもわかります。
心の病は、本来の自分から離れたくない人の心の叫びだとも思います。
ありのままでいいよ。
爪先立って歩かなくていいよ。
自然に戻ってきなさいね。
と本当の自分がよんでいるのかもしれません。
自然は、自分らしいこと。ありのままで良いと自分で認めること。自分の心が、日や月と離れずにいること。
時に曇って泣いても、また日は出る、月は出ると思うこと。
自然にいるとは、懐のふかい癒しの神様の中に居るという感じがします。
土のない、木のない、都会砂漠に心の病が多いのも、自然から離れることが一因かもしれません。疲れたら自然に身を委ねるといいですね。
心が曇りかけたら、本来の自分を取り戻すように、食事にも気をつけます。ケミカルに頼らないで、自然から、自然に生まれるものや日本が誇る酵母菌の食をいただくこともいいですね。遺伝子組み換えは、自然ではないですね。
自然から離れバランスの崩れた人の身体に、自然の光と、自然の癒し薬や薬草が届きますようにという、形は無いけれど確かにおられる壮大な神仏の明るく、温かいイメージを象ったものが、薬師如来と日・月・光の菩薩様のように思っています。