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大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

一言主神

2021-08-07 04:36:00 | 神仏について

乳イチョウが御神木の神社って、他にもあるのかな?と調べていると、葛城一言主神社がでてきました。御祭神の一言主神は高知の一ノ宮土佐神社の御祭神でもありました。

葛城は今読んでいる役小角に深い縁がある地。まさにシンクロ。驚きました。しかも、高知とも繋がるとは。


一言主神は「古事記」に初めて登場します。


雄略天皇が、460年が葛城山に鹿狩りをしに行ったとき、紅紐の付いた青摺の衣を着た、天皇一行と全く同じ恰好の一行が向かいの尾根を歩いているのを見つけ、雄略天皇が名を問うと「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」と答えました。

天皇は恐れ入り、弓や矢のほか、官吏たちの着ている衣服を脱がさせて一言主神に差し上げました。一言主神はそれを受け取り、天皇の一行を見送りました、とあります。


また、少し後で書かれた「日本書紀」では、雄略天皇が一事主神(一言主神)に出会う所までは同じようですが、その後共に狩りをして楽しんだと書かれていて、神様を天皇と対等の立場として書いています。


時代が下がって8世紀末に書かれた『続日本紀』では、高鴨神(一言主神)が天皇と獲物を争ったため、天皇の怒りに触れて土佐国に流された、と書かれているようです。これは、一言主を祀っていた賀茂氏の地位がこの間に低下したためではないかと言われています。


時の勢力の忖度を感じますね。同じ場面を書く人と時代により変えているのが興味深いです。


雄略天皇が、葛城山に登ると、大きなイノシシがやってきてにらみ合い、雄略天皇が「名前を教えろ。名乗り合ってから、戦おう」というと、巨大イノシシは「いいだろう。私こそ、悪い事も良い事も一言で予言し、実現させる力のある神、葛城に住んでいる、一言主だ」と言いました。天皇は、これを聞いて態度豹変し「失礼しました、偉大な神様。本当に実在するとは、知りませんでした」と頭を下げました。

というなもありました。これは、最初の古事記の記載と似ていますね。


しかし、また別では絵は雄略天皇が猪(山の神)をやっつけています。時代が変わるにつれてこうも神様の描き方を変えるとは。わざわざ、こんな絵を描かなければならなかった意味を考えてしまいます。


天皇の偉大さを、8世紀初期から末期あたり、つまり、古事記が編纂された後の時代辺りからから続日本紀が書かれた辺りに、強く確立させたかった力が働いたといえるのかもしれません。対外的にも示したかったのかもです。唐や新羅に完敗した後でしたから。


ところで、イノシシは、宮崎駿監督がよく描きます。もののけ姫の巨大イノシシが「オコトヌシ」と呼ばれています。なんとなく名前が似ています。作品のヒントをこういうところからも得ていたのですね。自然破壊する人への祟り神(←この呼び方が私は嫌い)のようです。苦笑。自然破壊しなきゃいいだけの話し。我をみて反省すれば、祟りは消える気がします。。。





一言主で調べると、色々とお話がありますが、神様は神様。色々人が書こうと描こうと本当の姿、変わらないものは変わらないように思います。まさに、薔薇とラッパ。薔薇の名前がラッパでも、香りや美しさは変わらない。


この一言主神は、名前が似ていることから、大国主命のお子様、事代主神との関連も言われているようです。


役小角の本では、一言主神は饒速日命であり、古代、加茂一族の崇敬した神だとありました。葛城山は昔は加茂山でしたが、時代の流れのなか加茂一族の地位が落ち名前が変わったとありました。

また、本の中には脛巾(ハバキ)や毛人(エミシ)なんかも出てきて、長髄彦を思わせたり、山で生きる為に火を発すための黒曜石をかなり大変な思いをして役小角が前鬼と探しに行ったり、兎に角、興味深いのです。 

因みに役小角は、修験道の祖と言われる飛鳥時代あたりに実在した御方です。


加茂一族は超古代は吉野あたりの山一帯を統治し、饒速日命の宮殿もあったと幼い役小角は父から聞くのです。父は出雲の出身。しかし、惨めさに耐えられず姿を消します。

役小角は身分により人を分ける時代に、奴隷扱いされた民を救済すべく、修行に修行を積み、民によりそい救います。時代はかわれど、山で修行し、民を助ける空海さんにも姿が重なります。


幼い役小角は、後に饒速日命の宮殿跡を掘り起こします。また、クスネという異形の神(銅鐸)も崇敬していたことを父から聞くのです。


銅鐸といえば、以前ブログに書きましたが、やはり古代では一族の崇敬の神のしるしだったようで、同様の銅鐸が地方各地で発掘されるということは、同じ神を崇敬する繋がりがあったといえそうです。


以前、海部族について書きましたが、超古代、海部族が海を司る一族とすると、鴨族(加茂氏、カモカミも関係あるのかな?)は、超古代に山に深く縁のある神を祀る一族だったという事でしょうか。海部族も加茂族のどちらも、饒速日命を崇めているのが興味深いです。


高知には鴨部という地名があり、加茂氏との縁があるようですし、高知の田村遺跡なんかからは銅鐸もかなり発掘されています。また、饒速日命に縁のある神社もあります。


上賀茂、下鴨神社なんかや、鴨神社の総本宮、高鴨神社を調べたり、加茂氏の役小角の本を読んだり、今は少し暇な時間ができたので、こういうことを調べて、ん!?何?面白い!!と自分の中では繋がる色んなこと空想するのがとても楽しいです。隠された古代史というのでしょうか。。




ただ、反省は、ここまで読んでいただいた方はなんだこりゃ。だと思います。 

わかりにくい内容は承知で、頭の整理にブログを使いました。

ワケワカメ(←昭和の死語!?らしい)。ホントもう、色々スミマセン。m(_ _)m



ここまで読んでいただきありがとうございました。



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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (びこ)
2021-08-07 10:25:41
いろいろ勉強になりました。私も、歳はとっていますが、神様のことを勉強中ですから。これからもいろいろ教えてくださいね。
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Unknown (あき)
2021-08-07 11:12:36
びこさん こんにちは!

すごいわかりにくいこの話を、このように言っていただき恐縮です。ブログを書くことで気になる神様について私も頭でまとめ、学んでいます。たまに、今回のように、ブログを記録として使うので、ヘンテコな内容になります。

私は純粋に神様が好きです。調べていくと、高知は不思議と自分が興味を持つ神様に縁が深い気もしています。人がその土地に生まれ産土の神様に守っていただけるのも、神縁かもと感じています。
コメントありがとうございました。暑いですが、良い週末をお過ごしくださいね♪
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