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大善人へ身魂磨き

歴史の敗者

今日は、昨日の続きです。ご訪問ありがとうございます。


太古の歴史の中で、闘いに負け隠れした一族とか、敗者だって、命からがら逃げて今に命を繋いでくれているご先祖は日本の至る所に確かにいると思っています。


時代の波にのまれたりしながらも、生きている私達は、全てが勝者から縁を繋いもらって今を生きているとも思えません。


京から離れた配流の地、平家の落人なんかが隠れたのが、四国の阿波や土佐(高知県)です。歴史上、権力闘争に負けた人が流されたりしたのが佐渡島であり、九州であり、色んな小島です。


後醍醐天皇は、凄いですね!流されても、何度も復活します。後醍醐天皇を助けた楠木正成様は色んな神社で祀られていたり、皇居前にも銅像がありますが、明治天皇が御即位される前はそんな事なかったようですね。




悪党と言われた時代もあったわけです。楠木正成様の功績を正当に認めたのが明治天皇だということです。


時代によって、悪党とされたり、英雄になったり、人が色付けするのは、白黒真逆になるから、何とも不思議。


古代は未開の東北(蝦夷がいた地)なんかも、権力争いに負けたら逃れるには最適地だったかもしれません。


高知県出身の自分の血には敗者の涙も刻まれているかもと思っています。


配流の地だったと歴史で習った時は、えっ、犯罪者の流された場所!?と思った時もありましたが、悪徳お代官や、悪徳お殿様もいたでしょうし、土佐のいごっそうや、はちきん気質なら、嫌なものにまで媚びへつらうなんて出来ないかもです。情が厚い故郷の気質を私は気に入ってます。笑。


高知には、なんと、平家落人もびっくり!?な、もっと古代の遺跡も土佐市高岡から発見されています。居徳遺跡群という縄文時代晩期、(2800-2500年前)の遺跡です。


9人分15点の人骨が出土、内3体分には金属器によると見られる鋭い傷や矢じりの貫通痕があり、鑑定した奈良文化財研究所は「国内最古の集団同士の戦闘行為の痕跡」と発表したというのです。


平和だったとされる縄文時代に戦争が存在した可能性を示す画期的な発見のようですね。

縄文時代の敗者が悠久の時を経て何かを語るとは、ロマンなのか、悲しみなのかわかりません。


居徳遺跡群は、この「居徳人骨」以外にも様々な古代の出土品が出てきたそうです。


主に東北地方に分布する大洞式土器(縄文晩期~弥生時代初期)

国内に類例のない精巧な文様で装飾された木胎漆器(縄文晩期)





日本最古の木製鍬(縄文晩期)

全国最大級の土偶頭部(縄文晩期)





県内最大規模の祭祀跡(古墳時代前期~中期)


などなど。


昨日の長髄彦の話しに戻りますと、長髄彦の同系図によると、登美建日別命(長髄彦か?)は国造(阿波南部)や、我孫や都佐国造(土佐)の遠祖でもあり、事代主神の孫に位置づけられているともありました。


つまり、長髄彦本人は討たれたか、討たれたように見せかけて逃げた?ものの、その子孫は後世に残り、散らばらり、縁者の中には、四国の阿波・土佐方面に逃走・遷住し、国造りをしたものもいる?ということなのかもです。


また、高知県の田村遺跡からは、弥生時代の銅鐸が多数出土しています。高知県の銅鐸は、三輪氏や賀茂氏族との関連が指摘されているようです。


同じような銅鐸の出土分布が島根(出雲神話舞台)をはじめ、兵庫、徳島、奈良(三輪氏の本拠)、滋賀、長野(諏訪神一族)といった、三輪氏と物部氏の政治連合体で象徴的に用いられていたようですが、神武東征の影響で崩壊した可能性が指摘されていました。Wikipediaより。


銅鐸が何に使われたのか、祭祀なのか?はっきりしていないようですが、何か共通の部族間に銅鐸の形などに共通する特徴があったようです。


また、高知県には旧物部(安芸市や香美市)と呼ばれる地名や、物部川などもあります。


仏教が入ってきた際は、神道の物部氏と、推仏派の蘇我氏の対立がありました。物部氏は日本の土着の信仰を語る上ではかなり重要な鍵を握ると思いますが、敗者となり神道は仏教を抱きかかえる形?というか、圧倒される形で歴史はその後長い間推移します。


しかし、それを良しとしない物部氏一族の誰かが命からがらにげて四国山地を越え高知にたどりついたとしたら、そこで縁起地名、物部を絶対無くならない水、つまり、川の名前に残し純粋な神道の祭祀を継続していたのかもしれません。

 

都から離れ山に囲まれ、海に面した高知の地は、隠れるにも逃げるにも適していた?かもです。しかし、追われてビクビクしてたかもと空想すると少し可哀想にも思います。、、って、空想がすぎました。


昔から今に至るまで、この世に生まれるからには、人は一点の曇りのない完全な善人もいなければ、一点の光の無い完全な悪人もいないと思っています。歴史の勝者敗者は、視点が変わるとすぐ、善人は悪人へ、悪人は善人へと変わったりしてますから。


揺れ動く中でたまたま歴史の敗者となったとしても、私は敬意を持って亡き御霊を思いたいなぁと感じています。


地名にはロマンが詰まってますね!神様にちなんだ地名には、ワクワクです。そして、遺跡や遺構は何かを語りかける気もします。


また、気が向いたら古代の空想を書きます。長々と私の空想話し、トンデモなお話にお付き合いくださりありがとうございました。多分沢山事実とは違うと思います。

m(__)m


おわり

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