上田秋成著の雨月物語「吉備津の釜」の話しです。怪談話しなんですが、嫉妬で怨霊になった悲しき鬼女が出てきます。
吉備津神社の神主の娘、磯良は、遊び人の正太郎と、神事「御釜祓い」が凶であったにもかかわらず結婚します。
鳴釜神事は今も吉備津神社にはあります。竈の火を使います。
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画像はお借りしました
お湯が沸くときに、牛の吼えるような音が出たら「吉」、出なかったら「凶」の暗示のようですが、婚姻を占った際、全く鳴らなかったようです。しかし、2人は結婚します。
磯良はとても出来た妻で、夫正太郎に良く尽くしますが、何度も何度も遊び人の正太郎は、妻の磯良を裏切り、極め付けは、遊女袖を身請けしてお金だけ磯良から巻き上げ姿を消します。
女なら、磯良の立場なら誰しも怒りますが、生きている時は磯良は我慢し続け、その後なくなります。
我慢に我慢を重ねた磯良の自我は、可哀想に怨霊となり、鬼女となり、死んだ後、袖と、そして正太郎を、恐ろしい感じで○してしまいます。。。
この話、それは描写が恐ろしく描かれていました。興味ある方は調べてみてください!怖すぎて書けないです。。。
悲しみや怒りや嫉妬の感情は
我が身を焼き、
また、悲しみや怒りを与えた相手にも
伝わるんだとも思いました。
この怖い話でさえ、その背景に人の思いを踏み躙ったり、傷つけたりして恨みが残ったためであり、
人の気持ちを踏みにじる悪人vs怨霊や鬼
の構図が浮かび、
悪人は改心しなかったら自滅するから執着しなければよかったのに、
磯良の生きた時代は、
女性の生きる道が家庭しかない時代、
執着するしかなかったのか、
悲しい話しだなぁと思いました。
昔は今より女性の権利は低く、
夫の浮気や不倫とかに耐え忍ぶ妻とかは沢山いたと思います。
善意が踏みにじられたり、
裏切られたり、
そして、
やり場のない怒りや悲しみや恨みから、
鬼や怨霊になってしまい
死後まで怖がられたり、
気の毒で悲しいなと思いました。
磯良は、信じて裏切られ続けたけど、
心の奥はいつかは状況が良くなると信じ、
ただ夫婦仲良くしたかっただけの
健気な女性だったのかなぁ
とも思ってしまいました。
そんな男に執着せず、あなたならもっと素敵に生きられるよって、言ってあげたくもなりました。物語ですけどにね。
心が掴んだものを放していたら
死後にまで
鬼にはならなかったのかもですね。
磯良に同情してしまいました。
つづく