昨日までのマニアな話から、今日は言葉遊びをしてみたいと思います。
とにかく〜、は兎に角、とかきます。
兎の角🐇なんですね。
木菟=ミミズクは、角のあるフクロウ。
ミミズク
トトロみたい
また、木菟=つくのしま、とも呼び、筑紫のことであり、響きは土筆。春にニョキっと地面からでてくる角みたい。
ということで、可愛い兎の耳は、つくしみたいだし、角みたいと思い、角について書いてみます。
結婚式で女性は角隠しを着たりします。これは、女性が角を出さないようにということです。笑。鬼嫁は角を出しきった嫁ですが、妻を怒らせると怖いということです。笑
角といえば、鬼をイメージするかもですが、意外と、偉人は頭頂に角のような出っ張りがあります。
人々を救ったとされる仏陀。仏像や菩薩さまなども、まるで神界からのアンテナのように頭頂が出っ張った姿で象られます。
空海の弟子 如意尼を象った如意輪観音
また、エビス神とモーゼの関係が気になり書きましたが、モーゼの絵も角があるんです。
モーゼの十戒
スサノオ尊も、牛頭天王として描かれる際は角がありますし、角や、鋭い耳にはなんだかアンテナ受信器の意味がある気がします。
牛頭天王
福井の気比神宮の摂社角鹿神社の御祭神、ツヌガアラシト神は、角があったります。神社の御眷属の鹿🦌や獅子神様にも角がありますね。
ツヌガアラシト
ユダヤの方は、頭頂部を小さい帽子でかくします。理由はわかりませんが、大切だからだと思います。
また、私たちは愛情表現のひとつとして、日本人は小さな子の頭を撫でたりしますが、インドネシアでは「頭」は、魂、神、精霊など神聖なものが宿るところだと考えられているため、触れることはご法度のようです。頭だけでなく、髪の毛にも触れてはいけないようで、可愛い赤ちゃんを撫で撫でする、小さな子どもの頭を、親しみを込めて撫でるといった行為は、国が変われば非常識な行動とみなされてしまうようですね。
敬虔なイスラムやビンズー教徒の人々がカミをターバンや布で隠すのも、理由があるのかもです。
ヒンズー教徒
イスラム教徒
赤ちゃんは、生まれてくると頭蓋骨のてっぺんに凹みがあり、まだ頭頂部が固まっていません。そこから神のエネルギーを受けて目覚ましい成長をとげます。
誕生して外界に染まるにつれ、本来は神々と繋がる力があったにも関わらず、自ら封印してしまうのかもしれないですね。
ところで、
私の心の聖地は、高知県の津野(ツノ)町力石にある津野山。母の生まれ故郷。こちらには、人の聲(心の声)を神様に繋いでくださる耳の神が坐しておられます。龍神様。3つの山の一番低い山で、真ん中の山に坐しますのは金毘羅さま、一番高い所で御神木のある山に坐しますのは恵比寿様。3つの山は並んで連なっておられます。
津野山の神様は縁ある人々をすくう神様。斎庭の働きがあると以前教えていただきましたが、斎庭は禊ぎ場のことです。
人は生きていると穢れが大なり小なりつきます。禊ぎは、邪や穢れを祓い真心をを繋ぐ神々がいらっしゃると信じています。
頭頂部、きっと見えない角のようなアンテナがあって、人々は自分の想念によって、念を送ったりしている気がします。
それだけ人々が持つ想念は地球に飛び交っていると想像すると、美しい神国のような綺麗な美し国(ウマシクニ)を創造するのは、この世を生きる人々の思いにかかっている気すらしています。
優しい愛にあふれた感謝の心を持ちたいですね。