善であり続けるのは、己の中にある悪を炙り出してこれでもかと苦しめてなお善に留まれるか悪をも善で抱きしめることができるのかを試されることなのかもしれない悪人の如き振る舞いさえもしかしたらその弱さゆえ魔に支配されてしまった愚かな悲しい性かもしれないその苦しみを味わい己の愚かさを自覚し己の仏性のかけらを取り戻しはじめたら自ずと変わるのかもしれない優しさは善であり悪く振る舞う人の中の弱さや悲しみを感じとる事かもしれない私は善であり続ける