goo blog サービス終了のお知らせ 

家族団欒ブログ

家族団欒の広場です

『林住期』とは

2020年12月26日 | 物語・作品
人生には、学生期・家住期・林住期、遊行期の4つの区分があります。その3番目にあるのが林住期で、現代風に解釈すれば、サラリーマンが定年を迎える頃でしょうか。
五木氏がある先輩から聞いたエピソードを『林住期』に書いています。「有名な作家が講演に出かけるとき、昔は日帰りなどということはなかった。数人の作家、画家、評論家などが集まって宿で話し合ったのです。そのとき、無地の色紙が配布されました。若い作家らが紙に何を書こうかと迷い、書くのを嫌がったのですが、作家仲間の重鎮N氏は喜んで色紙に「死」と書きました。「死」と書いたのはよほどのヒネクレ者でしょう。

五木氏は以前に『うらやましい死にかた』という本を書いています。当時はJR福知山線の大事故があった時で、五木氏は大学時代のクラスメートを大事故で失った直後であり、「死」が出版されるはずがないと思っていたそうです。
しかし出版されました。死は毎日隣り合わせです。地震や津波が襲ってくれば死を覚悟しなければないのです。そうかもしれかいなあ、とジジは感じたのでした。am

フィシュ・アンド・チップス

2020年12月19日 | 物語・作品
マクドナルドで昼食するとき、ジジは「フィレ・オ・フィシュ」を注文します。パンの間に四角形の白身魚が挟んであるのです。
英国には「Fish &  Chips」という庶民的な食べ物があります。マクドナルドの「フィレ・オ・フィシュ」のようなものかと想像はするのですが、違うようです(下右画像参照)。
 
(左) フィレ・オ・フィシュ      (右)フィシ&チップス
英国に留学したリンボー(林望)先生の本を読むと、Fish & chips が載っていました。
「原則として立ち食い。店のオヤジがカウンターに積んであるワラ半紙をとってメガホンのような形に巻き付け、油で揚げた魚をそこに放り込み、シャベルのような道具でたくさんのポテトチップを袋に放り込んでくれる」とあります。
そう、簡便ランチですね。リンボー先生は、金髪を赤や黄色の染め上げたアンチャン風な格好をした少年少女がFish & Chipsを食べている光景をよく見た、と書いています。
ジジも高校時代、昼食は持っていかず、高校の売店で、麦飯、醤油にどぶんと付けたチクワ、前もって用意してある玉子焼き、といった簡易食を買って食べたものです。その簡易食と同じようなものと思えばいいのでしょう。 am

フクロウ(梟)

2020年12月07日 | 物語・作品
ジジの自宅に近くに自然(沼池)公園があります。広大な公園で入口は4ヵ所ありますが、公園の入口にはフクロウ(梟)の看板が立っています。 
フクロウが住み着いているらしいのですが見たことがありません。

フクロウはヨーロッパにもいます。ドイツでは博学・博識のシンボルとされ、夜になると動き回ります。そのお陰で賢明な爺さんを「フクロウじいさん」と呼んでいるようです。ジジのことです(ウソ!)
フクロウは夜行性だから食事は夜です。餌食になるのはネズミやモグラ。ネズミやモグラは土色で分かりにくい。それなのにフクロウは見つけ出して餌食にするから、やっぱり賢明な鳥です。もっともフクロウはいくら頑張っても、ジジには勝てませんね、昼の間は。 ジジ


エリザベート

2020年11月05日 | 物語・作品
ヨーロッパ中世を支配していたのは神聖ローマ帝国(13世紀~19世紀)でした。その当時のヨーロッパには「国家」という概念がありませんでした。日本とよく似ていたのです。全国には地方藩(薩摩藩・毛利藩・吉田藩・会津藩・弘前藩など)があり、徳川家がその上に乗っかっていました。
従って、ハプスブルク家は地方の諸侯と姻戚関係を結び、それを土台にしてヨーロッパを支配していたようなものでした
図書館で「うたかたの恋の真実」という本を借りてきました。副題は「ハプスルブルク皇太子心中事件」。この本は神聖ローマ皇帝フランツ・ヨーゼフの息子(皇太子)の心中事件のことを書いてあるのですが、ついでながらフランツ・ヨーゼフ皇帝とその妻エリザベーチ(通称シシイ)のことを書きます。 
   
   フランツ・ヨーゼフ皇帝               エリザベート(シシイ)
神聖ローマ帝国を18世紀・19世紀にかけて君臨したのはフランツ・ヨーゼフ皇帝でした。この皇帝はウィーンに滞在しウィーンを大都市にした偉大な皇帝ですが、妻のエリザベート(シシイ)はウィーンを敬遠。ザルツブルクよりも西方(バイエルン州)で、孤独に暮らしていたようです。 ジジ


「バスラーの白い空から」

2020年11月03日 | 物語・作品
シカゴ勤務時代の店長が著した本を再読した。商社マンとはいえ文筆が実にすばらしい。出版したのは今から20年前。本棚に眠っていた本を取り出して読んだのですが、出版当時大手新聞(日経、朝日など)が書評を書いていました。大手新聞の書評は長文なので、以下に小さい新聞の書評を転載します。
 
 (左)上司の著書 (右)上司宅(シカゴ)での憩いのひととき(手前は上司・奥はジジ)
「『バスラーの白い空から』を読んだ。著者は商社に37年も勤めた人。米国時代に犬を飼う。黒いダックスフンドでバッハと同じ誕生日だから「セバスチャン」と名付けた。仕事の上で事故が生じする一方、妻は癌に病む。妻を逝かせた後の空白をセバスチャンと共に暮らすが、セバも死んだ。・・彼も日本に帰国してから鬼籍に入る。それでも美しい人生はあると、この本は教えてくれる」。
この本は後に店長の親友作家が編集し出版しました。追悼記念的な本ですが、商社マンが書いた本が高く評価されたのです。その上司は軍隊時代にバスラーに駐屯したことがあったのか、著者自身からその話を聞いたことが無かったのですが、軍隊時代は厳しく辛かったから沈黙したのでしょう。
上司は一度も部下を怒鳴りつけることがありません。穏やかで実にすばらしい人柄だったのです。 ジジ

読後感

2020年10月24日 | 物語・作品
図書館で借りてきた『アイルランド紀行』を読みました
アイルランド島はもともとは先住民がいました。ケルト民族です。4世紀頃、ゲルマン人がアイルランド島に遠征し、ケルト民族を支配下におきました。さらに後のことですが、アイルランド住民は2つに分裂したのです。北側はキリスト教信者(北アイルランド)、南側は古くから住むケルト人の領域(南アイルランド)になりました。

 
 (左)ブリテン島         (右)オガム文字
この本は、これでもかこれでもかとアイルランドのことを書いてあるのですが、いろいろな本にからの引用文がやたらに多く、アイルランドを実際に見物して書いたのかなあとの疑問をもちました。この本は誰かが書いた記事を引用して羅列化したような感じでした。
ケルト人は文字を持ちませんでした。オガム文字というものがあったようですが、文字というより記号にちかいようです。本当はゲルマン人がアイルランドに渡ってケルト人の一部始終を文章にして欲しかったのですが、この本にはいささかがっかりでした。 ジジ


風刺漫画家

2020年10月09日 | 物語・作品
山藤章二という風刺漫画家のことを書きます。有名人の似顔絵(風刺画)をコミック風に新聞に載せたりしていますが、もともとヘソが曲で、ひねくれた方面に興味があったのでしょう。

図書館で『山藤章二の四行大学』という本を借り出したのですが、生老病死のことも書いてありました。生老病死とはこの世の現象ですがあの世に続く話すです。山藤氏は「オレは来世のことなど知らんわ!」とお機嫌斜めでしょうが、天界もあれば地獄もあるのです。

 システィーナ礼拝堂の「最後の審判」(
上段は天国、中段は地上。下段は地獄)
親鸞上人は「ナンマンダ」を唱えた結果、地獄行きを免れたようですが、「あの世」と「この世」は厳しい断絶があるものの延長線上にあります。死後にミミズになるか虫けらになるかは心掛け次第。釈尊は来世で虫けらになりたくないから修行を積んだのですが、俗人のジジがそんなことが出来るとは思っていません。。 
ヴァチカンには大作「最後の審判」がシスティーナ礼拝堂にあります。この絵の中には作者(ミケランジェロ)が潜んでおり、まさに地上から地獄に逆さまになって陥落しようとしていますが、誰かが必死に支えています。捨てる神あれば拾う神があるということか。

『異国の父母』

2020年10月07日 | 物語・作品
図書館で何冊かの本を下見していたところ、浅野慎一著『異国の父母』を見つけ借り出しました。内容は日中戦争で残留孤児となった子供を育てた中国人養父母の物語ですが、養父母のほとんどが長春、瀋陽などの中国東北部(旧満州)の住民で厳しい環境でした。
満州には多くの日本人が移住しました。ほとんどが満州で一旗あげようと渡った人たち。おそらくは荒地を開拓して農業をするとか、日本人相手に小さな商店を営む人たちだったようです。
終戦を迎えると日本人は日本に引き揚げなければならなかった。赤ん坊をやむを得ず中国人に託するとか、道路に置き去りにして立ち去るしか方法がなかったようです。第三者的見方からすれば残酷極まりないことですが、当事者にとっては悲劇だったに違いない。『異国の父母』には14の養父母が登場するが、養父母は貧困層が多い。日本人であることを秘密にしなければならない養父母もいたようです。
この本に登場する人々の生活は事実だろうし、登場する14の養父母はみんないい人たちばかりでした。満州人には赤ん坊を引き取って育てれくれたことに感謝、感謝でした。 ジジ

観音様

2020年09月18日 | 物語・作品
日本に仏教が正式に伝来したのは6世紀のことでした。百済の聖明王が新羅に敗れて日本に逃亡してきたのですが、お土産に黄金色の仏像を持ってきました

  この記事の画像はいすれもインターネットから借用しました。
仏像には種類があります。大別すると、如来・菩薩・明王・部位。このうち如来・菩薩・明王は中性仏像(男女の区別がない)。また菩薩の中には観音像があります。いわく六観音、七観音、三十三観音などがあって覚えきれません。
 
  三十三間堂の中の一千体仏像。いずれもインターネットから借用
京都駅近くの三十三間堂には一千体の仏像がならんでいます。おそらくその大半は千手観音菩薩でしょう。観音様はかすかに微笑んでいるように見えますが、衆生を慰めているのかも知れません。 
京都はいい古都ですね。お寺がたくさんあり、仏教の都です。それに奥京都にはひなびた場所があります。寂光院や三千院のことです。あの辺りを散歩していると心が癒されます。 ジジ


五右衛門風呂

2020年09月05日 | 物語・作品
ジジはときどき、散歩中に聖教新聞を家の前の籠からもらってきます。坪内稔典選者の俳句歌壇があるからです。先日の聖教新聞に次の短歌が掲載されていました。
   父の日や五右衛門風呂に招かれて  西本明浩
なつかしいなしいなあ、五右衛門風呂は。

 画像はいずれもインターネットから借用しました。
ジジは終戦直前に、大坂市内から愛知県東三河の母の実家に疎開しました。母の実家はたくさんの長屋をもっていてその一軒を借家し、風呂は母の実家の五右衛門風呂にお世話になりました。五右衛風呂とは、火で鉄板を焼き付け、その上に湯舟が置いてあったのです。
ついでながら言うと、母の実家は菓子製造・販売業をしていました。機械式の餅つき機があり、餅をこねるのも搗くのもすべて機械がやっていました。いわばオートメイションのはしりでした。
五右衛門風呂といえば盗賊石川五右衛門が刑罰で、鉄釜の風呂に入れられ、下から火をどんどん焚いたから、最後のにはタコ八みたいに茹で上がったのですが、久しぶりに懐かしい思い出を空想しました。ジジ

馬と鹿と

2020年09月04日 | 物語・作品
ジジは育ったのは東三河ですが、大阪で生まれ就職したのも大阪でした。「バカ(馬鹿)」と「アホウ(阿呆)」でいえば、東京(バカ)と大阪(アホ)のほぼ中間点。どちらも人を貶したり蔑んだりする言葉ですが、東三河ではバカの方が強烈に響くような気がします。

そもそも「馬鹿」とは中国からの伝来したという説があります。
昔、中国の王様が家臣に鹿を見せ、この動物を何というかと家臣に聞くと、家臣は「馬です」という。何度聞いてもしても「馬です」を繰り返すから、王様は怒って「お前は馬鹿だ!」と叫んだという説があります。これが「馬鹿」という言葉の由来だそうです。
ジジは「バカ!」も「アホ!」も言われるのはいやですが、「アホ!」と言われた方が耳にソフトに響き、「バカ!」と言われると喧嘩になるような気がします。
でも、鹿をみせてなぜ「馬です」となったのか不思議です。「狸です」と言っていい筈なのに。狸は化かすから「狸です」では王様は冗談いうな!となって、王様も家臣もクスクス笑い出す結果になったかも知れませんね。 ジジ

阿刀田高氏の本

2020年09月03日 | 物語・作品
阿刀田高著『私が作家になった理由(わけ)』を読みました。この本には彼の生い立ちから晩年までの経歴が書いてありました。
阿刀田氏は経済的には苦しい家庭で育ったようです。父が商売のため長岡(新潟県)で鉄鋼業を経営していたが、急逝して財産はスッカラカン。苦学生になった阿刀田氏は図書館でアルバイトを見つけ、ついには正社員へ。そこで多くの本を読んだそうです。ジジも同じような家庭に育ったため、学費免除と奨学金があったからこそ大学を卒業できたのですが、阿刀田氏も似たような環境だったようです。

しかし、阿刀田氏は幼児のときから本を読むのが大好き。アルバイト先の図書館でたくさんの本を読んで、ついには著述家・小説家になったのです。
阿刀田氏は異色な人物です。古事記やイエス・キリストの伝記を現代風に解説し、それがバカ売り。その契機となったのがワープロやパソコンで、文章を訂正しようと思えば簡単にできるからです。
ジジは阿刀田本をいくつか持っていますが、読んでいて楽しいですね。 ジジ 

弱肉強食

2020年09月01日 | 物語・作品
西洋と東洋では文化がちがいます。西洋ではアブラハムの宗教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教など)が支配的でヒト(人類)は万物の頂点に立っていますが、東洋ではヒトは生物の一部に過ぎず支配関係はありません。
生物学者は「弱肉強食」ではなく「食物連鎖」と表現し支配関係を否定しています。例えば、キリン(弱肉)はライオン(強食)に支配されていますが、日本では動物間の争いには関与しません。
 ひろさちや著『「孤独」のすすめ』には、「弱肉強食」という用語は昭和30年頃に初めて登場したそうです。

 画想はすべてインターネットから借用しました。
アメリカはキリスト教国ですが、アリゾナ州のクロオジカを繁殖させるため、天敵であるピューマやコヨーテの全滅作戦を展開しました。その結果、ピューマやコヨーテは全滅しましたが、クロオジカまでが全滅したそうです。なぜなら、クロオジカが増殖に増殖を重ねたためクロオジカのエサがなくなってしまったのです。
日本ではそんなことはしません。生物間の生きざまは彼らに任せているからです。西洋では人間がすべての生物を支配していますが、日本では万物に任せてあるのです。 ジジ

遊行

2020年08月31日 | 物語・作品
「遊行」とは「ゆぎょう」と読み、僧都の修行に励むことと国語辞典に書いてあります。
西行法師は元々は北面武士(京都御所の守衛武士)でしたが、北面武士の職を捨てて諸国に遊行(ゆぎょう)したのは、叶わぬ恋なのに天皇の奥方に恋したからだったか。
  願わくば花の下にて春死なん その如月の望月のころ 西行法師
 
「遊行」とは、僧侶が諸国をめぐり修行することですが、中国では「パレード」のことで、日本とは意味が全然ちがいます。ついでながらいうと「オリンピック」は「世界大運動会」、「コンピュター」は「電脳」、「ミノルタ」は「美脳達」。中国人は頭を絞って翻訳したのに、「コカコーラ」が「可口可楽」とは。カラカラ笑いたくなります。 
最近の隣国大統領は、第三者からみるとコカコーラみたい。米国が手助けをしようと思っても、我々は北朝鮮と一体ですからと即刻拒否。これも「遊行」の変型ですか。大多数の国民がそう思っているのでしょうか。奇妙ですね。 ジジ


「自」という字

2020年08月21日 | 物語・作品
自分、自信、自身、自説、自責、自宅、自費・・・いずれも「自」の字がつく語彙です。
手許の国語辞典には、「自」とは「みずから」「オレ」のことと書いてあります。「このオレは秀才だ」という場合、手の指先で自分の鼻を指します。
   
 画像はいずれみインテーネットから借用しました
19世紀中国の書家、趙之謙の風変わりな甲骨文字で自分のハナ(鼻)を表現したようです。甲骨文字なら顔の真ん中の「鼻」であることがわかりますが、楷書体で「自」を書けばこれでも鼻かなあとなります。

芥川龍之介に禅智内供の話があります。禅智内供の鼻は顎の下まで垂れ下がっていて、食事をするときは邪魔です。一層のこと熱湯で鼻を茹でてみようと試したところ、垂れ鼻が千切れました。やれやれと喜んだものの周囲はクスクスと笑っているのです。やっぱりなあ、と鼻を元に戻したのでした。ジジ