藤木明美ダイアリー

ピアニスト藤木明美が日々のことを綴ります

脆弱な地盤

2006-01-26 10:32:19 | Weblog
先日、家の前で伐採された、大きな梅の枝をリビングに飾って、
花が咲くのを楽しみにしていたのだが、
見事に咲いた。
梅の花の香りが、こんなに妖艶だとは知らなかった。
金木犀のような甘い香りは部屋中に広がり、
幸福な気持ちにしてくれる。

そんな我が家の梅とは対照的に
今年になって、まだ一か月も経たないというのに、
耐震偽造、ライブドア、BSE問題と、
経済界、政界を揺るがす大きな事件が続き、
世の中がザワザワしている。
これまでの異常な殺人事件の報道の連続から、
景色が一変した感もする。

この突発的とも思われるような一連の流れは、
これまで鬱積していたエネルギーが
出口を求めて一気に流れ出したように思える。
そして、日本の社会が如何に脆弱な基盤の上に成り立っているのかを
見せてくれているよう思う。
これは、見えやすい形で起きている現象だが、
見なくてはいけないポイントが、ちゃんと見えてこない。
ポイントが前後左右にずれていて、
ただ、ザワザワとした無節操なエネルギーがうごめいていて、
感覚的な違和感と抑圧感がある。

わかりやすい、強い行動表現に対して、
ある一定方向に、国民が群れとなってざあっとなびいていく傾向は
近年強くなり、均衡感覚が社会全体から減衰していく違和感を感じる。

個人個人の生き方の価値基準や、生きる信条が液状化している、
こういう時代において、マスメディアの功罪は非常に大きい。
報道という仕事は非常に尊い。
不安定な国民の人気に迎合することなく
誇りを持って、国民の意識の上を行って欲しいと願う。

個人的な殺人事件については、
どんな大事件であっても、
ある程度、大衆は善悪という共通の価値基準をもつ。
しかし、経済、政治になると、
個人個人の利害、損得の価値基準が絡んできて、
判断基準が液状化する。
普段、損得を意識せずに生きている人も、不安感から、
この事件は自分に損なのか得なのか、と本能的に判断しようとする。
そのことが、最も大事な人命よりも優先され、
マスメディアが翻弄されているように見えてならない。
今、悪者を断定することが急務ではない。
何が勝ち組で、何が負け組なのかを定義することは
脆弱な基盤を立て直す、バランス感覚を減衰させているとしか思えない。

気づかないうちに、刻々と、ある一定方向に水が大量に漏れ
地盤が崩れつつあるような、なんとも言えない不安定感がある。

今、見なくてはならないのは、事件を起こした人々のことではなく、
こういう事象を起こした、社会的欲求の全体の流れなのではないだろうか。
そして、その流れは私たち自身が起こしているということだと思う。












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