明鏡   

鏡のごとく

えれんでぃらの詩を聞いた夜のこと

2020-04-13 23:33:01 | 詩小説
   えれんでぃらの祖母の血の色は緑


まごをうる
祖母の肚をえぐるこいびと
流された血の色は緑
ひとでなしの死

えれんでぃらはにげていく
ゆめにおわれて
ゆめにおいつき
ゆめにいきつくように

なにごともなかったように
きんののべぼうをかついではしりさる
うみにたどりついた
テントをすてて

ひとはひとをくっていきていて
ひとでなしになりはてる
うりかいするのはおよしなさいと
ゆめのむこうでいきながらえて

さぼてんのゆめ ゆめのさぼてん
きってもきっても
ながれでる
緑色した血だまりのうた


えれんでぃらの詩を聞いたのはパンデミックの夜のことだった。

コロナウイルスが夜と言わず昼と言わず見えないまま、そこにあるような、幽体と言えばそうであるような、幽霊場に居合わせたものの物理的な有機体に貼りつき、その場を圧倒的な熱によって支配し、その有機体を死滅させていくような、恐れを抱かせるものではあるが、1960年台に発見されていたことすら知りもしなかったものが多い中、連日のように、コロナコロナと名を呼ばれ続けているから不思議なものである。

見えないがテレビやラジオ、ネットから漏れ聞こえてくるウイルスの方が、人を大いに不安にさせ、ウイルスを助長させているのは確かである。

太陽の周りにあるガスも太陽「コロナ」と言われるらしいが、これも太陽の表面温度が六千度ならば太陽コロナは百万度を超えるガスであるというから、コロナウイルスの実害が六千であるとするなら、百万は優に超える電波による声高な危機感を煽られているようで、このウイルスの名前の由来の、光輪や王冠のような、言ってみればサボテンの棘棘のような突起物のあるウイルスの構造を踏まえた上での、妙を感じずにはおれない。

医療関係者によると、今のところ、日本では、毎年はやらせているインフルエンザの死亡率とそれほど変わらないとおっしゃていたので、いたずらに煽られているのは、なぜであろうと考えるものが現れても、おかしくはないが、あまりに声高なものの陰に隠れて、自粛しているのか、声が届かないだけなのか、棲み分けているだけなのか、定かではないが、陰謀論者的観点から見るものがいるとしたら、これは、医療を支配し、権力を支配するものからしたら、大いなるプレゼンとなりうるというのは、まんざら嘘ではないと言わざるをえない状態が続いていた。

空港での顔認識システムの導入も、テロの恐怖を煽るものから、エスカレートしていったが、今回は、空港を飛び出し、駅や公共施設にまで、その顔認識システムの導入しかも精度を高めた顔の一部のみで認識する器械の導入を公の金ででき、なおかつ、行動を監視できるシステム作りに余念がない。

体温認識システムはもちろん、これからは、歩き方、その人の行動範囲、思考、嗜好に至る細部を特定できるようになるのであるから、支配者にとっては、都合のいいことばかりであるのは、陰謀論者でなくとも、コロナ(ウイルス)の光輪を見るより、明らかである。

飛沫を恐れてのことと言いながら、なぜ、薄っぺらなマスクを配るのか。
国民皆保健はいいものの、国民皆(何も言うなとばかりに口だけ塞がれるスケスケの)仮面を配るのか。

飛沫を恐れてのことと言いながら、漏れ出ているものは少なからずある上、少なくともマスクでは不幸感はいや増すが、人を幸福にはしないという事実を踏まえて。

我々は、見えないものに怯える先にあるものを、じっと見ているのである。

皆を不幸にするよりも、幸福にすることに力を注ぐ方が、容易いということ。

幸不幸はそれぞれの価値観にもよるであろうから、一概には言えないであろうが、貧者や富ある者、病人、健常者に限らず、一部のものだけ特別に利益を被るのではなく、国民皆に利益を分配すること。

今こそ、ベーシックインカムが導入されるときがきたと思われる。
国民が皆生きられて、なおかつより豊かにしたい者が、勤しめる体制こそ、求めてやまないことである。

すべての者が少なくとも生きていける体制を作りたいならば。

緑か赤かは知らないが、争いで、誰かの血を流すこともなく、この騒動を、いつの間にか、乗り越えられることを、本心から思うならば。









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