明鏡   

鏡のごとく

茅葺のその先

2022-07-30 03:31:12 | 詩小説
高取焼宗家のお屋根の差し補修の仕上げが終わるか終わらないかの時、安倍晋三氏が亡くなった。

白昼、参議院選挙の応援に駆けつけていた時に銃で打たれて。

屋根にのぼって、休憩が終わって茅を差そうとしている時に、ニュースでそれを知った上村氏が教えてくれた。

まさかと思ったが、心臓を射抜かれたという。

近距離から打たれたという人がほとんどであったが、まるで、ケネディが亡くなった時のような、違う角度から打たれていたという人もいて、情報が錯綜していてなんとも言えなかったのだが、いずれにせよ、心肺停止の状態で、もはや、死と添い寝している状態であるようであった。
無防備であることが普通と思われていた、この国で、安倍のマスクを作って配りまくった挙句、デスマスクをつけられ、亡きものになったようで、見えない口封じのげきじょうがこみ上げてくるようであった。あまりに、あっけない終わり方。
人の死というものは、目の前で見せられても、嘘のようで、命の尊厳など感じる暇もない、愛と平和を歌うのも、なんだか違和感があり、微妙で、嘘のような世の中に見えた。

次元が違うんだよね。

ある人が言った。

2.5次元に生きるように、仕向けられているんだよ。
僕たちはね、押し込められるのだよ。檻の中に。
ワクチンというもので、人体実験されているのだよ。
そこから出られるものは、野生しかないのだよ。
茶番だって。
コロナ禍と叫び続けられている時期の、党首を選ぶ時に、茶番だって、知っているものが、ニヤニヤしながらまあまずはお茶でも飲んで。と茶化しているのを見て、僕はそう思ったよ。郵政民営化で、外国に日本の財産を売り渡したり、プラザ合意で日本を売った子孫は、なぜかテレビでも引っ張りだこだろう。
それがテレビの中の世界ってやつだ。
誰もが、その行為を茶化しているとは思わなかったかもしれないけれどね。テレビで、毎日、茶化されていると、その嘘が、本当のようにまかり通ってしまうのを、何度も何度も見せつけられていると、洗脳されていく過程を見ているようで、気色が悪いものだよ。

先日も、どっかの首相がコロナ禍なのにパーティして辞めさせられたでしょ。
アホくさいと行動で示している人は、辞めさせられるか、死ぬのだよ。
辞めさせられるか、死ぬか、逃げるかなのだよ。

確かに、そうかもしれない。

食糧不足、燃料不足で騒いで、物価をあげるだけあげて、毎日のように、不安を煽ることしかしないなら、皆、身動きが取れなくなっていくのは、致し方ない。

自分の世界を知るなら、目の前のことをまず知る事で、世界の一部を知る事に繋がるとするならば、そこも我らの「世界」であるという事。

繋がってはいるけれど、遠いか近いかだけ、大げさなだけなのだと。

そんな事を、弁当を食べ終わって、暑さに頭も体もやられながら、漠然と考えていた。

かなり痛みが激しく、本当は、葺き替えをする時期ではあるけれども、長い茅を用いる事で、なんとか、美しい葺いたばかりの時のように、再生することが、目の前の自分のやりたいことで、少なくとも、嘘のない心から這い出してきた行為であるということ。

壊れかけたものを、朽ち果てる手前の、ものを新たに生きなおすための、再生の過程を辿ることで、我々は生きながらえてきたのだと。

日本という国もまたそうであったのだと。
戦後は再生の過程であったが、前と全く同じ形ではなく、そこにあったものが、そこに根付いたものが、同じようなものを作り上げてきた過程でもあるのだと。

高取焼宗家の八山さんや春慶さん、七絵さんは、そこにある土や水や腐りかけの茅の灰を使って作った釉薬で、根付いたもの、根付いた技術を使って、器として何度も何度も同じようで完全には同じではないものを、再生されているように見えた。

半島からやってきて十三代の間に、根付いた技と人が、そこで息づいているのだ。
食を支える器として。黒田藩に茶器を納めていたという歴史も含めて。そこにいる理由はあるのだが、それを繋げてきた人がいて、生きている時が重なって、今があるということ。人がいる限り、その先もあるということ。千年先まで、もっと先まで。



千年の器 

高取焼宗家のお屋根から出た古茅
田んぼで焼いて灰にして
何度も漉して釉薬に
灰になっても古茅は
器を包む釉薬となり
千年先まで残るかもしれない器になるのだと
十三代目の八山さん
古茅の釉薬青藤色となり
初代の色にたち帰るような色味に焼き上がり

茅葺は千年万年持たないが
新しい茅の葺きかえ差しかえで新陳代謝を繰り返し
千年万年生きながらえて
式年遷宮するように二十年後に葺きかえて
いきふきかえす屋根の形(なり)
そこに心御柱(しんのみはしら)打ち立てる
見えない御柱打ち立てる
できたと思えばその次の屋根の葺かえはじめている
同じよで変わり続ける生き物の器



詩を書きながら。
伊勢神宮を葺いたことがある先輩が、亡くなったのを思い出していた。
その先輩は、伊勢神宮で、白装束を身につけていたというが、いつも白い地下足袋を履いていた。

白装束は、あの世とこの世を渡るための正装とも言えるだろうが。
先輩はとても仕事が早く、この世でやる仕事も通り越して、生き急いだのかもしれない。などと思いながら。
突然、亡くなったのを、止めることができなかった周りのものは、ずっと、そのことが心の奥底に残り続けていた。皆、悩んでいた。どうしたら、うまく葺くことができるのかの前に、人として。
職人である前に、一人の人として、腹を割って話すことができたら、まだ、良かったのかもしれないが。

先輩が亡くなってから、狂ったように、心を込めて葺くことで、己の中で、亡くしてしまったものを、なんとか、取り戻そうとしていたように思う。

逃げることもせず、ただ、ただ、葺くことで、その亡くしたものを、再生しようとしていたのかもしれない。

高取焼宗家のお屋根の補修の最中に、日本茅葺文化協会のフォーラムが、浮羽であった。その流れで、比較的近場の杉皮葺の古民家である我々の作業場でもある明楽園の屋根の補修のワークショップをすることになり、上村氏が講師となり、茅葺仲間が加勢に来てくれた。
亡くなった先輩のことを知っている茅葺仲間は、私が、先輩が亡くなって感情が不安定な時期を知っていたので、突然、思い出したように、涙が止まらない時も、何で泣いているのかわからずに、ただ、はたから見てもどうしようもなかったと思う中、上村氏は、心の支えになってくれていた。
少なくとも、どうして、泣いているのか。を知っている人であったから。
どうして先輩が亡くなったのか、お互い思い悩み続けていたから、毎日のように、どうしてか話しながらいてくれた身近な存在があったから、なんとか、これまで、生きてこれたのだと思う。
お互い、どうしていいかわからずに、それでも葺き続けていた。
亡くなった先輩もまた茅葺をやっていく上で、どうしていけばいいのかと、これからのことで悩んでいたのだと気づきつつ。その先にあるものを、知ることができるならば、希望のようなものが見えてくるかもしれないと思いながら。

東京に、杉皮葺の屋根があることを、以前、京茅の長野さんにお聞きしていて、いつか行ってみたいと思っていたのだが、美山の中野さんが、駒さんと一緒に東京のお寺の屋根を葺いてみないかと、上村氏を誘ってくださったのについていき、東京のあきる野まで杉皮葺をしに伺った時、亡くなった先輩が白い地下足袋を履いていたということを駒さんと話したことがあったのだが、そのお寺の屋根をきっちり仕上げて、フォーラムに来てくださった駒さんが、白い地下足袋を履いているのが、なんだか嬉しかった。
亡くなった先輩のこともしっかりと思いながら、杉皮葺を残したいと思う同志としてここまできてくださったのだと、勝手に、心の中で、思っていた。

あの杉皮葺の体験から、少なくとも一人ではない。と思えるようになっていた。近くに茅葺職人の仕事も一緒にしだした息子の道成もいて、その場の空気を吸ってくれていたのも、自分にとっては、大きな希望となっていた。
こうして、杉皮葺を知りたいと思う方々がいらして、同じ仲間として、一緒に朽ち果てようとしているものを、今ある技術と人と杉皮や下地の茅を葺いていくことで、お互い、いろいろな事情も何もかも、ひっくるめて、「葺く」という行為で繋がれたのだという、喜びを感じることができ、希望のようなものを皆で共有できた瞬間であったと。

これが、見てみたかった、知りたかったことなのだと。
亡くしたものをも、見えるもの、見えないもの、と一緒に葺いていくのだと。