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麻雀について彼女が知っている二、三の事柄(仮)

麻雀について思いついたこと。
ダジャレだろうが気にしないのじゃ

オリジナル役満 その67

2011-12-11 10:04:54 | 役満とか 文化編
麻雀の醍醐味はなんといっても役満だろ!
ということで、醍醐味を増やすためのオリジナル役満を思いつくままに。ダジャレだろうが気にしないのじゃ。

今回は「芥川 龍之介

○地獄変
中中四萬四萬四萬五萬五萬五萬八萬九萬九萬九萬九萬 ツモ七萬
ホンイツ、頭は中「4・5・9」「789」のペンチャン7あがり。 ジゴク・ペンチャン
 時は平安時代、絵仏師の良秀は大殿から「地獄変」の屏風絵を描くよう命じられる。話を受け入れた良秀だが、「実際に見たものしか描けない」彼は、地獄絵図を描くために弟子を鎖で縛り上げ、梟につつかせるなど、狂人さながらの行動をとる。こうして絵は8割がた出来上がったが、どうしても仕上がらない。燃え上がる牛車の中で焼け死ぬ女房の姿を書き加えたいが、どうしても描けない。
 そこで実際に車の中で女が焼け死ぬ光景を見たい、と大殿に訴えた。
そして当日、火をかけられることになったのは我が娘だった。しかし彼は動じるでもなく、見事な地獄変の屏風を描き終える。
 数日後、良秀は部屋で自殺する。

○羅生門・藪の中
四索四索七索八索八索八索九索九索九索九索中中中 ツモ八索
索子ホンイツ、「8・9・中」「789」をカンチャン8あがり。頭は4索
8ぶの中で「8・中」、8のカンチャン。羅生門で四索(しょう)九索
『藪の中』は『今昔物語集』の「妻を具して丹波国に行く男、大江山において縛らるること」の説話を題材としたもの。
藪の中で、ひとりの男の刺殺体が発見される。その事件を巡って、検非違使が集めた関係者の証言が語られるのだが、捕らえられた多襄丸という盗人、清水寺で懺悔する男の妻、そして巫女の口を借りて語る男の死霊、三者の証言がそれぞれ、「多襄丸による他殺」「妻による心中未遂」「男の自殺」と食い違い、真相は明らかにされない。
 黒澤映画の「羅生門」は「藪の中」を題にしているが、芥川の短編「羅生門」からもモチーフが取り入れられている

オリジナル役満 その52 和歌編

2011-12-03 14:06:02 | 役満とか 文化編
麻雀の醍醐味はなんといっても役満だろ!
ということで、醍醐味を増やすためのオリジナル役満を思いつくままに。ダジャレだろうが気にしないのじゃ。

今回は和歌

○三笠山月(みかささんげつ)
一筒一筒一筒三筒三筒三筒三索三索三索東東東白白
1筒・3筒・3索・東」 頭「白」でW役満。
三筒三笠、三索一筒山月。東は「春日」、東の空。白は雲。
「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」 -阿倍仲麻呂, 古今集巻9・406
百人一首にも選ばれている阿倍仲麻呂の歌。
遣唐使として唐の都・長安に留学した仲麻呂が、故郷を偲んでよんだ歌。仲麻呂は、ついぞ日本に帰ることはかなわなかった。
 三笠山は奈良県奈良市の春日山のこと。山岳信仰で有名。ふもとには春日大社がある。

三笠山について、山部赤人も歌をよんだらしい。

「高按の 三笠の山に 鳴く鳥の 止めば継がるる 恋もするかも」 -山部赤人, 万葉集巻3・373
○三笠山鳥(みかささんちょう)
三筒三筒三筒三索三索三索中中中白白 ポン一索横一索一索
1筒・3索・中、1索ポン」  赤人なので中。鳥は鳴く。

○天香具山(あまのかぐやま)
三索三索三索南白白白 ツモ南 ポン東横東東 カン九萬横九萬九萬九萬
「春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天香具山 -持統天皇, 万葉集巻1-28
3索・白・9カン、東ポン、南単騎あがり」
あまのカン9・山三索。白衣、「春過ぎて」東ポン、「夏来たるらし」南あがり。
持統天皇のよんだ百人一首のうちのひとつ。

オリジナル役満 その37 文学編 その2

2011-11-11 19:57:48 | 役満とか 文化編
○三四郎
三萬三萬三萬四萬四萬四萬六萬六萬六萬東東東白白
いわずもがな、漱石を代表する青春文学。田舎から上京したウブな学生・三四郎の初恋と失恋を描く。
一色で「3・4・6」と。これはもちろん舞台となった東大、
本郷キャンパスには三四郎池がある。

ちなみに駒場キャンパスには見ると浪人する「一二浪池」があるらしい。

ところで、自分は文学部にいたので、ちょっと三四郎の解説を。
というかこれが今回のテーマ。以下麻雀関係なし。

あらすじなどは青空やwikiで見てもらうにして、三四郎とヒロイン・美禰子(みねこ)の出会いのシーンのあらすじ。
――
田舎から都会に出てきた三四郎は、初めて触れる「異文化」にとまどう。まだ自分が何者なのか、何者になりたいのかも分からない。
その折に出会ったのが美禰子だった。

あくる日三四郎は、郷里の先輩・野々宮を訪ねに研究室へ赴く。ここで三四郎は、野々宮のことを研究に没頭する、いわば「生涯、現実世界と接触する気がない」人物だと感じる。
野々宮と別れ部屋を出た三四郎は、池のそばにしゃがみ、自分もこんな生涯を送ってみようかしらん、などと考える。
じっとして池をみつめていると、ふと、左手の丘の上に二人の女がいることに気づくいた。一人は団扇をもっていて顔は見えない。もう一人は真っ白で看護婦だろうと思った。三四郎はみとれていた。

二人の女性は坂を下りて、橋を渡ってこちら側へ来る。団扇の女性は左の手に白い小さな花を持って、それをかぎながら来た。そして三四郎の近くまで来ると止まり、仰向いてこう言った。「これはなんでしょう」
頭の上には椎の木。「これは椎の木」看護婦は答える。「そう。実はなっていないの」と仰向いた顔を戻すその拍子、彼女は三四郎と ――彼女が美禰子だ――目があった。明らかに自分を意識した目だと思った。

二人の女は三四郎の前を通り過ぎる。若い女の方(美禰子)は、今までかいでいた白い花を三四郎の前に落としていった。
三四郎は二人の後ろ姿を見つめながら、「矛盾だ」とつぶやく。
何が矛盾なのか自分でもよく分からない。三四郎は彼女が落とした花を拾った。そしてかいでみた。べつだん匂いはしない。三四郎は、花を池の中へ投げ込んだ。花は池に浮いている。
すると突然自分の名を呼ぶ者があった。

池の花から目をはなすと、野々宮が石橋の向こうに立っていた。「君まだいたんですか」と言う。三四郎は「ええ」となんとなく間のぬけた返事をしたが、野々宮は少しも驚かない。
野々宮はしばらく池の水をながめていたが、右の手をポケットへ入れて何か捜しだした。ポケットから半分封筒がはみ出している。どうやら女の字らしい。しかし思う物を捜しあてなかったのだろうか、野々宮はポケットから手を出して、「今日は実験が終わったから、一緒に帰らないか」と言った。 ――

…とまあ、こうして三四郎と野々宮がいっしょに散歩して帰ることになり、その後たいした話をするわけでなく、アーッ!なやおい展開になるでもなく、食事をおごってもらったくらいです。
とりあえず、三四郎は「矛盾だ」なんて思わず言ってしまうほど、美禰子に一目惚れしてしまった。
もっというと、美禰子が醸し出す「異世界」に心奪われたんですね。

で、その美禰子。なんか魔性のオンナっぽい。もしかして三四郎を誘惑した?三四郎に気があるの?それとも三四郎の勝手な思いこみ?

はい。そもそもフツーに考えたら、わざわざ三四郎の近くにきて「あの花なにかしら?」なんてワザとらしいことをきくってのは、三四郎へのアピールでしょう。そもそも学生たる教養人が椎の木を知らないはずがないし、なにより三四郎の前に花を捨てているわけで。しかも彼女が匂いをかいでいた花は、べつだん匂いはしなかったと。匂いをかいでるふりしてただけ。完全にアピってます

ではなぜそんなことをしたのか。三四郎に気がある?三四郎をからかってみただけ?
どちらでもないんです。
実は美禰子は、三四郎に対してアピ-ルしていたのではなく、三四郎にカマかけることで、その裏にいる野々宮にアピールしていたんです。

思い出してください、三四郎が花を池に投げ捨てたとき、野々宮はそれを見ていたんですね、石橋から。そしておそらくは美禰子が花を捨てたこと、三四郎が「美禰子が捨てた花」を拾ったことも。
なぜなら、三四郎が野々宮に呼ばれて面食らった返事をしても、野々宮は驚かずに池を眺めていた ―その池の中の「美禰子の花」を―。
おまけにポケットには女性からと思われる封筒…しかも三四郎には出さずじまい…。
これってまさか美禰子からの手紙なのでは…?

つまりこうです。美禰子は池の丘から、野々宮がいるのを見つけた。だから野々宮の気を惹くために、あえて三四郎にカマをかけた。
思惑どおり美禰子に心奪われる三四郎。池に投げ捨てた花をみつめる三四郎に対して、不意に声をかける野々宮。原文では『三四郎は花から目を放した。見ると野々宮君が石橋の向こうに長く立っている。』と書かれていますが、野々宮は、三四郎の目を花(=美禰子)からそらすために呼んだんですね。三四郎が美禰子に惹かれることを快く思ってないわけです。

ではなぜ美禰子はそんなことをしたのか。実はこのとき美禰子には縁談がもちあがっていたからなんです。だから自分に対して煮え切らない態度をとる野々宮に対して挑発してみた。ここから野々村がもっていた封筒の中身は、美禰子に縁談の話がきている、という内容の手紙だったのでは、と推測できます。

ところで、このシーンを読むだけでここまで深読みできるか、というとなかなかできない。何故か。
野々宮のいた位置と美禰子のいた位置関係は東大構内をよく知っている読者でないとわからないからなんです。つまり超エリートだけが読み解ける。もっというと漱石に見識がある、門下生とか教授(漱石はかつてここで教鞭を執っていた)。
しかもこれ、三四郎は朝日新聞の連載小説だったんですけど、新聞で読む読者では作品の全体像が見渡せないため、小説を買って読み込むひとだけがわかるんですね。当時の小説なんていったら高価ですから富裕層に限られます。
つまり知識人でないと読み取れない。

で、結局、三四郎と美禰子はどうなるか。
美禰子は野々宮ではなく、兄の友人と平凡で堅実な結婚を決める。
三四郎は「美禰子の肖像画」を見て、ただ口の中で迷羊(ストレイ・シープ)と繰り返す。

美禰子にひかれながら何もしなかった三四郎
美禰子と結婚しなかった野々宮
野々宮とも三四郎ともつかず、結婚した美禰子
 三者三様のストレイ・シープだった。

オリジナル役満 その36 文学編 金色夜叉

2011-11-11 16:53:45 | 役満とか 文化編
麻雀の醍醐味はなんといっても役満だろ!
ということで、醍醐味を増やすためのオリジナル役満を思いつくままに。ダジャレだろうが気にしないのじゃ。

今回は文学。

○金色夜叉
八萬八萬八萬八筒八筒八筒八索八索八索西西西中中
尾崎紅葉の、明治を代表する小説。
「頭中・西」「8・8・8」
「8・西」でヤシャ、紅葉だから紅中。
主人公・間(はざま)寛一が、許嫁・お宮が金持ちと結婚したことにブチ切れ、彼女を足蹴にし、高利貸しになる話。
ミナミの帝王ならぬ熱海の帝王。
「一月十七日、宮さん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は、貫一は何処でこの月を見るのだか!再来年の今月今夜……十年後の今月今夜……一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ!いいか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になったらば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が……月が……月が……曇ったらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のように泣いていると思ってくれ」 
と女々しくも雄々しい名台詞を吐く。
 そういや紅夜叉という女子プロレスラーもいた↓

○紅夜叉(くれないやしゃ)
八索八索八筒八筒八筒八萬八萬八萬西西西中中中
「頭8・8・8萬」西・中    上の「金色夜叉」より紅が多い

○金色夜叉・月下貫一雲在月亮(げっか貫一 ウンツァイユエリャン)
一筒一筒八筒八筒 ロン一筒 ポン西横西西 ポン八萬横八萬八萬 カン一萬横一萬一萬一萬
1カン」したあと、「8・西ポン」、「1・8筒」シャボあがり。
お宮を足蹴にする貫一。 そして月と暗雲。 
「カン一」が「8・西(ヤシャ)」になる様子。
八筒は暗雲、あと「8・西」が全部で8枚になるから。一筒をひいて月は晴れるか、八筒で涙に濡れるのか。
ちなみに名前の「雲在月亮」は「月が雲に隠れる」の意味。「月亮」は中国語で「moon」のこと。「month」と区別したもの。
 あと、どうせなら相手の大物手を蹴るキック手であがりたいところだが、この場合のキックって何…? 
「中・トイトイ・キック!」とか言わんし。
あ、逆にこの手をテンパイしてるときにキック手であがられたら、役満あがりでどうだろう(笑)

 「そりゃ キックじゃ!」
 「あ~ 役満はってたのに 堪忍してェな」

オリジナル役満 その18 ~漢詩編~

2010-10-09 14:45:22 | 役満とか 文化編
麻雀の醍醐味はなんといっても役満だろ!
ということで、醍醐味を増やすためのオリジナル役満を思いつくままに。ダジャレだろうが気にしないのじゃ。

今回はお堅く漢詩編

○月明星稀・烏鵲南飛(ゲツメイセイキ・ウジャクナンピ)
  「月明らかに星稀(まれ)なり、烏鵲(ウジャク)南に飛ぶ」
一筒一筒一筒九筒九筒九筒一索一索一索南南南白白
一筒と星九筒、烏鵲(かささぎ)が南に飛ぶ。
意味はそのまま、「月は明るく星はうっすらと稀薄、烏鵲は南へ飛んでゆく」
魏の曹操が詠んだ「短歌行」の一節。曹操は、子の曹丕・曹植と合わせて「三曹」と称されるほどの詩人。
「短歌行」は曹操が、「赤壁の戦い」の前夜の宴会で、鵲が南を目指して飛んで行くのをみて詠んだという。

「対酒当歌 人生幾何」  『酒に対して当(まさ)に歌うべし、人生幾何(いかん)ぞ。』で始まり、
「月明星稀 烏鵲南飛   
 綫樹三匝 無枝可依」  『樹を綫(まわ)る事三匝、依(たよ)る可き枝無し』とつづく。
(「樹を三周巡っても、頼るべき枝は無い」の意。)
「主上の威光(月)は未だ輝いているが、それを取り巻く臣下(星)も少く、
鵲のように大樹を求めて彷徨うが、頼りになる枝も無い」という嘆きの歌。
リンク;「烏鵲南に飛ぶ」

○鸛鵲楼・白日山尽(カンジャクロウ・ハクジツサンジン)
三索三索三索六索六索六索白白白東東 カン一索横一索一索一索
「3索・6索・白、1索カン」
鸛鵲楼とは、山西省永済県の西南隅の町に立つ楼閣。黄河を見下ろすところにあった。
鸛鵲(カンジャク)はコウノトリのことで、コウノトリが巣をつくっていたため名付けられたという。
王之渙(おうしかん)の五言絶句、「登鸛鵲樓(鸛鵲楼に登る)」 より。
「白日依山尽 黄河入海流」 『白日は山に依(よ)りて尽き、黄河は海に入って流る』
 「太陽は山に寄り添うように沈んでいき、黄河は海に入って流れていく。」の意。
詩的にみると「白日と黄河」で対比になってるのね。
鸛鵲(カンジャク)で一索カン、六索(ロー)を楼・ 三索を山に見立てて暗刻(そびえ立つ感じ)、白日で白
あがりは何でも良いが、であがると白日が沈む「白日あがり」でW役満。
また黄河を表して、河(ホウ)に12枚以上捨て牌があると(河6枚切れの2列以上)、
「黄河流れ」でW役満、というのはどうでしょう。
  リンク;登鸛鵲楼 王之渙

○烏鵲橋(ウジャクキョウ)
七萬七萬一筒二筒三筒四筒五筒六筒七筒八筒九筒 カン一索横一索一索一索
「筒子イッツー・1索カン・7萬あがり」
烏鵲橋とは七夕にかかるという橋のこと。鵲橋(しゃくはし)ともいう。
旧暦七月七日の夜、織姫と彦星が出会うために、鵲が翼を並べて天の川に橋を渡すという。
七万で七夕、筒子の一通(門前)で天の川、鳥カンで橋渡し。
 ちなみに烏鵲橋は、日本の七夕というよりも、中国や特に韓国の七夕伝説らしい。
七夕(チルソッ)に牽牛星(キョヌビョル)と織女星(ジッニョビョル)に会うための橋が烏鵲橋(オジャッキョ)だそうな。

リンク;韓国の七夕 チルォルチルソッ(7月七夕)