2020年になりました。
東京オリンピックは、はるか未来のことと思っていたのに、とうとうその年を迎えました。
本年もよろしくお願いします
先日お月忌のお参りに伺ったお宅、今年97歳のおばあちゃんが娘さんとヘルパーさんの手を借りながら一人で暮らしています。
お勤めを終えて、『拝読 浄土真宗のみ教え』を読んでいると突然、おばあちゃんがワンワン泣き始めたんです。
正直、文章を味わうこともせず、機械的に読んでいた私はただただ驚きました。
この日はちょうどご主人のお祥月命日
浄福寺の総代をつとめ、お寺へお参りするだけでなく、お聖教を深く学んだ方でもありました。
けれども、そこに連れそう奥さんの姿はありませんでした。
この度のいのち終えたら、同じところへ参れるか…
この問いは互いが抱いていたものでした。
思い通りにならない年老いた身を抱えながら、心の中は不平不満ばかり
そんな私を仏さまは目当てとしていた、自分のためのお念仏だったと気づかせてもらった感動の涙でした。
「浄土への人生」
阿弥陀如来は、煩悩によってさとりに至ることのできない凡夫を哀れみ、あらゆる功徳を南無阿弥陀仏に込めて私たちにふり向けておらる。親鸞聖人は仰せになる
臨終一念の夕 大般涅槃を超証す
いのち終えるとき、すみやかに浄土に生まれ、この上ないさとりを開かせていただく。
南無阿弥陀仏のはたらきに出あうものは、むなしい迷いの生を二度とくり返すことはない。
如来のはたらきに出あう人生は、無常のいのちを生きながら、かならずさとりの浄土に生まれゆく、むなしく終わらぬ人生である。
先立ったご主人のおかげですね、と娘さんも含めてみんなで喜びあったお祥月のご縁でした。