Akatsuki庵

日々と向き合って

荒川豊藏~志野のロマンを求めて~

2008年05月11日 07時48分06秒 | 美術館・博物館etc.
『人間国宝 荒川豊藏展~偶然か、宿命か―志野にロマンを追い求めて~』
茨城県陶芸美術館
※6月22日(日)

昨秋、岐阜で荒川豊蔵展が開催されたという情報をキャッチして以来、関東に巡回してくるのを楽しみにしていた。
(この展覧会、岐阜→岡山→茨城のみ巡回で、なぜか東京には来ない。
 笠間は遠かった~。職員さんによると、東京からの問い合わせも多いそうだ)

今でこそ、志野焼は美濃で焼かれたということを、私たちは当たり前のように知っている。
でも、それは先人がいろいろと研究を重ねて下さったおかげなのだ。

江戸時代には焼かれなくなってしまった志野焼について、通説では瀬戸地方で生産されたと考えられていた。
それが覆されたのは、昭和5年のこと。
荒川さんが岐阜県可児市で筍の絵柄が入った陶片を発見、美濃の産であることを実証したのだ。
(たしか、昨春に出光美術館で『志野と織部』展でそんな説明文を読んだっけ~)

今回の展覧会では、その時に発見された陶片の展示はもちろん、桃山時代の志野・瀬戸黒の名品も並んでいて、「荒川さんは陶芸家であると同時に研究者でもあったのだなぁ」と思った。
陶片をもとに、研究して復元していくように、写しのような作品が並んでいて、感心した。
まずは忠実に再現してから、独自の作風を展開されていく過程がよくわかる。
(個人的には緋の入った志野が好きだナ)

志野と織部以外にも黄瀬戸も焼かれていたのだが、これはよく見かける黄瀬戸とは違って、「え?これが黄瀬戸?」と驚いた。
でも、桃山時代のものには近いので、黄瀬戸そのものは時代とともに変遷があったらしいということは理解できた。
荒川さんといえば、志野・織部・黄瀬戸以外は焼かれなかったのか思いきや、赤絵や染付も焼かれていたようで、意外だった。
尾形乾山のようなお皿もあって、びっくり。
(戦前に焼かれたものを後から探して買い戻されたこともあったとか)

絵心も達者で、これも感心。
中には作品を納める箱にきれいに絵を描いているものあり、「こういう箱書だったら、ぜひほしいなぁ」と思った。

他分野の著名人との交流や合作も豊富。
一番感心した釜師・角谷一圭さんとの共作。
荒川さんが図柄を彫り、角谷さんに鋳込んだもの。
(隣にあった釜の形の志野水指もおもしろかった)

晩年は全国の5つの窯元に行かれて、作陶もされたとの事。
土をこねるところからされたそうで、出来上がりは書くまでもなし。
と、書き尽くせないぐらいに見どころが多かった展覧会。

都内からはちょっと遠いのが難点。

今回も展覧会だけではもったいないので、人間国宝の鈴木藏さんの講演会がある日に出かけた。
(行かれる場合は、他のイベントもくっつけて行かれることをオススメします)

※前回の茨城県陶芸美術館はこちら
※鈴木藏さんの食器展はこちら
※菊池実記念智美術館の「現代の茶陶」展でもご覧いただけます→こちら
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