スマイル日和+

子育ては「自分育て」。smile流「自分育て」の日々をつづります。

English fever

2013-04-27 | smile world
英語がなくては生きていけない!
ってわけではないのに、
世間では、結構「英語、英語」ってうるさい。

かくいう私だって、
「児童英語講師」。

毎日英語に接して、
英語を話したり読んだり聞いたり。

だけど、私は英語をどこまで重視してるのか?
そんなに私は英語が好きなのか?
そして、私って「英語に夢中!」なのだろうか?

そんな自問をしてみた。

子ども達にとってどの程度英語が必要なのか?と問われれば
「この程度」と答えるほど簡単なものではないけれど、
「全く避けて通ることはできないもの」なのは確か。

自分の子が大学入試に直面した時には、
英語は理系・文系どっちにもついて回る教科なんだと痛感。

英検2級を取得したら高校英語の単位にプラスされる!
なんて、思いもよらぬ特典がついてるのを初めて知った。

それは結局、「大学入試」というものが、
「英語は大事!、英語は重要!」と言わせているってことだよね。

しかし、夫の話で、
知人が「上司が外国人で英語しか話さないから苦労している」
との話を聞いた時には、
なるほど、そういう必要性もあるのかと納得。

国内企業の海外進出はグローバル社会では避けられないだろうし、
だいたいの企業では就職したら、英語は必須なんだよね。

でも。。。
私が子ども達に英語を教えている本当の意味は?

受験戦争に勝つためでもなく、
企業戦士を作るためでもなく、

英語をもって、平和的に、
自分の世界を広げてほしいから。

英語を知っていて広がる世界は、
知らないままでいる状態とは比較できないくらい広いもの!!

英語に限らず、
自分の世界を広げる方法はほかにもいろいろあるけど、

私が子ども達に残せる一つの方法として
「英語」があるということなんだよね。

教え始めたのは約12年前、
それまでず~っと、
私は英語が大好きで楽しい♪

。。。って思っていたわけでもないんだよねぇ。

実際のところ、好きで得意ではあったけど、
ある時期からは英語力は伸びが緩やかになって
ある意味、英語コンプレックスと呼ばれるものはあったように思う。

それは今でも残っているかもしれないのだけれど、
昔よりも、まだましかな。

子どもの頃から外国に興味を持っていて、
英語や外国語の響きに憧れて外国語大学へ。

「英語できるんだよね?ペラペラなんでしょ?」って
たいていの日とは聞くんだよね、外国語やってるって聞いたら。

でも、そういう問いには、いつになっても
自信満々にYes!って言えなかった。

外大生=英語ペラペラみたいな周りの目。
実はたいして流暢にしゃべれない自分。

私自身、間違うのを嫌うタイプだったから、
英語を完ぺきに言えないと嫌だったんだよね。

「ぺらぺら」がどの程度の英語力を差すのかわからないけど、
当時は自分の英語力を人にさらけ出せなかった。

とりあえず英語のトレーニングもしたけど、
「専攻はフランス語だし」とちょっと英語から逃げていた。

卒業後も好きだった英語は「得意なのにあんまり使えない」状態だったけど、
カナダでのワーキングホリディ、子育て中の渡米を経て
徐々に変わったんだよなぁ。

現地では英語しか通用しないから、しゃべるしかなかったし、
人と英語で意思疎通するのは緊張もしたけど楽しかった記憶も多かった。

子連れだと話しかけてくれる人も多く、
結果、しゃべるうちに上達し、楽しさも増したのかもしれない。

カナダやアメリカでは私は外国人だから、
英語ですべて完璧にこなせなくて当然だけど、
そこでは英語ですべて行わなくちゃいけない。

その事実もそれまで感じたコンプレックスを意識させなかったのだと思う。

こうして児童英語教師として英語を使う回数が多くなってからは、
正しい英語を使う努力は続けるけれど、
英語を間違うことを恐れない勇気を持てるようになった。

なにより、変わったのはオープンな自分。

以前よりずっと表情豊かに、大胆に、
日常でもちょっと大げさに話すようになった。

昔は自分を出したくても出せなかったけれど、
英語を使うことで自分をオープンにしていくことができた。

私がなぜ、英語を使って活動を広げているのか。。。
その答えとして一番近いのは
きっと自己表現方法として英語を使うことが楽しいからなんだ。

その気持ちは、
「子ども達が英語で自分を表現することで自分の世界を広げ、
新しい自分をみつけていってほしい」
という私の願いのもとになっている。

それは、さほど強烈な願いでもなく、
だけど心の中でいつだって忘れずに持ちつつけているもの。

私の英語熱は「燃えているぜ!」ではなく、
燃え尽きることなく燃え続ける、ほんのりした炎。

広島の平和記念公園の「平和の灯」みたいなもの?

きっと、これからもずっと、消えずに、
私自身の内側を照ら続けてくれるんだろなぁと思っている。

そんな私の英語熱に、今は感謝!


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