あかねさんのかぶと虫 annex

80年代歌謡曲を中心に語っていましたが、今はもろもろ。バックアップ場所のつもりがメインになりそう。

吉田拓郎

2006-02-15 | ヤマハ系
当時はひらがな「よしだたくろう」でしたね。
実はどこがデビューか曖昧な方ですが、71年の「結婚しようよ」のヒットに続き、72年の「旅の宿」、そしてアルバム『元気です』が大ヒット。
この後の四畳半的なフォークが流行る展開を考えると、拓郎さんの曲は今から思えば湿度の低い、素直に良い曲だな、と思うようなものが多いですね。
詞も“僕の髪が肩まで伸びて君と同じになったら”とか“浴衣の君は すすきのかんざし”と歌い出しから絵や情景が浮かんでくるような巧さがありました。

そして74年のかまやつひろし「我が良き友よ」を提供。これまた大ヒットを生み出します。先日、WaTがストリート・ライヴ時代にこの曲をやっていたと聞いて、KinKi Kidsもそうですが、拓郎さんの現代への影響の大きさを思います。


80年代は「サマーピープル」など、私自身がリアルタイムで体験した曲もありましたが、それほど目立った活動はされていません。ただ、ソングライターとしては、70年代をメインに、なかなかに興味深い提供曲が多いです。

森進一「襟裳岬」(73年) 、木之内みどり「東京メルヘン」(76年)、キャンディーズ「やさしい悪魔」「アン・ドゥ・トロワ」(77年)、石野真子 「狼なんか怖くない」「わたしの首領」(78年)、太田裕美「失恋魔術師」(78年)、風見慎吾「僕 笑っちゃいます」(83年)、近藤真彦 「あぁ、グッと」(88年)、KinKi Kids「全部だきしめて」(98年)、など・・・あ、『トリビア』でやってたガチャピンの奇曲「たべちゃうぞ」(75年)も拓郎さんですね。ガチャピンはともかく(笑)、その他の歌手については、従来のイメージを少し捻って新しい魅力を打ち出したり、真子さんや風見さんみたいにデビューから手がけた人については、きちんとしたインパクトを与えることに成功していると思います。

近年の闘病報道等、心配なことも多いですが、KinKi KidsやWaTだけでなく、恐らくゆずもコブクロも何らかの影響を受けていると思われる拓郎さん。70年代を知らないファンも多くなってきていますし、どこかで再評価をしていきたいと思います。



チャゲ&飛鳥

2005-08-11 | ヤマハ系
“チャゲ&飛鳥”と書いてしまいましたが、91年の大ヒット「SAY YES」のときは“CHAGE&ASKA”表記ですね。そこにどういう心境の変化があったのかはわかりませんし、いつから変わったのかは良くわかっていませんが、印象より切れ目なくコンスタントに活動を続けているんですね。私一人がこのアルファベット表記に違和感がある人なのかもしれません・・・

彼らもポプコン出身ですね。79年の第17回大会で入賞。同年8月にポプコン入賞曲「ひとり咲き」でデビュー。そして80年9月発売の3rdシングル「万里の河」が53万枚を売り上げるスマッシュ・ヒットを放ち、雅夢や伊藤敏博あたりとポプコン・フォークブームを起こします。この頃、フォークギターを手にした人は「万里の河」にチャレンジしたのではないでしょうか。

その後、やや低迷したような時期が続きましたが、86年の「モーニング・ムーン」のヒット。こちらは実売枚数(16万枚)よりも印象に残った感じですね。

その後は飛鳥が光GENJIに曲を提供するなど、ソングライターとしての活動の方が目立っていましたが、91年の「太陽と埃の中で」でセールスが伸びたと思ったら、その後の「SAY YES」の超ビッグヒット。更に畳み掛けるように93年の「YAH YAH YAH」のヒット・・・
途中、ソロ活動、チャゲの石川優子とのコラボ(84年「ふたりの愛ランド」)やMALTI MAX(89年~)なども含め、ずーっと第一線で活動しているのはさすがです。何より、各年代が共有できるヒット曲があるのが強みですね。

個人的ベスト3。
1.「万里の河」(1980.9.25) 飛鳥涼/飛鳥涼/瀬尾一三
2.「モーニング・ムーン」(1986.2.5) 飛鳥涼/飛鳥涼/佐藤準
3.「北風物語」(1982.10.27) 松井五郎・飛鳥涼/飛鳥涼/平野孝幸


あと好きなのは「指輪が泣いた」(86年)とか「マリオネット」(83年)とかでしょうか。地味っ・・
どうも90年以降のバカ売れするようになってからのは、今いちなんですよ(苦笑)
なので91年を振り返ってたつもりなのに、更に懐古モード(汗)
カラオケの曲で困ったら「モーニングムーン」を歌おう!きっと、盛り上がる・・ハズ(自信なし)。「YAH YAH YAH」を歌われても、私はノレません(涙)



ツイスト

2005-07-18 | ヤマハ系
正直言うと、最初のうちはあまり好きじゃなかったんですよ。。
多分、勢いとインパクトだけで売れてると思ってたのと、原田真二、Charと“ロック御三家”って言われてたのがイヤだったんだと思うんです。。

なので、あまり聴いてません。が・・・これだけ売れてるとシングルは当然知ってますよね。この前、「宿無し」歌ってみたら、フルコーラス完璧(笑)。「燃えろいい女」も歌ってみたら、こちらも(苦笑)。

個人的ベスト3。
1.「SOPPO」(1979.10.21) 世良公則/世良公則/ツイスト
2.「LOVE SONG」(1980.2.21) 世良公則/世良公則/ツイスト
3.「宿無し」(1978.4.10) 世良公則/世良公則/ツイスト


ツイストの曲で好きになったのは、6thシングル「SOPPO」です。もう79年も終わりかけの頃。かなり遅いですね(苦笑)。何かカッコいいなぁって思って。英詞の部分があるんですが、そこを覚えて歌うのが快感(汗)まあ、「恋におちて」とか「SWEET MEMORIES」とかと同じですかね。。
そして、「LOVE SONG」。これが、またイイんだ(笑)
しかし、ハマり始めた頃に、終わるのが世の常。81年11月の解散のときにはかなりのファンになってました。すごい残念だったな、終わりが。ラストシングルの「SET ME FREE」も良く歌ってました。。

メンバーの中では、鮫島さんがハウンド・ドッグにその後入ったりするんですよね。
ふとがねさんは。。ゴダイゴといい、リーダーは、いろいろ事件を起こしたりするんですよね。ストレスとかいろいろあるんでしょうが。はぁ。。

あ、『堂本兄弟』観ながら打ってたら、ゲストが小島奈津子ということで「燃えろいい女」の話が。女性名の曲って、一回やったなぁ・・・



渡辺真知子

2005-07-11 | ヤマハ系
デビュー曲「迷い道」の、“現在・過去・未来”という出だしは、ストーリー的に必然性がないにも関わらず、その印象度で他を圧倒し、“迷い道くねくね”というエンディングとともに主題を要約してしまうパワーがありました。

そして二曲目は続編で様子を見るのかと思いきや、
♪ハーバーライトが朝日に変わる~ その時 一羽の かもめが翔んだぁ~♪
と更なるインパクトで攻めてきました。その攻撃的な姿勢はタダ者ではありません。

今では豪快な年配の女性という雰囲気を醸し出している?渡辺真知子さんですが、デビュー時の出現の仕方は強烈で、シティ・ポップスとも言えるジャンルのきっかけとなる新しい風を吹き込んでくれました。

個人的ベスト3。
1.「ブルー」(1978.8.21) 渡辺真知子/渡辺真知子/船山基紀
2.「迷い道」(1977.11.1) 渡辺真知子/渡辺真知子/船山基紀
3.「かもめが翔んだ日」(1978.4.21) 伊藤アキラ/渡辺真知子/船山基紀


「ブルー」は、小学校の時に憧れてた人が、何故か紙に歌詞を書いて持っていて口ずさんでたんですよ。横から割り込んで一緒に歌ってみました(笑) そんな些細な想い出の曲。。
それ以外では、化粧品CMソングのところでも話題にした、「唇よ、熱く君を語れ」も好きですね・・あとは、「たとえば・・たとえば」とかも、好き。

真知子さんも、『夜もヒッパレ』の準レギュラーみたいな存在でした。
パワフルな歌声が聴けるたびに、変わったな、とか変わってないな、とか微妙な気持ちで観てましたね。

『ヒッパレ』復活してくれないかなぁ。。お願いします、日テレさん!



谷山浩子

2005-05-07 | ヤマハ系
reicoさんのリクエストにお応えして(?)、谷山浩子さんの記事を書くべく、本人の音源を捜すも・・無い(涙)
谷山さんの書いた曲で我慢することにし、昨夜は斉藤由貴さんの『チャイム』(「自転車に乗って」(詞のみ)「SORAMIMI」収録)、『風夢』(「ひまわり」「MAY」収録。どちらも詞のみ)、さらに高田みづえさんの「子守唄を聞かせて」あたりで気を紛らわす。八木さおりさんも聴こうと思うが、やめておく。。

今日、中古屋を巡ってみても・・ない(涙)きっと、谷山さんファンは放出しないんだろうな。仕方なく(?)遊佐未森『HOPE』(90年)、種とも子『音楽』(90年)を救出。谷山さんと関係ない(涙)

というわけで、全く聴き返さないで記事を書くという暴挙に(いつものことですが・・)。

個人的ベスト3。
1.「てんぷら☆さんらいず」(1982.4.21) 谷山浩子/谷山浩子/鳴海寛・山川恵津子
2.「カントリーガール」(1980.3.21) 谷山浩子/谷山浩子/山川恵津子
3.「サーカス」(1982.10.5) 谷山浩子/谷山浩子/平野孝幸


何かイメージの違う曲ばかり選んでしまいました・・
谷山さんといえば、「お早ようございますの帽子屋さん」(75年;実質的なデビュー曲)とか「猫の森には帰れない」(77年;同名アルバム収録)とかという人は多いでしょうね。メルヘンというのか何というのか独特の世界です。
私としては曲もともかく、DJとして『オールナイトニッポン』『谷山浩子のニャンニャンしてネ!』のファンだったんですが、『オールナイトニッポン』は何たって木曜二部(涙)。たけしさんの一部を聴いて、布団の中でイヤホンで聴くわけですが、概ね敢え無く敗退(号泣)。5時前にふと目覚めて聴く「てんぷら☆さんらいず」・・かなり虚しい中学・高校時代(苦笑)

ラジオとか聞いてないと谷山さんに触れるのはなかなか難しかったので、世の中的にはサクロンのCM曲となった♪空にひびけ~の「風になれ」(83年)あたりが有名なのでしょうか。ただ、実は隠れたヒット曲?として「♪パンにはやっぱりネオソフト」っていうのがあったりします。

谷山さんを探しての中古屋めぐりは、今後の課題になりそうです。。


クリスタルキング

2005-04-29 | ヤマハ系
これも80年の大ヒットです。
79年に世界歌謡祭グランプリに輝き、79年11月にこの曲でデビュー。
この頃の歌謡曲ってインパクト重視みたいなところもあったけど、コンテスト出身ということで、強い印象を与える必要があった分、世の中にも受け入れられるきっかけになっています。

全く違う個性のツイン・ヴォーカル形式。田中昌之さんのハイトーンヴォイスとムッシュ吉崎さんの低音の魅力が不思議な雰囲気を醸し出します。
田中さんは常に「4オクターブ出る」という、音域の広さを話題にされました。声が高い人が出てくると今もそういうのあるのかな?最近ではW-indsの橘慶太くんが5オクターブとかって言ってましたね。

それにしてもムッシュの歌が始まるまで、身構えてしまうのは何でだろう。
最初に歌を聞いたとき、なぜか笑い出しそうになってしまいました。おかしかった。。

個人的ベスト3。
1.「PASSION LADY」(1981.4.21)
2.「セシル」(1982.7.21)
3.「大都会」(1979.11.21)


“一発屋”というイメージがありますが、そこそこヒットした曲もあります。
ベスト3以外では「蜃気楼」「処女航海」等もありますし、「3秒の誘惑」なんかも好きな曲。
「PASSION LADY」は、
“ハートの形の黒こげがぁ オレの胸についてぇぇるぅ”
というところが大好きです。カッコいい。熱いゼ(笑)
「セシル」は2人のツインヴォーカルではなく(田中さんは強烈に主張してましたが)シンプルで良い感じの曲。アクがないのが逆に魅力。

しかし、ここすごいなぁ。全部欲しくなってくる(汗)



八神純子

2005-04-26 | ヤマハ系
JR福知山線の事故があって、自分の記事が書けずにいました。
本当は80年代初めの漫才ブームと音楽について取り上げようと思っていたのだけど、とてもそんな気分になれず・・
亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。

それにしても本当に最近いろんなことが起こります。人間は自浄作用があるのだと思っていたけど、全然そんなことがなくて、戦争を起こしたり人の命を簡単に奪ったり憎みあったりということが日常茶飯事になってきました。

八神純子さんは、「Mr.ブルー ~私の地球~」の中で

故郷を聞かれたら 迷わず地球と答えるの
“争い”という文字が 辞書から消え去る その日まで

と歌いました。
当時は何言ってるの?そんなこと言う人いないよぉとか思ってましたが、何だか胸にしみる今日この頃です。

八神さんは「想い出は美しすぎて」(78年)でデビュー。「みずいろの雨」(79年)が大ヒットし、その後もコンスタントにヒットを飛ばし続けます。そして「パープルタウン」では『ザ・ベストテン』1位も獲得(オリコンでは最高位2位)。70年代末から80年代初めに輝いたアーティストの一人と言えると思います。

個人的ベスト3。
1.「パープルタウン~You Oughta Know By Now~」(1980.7.21) 三浦徳子/八神純子,R.Kennedy,J.Conrad and D.Foster/大村雅朗
2.「Mr.ブルー ~私の地球~」(1980.11.5) 山川啓介/八神純子/大村雅朗
3.「みずいろの雨」(1978.9.5) 三浦徳子/八神純子/大村雅朗


他にも好きな曲は沢山。「想い出のスクリーン」(79年)はイントロから胸が締め付けられるような気分。これも大村雅朗さんのアレンジです。「ポーラースター」(79年)も大好きな曲。
そして、「恋のマジックトリック」(81年)とか「サマー・イン・サマー」(82年)とか・・
あまりにも好きな曲が多いので、80年代後半からずっとベスト盤を探し続けてました。八神さんとレイジーを探して五十音順の後ろの方に(苦笑)。ようやく90年に『ベスト・オブ・ミー』が発売され速攻でゲット。それ以来、折に触れて聴き返してます。
勿論、レイジーも聴いてます(笑)

そして、竹内まりやさんが第一期奈保子さんで個性を発揮した作家なら、第二期奈保子さんで重要な作家は八神さんですね。「コントロール」はディスコグラフィー上の位置づけ的には微妙ですが、一般ファンへの認知度は異様に高いし、奈保子さんの魅力を引き出してくれた1曲と言えると思います。



爆風スランプ

2005-04-15 | ヤマハ系
81年にヤマハのイーストウェストというコンテストに出ていた“スーパースランプ”のサンプラザとパッパラーが"爆風銃(バップガン)"のファンキーと“ハヒフヘほーじん”と合体しての「爆風スランプ」。デーモン小暮はスーパースランプのメンバーだったのでしょうか。80年代後半の夜中のTV番組(泉麻人司会)でセッションしてたのが思い出されます。「穴があったら出たい」は衝撃的な一曲。

メンバーは、サンプラザ中野(vo)、パッパラー河合(g)、江川ほーじん(b)、ファンキー末吉(ds)の4名。途中で江川ほーじんが抜けますが(バーベQ和佐田加入)、私がある程度好きだったのはそこらへんまで。でも結構バンド自体の活動は長くて、99年に活動休止するまで続いたのはファンも多かった証でしょうか。

そこまでもコミックバンド的色彩で売れてはいたのですが、決定打は88年の「Runner」そして89年の「月光」「リゾ・ラバ-Resort Lovers-」「大きな玉ねぎの下で」のビッグヒットでしょう。それはそれでよかったんですが、変に青春されると聴いてる方がいたたまれなくなったりして。共感して励まされちゃったりする自分に苦笑してみたり。

個人的ベスト3。
1.「無理だ!(YOU CAN NOT DO THAT)」(1985.5.22) 江川ほーじん /江川ほーじん
2.「うわさに、なりたい」(1984.12.8) 川島銀次/中崎英也
3.「ひどく暑かった日のラヴソング」(1988.8.1) サンプラザ中野/パッパラー河合


普通の人と違いますね、きっと・・単なるひねくれ者なのかもしれないと思う今日この頃。



長渕剛

2005-04-11 | ヤマハ系
80年代初期は好きだったですね。「順子」はいろんな意味で人生での重要な曲でした(笑)
デビューは「雨の嵐山」(77年2月25日)。2ndシングル「巡恋歌」(78年)はその後もギターを始める人の定番として息づいていきます。当時はバリバリのフォークですね。ある意味では当時の空気の体現者とも言えるとも思います。
「順子」(80年)が大ヒットし、その後も地道にヒットを重ねていきます。再度ブレイクのきかっけになったのはTV『家族ゲーム』の主演と主題歌「GOOD-BYE青春」(83年)のヒットですかね・・私が好きなのは辛うじてここまで。男の情けなさを哀愁をこめて歌うところが長渕さんの良いところ、と勝手に解釈していますが・・

個人的ベスト3。
1.「順子」(1980.6.5) 長渕剛/長渕剛/瀬尾一三
2.「恋人時代」(1983.4.1) 長渕剛/長渕剛/瀬尾一三
3.「GOOD-BYE青春」(1983.9.1) 秋元康/長渕剛/瀬尾一三


世の中的には「ろくなもんじゃねえ」「泣いてチンピラ」等の87年、「乾杯」再発の88年、そして「とんぼ」の89年あたりが彼の80年代では印象的なところでしょうか。ただ、何だか私には共感できなくなっていきます。03年紅白で桜島から中継で出演しましたが、うーむと思ってしまったのです。もっと力を抜いてもいいんじゃないの・・「激愛」なんて、重すぎるよ。

志穂美悦子さんと結婚されてから自分の肉体を過剰に意識しはじめたように思うのは気のせいでしょうか・・別に志穂美さんの影響じゃないかもしれないんですけどね。




中島みゆき

2004-12-16 | ヤマハ系
ヤマハ系の大御所と言えば中島みゆきさんです。ポプコン第10回グランプリ(「時代」)の後にデビュー。
先般の「地上の星」の大ヒットにより、70年代、80年代、90年代、00年代と4世代(decade)にわたりシングル売上1位を記録するという、おそらく空前絶後の金字塔を打ち立てました。サザンがそれに近い位置にいますが(タイミングの問題だけで、セールス的にはもっと上かも)それにしても自分なりのスタイルを貫き、すでにデビュー30年。脱帽です。

中島みゆき(なかじま・みゆき)
1952年2月23日生
北海道出身
血液型
デビュー曲「アザミ嬢のララバイ」(1975年9月25日)

80年代個人的ベスト3。
1.「あした天気になれ」(1981.3.21) 中島みゆき/中島みゆき/星勝
2.「あの娘」(1983.10.21)中島みゆき/中島みゆき/井上堯之
3.「誘惑」(1982.4.5)中島みゆき/中島みゆき/船山基紀



70年代の「時代」(75年)「わかれうた」(77年)、90年代の「浅い眠り」(92年)、「空と君とのあいだに」(94年)と印象に残る活動をされてきましたが、私にとってのみゆきさんは「悪女」(81年)を含む「ひとり上手」(80年)から「横恋慕」(82年)までの印象が非常に強いですね。この間には「金八先生」(直江喜一や沖田浩之が逮捕、連行されるシーン)の挿入歌として「世情」が使われて大きな話題になったり、オールナイトニッポンのパーソナリティ(何と79年4月から87年3月まで8年間担当!)として高い人気を得たりしました。

そして、「地上の星」のスーパーロングヒット。彼女の足跡はそのまま日本高度成長を支えてきた日本男性たちのノスタルジーを呼び起こし、その苦労とシンクロする・・ということでしょうか。毎週流れるとどうしても耳に残るので、主題歌を歌わせたら右に出る歌手はいないと言って良いでしょう。
これからも、ますますご活躍されることを期待します、とありきたりに結べないほどに、すごい、です。