あかねさんのかぶと虫 annex

80年代歌謡曲を中心に語っていましたが、今はもろもろ。バックアップ場所のつもりがメインになりそう。

YeLLOW Generation

2006-12-09 | 研音
ひっそりと解散を発表されると寂しい気持ちになります。
結構好きだった時期もあったのに全然知りませんでした。
この記事を書こうと思って公式HPをチェックしに行ったら、今年の11月15日に3人それぞれのブログにコメントという形での解散発表。この後特にどうするとも書いてなくて、それがとても不安な気持ちにさせます。

デビューは02年6月5日の「LOST Generation」にて。ユウコ、ユキ、ヒトミの3人で結成されました。おちまさと氏のプロデュースということで、結構詞の世界に重点が置かれていて、そこに一時期ハマってしまっていたのです。

個人的ベスト3。
1.「北風と太陽」(2002.8.21) おちまさと/渡辺未来/家原正樹
2.「CARPE DIEM ~今、この瞬間を生きる~」(2002.11.20) おちまさと/熊田晃典/大八木弘雄
3.「扉の向こうへ」(2004.1.28) YeLLOW Generation/森本康介/長岡成貢


「北風と太陽」は02年心のベスト10で6位、『CARPE DIEM』が03年同アルバム部門で3位だったりします(恥)。

会社の人たちとのカラオケで「扉の向こうへ」を歌った同僚(男)がいて、よくこんなの選曲するなーと思ったものです。知っていたのは明らかに私だけ。本当はカラオケなんて何歌ったっていいはずなのに、やっぱり皆が知ってそうな定番な曲や盛り上がりそうな曲を選んでしまうもの。彼は偉いなーと思いましたね。ちなみに彼がその日もう1曲歌ったのはアジカンの「リライト」。こっちはOKかなと思ったのですが、またしても知っていたのは私一人(汗)
そんなことを、昨日の何歌ってもOKなカラオケの集いで思っていたのでした。。楽しかったです。普段は絶対聴けない/歌わない曲を聴けて歌える嬉しさ。

てなことを思い出させたYeLLOW Generation。
何だか不思議な存在感のある3人でした。



平井堅

2006-08-31 | 研音
平井堅さんはデビュー自体は95年5月の「Precious Junk」ということで随分キャリアは長いのですが、ブレイクは2000年の「楽園」と結構長い道のりになりました。

日本の音楽シーンが明らかにR&B主流に移行しようという時代ともうまくマッチしていたと思います。日本人離れしたルックス(汗)だけでなく、艶やかな高音を交えたヴォーカルやリズム感は新しい時代に突入したなという感じを受けたものです。

個人的ベスト3。
1.「KISS OF LIFE」(2001.5.16) 平井堅/平井堅・中野雅仁/中野雅仁
2.「LOVE OR LUST」(2000.10.18) 平井堅/平井堅・松原憲/中野雅仁
3.「楽園」(2000.1.19) 阿閉真琴/中野雅仁/中野雅仁


時期が偏る(汗)
「大きな古時計」(02年)のような曲も、「瞳をとじて」(04年)も、そして勿論「POP STAR」(05年)も嫌いではないけれど、00年~01年頃の陰のある(陰ばかり?)感じが好きでした。今頃、『gaining through losing』(01年)を借りて聴いていますが、なかなかの名盤だと思います(偉そう)。

結構お茶目なキャラなのが可笑しいですよね。あと交友関係も幅広そうで・・・カラオケでいろんな人を呼んでって話を聞いたことがあって羨ましく思ったものです。林檎とカラオケ?(汗) まさかビッ○エ○ーとかカラ○ケ館とか行かないだろうけど・・・。ライヴ盤発売してほしいです(笑)



浅野ゆう子

2005-11-22 | 研音
浅野ゆう子のイメージは世代によって随分違う気がします。
最近では『てるてる家族』のお母さん役のような憎めない元気な役どころ。
90年代は“W浅野”とまで言われた、トレンディー・ドラマの主役級。
80年代(特に初め)は水着グラビアやCMなどで一世を風靡したモデル。
でも、74年にはレコ大の新人賞をとっています。歌手というイメージを最初に思い浮かべる人は極端に少ないような気がします。でも、その受賞曲である2ndシングル「恋はダンダン」がここ数日、頭から離れません(笑)
デビューしたのは13歳のとき。デビュー曲は「とび出せ初恋」です。ベスト盤を聴いてますが、懐かしい。何でこんなに全曲良いのだろう。。

個人的ベスト3。
1.「恋はダン・ダン」 有馬三恵子/川口真/川口真
2.「ムーンライト・タクシー」 橋本淳/筒美京平/筒美京平:萩田光雄・サディスティックス
3.「セクシー・バス・ストップ」 橋本淳/J・Diamond/高田弘



「センチメンタル海岸」は馬飼野節。コブシまわり気味(笑)松本隆さんの詞も冴えてます。
「サマーチャンピオン」はセルジオ・メンデスとマイケル・センベロの作曲・・ここに馬飼野さんの奇妙なアレンジが重なって、何とも言えないエキゾチックな音になっています。

本当に1曲1曲に妙なインパクトがあって、当時の記憶に刷り込まれています。決して王道な歌手ではなかった、彼女の曲がこんなに思い出深いのは何故でしょうか。
なので、浅野ゆう子さんは歌手!という事実の認知度をもう少し向上させる取り組みをしていこうかなと思ったり。何しろ自分の中での位置づけを再構築しなくてはいけない感じがしています。でも、誰も賛同してくれなかったらどうしよう(汗)
まずは、みなさん、レンタルでいいのでベスト盤を借りて聴きましょう。。(やや弱気)



小出広美

2004-11-19 | 研音
東海地方では“さすらいのドッチャー”等で有名なCBC『ぱろぱろエブリデイ』という番組がありました。その番組のアシスタントをしていた飛び切りの笑顔の女の子。番組中のミニドラマ『少女ドリーム』にも出演。スターへの階段を上る少女を見る様は、まるでノンフィクションのような設定。NHK『レッツゴーヤング』の出演(サンデーズへの加入)決定、そしてレコードデビュー・・そこまでの彼女の足取りはまるで上々のサクセスストーリーを見ているようでした。

小出広美(こいで・ひろみ)
1966年3月3日生
愛知県出身
血液型A
デビュー曲「タブー」(1983年3月21日)

研音の先輩・中森明菜の「少女A」イメージで売り出したかったのでしょうか。なかなかに太い声で暗めの曲を歌わされます。それが彼女の本質と合っていたのかどうか・・

個人的ベスト3。
1.「心はプリズム」(1983.*.*) 国安わたる/国安わたる/鷺巣詩郎
2.「水色の輝き」(1983.8.*) 三浦徳子/網倉一也/矢野立美
3.「タブー」(1983.3.21) 阿久悠/井上大輔/萩田光雄


ファーストアルバム『わたしは広美』はともかく、次に出したミニアルバム『EXCITING MINI』はなかなか佳曲揃い。こういうポップな曲を歌いたかったのでは?と思ってしまいました。「タブー」と同じ作家陣でも「グッドラックと二人がいった」なんか秀逸です。

そして・・84年に「最近のム・ス・メ」という曲を出そうとしたとき、突然芸能活動を停止します。理由は色々噂されましたが定かではありません。でも、デビュー前から応援していた人が突然姿を消してしまうショックはもう経験したくないです。この後、84年デビュー組でも同じような目にあってしまう私は、人を見る目がないのか・・

現在は、いろいろなキャリアを積みながら生き残っていらっしゃいます。
ただ、『ぱろぱろ』の時の広美ちゃんの面影は既にありません・・



中森明菜

2004-11-03 | 研音
研音にWP・・少なくとも「新人賞レース参戦!」というデビューではなかったと思います。デビューも地味な感じのスタート。「出会いはスローモーション」と唄うのは、まるで彼女と世の中との関わりを表現したかのようでした。ただ、飛び切りの良い曲を、ぎこちない初々しさに芯の強さを兼ね備えた表情で唄う上々のスタートだったのではないでしょうか。

「少女A」で大ブレーク、ある意味社会現象になり”ツッパリ明菜”というイメージが定着します。言動の一つ一つをそう解釈され、辛い日々だったかもしれませんが、彼女にとっては超えなければいけない道だったと今となっては思います。だって、それで世の中に認知され、「セカンド・ラブ」が世の中に出せたのですから。
1曲ごとに来生姉弟のバラードを挟むデビュー~2年目までの展開は、男女問わずいろいろなファンを惹き付けたという点で非常にうまくいったといえるでしょう。

中森明菜(なかもり・あきな)
1965年7月13日生
東京都出身
血液型A
デビュー曲「スローモーション」(1982年5月1日)

なかなかに難しいですが、個人的ベスト3。
1.「スローモーション」(1982.5.1) 来生えつこ/来生たかお/船山基紀
2.「サザン・ウインド」(1984.4.11) 来生えつこ/玉置浩二/瀬尾一三
3.「Fin」(1986.9.25) 松本一起/佐藤健/佐藤準


何となくベスト盤を聴き返しちゃったりしてますが、全て好きと言っても過言ではないです。当時はあまり・・と思っていた「SOLITUDE」(85年)さえ感慨深い・・他では「北ウィング」「十戒(1984)」「飾りじゃないのよ涙は」(84年)「TANGO NOIR」(87年)「TATTOO」「I MISSED"THE SHOCK"」(88年)・・好きな曲ばかり。
(特に日本武道館で聞いた"THE SHOCK”は忘れられません・・カッコよかった・・)
聖子さんを陽とすれば、明菜は陰。でも確実に私たちの心に染み入る歌声でした。

あとはアルバムの充実度も目を見張るものがあります。特に『POSSIBILITY』(84年)は大好きなアルバム。「北ウイング」のアンサーソング「ドラマティック・エアポート」なども収録され、最も充実した時期のバラエティに富んだアルバムと言えます。

思えば、私は一時期ある会社の同僚から”明菜ちゃん”と呼ばれていた(周りは奇異に思っていたでしょう)のですが、それは、カラオケで「あなたのポートレート」(『プロローグ(序幕)』収録)を歌ったのがきっかけでした。確か98年頃のような気がします。デビューから16年後(笑)。一時期、すっかり同化して「DESIRE」とかをフリつきで歌ってましたね(恥)。

今なお、”歌姫”の称号は明菜のモノと思っている私です・・