あかねさんのかぶと虫 annex

80年代歌謡曲を中心に語っていましたが、今はもろもろ。バックアップ場所のつもりがメインになりそう。

杉山清貴&オメガトライブ

2004-12-14 | ヤマハ系
ポプコン出身と言えば、彼等もそう。「きゅうてぃぱんちょす」というバンド名で出場したのが80年。デビューは83年秋のことでしたが、バンド名は都会派?風に、また杉山さん一人をフィーチャーする形でのスタートとなりました。

杉山清貴(すぎやま・きよたか)
1959年7月17日生
神奈川県出身
血液型AB



<その他のメンバー>
高島信二(たかしま・しんじ) ギター
吉田健二(よしだ・けんじ) ギター
大島孝夫(おおしま・たかお) ベース
廣石恵一(ひろいし・けいいち) ドラムス
西原俊次(にしはら・としつぐ) キーボード

デビュー曲「サマー・サスピション」1983年4月21日

個人的ベスト3。
1.「ふたりの夏物語」(1985.3.6) 康珍化/林哲司/林哲司
2.「サマー・サスピション」(1983.4.21) 康珍化/林哲司/林哲司
3.「君のハートはマリンブルー」(1984.1.21) 康珍化/林哲司/林哲司


なんだか自分でも俗っぽい趣味だな、と思うのですが、歌って気持ち良く感じるものを上位に。オメガトライブ=夏みたいなイメージがありますが、サウンドの爽やかさとタイトルによるところが大きそうですね。春先発売だったりしますし。

85年12月、杉山清貴&オメガトライブ解散。
ソロ活動をし、「さよならのオーシャン」「最後のHoly Night」(ともに86年)等もヒット。(この2曲は結構好き)
残されたオメガトライブは、メンバーを変え、ヴォーカルにカルロス・トシキを迎え、「1986オメガトライブ」として再デビュー。「君は1000%」など、クリーンヒットを放ちました。
後に、「カルロス・トシキ&オメガトライブ」と名前を変え、解散。メンバーは少しラ・ムーに移る等、トライアングル・プロダクションの中で流用されていきます。

オメガトライブは、日本におけるAORの頂点という感じがしますね。林哲司の影響が大きいにしても、時代が求めた音、とも言えそうです。



安全地帯

2004-12-12 | ヤマハ系
84年、「ワインレッドの心」で突然に大ブレイク。
でも下積みは長かったようです。
73年には既に「安全地帯」のバンド名でポプコンに出場。76年には北海道代表になっています。この時は長渕剛も九州代表になってますね・・
しかし、デビューは82年。「ワインレッドの心」は83年11月の発売でした。

玉置浩二(たまき・こうじ) 1958年9月13日生 A型
武沢 豊(たけざわ・ゆたか) 1958年5月16日生 AB型 
六土開正(ろくど・はるよし) 1955年10月1日生 A型
矢萩 渉(やはぎ・わたる) 1957年6月27日生 A型
田中裕二(たなか・ゆうじ) 1957年5月29日生 O型
※全員が北海道出身
デビュー曲「萠黄色のスナップ」(1982.2.25)

個人的ベスト3。
1.「ワインレッドの心」(1983.11.25) 井上陽水/玉置浩二/安全地帯・星勝
2.「熱視線」(1985.1.25) 松井五郎/玉置浩二/安全地帯・星勝
3.「恋の予感」(1984.10.25) 井上陽水/玉置浩二/安全地帯・星勝



意外にありそうでなかった、タイプの曲だったと思います。フォークでもなくAORでもないけど心に染み入る曲。玉置浩二はよく、曲作りの原点は童謡、というようなことを言ってましたが、確かにそうかもしれません。
この曲、そして詞が彼独特の艶のある声で歌われると、グッとくるのかもしれません。
そんな中、「熱視線」は路線的には異なる曲。この曲の持つスリリング感はたまりません。カラオケとかで歌うと間延びするのですが(笑)

その後も「悲しみにさよなら」「碧い瞳のエリス」「プルシアンブルーの肖像」など佳曲を出すとともに、井上陽水さんとの「夏の終わりのハーモニー」などの企画モノも好調で、まさに日本歌謡界の中で重要な位置を占めたと言えます。

87年に玉置浩二はソロ「All I Do」をリリース。この時は余技かな・・くらいに思っていたのですが、88年の「微笑みに乾杯」で安全地帯が活動休止に入ると、89年よりソロ活動を充実。「キ・ツ・イ」(89年)などがヒット。「田園」(96年)はミリオンに。
90年から93年まで安全地帯として、年1曲ペースでの活動再開。その後また休止し、02年に久々の活動再開。93年まで3枚のシングルをリリース。

玉置浩二さんは、売れないバンド時代を支えた奥様と別れ、再婚したあたりから女性の支持を失った気がします(同事例:ミスチル・桜井、GLAY・TERU)。プライベートと言えばそれまでですが、やはり影響はあったのではないでしょうか。



チェッカーズ

2004-11-21 | ヤマハ系
84年に入って「涙のリクエスト」が大ヒット。つられるように前年のデビュー曲「ギザギザハートの子守唄」、その後の「哀しくてジェラシー」と3曲同時チャートインなど一躍スターダムにのし上がったチェッカーズの7人。
ベイシティローラーズを思わせるチェックの衣装に身を包み、踊り演奏し歌う姿は一世を風靡したという言葉がぴったりくるのではないでしょうか。

藤井郁弥(ふじい・ふみや) 1962年7月11日生 A型
武内 亨(たけうち・とおる) 1962年7月21日生 O型 
高杢禎彦(たかもく・よしひこ) 1962年9月9日生 A型
大土井裕二(おおどい・ゆうじ) 1962年11月2日生 B型
鶴久政治(つるく・まさはる) 1964年3月31日生 A型
徳永善也(とくなが・よしや) 1964年6月7日生 A型
藤井尚之(ふじい・なおゆき) 1964年12月27生 A型
※全員が福岡県出身
デビュー曲「ギザギザハートの子守唄」(1983.9.21)

初期は売野雅勇・芹澤廣明コンビ(「神様ヘルプ!」は康珍化・作詞)の曲を歌っていましたが、86年の「NANA」から自作曲へ。彼らが求めている音楽性・指向が良くわからなかっただけに、あーそういうことだったのかぁ・・と思いました。個人的には自作の曲に好きなものが多くあります。

個人的ベスト3。
1.「I Love you,SAYONARA」(1987.3.5) 藤井郁弥/大土井裕二/THE CHECKERS FAM.
2.「ジュリアに傷心」(1984.11.21) 売野雅勇/芹澤廣明/芹澤廣明
3.「NANA」(1986.10.15) 藤井郁弥/藤井尚之/チェッカーズ・八木橋カンペー


「I Love you,~」は私の心のベスト10に入りそうな曲。CMでフミヤが腕時計のベルトをくわえて歩くのがカッコよかったですが、歌詞は哀しく、曲も切ない。しばらくカラオケで歌いまくってました(笑)
それだけでなく、何故か失恋モノが似合う彼らです・・ランク外ですが「Room」なんかも大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」のようなシチュエーションでグッときます。

「夜明けのブレス」などの名曲もありますし、フミヤのソロ・プロジェクトも成功しているし、言うことなしの彼らだったと思ったのですが・・
クロベエが亡くなって、最近いろいろあった彼らですが、当時の輝きを汚さないようにしてもらいたい・・と個人的には願っています。7人でのチェッカーズだったと思うし。