ポプコン出身と言えば、彼等もそう。「きゅうてぃぱんちょす」というバンド名で出場したのが80年。デビューは83年秋のことでしたが、バンド名は都会派?風に、また杉山さん一人をフィーチャーする形でのスタートとなりました。
杉山清貴(すぎやま・きよたか)
1959年7月17日生
神奈川県出身
血液型AB
<その他のメンバー>
高島信二(たかしま・しんじ) ギター
吉田健二(よしだ・けんじ) ギター
大島孝夫(おおしま・たかお) ベース
廣石恵一(ひろいし・けいいち) ドラムス
西原俊次(にしはら・としつぐ) キーボード
デビュー曲「サマー・サスピション」1983年4月21日
個人的ベスト3。
1.「ふたりの夏物語」(1985.3.6) 康珍化/林哲司/林哲司
2.「サマー・サスピション」(1983.4.21) 康珍化/林哲司/林哲司
3.「君のハートはマリンブルー」(1984.1.21) 康珍化/林哲司/林哲司
なんだか自分でも俗っぽい趣味だな、と思うのですが、歌って気持ち良く感じるものを上位に。オメガトライブ=夏みたいなイメージがありますが、サウンドの爽やかさとタイトルによるところが大きそうですね。春先発売だったりしますし。
85年12月、杉山清貴&オメガトライブ解散。
ソロ活動をし、「さよならのオーシャン」「最後のHoly Night」(ともに86年)等もヒット。(この2曲は結構好き)
残されたオメガトライブは、メンバーを変え、ヴォーカルにカルロス・トシキを迎え、「1986オメガトライブ」として再デビュー。「君は1000%」など、クリーンヒットを放ちました。
後に、「カルロス・トシキ&オメガトライブ」と名前を変え、解散。メンバーは少しラ・ムーに移る等、トライアングル・プロダクションの中で流用されていきます。
オメガトライブは、日本におけるAORの頂点という感じがしますね。林哲司の影響が大きいにしても、時代が求めた音、とも言えそうです。
杉山清貴(すぎやま・きよたか)
1959年7月17日生
神奈川県出身
血液型AB
<その他のメンバー>
高島信二(たかしま・しんじ) ギター
吉田健二(よしだ・けんじ) ギター
大島孝夫(おおしま・たかお) ベース
廣石恵一(ひろいし・けいいち) ドラムス
西原俊次(にしはら・としつぐ) キーボード
デビュー曲「サマー・サスピション」1983年4月21日
個人的ベスト3。
1.「ふたりの夏物語」(1985.3.6) 康珍化/林哲司/林哲司
2.「サマー・サスピション」(1983.4.21) 康珍化/林哲司/林哲司
3.「君のハートはマリンブルー」(1984.1.21) 康珍化/林哲司/林哲司
なんだか自分でも俗っぽい趣味だな、と思うのですが、歌って気持ち良く感じるものを上位に。オメガトライブ=夏みたいなイメージがありますが、サウンドの爽やかさとタイトルによるところが大きそうですね。春先発売だったりしますし。
85年12月、杉山清貴&オメガトライブ解散。
ソロ活動をし、「さよならのオーシャン」「最後のHoly Night」(ともに86年)等もヒット。(この2曲は結構好き)
残されたオメガトライブは、メンバーを変え、ヴォーカルにカルロス・トシキを迎え、「1986オメガトライブ」として再デビュー。「君は1000%」など、クリーンヒットを放ちました。
後に、「カルロス・トシキ&オメガトライブ」と名前を変え、解散。メンバーは少しラ・ムーに移る等、トライアングル・プロダクションの中で流用されていきます。
オメガトライブは、日本におけるAORの頂点という感じがしますね。林哲司の影響が大きいにしても、時代が求めた音、とも言えそうです。